俺様ホテル王のプロポーズ

玉紀直

第一章 戸惑いの再会 (3)

 雛と可南子が同時に返事をすると、木島はにこりと笑ってオフィスの中を通り過ぎ、早足でドアから出ていった。

「なんだか、今日は忙しそうですね。チーフ」

「とんでもないVIPが来ているせいでしょう。ゲストリレーションズの大村さんも忙しそうだもの」

「そうですね……」

「いきなりの予約、っていうか、ほぼ決定事項の連絡みたいな感じだったらしいわよ。『パーティーをやるから用意しろ』みたいな。……まあ、ホテル業界の若獅子だの天下のホテル王だの言われている人にご用命を受けたとあれば、うちみたいな中堅のホテルは、どんな無理でも従うしかないんでしょうけど」

 可南子の口調は少々皮肉交じりだ。苦い顔で手に持っているバインダーをげてみせる。

 直接的に関係はなくとも、一鷹の話題はすべての従業員を緊張させた。わずかなミスもあってはならない。細かな要望も漏らさず対応できるよう、それなりに予定外の仕事も回ってきている。

 かく言う可南子も、パーティー終了後に招待客が利用するタクシーの手配で大わらわだったのだ。

 用意する車種は、すべてハイグレードの高級車。ひとりひとりに応じて行き先や到着予定時刻まで、各担当の運転手と打ち合わせなくてはならない。

 仕事上タクシーの手配は日常茶飯事だが、いつもならここまではしない。ホテル王、南條一鷹用の対応だからこそ、ここまでしなくてはならないのだ。

 雛は手早く口紅を引き、チェックが入らないよう丁寧にペンシルで整えてからポーチを片づける。先に行った可南子を追って、急いでコンシェルジュデスクへ出た。

「タクシーの手配、終わったんですか?」

 可南子に並んでカウンターデスクの椅子に腰を下ろすと、彼女は手に持っていたバインダーを雛に差し出した。

「なんとかね。他のホテルで高級車の使用予約が入っていなかったおかげで助かったって感じ。お抱え運転手が迎えに来るっていう人もいるから、そういった人のぶんは入っていないし」

「……南條氏ご本人の名前も、ありませんね」

 バインダーに挟まったリストに目を走らせ、真っ先に探してしまったのは一鷹の名前だった。

 無意識の行動だったが、必要以上に彼を意識している自分を感じる。

「南條氏もお迎えが来るんじゃない? なんていってもホテル王だもの、お抱え運転手のひとりやふたりいるでしょう。確か到着のときもロールス・ロイスで来たっていうし」

「そうですね」

「そういえば雛ちゃん、ここに来る前、南條グループのホテルで働いていたって言ってなかったっけ?」

 可南子の問いかけにドキリとする。そういえば何気ない会話の中で、以前の職場の話をしたことがあった。

 思えば、高卒で実務経験が二年ほどでも、このホテルで最初からコンシェルジュとして採用してもらえたのは理由がある。南條グループのホテルで正社員採用だったことと、二年のうち一年はフロントクラークを担当していたという経験を買われたのだ。

「南條氏と直接話をしたこととかある?」

「あ、ありませんよ……。勤めていたのはグループの拠点みたいなホテルでしたけど、二年いても数回フロントから見たことがあるくらいでした。働き始めたときは客室係でしたけど、そのころはもう、雲の上の人っていうか、名前しか知らない別世界の人でした」

「なんだか分かるわ。偉すぎる人って、そんな感じだよね」

 可南子はクスクスと笑いながら、かたわらのパソコンに目を向けキーボードを叩き始める。何気ない質問だったようで、それ以上この話題が続くことはなかった。

 雛はバインダーのリストに視線を戻し、名前のない一鷹の顔を思い浮かべる。

 ……雲の上の人……

 まさに、ぴったりの言葉だ。

 一鷹は、決して雛が関わり合いを持てるような人物ではなかった。とあるきっかけから、彼と恋人同士になるまでは……

 ────逃げられると思うな。

 一鷹にかけられた言葉を思いだす。あまりにも鮮明にその声が脳内で再生され、雛は思わず身体を震わせた。

 彼は、雛がここで働いていることを知らないはずではなかったか。けれど、もしもなにかのきっかけで知ったのだとしたら。

 あの言葉から、一鷹は雛を見つけるためにここへ来たと考えることができる。

(そんなはず、ない……)

 思いついた疑問を咄嗟に否定し、雛はバインダーを置く。

 雛が一鷹のもとを去った当時、自分は彼にとって邪魔な存在であったはずだ。オーナーに着任するため、これからの彼のため、もっとも邪魔な存在であったはず。

 その事実を知ったからこそ。雛は……

「水谷さん」

 呼びかける声にハッとする。どうもさっきから一鷹のことばかりを考えてしまい落ち着かない。

 雛が振り向くと、木島がオフィスに続く出入り口から顔を出して手招きをしていた。

 可南子に目で合図をして席を立つ。総支配人に話があると呼び出されていた割には、随分と戻るのが早かったようだ。そんなことを考えながらオフィスに入ると、木島は自分のデスクの前に立って雛を待っていた。

「チーフ、なにか?」

「突然なんだけど、水谷さんには数日間、特別シフトに入ってもらうことになった」

「特別シフト……。フロントクラークかなにかのヘルプですか?」

「いいや。バトラーサービスの要請が入ってね。水谷さんが指名をされているんだよ」

「バトラーサービスって。わたしがですか?」

 雛は驚いた声を出す。これは予想外の特別シフトだ。

 バトラーサービスはコンシェルジュに付属したサービスで、バトラーという名称どおり、ひとりのゲスト専用のお世話係、いわば召使いだ。

 海外のホテルなどには当然のようにあるものだが、日本での馴染みはあまりない。

 通常、常連のVIPなどの専任にはゲストリレーションズオフィサーが就く。それ以外の宿泊客からバトラーサービスの希望があったときは、コンシェルジュが対応をする。

 その場合、主にバトラー役を任されるのはチーフの木島だ。年配のご婦人などからは女性をお願いしたいと希望されることもあり、そのときは可南子が担当していた。

 一応バトラーサービスの研修は受けているが、雛にはまだ経験がない。

 そんな自分をわざわざ指名してきたのは誰なのだろう。

(もしかして……)

 頭に浮かんだのは、祖母とふたりで宿泊している例の少女だ。

 一昨日からジュニアスイートに宿泊している彼女は、大きな企業家の孫娘らしい。滞在予定は一週間あまり。

 最初は目も合わせてくれなかったが、色々な案内や祖母側からの要望に応えているうち、少しずつ馴染んできてくれている。

 祖母のほうも感じのいい婦人で、コンシェルジュデスクに寄るたびに雛を指名してくれる。名指しで頼られるのは、なんとも嬉しいものだ。

 おそらく間違いはないだろう。あのふたりのバトラー役なら、ぜひ引き受けたい。雛は確信して木島に笑顔を向ける。

「ご指名をいただけるなんて光栄です。頑張ります。……あの、おそらく、例の女の子とご祖母の方ですよね?」

 すると、木島が一瞬言いにくそうに口元を引き締める。そして、神妙な声で告げた。

「いいや。君が担当するのは……、南條氏だ」

「え?」

「南條一鷹氏が、君を指名してきた」

 血の気が引いた。動揺を抑えようと、身体の前で握り合わせた手に力を込める。

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