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俺様ホテル王のプロポーズ

玉紀直

第一章 戸惑いの再会 (2)

「幼いお客様を上手く扱うスキルは、ぜひ僕も勉強させてもらいたいな。いまだに戸惑うことが多くてね」

「チーフがですか? そうは見えませんよ。いつでもどんなお客様にでも丁寧に対応していらっしゃるから」

「いやいや、内心は結構焦っていることが多いんだ。お子さんに接していて困ると、さりげなく親御さんに振ったりね」

 非の打ちどころなどないように感じる上司の、ちょっとした弱音。苦笑いをする木島を見て、雛もクスリと笑う。

 すると、なにかに気づいたかのように表情を変えた木島が、人差し指で雛の顎の下をつついた。

「ここ、ちょっとメイクが落ちているよ。なにか食べた? 口紅もおかしいかな……。急いで直しただろう」

「あっ……」

 雛は慌てて口から顎にかけてを両手で隠す。そんな彼女に気を使ったか、木島は微笑んだままこっそりとカウンターの奥を指さした。

「すみません」

 その意味をすぐに悟り、雛はそそくさと奥へ引っ込む。スペースの奥には、デスクワーク用のオフィスへと続く出入り口があるのだ。

 軽く休憩をする場合にも使われる。木島はオフィスでメイクを直してくるように指示したのだろう。

 オフィスには誰もいなかった。コンシェルジュは木島や雛を含め五人いる。男性が三人、女性が二人だ。シフト制なので全員が同じ時間にそろうことはめったにないが、もう一人の女性コンシェルジュ、白石可南子とはだいたいいつも勤務時間が重なる。

 彼女はフロントから回されてきた送迎用タクシーのチェック作業をしていたので、オフィスの中にいると思っていたのだが姿は見えなかった。

「お手洗いかな……。可南子さん」

 何気なく呟きながら、自席の椅子に腰を下ろす。デスクの引き出しから持ち歩き用の化粧ポーチを取り出すと、なんとなくおかしくなった。

「ほんと、細かいところに気のつく人……」

 コンパクトミラーに映る口元を眺め、木島の指摘を思いだす。顎の辺りのメイクが落ちているといっても、そんなに目立つものではない。口紅を急いで直していたのは正解だが、なにか食べてれたというのは不正解だ。

 メイクが落ちていたのは顎を摑まれたせい。激しいキスをされて口紅が取れてしまったので、コンシェルジュデスクに入る前に急いで口紅だけを引き直した。丁寧に直したわけではなかったが、大丈夫だろうと思っていたのだ。

 しかしそれは大きな間違いだった。目配りにそつのないチーフには、誤魔化しがきかなかった。

 ──まさかあんな場所で、一鷹に会うとは思わない。

 少し遅くなった昼休みを終え、雛は仕事に戻るところだった。

 彼に声をかけられ押さえこまれたのは、従業員用の休憩室を出てすぐの廊下。時間が時間だったので、通りかかる者がいなかったのが幸いだ。

 昨日、南條ホテルグループのオーナーがパーティーの予約を入れてきたと知ったとき、雛は全身の血が引く思いだった。

 彼がなぜクリスタルリゾートを選んだのかは不明だが、偶然だろうとは思う。一鷹は雛がここに勤めていることを知らないはずだ。

 宿泊ではなくパーティー会場としての利用のみなのだから、顔を合わせる可能性も低い。なにか要望が出されたとしても、VIP個人の対応はチーフである木島か、ゲストリレーションズオフィサーの大村があたる。

 雛のような、コンシェルジュになってまだ一年という浅い経験しか持たない者の管轄ではないのだ。

(どうして従業員しか通らない場所にいたんだろう)

 一鷹が雛に声をかけたあの時間帯、彼はパーティーの最中だったはず。

 午前中に到着し、午後からパーティー。夕方には終了し、彼を含めた出席者はホテルを出るという予定だ。

 彼があの場所をうろうろしていた理由が分からない。

(一鷹さん……)

 口紅を直そうとして鏡に映る唇ばかりを眺めていると、一時間ほど前の出来事を思いだす。

 彼にされたキス。じんわりとした甘い痺れがよみがえってきて、雛はキュッと唇を結んだ。

 ──強いキスだった……

 支配的で、激しくて。……熱くて。

 彼と恋人同士であったころでも、あんな乱暴なキスはされたことがない。同じように激しくても、彼がしてくれるのは情熱的で愛しさが伝わってくるキス。

 名前そのままに鷹のような鋭い双眸と高圧的な雰囲気を持ちながらも、雛にだけは穏やかな微笑みをくれる人だった。

『雛は、雛鳥の〝雛〟だな。小さいし』

 そう言っては雛をからかい、広い胸で包みこんで、宝物を扱うかのように彼女を大切にしてくれた。

 一鷹がオーナーに就任したのは一年前。それまではグループの取締役副社長だった。そんな彼との交際期間は約一年あったが、そのあいだ身体の関係はない。

『雛を大切にしたい』

 そう言ってくれた一鷹の気持ちは、とても嬉しかった。

 ……のちに、それが、いずれ雛を打ち捨てるときのために用心をしただけのことだったと知るまでは……

「あ……」

 ポロリと口紅のスティックが手から滑り落ち、雛はハッと我に返る。気づいたが遅く、口紅はデスクの下へ転がっていってしまった。

「あーあ、もう、よけいなことばかり考えてるから……」

 口紅を落としたことより、一鷹のことばかりを考えてしまった自分を責める。雛は床にしゃがんでデスクの下へ手を伸ばした。

 いささか奥まで転がってしまったらしく、手が届かない。雛は誰もいないオフィス内をきょろきょろと見回し、つんいになってデスクの下へ潜りこんだ。

 口紅を拾い、本体を出していなくて良かったとホッとする。するとそのとき、お尻をポンッと叩かれた。

「きゃっ!」

 反射的に身体がビクンとねる。それだけならまだしも、雛はその勢いでデスクに頭をぶつけてしまった。

「ちょっ、雛ちゃん、大丈夫? ごめん」

 慌てた声が背後から聞こえる。雛もいたが、ごんっという強く頭を打つ音を聞いた声の主も驚いたことだろう。

「ごめんね。かわいいお尻が机の下から出てたから、つい。でも、頭をぶつけるとは思わなかった。大丈夫?」

 もそもそっと這い出した雛に手を差し伸べてくれたのは、もうひとりの女性コンシェルジュ、可南子だ。

 雛より三つ年上の二十五歳。コンシェルジュ歴は二年だが、高卒でホテル従業員として働き始めた雛に反して、可南子は大学のホテルビジネス科を出ている。

「大丈夫です~。すみません、口紅落としちゃって」

「口紅?」

「はい。チーフに、口紅が綺麗に引けてないから直しておいでって言われちゃって」

「チーフは細かいからねぇ」

 クスクス笑う可南子につきあって照れ笑いをし、雛は膝とスカートをパンパンと手で払う。すると、そこにもうひとつの声が入りこんだ。

「細かいっていうより、よく気がつくって言ってほしいな」

 雛と可南子が同時に顔を向けると、木島が出入り口から顔を覗かせている。もしや、ちょっとメイクを直すだけなのになかなか戻ってこないと思って様子を見に来たのだろうか。

 そう思った雛は慌ててポーチをしまおうとするが、木島に止められた。

「慌てなくてもいいよ。直すものはきちんと直して」

「は、はい、すみません」

「終わったら、ふたりとも表のカウンターについてくれるかい。総支配人から呼び出しがあってね、僕はちょっと外さなくちゃいけないから」

「分かりました」

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