新婚(仮)! 初心者奥様、愛に溺れる

ひより

序 章 突然のプロポーズ




序 章 突然のプロポーズ




「出身地はどこだ」

 まるで尋問のような問いかけに、仁菜は反射的にびくりとすくみあがった。

 ベンチに座った彼女の目の前に立つのは、すらりと背が高いスーツの男だった。黒い前髪を整髪剤で撫でつけ、後ろに流している。切れ長の鋭い目元、すっとした鼻梁に、薄い唇。まるで彫刻のような端整美貌である。

 仁菜が男と向かい合っているのは、駅前の人通りが比較的少ない改札出口付近に設置されたオブジェを中心とした広場だった。曲がりくねった巨大な針金が、ゆっくりとしたペースでぐるぐると回転を続けている。仁菜は美術の成績はよいほうだったが、しかしこのオブジェのどのあたりがアートなのかはよくわからずにいた。

 とはいえオブジェの周りにたくさんのベンチが設置されていることはありがたかった。いくら長時間座っていてもベンチを独占しているという罪悪感にかられずにすむからだ。

 仁菜がこのベンチに腰掛けたのはかれこれ十分ほど前のことになる。

(雨……降るかなぁ……?)

 ぼんやりと見上げた空は曇天だ。まるで彼女の心の中のように、水でといていない絵の具で塗りつぶしたような鈍色だった。和泉仁菜、二十歳。目ばかりが大きくて鼻と口が小さいことと、体のパーツがすべて小さいため、ときたま中高生に間違われることがコンプレックスの、それ以外はどこにでもいるような普通の娘だ。

 このとき、彼女はリクルートスーツに身を包んでいた。慣れないパンプスで靴擦れした足の痛みをどこか遠くに感じながら、ぼうっと空を見上げ続けていると。

「雨が降るかもしれないな」

「──えっ?」

 いつの間にか仁菜が腰掛けていたベンチのすぐそばに長身の男が立っていた。

 ぎょっとして目をしろくろさせる仁菜をよそに、男は怜悧なまなざしをこちらへ向けながら形のよい唇をもう一度開く。

「君の出身地はどこだ」

「は……?」

「関東か? それとも田舎があるのか?」

(は……はあ?)

 咄嗟に返事が出てこなかった。

(出身地って……わたしの生まれた土地のこと? なんでこの人が、そんなこと聞くの?)

 そこではっと、気が付いた。

(もしかしてこの人、制服は着てないけど実はおまわりさん? わたしがあんまりにもここに長くいるから、……ふ、不審者だと思われてる?)

 だとしたら、をつくわけにはいかない。仁菜は自らがと思われたことに若干のショックを受けながら、聞かれたことに対しては正直に答える。

「う、生まれも育ちも、東京です……」

「どのあたりだ」

「こ、このへんです。子どものころは荻窪とか、阿佐ヶ谷とか、何度か引っ越しを……」

「家族構成は」

「……両親はいません。今は、妹とふたり暮らしです」

「なぜ両親がいないんだ」

「事故で……二年前に他界しました」

「そうか、それはご愁傷様だった。ところで、君はいくつだ」

「は、二十歳、です、けど……」

「一緒に暮らしている妹さんは」

「い……五つです」

「ずいぶんが離れているんだな」

「は……母の再婚で生まれた妹なので……」

「なるほど」

 男はそこでひと呼吸置いた。

「それで君は、なんの仕事をしているんだ」

(き、きたっ!)

 仁菜はごくりとを飲んで、声が震えないよう懸命に喉元に力を込めた。

「……求職中です。今は、仕事を探している最中です」

「では家賃や生活費はどうしているんだ」

「……それ、は……」

 冷や汗がこめかみを伝い落ちた。

 ──これはさすがに、答えるわけにはいかない。

 仁菜は立ち上がり、決死の思いで挑むようにして男を見上げた。立ち上がってみて改めて実感したが、相手はかなりの長身だ。どうりで妙な迫力があるわけだと、このような状況で改めて納得する。

「なっ……、なんで、そんなことを、聞くのでしょうか……?」

 舌を嚙みそうになった。企業面接に勝るとも劣らない緊張が、仁菜の頰を赤くさせる。

「あ、あなたは……おまわりさんですか? 身分証明書でしたら、えっと、保険証が」

「ああ、違う。すまない。申し遅れたが、俺はこういう者だ」

 男は胸ポケットからすっと、慣れた仕草でスチール製の名刺ケースを取り出して、そこから一枚の紙を仁菜に渡した。

「……『株式会社クールファイン……総務部第一課……部長補佐……桐谷優一』……」

 クールファイン。誰もが知っている社名だ。たしか国内のエアコンのシェアを独占する大手企業である。

(お……っ)

 遅れてきた混乱が、仁菜の頭の中で爆発する。

(おっ、おっ、──おまわりさんじゃなかった! それどころか、部長補佐って……えっ、それってかなりすごい役職だよね? もっとこう、四十代とか五十代とかそのくらいの人がなる感じのポジションなんじゃないの? そんな人がどうしてわたしに声を? なにかのマルチ商法?)

「病気はあるか」

「へっ?」

「持病や遺伝性の病気があるのなら教えてほしい」

(な、なんで?)

「ご両親は事故死だと言っていたな。ならば君のご祖父母は……」

「わ、わかりません。その、し、親戚とは疎遠だったもので……。わたし自身は健康です。大きな病気はしたことがないし……」

「そうか」

 言って男は──株式会社クールファイン総務部第一課部長補佐桐谷優一は、仁菜のほうに向けて身を乗り出した。くほど整った顔立ちが間近に迫りどぎまぎした。優一の怜悧なまなざしが仁菜の瞳の奥をさぐるようにして光る。

「実は諸事情があって結婚しなくてはならないことになった」

「……は?」

「突然で申し訳ないのだが、君に恋人がいないのなら、どうか俺と結婚してくれないか」

「──は……?」

「そういえば、その前に。君はなんという名前なんだ?」

(は……)

 あまりの唐突さとわけのわからなさに、すとん、と体の力が抜けて、仁菜は再びベンチへと腰を落とした。

(……白昼夢?)

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