ハッピーウェディングが待ちきれない!

立花実咲

1  いつか王子様が (1)




1 いつか王子様が




 新年の賀詞交換パーティーの会場を父と一緒に訪れた彩菜は、帯が窮屈に締まるのを気にしながら、会場の中を見渡した。

 今朝はぶすっとしていた彩菜だったが、ホテルの中に入った途端、胸が高鳴るのも否めなかった。東條からあれこれ並べたてられた見合い相手の経歴は立派だけど、彩菜にとって気になるのは本人の容姿や性格の方だ。

 彩菜は小さくため息をつく。

 何度も話をされていると、だんだん反発するのも面倒になり、とりあえず会って話をしてみたらどうだろうという気持ちになってくる。

(もしも素敵な人だったら、知り合えるきっかけになるとは思えない?)

 と自問自答してみる。

(でも、やっぱりいや。勝手に決められた結婚なんて……)

 会場を見渡したところ、父世代の男性ばかりでそれらしき若い男性は今のところ見えなかった。

 そればかりか、彩菜は自分に寄せられる視線を感じて、居心地が悪かった。

 毎年恒例のパーティーとはいえ、旧家とは名ばかりで大した資産や名誉をもたない父は、多くの来賓がいる中で明らかに浮いていた。元々服装などにも無頓着な人なので、くたびれた背広を気にかけようともしない。アイロンが失敗したような妙なの寄り方を眺め、彩菜は気がかりでならなかった。

 そういう父でも彩菜は恥ずかしいと感じたことはないし、研究を誇りにしていることは素晴らしいと尊敬もしている。けれど周りはそういう目では見ていない。好奇の視線は自然と彩菜にも向けられるようで、どこから聞きつけたのか、箔をつけるために政略的な結婚をするのではないかと噂までされている始末。

 ひそひそとした会話、ちらちら突き刺さる視線……それを感じるにつれ、なるべく気分を落ち着かせてきたはずなのに、また苛々してくる。

「私、ちょっとお手洗いに行ってくるわ」

 彩菜は挨拶を終えた恭介に耳打ちをした。言ってきなさいと促され、さっとその場を退く。

 恭介の白髪頭が次の挨拶相手に会釈をするのを尻目に、彩菜はホールの外へさっと抜け出した。

「はぁぁ……」

 長い、長い……ため息が漏れる。

 こういう社交の場というのは慣れるしかないもので、好んで出席したいと思うようなものではない。皆が取り繕った顔で儀礼的に会話を交わしている。

 だんだん……なんとかして逃げられないものか、と現実逃避したくなってくる。

 彩菜はとにかく気分を持ち直そうと思い、お手洗いに向かった。

 不意に、どこからかヴァイオリンの音色が耳に入り、彩菜は立ち止まった。

(この曲は……バッハの……G線上のアリア……)

 館内のBGMではない。どこか別の会場で生演奏でもしているのだろうか。伸びやかなヴァイオリンの音色が心地よく、もっと聴いていたい気持ちにさせられる。

 彩菜は美しく奏でられる音色につられてゆったりとその方向へ足を向けた。

 近づくにつれ、だんだんと音色が大きくなっていく。

 一室開かれていた部屋をのぞくと、スーツを着た長身の男性が、ヴァイオリンをやさしく肩に載せて演奏していた。

 彩菜は彼を見た瞬間、あっと息をのんだ。

 やわらかそうな亜麻色の髪から覗く、瞼を縁どる濃い睫毛が揺れている。二重の双眸は薄茶色の宝石のよう。格好良く通った鼻梁、薄くられた甘やかな唇には、そこはかとなく色香が漂っていて、品のある端整な容姿はどこかのプリンスのよう──。

 その上、リーチの長い腕や、なめらかな手や綺麗な指先は、まるでヴァイオリンと一体化した芸術品のようにも見える。

 トクン、トクン、と胸が高鳴っていく。

 胸を焦がすような情熱的な調べ。やさしく紡がれる甘い旋律……。

 こんなふうに繊細な音色を奏でられるぐらいなのだから、きっと彼はやさしくておだやかな人に違いない、そう思わずにはいられないほど。

 ぼうっと見惚れていると、彼の視線がこちらへ寄せられて、彩菜はハッと我に返る。

 せっかくいいところだったのに、彼はヴァイオリンの弓を止めてしまった。

「あ……ごめんなさい。お邪魔したりして……お部屋を間違えたみたい。失礼しました」

 彩菜は言い訳をするなり、部屋の前から離れた。

 駆け出したあとも心臓の音はいつまでも鳴りやまなかった。あの音色をもっと聴いていたかった。できるなら、もっと傍で見つめていたかった。

(なんて素敵な人なの。あんな人がお見合い相手だったらいいのにな……)

 それとも、いつか王子様が……と願う淡い想いが叶わないことを案じているのだろうか。

 神様はイジワルだ。叶わないなら幻覚でも見せないでほしい。

 慌てて逃げ出したせいで、事もあろうにパーティー会場の方へ戻ってきてしまった。恭介がホールから出てきて、きょろきょろとあたりを見渡している。おそらく戻るのが遅い彩菜を捜していたのだろう。

 さきほどまで鮮やかなを見せていた世界が、一気に色褪せていく。

 に入れられるのを観念した動物のように、彩菜は重たい草履をずるりと引きずり、恭介の隣に歩みよった。

「どこに行っていたかと思ったよ。社長がお見えになったようだから、さあ」

「……わかったわ」

 そう返事をする彩菜の声は暗かった。

 恭介は眉尻を下げて、申し訳なさそうに諭す。

「彩菜、頼むからそんな顔をしないでくれないか。征臣くんはとてもいい青年なんだよ。きっと彩菜も気に入るはずだ」

 父の情けない声が、右から左に流れていく。

 一応、父の立場を考えて、顔ぐらい出さなくてはならない。彩菜だってそんなことは判っている。

 彩菜は恭介の言い訳を受け流しながら、まだ見えぬ桜庭征臣の姿を探していた。

 社長の孝太郎の姿が見えて、恭介に「さあ」と帯のあたりを押されると、彩菜は緊張を高まらせた。

 彩菜だって、自分と結婚してもいいと言う相手がどんな男性なのか興味がないわけではない。言いなりのお見合いは嫌だけど、万が一でも素敵な人だったのなら……と夢ぐらいみてもは当たらないだろう。

 けれど社長と一緒に現れるかと思った見合い相手の姿は、彼の隣には見えなかった。

「これはこれは。新年あけましておめでとうございます。素敵なお嬢様になられましたね」

 目尻におだやかな皺を刻ませて、孝太郎は彩菜を見た。

「ありがたいお言葉です」

 恭介は彩菜の方をちらりと一瞥し、彩菜もつられて挨拶をした。

「お褒めに与り光栄です」

「いやぁ、本当に。せがれに会わせたかったよ。実をいうとね、今日、顔を合わせられたら良かったんだが、まだ仕事の折り合いがつかなくて、アメリカにいてね」

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