トナメン!! となりに住んでいるサラリーマンがダメなイケメンだと思ったら……!?

里崎雅

第二章 新米社員の憂鬱 (2)

 切れ長の瞳で一見冷たそうな梅村にそうされると、心底拒絶されているようで少しひるむ。しかしそれは見た目だけで、本当は面倒見がよい先輩だということは一緒に仕事をしていく中で知ったことだ。

 梅村は黒くて長い髪をかき上げると、なおも腕にすがろうとした萌の腕をほどいた。

「奥野、総務に行ったってことは、もしかしてあの堅田さんとやり合ってきたの? アンタ意外と根性あるわね」

「担当が噂の堅田さんだとは、知らなかったんですぅ……」

「バッカねえ。どうせ担当者の名前を、ちゃんと見てなかったんでしょ。担当者の欄に『堅田』って名前が書いてあった段階でみんな質問にすら行けないでいたのに。直談判してきたなんて勇気あるわ」

 梅村は感心したようにそう言うと、ぽんぽんと萌の頭を優しく叩く。

「そんなことを褒められても、全然嬉しくないですぅ……」

 ブツブツとつぶやきながら、萌は冷たいデスクの上にペタリと顔をつけた。

「何、アンタそんなにあの独身寮が好きだったの? さっさと物件探して、一人暮らしの準備始めたらいいじゃない」

 呆れたように言い放つと、梅村は萌が作業を終えて提出するだけになっていた書類を手に取った。

「あ、頼んでた書類できてたのね。できてるんならさっさと出しなさいよーって……それどころじゃないか」

「そりゃあ先輩たちみたいに、軽く一人暮らしでもできれば問題ないでしょうけど……」

 書類の束で軽くペシリと頭を叩かれ、つい口から出てしまった恨み事に梅村の方が首を傾げる。

「どうして? 何か事情でもあるわけ? お金の問題だったら、事情が事情だし会社の方から単身者向けの引越し貸付とか利用できるはずだけど。掲示板に貼り出してあった文書にも書いてあったでしょう?」

「そりゃお金の問題も、あるといえばありますけど……」

 引越すための費用や、必要なものを買うお金の問題ももちろんあるが、それは貯金でなんとかなる。

 問題は、そこではない。

「じゃあ何よ?」

 鬱陶しそうな顔の梅村を、萌は涙目で見上げた。

「うちの両親が、一人暮らしに大反対なんです……」

 寮閉鎖の話を聞いた時から、圧倒的に脳裏にちらついていたのは両親のことだった。

 一人娘ということに加え小さな頃は身体が弱く病気がちだったせいか、かなり過保護に育てられた自覚はあった。

 この会社に内定が決まった時だって『家から通うには遠すぎる』という理由で喜んでくれなかったのは記憶に新しい。

 というか──片道で二時間もかかる会社なのに、実家から通うことを全く疑っていなかったのにも驚いたけれど。

 会社からの封筒が郵便で自宅に届いた日。震える手で封筒を開けた萌は、中に入っているのが内定通知だとわかり、居間で喜びの雄叫びを上げた。

「どうしたの!? 萌ちゃん」

 母が濃い茶色のセミロングの髪を揺らしながら、慌てた様子でキッチンから居間を覗き込んだ。いまだに自分の娘を『ちゃん』づけで呼ぶ母は、どこかほわんとした雰囲気を持つ少女のような人だ。幼稚園の先生がつけていそうなキャラクターもののエプロンが、妙にしっくりくる。萌の可愛いモノ好きは、間違いなく母の影響だと思う。

「見て! 内定通知がきたの!」

 大喜びで差し出した内定通知を、同じように何事かと書斎から顔を出した父が手に取った。背も高くいかつい身体の父が持つと、内定通知がとても小さく見える。

 最近また老眼が進んだらしく、父は眉間に皺を寄せて内定通知を手元から遠ざけて眺めると、会社の住所を読み上げて益々眉をしかめた。

「ここか? 萌が一番行きたかった会社って」

「そうだよ。めちゃめちゃ嬉しい~!」

 部屋の中を踊り回る萌を余所に、両親は揃って微妙な表情で内定通知を見つめている。

「大変ねえ、萌ちゃん。結構遠いじゃない? これなら毎朝五時に起きないと間に合わないんじゃないかしら」

「さすがにこの距離じゃあ、専門学校と違って毎日送ってやるわけにもいかないしなあ」

「……は?」

 顔を見合わせて頷く両親は、どうやらふざけているわけではないらしい。

「何言ってるの? 実家から通えるわけないじゃん。会社の近くに住むよ」

 呆れた顔で言い放つと、二人は信じられないとでも言いたげに萌を見つめた。

「そんなこと絶対にダメだぞ」

『萌のことが心の底から心配なんだ』という表情を浮かべながら、父はゆっくりと首を振る。

「そうよ萌ちゃん。ほら、よくニュースでやってるでしょ? 一人暮らしの女性が、男性に押し入られたとか放火されたとか。この前だって、確かそんな事件があったじゃない」

 母はそう言うと、テレビの横に置いてある週刊誌を手に取りページをめくりだす。

「いや、別に探さなくていいし」

 わざわざ聞かされなくとも、そのニュースなら何度もテレビや新聞で報道されていたので知っている。

 そうでなくとも、普段から母にはテレビでこの手のニュースが流れるたびにわざわざ呼ばれて『ほら、怖いでしょう? 女の子の一人暮らしは本当危ないんだから!』と何度も言い聞かせられていた。

 母の熱心な刷り込みのせいか、小さい頃は『一人暮らしなんて絶対にしない。ずっとこの家にいるんだ』と信じて疑わなかったが──それも、高校に入るくらいまでだった。

 そんな犯罪に巻き込まれてしまうのはごく一部の人で、そんなことを恐れていては社会に出られない。交通事故にあうのが怖いから歩いて学校には行くな、と小学一年生に言っているみたいだ。

「わざわざそんな家から遠い会社に就職なんてしなくたって、お父さんの知り合いの会社の人が事務の女の子を探していたぞ。地元で働いて家から通いなさい」

 ゴツイ身体とは裏腹に、いつも優しく萌の言うことならなんでも聞いてくれる父だが、これはすんなりいかないらしい。しかし、そんな初めて聞かされた話を信じられるはずもないし、そもそもそこは萌が行きたい会社ではないのだ。

「イヤ。私、どうしてもこの会社で働きたいの」

 萌の反抗に、両親は揃って不安そうに顔を見合わせた。

 しかし、絶対に折れるつもりはなかった。

「社会に出て働こうっていうのは、立派なことよ。でも、ねえお父さん」

「そうだ。お父さんとお母さんは、親として萌を危ない目にあわせたくないだけなんだ。そもそも一人暮らしをするには、家を探して借りなきゃいけないし、そのためには保証人やら何やらでお父さんとお母さんの協力がなきゃできないんだぞ?」

「じゃあ、これならいいでしょう?」

 萌が意気揚々と両親に見せたのは、『女性独身寮』の説明が入った会社のパンフレットだった。

 小さな頃から可愛くてふわふわしたものやキャラクターグッズが大好きだった。そんな自分が就職活動中に、ファンシー雑貨やキャラクターグッズを扱うこの会社の新入社員募集を見つけた時は、冗談ではなく運命だと思った。

 専門学校生なんてエントリーすら受け付けてもらえないかもと思っていたのに、何がよかったのか最終面接までこぎつけ、大学生に囲まれた面接会場では思いの丈を担当者に目一杯ぶつけた。

 内定がもらえたのは、ひとえに可愛いものが大好きな自分の情熱が伝わったのだと思っている。

 自力で勝ち取った就職先だ。絶対に、諦めたくない。

 そんな萌の必死な気持ちが伝わったのか、両親も渋々ながら女性独身寮に入ることを前提にようやく就職を認めてくれたのだ。

 それなのに。

 いまさら寮の廃止は、ない。

「なるほどねえ……天然ちゃんだとは常々思ってたけど、さらに箱入り娘だったのか」

 部署から自動販売機前の談話室に移動して、切々と訴える萌の話を黙って聞いていた梅村は、ずずーっと紙コップのカフェオレをすすった。

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