猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/04/12/18.05・五回目起動・2』

 取った宿は、町外れにある古びた旅館だった。

 バブル期に建てられ、そのまま時間だけが止まったような建物で、ロビーには色褪せた観光ポスターが並んでいる。フロント脇には地酒コーナー。誰も弾かないアップライトピアノ。薄暗い廊下には──やはりというべきか、妙に鏡が多い。

「……何なんだ、この町」

 思わず独り言が漏れる。エレベーター脇。自販機の横。廊下の突き当たり。火災報知器の近くにまで、小さな鏡が掛けられていた。

『防犯意識が高い地域なのかもしれないね』
「それにしたって、何で鏡だよ」
『鏡は古来より結界や魔除けとして──』
「あーあー、そういう解説は今いい。疲れてんだ、こっちは。オカルトに付き合ってられるか」

 遮るように言って、部屋の鍵を開ける。

 六畳ほどの和室だった。壁際にテレビ。窓際に小さなテーブル。畳の匂いと、どこか湿った木材の臭いが混じっていた。荷物を適当に放り投げ、岩井はそのまま畳へ腰を下ろす。

「っはぁ〜……」

 酷く疲れていた。体力的には言うに及ばず、精神的にも。

 朝から車を飛ばし、慣れない土地を歩き回り、得体の知れないAIと会話し続けているのだ。神経が擦り減っているのを自覚する。

 よろよろと、キャリーバックと一緒に持ってきたコンビニ袋から缶ビールを取り出し、プルタブを開けた。小気味いい音が静かな部屋へ響く。少しぬるくなったそれを一口流し込み、ようやく人心地ついた所で。

『Aレポートを整理するかい?』
「……働き者だなお前」
『主が休んでいる間にも処理は進められるよ』
「怖いこと言うなよ」

 岩井は苦笑しながらスマートフォンを手に取った。

 画面には大量のフォルダが並んでいる。

 Aレポート、と銘打たれた赤澤が十六夜町で集めた断片情報群。音声。メモ。写真。地図。記事。取材記録。書きかけで削除されたはずのログ。あまりにも雑多だが、だからこそ、一人の人間がまるで何かへ取り憑かれたように集め続けた痕跡そのものであった。

「これ全部、アイツ一人で集めたのか……?」
『少なくともログ上はね』

 TQの声は相変わらず淡々としていた。

『興味深いのは収集傾向だ』
「傾向?」
『当初、赤澤日香里は都市伝説、「誰彼」そのものに興味を持っていた』

 スマートフォン画面に、時系列が表示される。誰彼。黄昏。鏡。神隠し。古い祭祀──と得体のしれない言葉の羅列が。

『だが途中から変化している』
「変化?」
『土地だ。後半になるほど、「怪異」ではなく、「場所」を調べ始めている』

 画面が切り替わる。

 確かに最初は音声レポートや土地の歴史であったのに、段々と現代──もっと言うのなら、現実リアルへ変遷していく。スクロールすれば、国有地、旧駅予定地、地番、行政資料、戦後区画整理図、鉄道用地計画、そうした資料群へと移っていく。最初の誰彼という怪異の見る影もない。

 岩井は缶ビールを持つ手を止めた。

「……つまり?」
『彼女は途中で気づいたんだろうね』

 TQが僅かに間を置く。

『何か不可思議が埋まっているとしたら、誰彼という都市伝説ではなく、「十六夜町そのもの」にあると』

 部屋の空調が低く唸る。窓の外では、風が木々を揺らしていた。

 岩井は無意識にテレビを点ける。無音の部屋が怖かったのかも知れない。しばらくして液晶に映し出されたのは、この地方のニュースだった。ニュースキャスターが淡々と告げる。

『──本日未明、十六夜町県道■号にて単独事故が発生──』

 事故か、と思う。

 昼間聞いた話が頭を過ぎった。事故が多い町。鏡が多い町。地蔵が多い町。

 そして──禁足地がある町。

「……なぁTQ」
『何かな、主』
「お前、本当にただのAIなんだよな?」
『その質問に、現時点で意味はある?』

 岩井は顔を顰めた。

「誤魔化すなよ……」

 返答は無かった。その代わりに、スマートフォン画面へ、ファイルが表示される。

 Aレポート『十六夜町児童聞き取り調査』

 そのタイトルを見た瞬間、何故か岩井の胸騒ぎが強くなった。

「…………はぁ、どうするかな」

 独り言のように呟き、岩井は後頭部を掻いた。

『どう、とは?』

 スマートフォンから、TQの声が返る。

「別の切り口が必要だろう」

 児童聞き取り調査。

 赤澤らしいと言えば、赤澤らしい。大人よりも、子供の方が土地の異常を異常と認識せずに素直に喋ることは珍しくない。特にこういう閉鎖的な田舎町では尚更だ。だが、今の岩井にはそこへ飛び込む決定打が足りなかった。

『例の国有地に行けば良いのでは?』
「これ、見ただろ? 入口がないってよ。行っても無駄足になる可能性が高いし、不法侵入して捕まることを考えるともう少し周りを固めてからにしたい」

 言いながら、岩井は天井を見上げる。正直な所、かなり危ない橋を渡ることになる、と予感があった。いや、既に踏み込んでいる。

 防犯カメラ。
 立入禁止区域。
 不可解な行政記録。
 失踪した赤澤。

 それを調べるにあたってTQを使い、そしておそらくは法的グレーゾーンにどっぷり嵌っている。いくら日本がIT後進国だと言っても、最低限の法律は整備されている。だが不用意に踏み込むには、まだ情報が足りないという直感があった。いや、この場合は自分の覚悟かも知れない、と自嘲する。

 岩井はスマートフォンを指先で弄りながら、ふと連絡先一覧を眺める。

 そして、止まる。

「──あ」

 懐かしい名前だった。年は少し離れているが、妙に気の合う相手だ。こういう時だけ、あの皮肉げな顔が脳裏に浮かぶ。

「出るかなー、先輩…………」

 数回のコール音の後、やがて、電話口の向こうから、気怠げな口調の男の声が聞こえてきた。

『…………おー、ケンジか。久し振りだな。どったん?』

 同時に、遠くでエアブレーキらしき音が混ざる。どうやら仕事中だったらしい。

「お久しぶりです、先輩。今、いいですか」
『丁度荷待ちだからいいぜ。なんせ待機そろそろ四時間目ー。拘束時間は現在十四時間超過中ー。帰庫したら十六時間拘束余裕でブッチだな。…………死ねや、クソ荷主とこんな案件寄越したクソ営業。コンプラがどうとか偉そうに語る前に自分の会社の勤務体制見直せやアホ』

 聞き慣れた愚痴に、岩井は思わず苦笑した。

 昔からこの人は変わらない、とどこか安心する。岩井が学生時代、運送会社の倉庫にバイトで入っていた頃、よく深夜の休憩所で缶コーヒー片手にこんな話を聞かされたものだ。気は短いし口が悪いので上とはしょっちゅう揉めている印象だ。

 それだけならここまで続くことはなかっただろうが、当時、車という足を欲しがった岩井の相談に乗ってくれたり、夜遊びのいろはを教えてくれた「ちょっと悪い大人」であった。と言っても本人曰く、大人の「嗜み」らしいのだが。

「法律変わって楽になったのでは?」
『現場を知らない政治家と役人が、現場を知らない学者先生に相談して、やった感を演出するためだけに変えた法律に、何の実効性があるんだよ。本当に規制するなら労働環境じゃなくて荷主だっての。むしろ仕事がやりづらくなったぞ、430休憩とか、ロクに駐車場のない東京で時間きたらどうやって大型止めりゃいいんだよ。しかも営業所に帰る直前でも止まれとか言うし。──馬鹿らしいから俺は無視してるけど』
「相変わらずアナーキーですねー…………。怒られないんですか?」
『会社にうるせー馬鹿今まで散々ブラックしてた分際で今更いい子ちゃん面すんな死ね、って中指立てられるのが今の下っ端の良いところだよな。昔と違って、代わりがいなくなってるし。…………で? どうしたよ、いきなり電話なんか。金なら貸さねーぞ。俺も無いからな!』
「違いますよ」

 岩井は苦笑して、一瞬だけ言葉を選ぶ。

 正直に説明したところで、多分まともには信じれないだろう。少なくとも自分ならそうだ。だが、妙に勘の鋭い男でもある。

「ちょっと聞きたいことがありまして。先輩、十六夜町って知ってます?」
『あん? まぁ、仕事で何度か通ったことはあるけども』
「今、俺も…………あー、仕事で現地に来てまして」

 仕事。完全な嘘ではない。上司の責任を名目に掲げているのだから。だが、本当でもないし、それだけでもない。

「それで、この一帯を調べる企画なんですけれど、早々に手詰まりになりつつありましてね」
『オカルト雑誌だったっけか。それで?』
「何か助言を頂けないかな、と」
『んー、と言ってもなぁ。あの一帯だと、確か誰彼たそがれとかいう怪異があったような気がするが』

 その単語が出た瞬間、岩井は無意識に視線を窓へ向けていた。

 暗い。

 窓ガラスには、室内灯を反射した自分の顔だけがぼんやり映っている。

「そう、ですね。そういう情報は手元にあります」
『そういうのとは違うのか?』
「別の切り口から見ようと思いまして」
『ふーん…………。じゃぁ、遠路神社はどうよ』
「遠路神社?」
『麓にある神社だよ、確か。前に御朱印とお守り買いに行った』

 岩井は思わず眉を上げる。この先輩が神社巡りをする姿は、あまり想像できなかったが、そう言えば昔遊びに連れて行ってもらった時、乗っている車のシフトノブとかウィンカーレバーに各地のお守りがぶら下がっていたな、と思い出す。

「先輩、意外と信心深いですよね」
『意外とは余計だっての。運転仕事ってのはよ、腕だけじゃどうしようもない時があんだぜ? 対向車線からミサイルしてくるジジババを回避するのなんか、どうやったって神頼みよ』

 ゲラゲラ笑う声の後、岩井が尋ねる。

「その遠路神社、なにかあるんですか?」
『祀られている祭神がな、シラクモヒメノミコトって言ったかな。旅の無事を祈る神様なんだってよ』
「詳しいですね」
『昔、小説のネタにしようとしたからな。全く別のジャンルでデビューしたが』
「ああ、異世界転生ネタで日本の祭神はそんなに使いませんか。…………という事は、詳細も調べました?」

 まぁな、と男は肯定する。

『確か、昔は長尾神社のシラクモワケノヒメノミコトと名前が被ってるから同一視されがちだったらしいが、元々は豪族だか大名だかの娘だったんだと。で、嫁いだ先が潰れただかなんだかで、帰郷することになったわけだが、その時に野盗だかなんだかに襲われて死んじまったんだ。それを不憫に思った近所の坊さんだか村人が、その辺りに墓を立てた──ってのが始まりらしい』

 岩井は黙って耳を傾ける。だが、『帰郷』という単語だけが、妙に胸へ引っ掛かった。

『で、当時は望郷の方とか帰郷の方とか呼ばれていたその娘は、やがてシラクモヒメノミコトと呼ばれるようになって、転じて旅行安全や交通安全の神様になったんだとさ。ま、俺も全部覚えてるわけじゃないから、詳しいことは遠路神社に行って神主にでも聞いてくれ──っと、ようやく呼びに来やがった。悪い、切るわ』

 荷積みが始まるのだろう。男は早口でそう告げると、半ば一方的に通話を切った。

『今のは?』

 それを見計らったように、TQが問いただしてくる。

「学生時代のバイト先の先輩」

 岩井は短く答え、スマートフォンをテーブルの上に置いて小さく息を吐く。

 ──帰郷。

 その言葉だけが、妙に頭へ残って離れなかった。

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