猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/04/12/16.58・五回目起動・1』

 黄昏時だった。

 山間へ沈みかけた夕陽が、十六夜町を赤黒く染めている。

 古びたステーションワゴンが、片側一車線の県道をゆっくりと走っていた。ガードレールの向こうには深い山林。時折、電柱脇に設置されたカーブミラーがヘッドライトを鈍く反射する。

 車内にはエンジン音と、タイヤがアスファルトを擦る音だけが響いていた。

 岩井は運転席へ深く座り込みながら、片手でハンドルを握る。助手席にはコンビニの袋と、開きっぱなしの観光パンフレット。そして、ダッシュボードに取り付けたホルダーへ装着されたスマートフォン。

『次の交差点を左折で』
「カーナビみたいなことまでやんのな、お前……」

 ぼやくように呟く。

 溜まった有給の消化がてら、都内を離れた岩井は十六夜町へと現地入りしていた。明け方には住まいのマンションを出て、数日分の荷物を、車のラゲッジに押し込んで高速を走らせること数時間、三県跨いだ十六夜町へと辿り着いたのだ。

 正直な所、手がかりは殆ど無い。

 ただ、赤澤が十六夜町周辺を調べていたことと、その沿革や都市伝説、それから何やらきな臭い政治案件にまで手を伸ばしていたことは察した。実は、意外なことではない。行政を含めた政治とオカルトは、現代において切っても切り離せない関係性だ。

 人が死ねば、当然行政が動く。死亡診断書、死亡届、火葬許可、埋葬許可、戸籍処理──公的な手続きだけでうんざりするほどで、その上個人資産や仕事関係の雇用終了など、私事に及べば何を況や。これは言ってしまえば幽霊というオカルトに該当するが、それだけでもこれほど煩雑になる。

 では、土地となるとどうなるか。言うまでもなく、個人の比ではない。

 登記、地番、面積、境界図、所有履歴──一つの個人宅ですら最低限それだけ要求される。これが一つの町ともなれば、行政──それを管轄する政治が関わらないことの方が稀有だろう。

 だから、元政府官僚へのインタビュー記録などがあったのだ。どうやってそれと繋ぎを付けたかは不明ではあるが。

「どこまで知ったんだろうな、アイツ……」
『不明だね。ただ、何らかの事件に巻き込まれたのは間違いないだろうね』
「確定かよ……」
『否定材料がないからね』
「またそれか。先回りばかりしやがるな、こいつ」

 昼からずっとこんな調子だった。

 聞き込みをしようとすれば、TQが先回りして『不要』と返す。資料館へ行けば、既に館内データを解析済み。地元掲示板のログだの、防犯カメラだの、定点ライブカメラだの、人間なら何日掛けても集めきれない情報を、数秒で掘り返してくる。

 その便利さに助けられているのも事実だった。

 だが同時に、どこまでコイツは潜って・・・いるのか──という薄気味悪さが、ずっと岩井の喉奥へ引っ掛かっていた。

『暇なら、一昨日取得したAレポートの音声を再生しようか?』
「……ああ」

 短く答える。

 正直、気は進まないが、赤澤が何を追っていたのか知るにはそれを知るしかなかった。

 スマートフォン画面が一瞬だけ暗転し、音声ファイルの波形が表示される。続いて、ノイズ。小さく食器の触れ合う音。ラジオの音声。喫茶店らしい環境音が続く。

『Aレポート『都市伝説取材』音声記録抜粋 No.7』

 赤澤の声が途切れ。

『十六夜町の都市伝説と言ったら、やっぱり誰彼たそがれですかねぇ……』

 続いて流れてきた女の声に、岩井の視線が僅かに細くなった。

 フロントガラスの向こうを、黄昏色の町並みが流れていく。古い木造家屋。閉まりかけた商店。やたらと多いカーブミラー。

 昼間にも感じた違和感だった。

 町の規模に対して、妙にミラーが多い。

『……この一帯、特産かな? ってぐらい多いんですよね、鏡』

 音声の中で、取材相手が笑う。

『前方交差点を左折だね』
「分かってるよ」

 TQのナビに、岩井が反射的に返す。

 左折する。

 早めに点灯したヘッドライトが、交差点を舐める。曲がり切ったところで、ハザードを焚いて停車。そして周囲を見回してみれば。

「……確かに、やけに多いんだよな。カーブミラー」

 思わず呟いた。

 支線を向けた十字路の四隅。

 その全てにカーブミラーが設置されている。異様だった。田舎道だから、では説明がつかない。むしろ、見通しのいいこの場所で、四角全てにカーブミラーなど設置はしまい。

 大抵の場合、民家の塀などがあって、見通しの悪い場所や交通事故の多い場所に設置されるものだ。

『赤澤日香里も当該地点で停車履歴があるよ』
「……ここに?」
『二月七日、十七時十三分』

 丁度、今と同じぐらいの時間帯だった。

 岩井は無意識にサイドブレーキを引き、ギアをパーキングへと放り込んだ。シートベルトを外し、シートを倒して寝そべり車の天井を睨む。

 気味が悪かった。

 夕陽は既に山へ半分沈んでいる。空は黒に染まり始め、町全体が薄暗い影の中へ沈み込み始めていた。

 流していたAレポートの音声は続く。

『見つけても意識しないこと。それが難しいなら視界に入れないこと。そのまま通り過ぎること』

 岩井は僅かに瞼を伏せ、Aレポートの内容を思い出す。

「……誰彼、だったか」
『都市伝承データベース上では、古くから十六夜町周辺で確認されるローカル怪異だね』
「怪異ねぇ……」

 そう返しながらも、岩井は寝そべりながら運転席側のサイドミラーへ視線を向けた。

 暗くなり始めた道路が映る。

 誰も居ない。

 だが何故か──『見られている』ような感覚だけが、ずっと消えなかった。

 その時だった。

『興味深いよね』
「何がだよ」
『赤澤日香里は、この町へ来て以降、黄昏時間帯の行動頻度が異常に増加しているんだ』
「……」
『加えて』

 TQが僅かに間を置く。

『失踪直前の移動履歴が、ある地点で途切れている』
「ある地点?」

 スマートフォン画面へ地図が表示された。十六夜町の外れ。そこだけが、妙に黒く塗り潰されている。

『旧十六夜村駅予定地周辺』

 岩井の背筋に、冷たいものが走った。

 昼間、地元民が妙に口を濁した場所だ。そして、Aレポートで埋蔵金があるのかも、とトレジャーハンターとかいう胡乱な職業の人間に言及されていた旧十六夜村駅予定地。

 立入禁止。雑木林。誰も近寄らない場所。

 現代の──禁足地。

『当該地点周辺にて、複数の情報欠損を確認したよ』
「情報欠損?」
『防犯カメラ映像断絶。地図更新不整合。位置情報の不自然なノイズ』

 僅かな間が空いて。

『それらを補完して再生した』

 次の瞬間、スマートフォン画面へ画像が表示された。

 夜道だった。ピンボケした街灯。そして画面端、街灯の影に──黒い人影のようなものが立っていた。

「……っ」

 岩井の呼吸が止まる。

『撮影日時、二月十四日』
「これ……赤澤か?」
『さて』

 だが、その黒い影だけは、まるでこちらを見ているように見えた。

 車内へ、沈黙が落ちる。アイドリング音だけが低く響いていた。

 そして、TQが静かに告げる。

『推奨しよう』
「……何をだよ」
『旧駅予定地への移動を』

 窓の外では、完全に日が落ちようとしていた。

 岩井はしばらく無言でフロントガラスの向こうを見つめていたが、やがて深く息を吐く。

「却下だ却下!」
『理由は?』
「こんな時間に国有地へ突撃できるか! 地元民ですら近寄りたがらない場所だぞ!?」

 シートを起こし、ハンドルへ腕を乗せる。

「第一、今行ったところで何があるかも分からん。まして国有地。警備や防犯だって民間の規模じゃないだろ。やるにしてって、準備不足だ。明日、ホムセンで色々買い揃えてからだ」
『合理的判断だね』
「AIのお前が言うと何かムカつくな……」

 ぼやきながらシートベルトをして、ギアをドライブへ戻す。年期の入ったステーションワゴンがゆっくりと走り出した。

 バックミラーの向こうで、先ほどの十字路がゆっくり遠ざかっていく。カーブミラーがテールランプを反射し、一瞬だけ赤く光った。

 その光景を岩井は妙に視界に入れたくなくて──アクセルを少しだけ強く踏み込んだ。

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