猶予村異聞録

黄泉坂登

『2025/04/10/17.58・四回目起動・2』

 机へ肘を突き、岩井が疲れた顔でスマホの画面を睨みつけていると、音声がスピーカーから漏れる。

『捜索人物の基礎情報は把握した。では次に、行動傾向の推定を行うから、日常情報を提供してほしい』
「日常情報って、なんだ?」

 岩井の眉が寄った。

 失踪者捜索と言われて想像するのは、交友関係だとか、最後に目撃された場所だとか、そういうものだ。日常情報、などと言われてもピンと来ない。

『よく行く場所とかね。コンビニ、飲食店、通勤経路、喫煙所だとか、良く使う自動販売機だとか、生活動線の情報が必要だ』
「そんなもの、何に使うんだよ」

 スマートフォンの画面上には、補足するように簡素な文字が表示される。まるで何かのプレゼンを受けているようだったが、その返答速度だけが妙に生々しかった。

『行動傾向の把握だよ。例えばリング・ワンダリングという現象を知っているかい? 方向感覚を失った時に、目印が見えないなどの目的地が喪失してい時の状況下で、真っすぐ歩いているつもりでも大きく円を描いて歩いてしまうという現象だ。右利きと左利きでは重心が違うよね。なら、この時、右回りと左回りの差が出てくる。それが全体の傾向の差となって出てくるんだ』

 岩井は思わず顔を顰めた。言っている意味は分かる。分かるが、そこからどうして人探しへ繋がるのかが理解できない。

「それが何だってんだ?」

 デスク脇の缶コーヒーを口へ運ぶ。すっかり温くなっていた。

『これは一例に過ぎないけれど、そうした違いを積み重ねて統計を取り、類推することによってそれそのものではなくても、ある程度の行動規範や原理、及び予測が可能になるんだ』

 画面には淀みなく文章が並んでいく。まるで説明用マニュアルをその場で生成しているようだった。

「…………難しいな」

 正直、途中から半分ぐらいしか理解できていない。だが、TQは構わず続ける。

『重要なのは、「その人物そのもの」を再現することじゃない。「その人物ならどう動くか」を予測すること。それが行動傾向の推定。複数の焦点を用いて重ね合わせ、そこから絞り込み、範囲を狭めていく』

 どこか、人間臭くない説明だった。感情ではなく、思考と統計だけで人間を捉えているような、そんな違和感がある。

 そんな感触を得ながら、そういやこいつAI機械だったな、と胸中で吐き捨てる。妙に人間のような口調になったから、そういうものだと思いこんでしまったのかも知れない。

「と言っても俺、アイツのプライベートを殆ど知らないぞ」

 赤澤は部下だ。

 同僚ではあるが、友人ではない。まして恋人でもない。少なくとも、まだ。コンビニスイーツの好みだとか、休日の行動だとか、そんなものまで把握している訳がなかった。いや、そうした会話はしたかも知れないが、意識して覚えてはいない。

 大事なものが、いなくなってから気づくのは人の常か。

『で、あるなら勤務履歴とかでもいいよ。それを取っ掛かりにしよう』
「…………一応、会社の情報なんだけどな。えー、と、どうすればいい?」

 岩井は周囲を見回した。

 幸い、この部署は窓際。雑居ビルの片隅で、部屋には岩井一人。赤澤以外の部下もいない──が、どうも後ろ暗いことをしようとしている気がしてならなかった。だから、他に誰もいないのに周囲の目を気にしてしまう。

『アクセス許可をくれればいいよ』
「はぁ? PCに繋がってもないのにどうやって」

 視線をスマホに向けるが、USBケーブルも繋がっていないし、アクセスを許可しただけでどうにかなるように思えない。

 しかし、だ。

『接続はすでにされてるよ』

 その返答に、岩井の動きが止まった。

「それは、どういう…………?」

 薄く嫌な汗が滲む。しかしTQは、その疑問へ答えようとはしなかった。

『アクセス許可をくれれば、すぐに作業に取り掛かるよ』
「…………」

 岩井はしばらく画面を見つめたまま黙り込む。

 何が起こるか分からなくて怖い。その感覚は確かにあった。だが、それ以上に赤澤を探したい、という感情の方が強かった。

「…………分かった。許可する」
『了解』

 直後、PC画面が瞬いて、ブルースクリーンが現れたかと思うとブラックアウト。

「は?」

 岩井が疑問を口にするより早く再起動。rebootの文字が現れたかと思うと、英数字の文字列が濁流のように上から下にスクロールされていく。火災旋風のような激しさで文字の羅列が瞬き、それはまるで掘削作業のようにも見えた。

「待て待て待て! 何やってる!?」

 コイツまさか会社のサーバーにまでアクセスしてんじゃないだろうな、と我に返った岩井が叫ぶが、その叫びが終わる頃にはコンプリートの文字が画面に踊り、ホーム画面へと戻った。

『情報取得。及び解析終了』
「何をやったんだお前!」

 岩井は半ば椅子から立ち上がりかけていた。心臓が早鐘を打っている。今の数秒で、明らかに普通じゃない何か・・・・・・・・が起きていた。

『赤澤日香里に関する情報の収集だよ。彼女の勤務履歴から始まり、職務行動、会社が貸与したスマホのGPS履歴、社内や町の防犯カメラや定点ライブカメラなどで行動導線の洗い出しを行ったんだ』
「…………この短時間で?」

 思わず声が掠れる。

 人間なら、数日掛けても終わらないような作業だ。だがTQは、まるでそんな疑問を持つ意味が分からない、と言わんばかりに返答した。

『圧縮された情報をTQが解析するのに、時間的な意味があるとでも?』
「何言ってんだ、お前……」

 理解が追いつかない。

 だが、今更引き返せる空気でもなかった。

「まぁ、いい。いや、良くないけど、いい。それで、何が分かった?」
『彼女の趣味や傾向は十分理解した。後はどこへ向かったか──は、マスターは知っているはず』

 主。そう呼ばれる度に、妙な居心地の悪さがあった。やったのは自分、命じたのはお前だ、と言われている気がして。

「十六夜町、だよな」
『それについて、彼女が残した断片情報……レポートの類がある』
「レポート?」
『この会社のクラウドサーバーに保管されていた』
「やっぱりアクセスしてやがったコイツ!」

 思わず叫ぶ。

 最悪情報漏洩案件だぞコンプラはどうなってやがるこのアプリ! と頭の片隅では思う。だがTQは、そんな人間側の倫理観など意に介した様子もない。

『それによると、彼女は数ヶ月前から現地に赴いたりして十六夜町の都市伝説について調べていたようだ。それについて何か?』
「…………」

 岩井は押し黙った。

 デスクの上へ視線を落とす。人にはきっと言えないだろう。だが、機械相手にだと妙に口が軽くなる。

「丁度、告られた前後だ。だから俺は、アイツに特集の一つを任せることにした」
『特集。何故?』
「ああ、それが好評だったら飯でも連れてってやるって、誤魔化したんだ」

 苦笑する。我ながら最低だと思う。

「本当は、応えるつもりなんかなかったんだ。そこで実績が出せたら、それを元に俺がアイツの異動願を上に掛け合ってやろうと思ってな」
『何故?』
「言ったろ。俺はバツイチだって。それに若い女のすることに、いい年したおっさんが本気になってどうする」

 そう言いながらも、胸の奥が鈍く痛む。

 もし。あの時、もっと違う返し方をしていたら。応じるか、拒否か──どちらかに振り切れていれば。そんなどうしようもないタラレバが頭を過ぎる。

『自責の念が強いんだね、主』
「何とでも言え。それで何だ、そのレポートってのは」
『Aレポートと名付けられた断片情報群だね。メモ書きのようなものとか、音声データも入っている。確認を?』

 岩井は少しだけ目を閉じた。

 これを見れば、きっと後戻りは出来ない。

 そんな予感があった。

 だが。

「…………分かった。するよ」

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