『夜だけ開く自販機』

ノベルバユーザー627515

第一話 百円で買えるもの

仕事帰りの夜だった。

十一時を過ぎた駅前は、人が少ない。

昼間は騒がしい商店街もシャッターを閉め、遠くで信号機の電子音だけが響いている。

翔は疲れていた。

二十五歳。

会社員になって三年目。

子供の頃は二十五歳なんて、大人の完成形みたいな年齢だと思っていたのに、実際になってみると全然違った。

毎朝起きて、満員電車に乗って、仕事して、帰って、寝る。

それを繰り返しているうちに、一週間も一ヶ月もいつの間にか消えていく。

「今日、何してたっけ……」

ふと口に出して、自分で苦笑した。

近道の坂道へ入る。

住宅街の細い道。

街灯は少なく、夜になると静かになる場所だった。

その途中で、翔は足を止めた。

「……あれ?」

見慣れない自販機があった。

古い。

かなり古い。

角は錆びていて、ところどころ塗装が剥げている。

なのに電気だけはやけに明るかった。

白く、夜の中で浮いている。

普通の自販機ならコーヒーやジュースが並んでいるはずなのに、そこには何もない。

白い缶だけ。

ずらりと並んでいた。

商品名もない。

値段だけ。

全部百円。

「誰が買うんだよ……」

翔は笑った。

けれど、なぜか気になった。

財布から百円玉を取り出して入れる。

カラン、と乾いた音。

ボタンを押した。

ガコン。

落ちてきた缶を拾う。

そして、翔は眉をひそめた。

缶に小さく文字があった。

**『三年前の後悔』**

「……なんだこれ」

いたずらか?

YouTubeの企画か何かか?

缶を振ってみる。

普通に液体が入っている感触がする。

少し迷った後、開けた。

プシュッ。

炭酸の音が夜に響いた。

次の瞬間だった。

頭の奥に、急に景色が流れ込んできた。

高校の卒業式。

教室。

窓から入る夕方の光。

友達が笑いながら言っていた。

「また会おうな」

翔はスマホを見ながら適当に手を振った。

「おう」

それだけだった。

たったそれだけ。

でも、その友達は数ヶ月後に引っ越した。

「また今度」が来ると思っていた。

来なかった。

そこから連絡もしなくなった。

思い出そうとしたことすら、なかった。

なのに今、その時の空気まで全部思い出した。

笑い声。

制服の匂い。

最後の景色。

胸が少しだけ苦しくなった。

「……うわ」

思わず声が漏れる。

自販機を見る。

すると商品欄の下に、さっきなかった文字が表示されていた。

**『もう一本、買いますか?』**

翔は黙った。

何かがおかしい。

でも怖いというより、不思議と静かな気持ちだった。

財布を見る。

小銭はまだある。

買える。

あと何本でも。

知らなかった後悔を、思い出せるかもしれない。

言えなかった言葉。

やらなかったこと。

もし全部知れたら。

もし全部やり直せたら。

手は財布に伸びた。

でも――

やめた。

財布を閉じる。

「……今日はいいや」

自分でも理由は分からなかった。

なんとなく、そんな気がした。

自販機は後悔を見せてくれる。

でも後悔ばかり集めても、前には進めない気がした。

翔は背を向けて歩き出した。

数歩進んで、振り返る。

自販機は消えていた。

そこには何もなかった。

古い街灯だけが立っていた。

「……は?」

翔はしばらく立ち尽くした。

夢だったのかもしれない。

疲れていたから。

そう思うことにした。

家へ帰る。

ベッドへ座る。

そしてスマホを開いた。

連絡先をスクロールする。

かなり下の方に、名前があった。

何年も連絡していない友達。

翔は少し迷ってから送った。

**『久しぶり。元気?』**

送った瞬間、少しだけ恥ずかしくなった。

遅すぎるだろ。

今さら何だって思われるかもしれない。

でも五分後。

通知が鳴った。

**『急にどうした笑』**

翔は少し笑った。

窓の外を見る。

遠くの夜景が静かに光っていた。

百円で買ったのは、ジュースじゃなかったのかもしれない。

もしかしたら。

少しだけ止まっていた時間を動かすための、きっかけだったのかもしれない。

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