「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~
第25話 全てが終わったあと、公爵様が抱きしめてくれました
王都での激闘、そして「アイスバーグ公国」の樹立宣言から数日。
私たちの周りは、まるで嵐のような忙しさに包まれていた。
「アリア大公陛下! 隣国ヴェルヌからの親書です! 『精霊王の加護を持つ貴国との永世友好を希望する』とのこと!」
「陛下! 南方の商業ギルド連合が、交易ルートの再編を申し入れてきました!」
「陛下! 新しい国旗のデザイン案が届いております! 雪の結晶と、アリア様の好きなシロツメクサをあしらったものが人気です!」
「へ、陛下……」
私は執務室の椅子に座り、山積みになった書類と、次々に飛び込んでくる報告に目を回していた。
ほんの数週間前まで、実家の屋根裏部屋で膝を抱えていた私が、一国の主として「陛下」と呼ばれている。
この急激な変化に、正直なところ心が追いついていなかった。
「……休憩だ」
不意に、書類の山が横から伸びてきた手によって遮られた。
見上げると、そこには不機嫌そうな顔をしたヴァルド様が立っていた。
彼は私の手から羽ペンを取り上げると、有無を言わせぬ様子で私を抱き上げた。
「ヴァ、ヴァルド様!? まだ決裁が……」
「知らん。宰相たちにやらせておけ。……君をこれ以上酷使するなら、国ごと凍らせると脅しておいた」
物騒なことをサラリと言う最強の旦那様(兼、大公配)は、そのまま私を連れて執務室を出てしまった。
廊下ですれ違う文官やメイドたちが、驚きつつも温かい微笑みを向けて見送ってくれる。
「あらあら、旦那様ったら」
「アリア様もお疲れですものね」
「ラブラブで羨ましいですわ」
そんな囁き声を聞きながら、私はヴァルド様の胸に顔を埋めた。
恥ずかしいけれど、彼の鼓動を聞いていると、張り詰めていた神経がふわりと緩んでいくのが分かった。
◇
連れてこられたのは、屋敷の最上階にあるテラスだった。
ここは私室に直結しており、他の誰の目にも触れないプライベートな空間だ。
外はまだ雪景色が残っているが、結界と精霊の力で、春の日向のような暖かさに保たれている。
ヴァルド様は私をソファに下ろすと、自分も隣に座り、すぐにまた私を抱き寄せた。
そして、私の肩に額を押し付け、深いため息をついた。
「……やっと二人になれた」
その声には、深い疲労と、それ以上の安堵が滲んでいた。
「ヴァルド様もお疲れですよね。建国の手続きに、軍の再編……私よりもずっと大変なお仕事を抱えていらっしゃるのに」
「仕事などどうでもいい。……問題なのは、君との時間が足りないことだ」
彼は顔を上げ、拗ねた子供のような瞳で私を見つめた。
「朝起きてから夜寝るまで、常に誰かが君の周りにいる。宰相だの、侍女だの、仕立て屋だの……。私は君の夫だぞ? 一番優先されるべきは私のはずだ」
「ふふ、そうですね。ごめんなさい」
私は彼の頬を両手で包み、優しく撫でた。
冷たくて、滑らかな肌。
この人が、あの魔神と化した国王を前にしても一歩も引かず、私を守り抜いてくれたのだ。
「……怖かったか?」
唐突に、ヴァルド様が尋ねてきた。
「え?」
「あの地下空間で。……オスカーが魔神になり、世界が闇に飲まれそうになった時。君は、怖くなかったのか」
私は少し考えて、首を振った。
「いいえ。……不思議と、恐怖はありませんでした。だって、隣にヴァルド様がいてくださいましたから」
私が答えると、ヴァルド様は苦しげに顔を歪めた。
そして、私を抱きしめる腕に力を込めた。
痛いほど強く。でも、その震えが伝わってきて、私はハッとした。
「……私は、怖かった」
ヴァルド様が、絞り出すような声で言った。
「君が……光となって、あの闇の中へ飛び込んでいった時。心臓が止まるかと思った」
彼の声が震えている。
大陸最強の魔法使い。氷の公爵。冷酷無比と恐れられた彼が、今、私の腕の中で震えている。
「もし、君が戻ってこなかったら。……もし、あの光が消えてしまったら。そう考えただけで、目の前が真っ暗になった。自分の魔力が暴走して、世界ごと凍らせてしまうのではないかと思うほどに」
彼は私の首筋に顔を埋め、深呼吸をした。
私の体温を、匂いを、存在を確かめるように。
「アリア。……君は強い。私よりもずっと、芯が強くて、勇気がある。だが、お願いだ。……もう二度と、私を置いていかないでくれ」
それは、彼の偽らざる本音だった。
いつも私を守ってくれている彼が、実は誰よりも私を失うことを恐れている。
その弱さが、愛おしくてたまらなかった。
「……はい。約束します」
私は彼の背中に腕を回し、あやすように優しく叩いた。
「私はもう、どこへも行きません。貴方が離せと言っても、しがみついて離れませんから」
「離すものか。……君は私の魂の半分だ。君がいなければ、私はただの氷の塊に戻ってしまう」
私たちはしばらくの間、言葉もなく抱き合っていた。
テラスに吹き込む風が、優しく頬を撫でる。
空には、どこまでも青い空が広がっていた。
『あ、いたいた!』
『ここでイチャイチャしてたのかー!』
空気を読まない(あるいは読みすぎた)精霊たちが、花びらを抱えて飛んできた。
『ねえアリア、見て見て!』
『結婚式用の花冠、編んでみたの!』
『シロツメクサと、氷の花だよ!』
精霊たちが私の頭に、キラキラと輝く花冠を乗せてくれた。
「まあ、素敵! ありがとう、みんな」
私が微笑むと、精霊たちは嬉しそうにキャッキャと笑い、ヴァルド様の周りにも飛び回る。
『ヴァルドも笑って!』
『怖い顔しないの!』
『アリアが可愛いからって独り占めはダメだよー』
「……うるさい奴らだ」
ヴァルド様は憎まれ口を叩きながらも、その表情は穏やかだった。
以前のように冷気で威嚇することもない。彼もまた、精霊たちを受け入れ、家族のように思い始めているのだ。
「ヴァルド様。……私、今すごく幸せです」
私は彼を見上げて言った。
「地味で、可愛げがなくて、誰にも必要とされていないと思っていた私が……こんな風に、誰かに大切にされて、世界の中心みたいに愛されて」
「君は地味でもなければ、可愛げがないわけでもない」
ヴァルド様は真剣な顔で否定した。
「君を見る目のない愚か者たちが、勝手にそうレッテルを貼っていただけだ。……私には最初から、君が宝石のように輝いて見えていた」
彼は私の眼鏡(今はもうかけていないけれど)を外す仕草をして、私の瞳を覗き込んだ。
「その瞳も、声も、心も。……全てが私にとっての救いだ」
ドキン、と胸が高鳴る。
この人は、どうしてこうも恥ずかしい台詞を真顔で言えるのだろう。
でも、それが彼の真実の言葉だと分かるから、胸が熱くなる。
「……ありがとうございます。ヴァルド様」
私は背伸びをして、彼の唇にキスをした。
「私も……貴方を愛しています。世界で一番」
ヴァルド様は目を見開き、そしてとろけるような笑顔を見せた。
その笑顔は、かつて「氷の公爵」と呼ばれた男のものとは思えないほど、温かく、幸せに満ちていた。
「……もう一度」
「え?」
「もう一度、言ってくれ。録音しておきたいくらいだ」
「録音なんてできませんよ!」
そんなバカなやり取りをして笑い合っていると、扉がノックされた。
「陛下! 閣下! ここにいらしたのですね!」
入ってきたのは、メイド長のマーサさんだった。彼女の後ろには、数人の針子たちが控えている。
「申し訳ありません、お二人の世界に入っているところを。……ですが、最終フィッティングの時間です! 明日はもう式当日なのですよ!」
「チッ……また邪魔が入ったか」
ヴァルド様が露骨に舌打ちをする。
「マーサ、あと一時間……いや、三十分待てないか?」
「ダメでございます。スケジュールは分刻みです。さあ、アリア様、こちらへ!」
マーサさんは強引に私を引っ張っていく。
「あ、あの、ヴァルド様……!」
「夜には必ず迎えに行く! ……待っていてくれ、アリア!」
引き裂かれる恋人のように手を伸ばし合う私たちを見て、精霊たちが『ロミオとジュリエットごっこだー』と爆笑していた。
◇
連れて行かれた衣装部屋は、戦場のような熱気に包まれていた。
「さあ、アリア様! 背筋を伸ばして!」
「ウエストをもう少し絞りますわよ!」
「髪飾りはこっちの方が……いや、アリア様の瞳の色に合わせるなら……」
針子たちや美容師たちが、寄ってたかって私を磨き上げていく。
目の前の大きな姿見に映っているのは、本当に私なのだろうか。
磨き上げられた肌は発光するように白く、鳶色の髪は艶やかに波打ち、精霊の加護を受けた化粧は、私の地味だと思っていた顔立ちを、清楚で気品あるものへと変えていた。
「……綺麗」
思わず呟いてしまった。
「ふふ、何を今さらおっしゃいますか」
マーサさんが櫛を入れながら微笑んだ。
「アリア様は元々お綺麗だったのですよ。ただ、ご自身でそれに気づこうとなさらなかっただけです」
「……そうでしょうか」
「ええ。自信を持ってください。明日は、貴女様がこの国の、いいえ、世界一の花嫁になる日なのですから」
ドレスが運ばれてきた。
それは、ヴァルド様がこだわり抜いた最高傑作だ。
純白の生地は、氷蜘蛛の糸と光の精霊の織り成した特注品。
動くたびに、まるで雪の結晶が舞うようにキラキラと輝く。
長いトレーンには、シロツメクサの刺繍が銀糸で施され、その一つ一つに小さな守護魔法が込められているという。
袖を通すと、驚くほど軽かった。
「……すごい。着ているのを忘れるくらい」
「精霊たちが重さを消してくれているのです。これなら、一日中着ていても疲れませんわ」
ドレスを纏った私を見て、部屋にいた全員がため息をついた。
「ああ……女神様だわ」
「なんて神々しい……」
中には涙ぐむメイドもいた。
私は鏡の中の自分に向かって、小さく微笑みかけた。
(見てる? 昔の私。……大丈夫よ。あなたはちゃんと、幸せになれるから)
王都の屋根裏部屋で泣いていた少女に、そう伝えてあげたかった。
◇
その夜。
明日の式に備えて、私たちは別々の部屋で休むことになっていた。
「花婿と花嫁は、式まで顔を合わせてはいけない」という古いしきたりを、マーサさんが頑として譲らなかったからだ。
ヴァルド様は「そんな迷信、私が凍らせて無効化する」と暴れそうになっていたが、最後は「アリア様のためです」と説得されて渋々承知したらしい。
広いベッドに一人。
いつもならヴァルド様の体温がある隣が空いているのが、少し寂しい。
でも、窓の外を見れば、城下町の明かりが星のように輝いているのが見えた。
お祭り騒ぎの前夜祭が行われているのだ。
人々が歌い、踊り、新しい国の誕生と、私たちの結婚を祝ってくれている。
『アリア、寝ないの?』
『明日は早いよー』
『目が腫れちゃうよ』
枕元に、小さな光の精霊たちが集まってきた。
「うん。……なんだか、興奮して眠れないの」
私は精霊の頭を指先で撫でた。
「ねえ、みんな。……私、本当にこの国の『大公』なんて務まるかな?」
ふと、不安がよぎる。
愛される幸せは噛み締めているけれど、一国の主としての責任は重い。
私に、みんなを導くことができるだろうか。
『大丈夫だよ!』
『アリアは優しいもん』
『ボクたちがついてるよ!』
『ヴァルドもいるしね!』
精霊たちは口々に励ましてくれる。
『それにね、アリア。……みんな、アリアのことが大好きなんだよ。人間も、精霊も、動物も』
『アリアが笑えば、みんな嬉しいの』
『だから、アリアは笑っていればいいんだよ』
「……そっか」
単純だけど、それが一番の真理なのかもしれない。
私が幸せでいること。それが、周りを幸せにする第一歩なのだ。
コンコン、と窓ガラスが軽く叩かれた。
「え?」
ここは最上階だ。誰かが登ってこられるはずがない。
私が窓を開けると、そこには風に乗って浮かんでいる、一輪の薔薇の花があった。
そして、それに結ばれた小さなカード。
『愛しいアリアへ。
会えなくて寂しいから、せめて私の心を送る。
愛している。夢でも会おう。
ヴァルド』
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。
しきたりを守りつつ、魔法を使ってこんなキザなことをしてくるなんて。
薔薇は、あの温室で再生させた、彼のお母様が愛した真紅の薔薇だ。
その花弁は凍ることなく、温かい魔力を帯びていた。
「……おやすみなさい、ヴァルド様」
私は薔薇を胸に抱き、ベッドに入った。
不安は消えていた。
あるのは、明日への期待と、溢れんばかりの愛だけ。
◇
そして、翌朝。
雲ひとつない快晴。
「アイスバーグ公国」の建国記念日、そして初代大公アリアと、大公配ヴァルドの聖婚式の日がやってきた。
「アリア様、お時間です!」
重厚な大聖堂の扉の前。
私は父の代わりに、騎士団長のゲイルさんにエスコートされて立っていた。
「アリア様、準備はよろしいですか?」
「はい、ゲイルさん。……転ばないように頑張ります」
「ははっ、大丈夫ですよ。もし転んでも、閣下が光の速さで支えますから」
扉がゆっくりと開かれる。
溢れ出すパイプオルガンの音色と、聖歌隊の歌声。
そして、参列者たちの熱い視線。
その真っ直ぐ先に、祭壇の前で待つヴァルド様の姿があった。
彼は振り返り、私を見た。
その瞬間、彼の瞳が大きく見開かれ、そしてとろけるような優しい色に変わったのが、遠目にも分かった。
私は一歩、足を踏み出した。
長いバージンロード。
それは、私が歩んできた苦難の道のりであり、そしてこれから歩む幸せへの道でもあった。
精霊たちが、祝福の光の雨を降らせる。
ステンドグラスから差し込む陽光が、私のドレスを虹色に輝かせる。
私は胸を張り、笑顔で歩いた。
地味で、可愛げがないと言われたアリアはもういない。
ここにいるのは、世界で一番幸せな花嫁だ。
ヴァルド様の前まで辿り着くと、彼はゲイルさんから私の手を受け取り、強く、温かく握りしめた。
「……待っていたよ、アリア」
「お待たせしました、ヴァルド様」
「綺麗だ。……言葉にならないほどに」
彼は私のベールを上げ、瞳を覗き込んだ。
「君に出会えてよかった。……私の凍てついた人生を溶かしてくれて、ありがとう」
「私こそ。……私を見つけてくれて、愛してくれて、ありがとうございます」
神官の言葉など、耳に入らなかった。
私たちはただ見つめ合い、誓いの言葉を交わした。
形式的な言葉ではない。魂からの約束を。
「誓います。……死が二人を分かつまで、いいえ、魂が尽きてもなお、貴方を愛し抜くことを」
誓いのキスの瞬間。
世界が祝福に包まれた。
教会の鐘が鳴り響き、外では歓声が上がり、窓からは無数の精霊たちが飛び込んできて舞い踊る。
「……愛している、アリア」
唇を離したヴァルド様が、もう一度私を抱きしめた。
その腕の中は、世界で一番安全で、温かい場所だった。
「私もです、ヴァルド様」
全てが終わったあと。
いいえ、全てが始まったこの日。
公爵様改め大公配様は、衆目も憚らず私を抱きしめ、そして私は、満面の笑みでそれに答えた。
これが、私のハッピーエンド。
そして、私たちの新しい冒険の始まり。
「さあ、行こうか。……国民が待っている」
「はい!」
私たちは繋いだ手を高く掲げ、光溢れる扉の向こうへと歩き出した。
私たちの周りは、まるで嵐のような忙しさに包まれていた。
「アリア大公陛下! 隣国ヴェルヌからの親書です! 『精霊王の加護を持つ貴国との永世友好を希望する』とのこと!」
「陛下! 南方の商業ギルド連合が、交易ルートの再編を申し入れてきました!」
「陛下! 新しい国旗のデザイン案が届いております! 雪の結晶と、アリア様の好きなシロツメクサをあしらったものが人気です!」
「へ、陛下……」
私は執務室の椅子に座り、山積みになった書類と、次々に飛び込んでくる報告に目を回していた。
ほんの数週間前まで、実家の屋根裏部屋で膝を抱えていた私が、一国の主として「陛下」と呼ばれている。
この急激な変化に、正直なところ心が追いついていなかった。
「……休憩だ」
不意に、書類の山が横から伸びてきた手によって遮られた。
見上げると、そこには不機嫌そうな顔をしたヴァルド様が立っていた。
彼は私の手から羽ペンを取り上げると、有無を言わせぬ様子で私を抱き上げた。
「ヴァ、ヴァルド様!? まだ決裁が……」
「知らん。宰相たちにやらせておけ。……君をこれ以上酷使するなら、国ごと凍らせると脅しておいた」
物騒なことをサラリと言う最強の旦那様(兼、大公配)は、そのまま私を連れて執務室を出てしまった。
廊下ですれ違う文官やメイドたちが、驚きつつも温かい微笑みを向けて見送ってくれる。
「あらあら、旦那様ったら」
「アリア様もお疲れですものね」
「ラブラブで羨ましいですわ」
そんな囁き声を聞きながら、私はヴァルド様の胸に顔を埋めた。
恥ずかしいけれど、彼の鼓動を聞いていると、張り詰めていた神経がふわりと緩んでいくのが分かった。
◇
連れてこられたのは、屋敷の最上階にあるテラスだった。
ここは私室に直結しており、他の誰の目にも触れないプライベートな空間だ。
外はまだ雪景色が残っているが、結界と精霊の力で、春の日向のような暖かさに保たれている。
ヴァルド様は私をソファに下ろすと、自分も隣に座り、すぐにまた私を抱き寄せた。
そして、私の肩に額を押し付け、深いため息をついた。
「……やっと二人になれた」
その声には、深い疲労と、それ以上の安堵が滲んでいた。
「ヴァルド様もお疲れですよね。建国の手続きに、軍の再編……私よりもずっと大変なお仕事を抱えていらっしゃるのに」
「仕事などどうでもいい。……問題なのは、君との時間が足りないことだ」
彼は顔を上げ、拗ねた子供のような瞳で私を見つめた。
「朝起きてから夜寝るまで、常に誰かが君の周りにいる。宰相だの、侍女だの、仕立て屋だの……。私は君の夫だぞ? 一番優先されるべきは私のはずだ」
「ふふ、そうですね。ごめんなさい」
私は彼の頬を両手で包み、優しく撫でた。
冷たくて、滑らかな肌。
この人が、あの魔神と化した国王を前にしても一歩も引かず、私を守り抜いてくれたのだ。
「……怖かったか?」
唐突に、ヴァルド様が尋ねてきた。
「え?」
「あの地下空間で。……オスカーが魔神になり、世界が闇に飲まれそうになった時。君は、怖くなかったのか」
私は少し考えて、首を振った。
「いいえ。……不思議と、恐怖はありませんでした。だって、隣にヴァルド様がいてくださいましたから」
私が答えると、ヴァルド様は苦しげに顔を歪めた。
そして、私を抱きしめる腕に力を込めた。
痛いほど強く。でも、その震えが伝わってきて、私はハッとした。
「……私は、怖かった」
ヴァルド様が、絞り出すような声で言った。
「君が……光となって、あの闇の中へ飛び込んでいった時。心臓が止まるかと思った」
彼の声が震えている。
大陸最強の魔法使い。氷の公爵。冷酷無比と恐れられた彼が、今、私の腕の中で震えている。
「もし、君が戻ってこなかったら。……もし、あの光が消えてしまったら。そう考えただけで、目の前が真っ暗になった。自分の魔力が暴走して、世界ごと凍らせてしまうのではないかと思うほどに」
彼は私の首筋に顔を埋め、深呼吸をした。
私の体温を、匂いを、存在を確かめるように。
「アリア。……君は強い。私よりもずっと、芯が強くて、勇気がある。だが、お願いだ。……もう二度と、私を置いていかないでくれ」
それは、彼の偽らざる本音だった。
いつも私を守ってくれている彼が、実は誰よりも私を失うことを恐れている。
その弱さが、愛おしくてたまらなかった。
「……はい。約束します」
私は彼の背中に腕を回し、あやすように優しく叩いた。
「私はもう、どこへも行きません。貴方が離せと言っても、しがみついて離れませんから」
「離すものか。……君は私の魂の半分だ。君がいなければ、私はただの氷の塊に戻ってしまう」
私たちはしばらくの間、言葉もなく抱き合っていた。
テラスに吹き込む風が、優しく頬を撫でる。
空には、どこまでも青い空が広がっていた。
『あ、いたいた!』
『ここでイチャイチャしてたのかー!』
空気を読まない(あるいは読みすぎた)精霊たちが、花びらを抱えて飛んできた。
『ねえアリア、見て見て!』
『結婚式用の花冠、編んでみたの!』
『シロツメクサと、氷の花だよ!』
精霊たちが私の頭に、キラキラと輝く花冠を乗せてくれた。
「まあ、素敵! ありがとう、みんな」
私が微笑むと、精霊たちは嬉しそうにキャッキャと笑い、ヴァルド様の周りにも飛び回る。
『ヴァルドも笑って!』
『怖い顔しないの!』
『アリアが可愛いからって独り占めはダメだよー』
「……うるさい奴らだ」
ヴァルド様は憎まれ口を叩きながらも、その表情は穏やかだった。
以前のように冷気で威嚇することもない。彼もまた、精霊たちを受け入れ、家族のように思い始めているのだ。
「ヴァルド様。……私、今すごく幸せです」
私は彼を見上げて言った。
「地味で、可愛げがなくて、誰にも必要とされていないと思っていた私が……こんな風に、誰かに大切にされて、世界の中心みたいに愛されて」
「君は地味でもなければ、可愛げがないわけでもない」
ヴァルド様は真剣な顔で否定した。
「君を見る目のない愚か者たちが、勝手にそうレッテルを貼っていただけだ。……私には最初から、君が宝石のように輝いて見えていた」
彼は私の眼鏡(今はもうかけていないけれど)を外す仕草をして、私の瞳を覗き込んだ。
「その瞳も、声も、心も。……全てが私にとっての救いだ」
ドキン、と胸が高鳴る。
この人は、どうしてこうも恥ずかしい台詞を真顔で言えるのだろう。
でも、それが彼の真実の言葉だと分かるから、胸が熱くなる。
「……ありがとうございます。ヴァルド様」
私は背伸びをして、彼の唇にキスをした。
「私も……貴方を愛しています。世界で一番」
ヴァルド様は目を見開き、そしてとろけるような笑顔を見せた。
その笑顔は、かつて「氷の公爵」と呼ばれた男のものとは思えないほど、温かく、幸せに満ちていた。
「……もう一度」
「え?」
「もう一度、言ってくれ。録音しておきたいくらいだ」
「録音なんてできませんよ!」
そんなバカなやり取りをして笑い合っていると、扉がノックされた。
「陛下! 閣下! ここにいらしたのですね!」
入ってきたのは、メイド長のマーサさんだった。彼女の後ろには、数人の針子たちが控えている。
「申し訳ありません、お二人の世界に入っているところを。……ですが、最終フィッティングの時間です! 明日はもう式当日なのですよ!」
「チッ……また邪魔が入ったか」
ヴァルド様が露骨に舌打ちをする。
「マーサ、あと一時間……いや、三十分待てないか?」
「ダメでございます。スケジュールは分刻みです。さあ、アリア様、こちらへ!」
マーサさんは強引に私を引っ張っていく。
「あ、あの、ヴァルド様……!」
「夜には必ず迎えに行く! ……待っていてくれ、アリア!」
引き裂かれる恋人のように手を伸ばし合う私たちを見て、精霊たちが『ロミオとジュリエットごっこだー』と爆笑していた。
◇
連れて行かれた衣装部屋は、戦場のような熱気に包まれていた。
「さあ、アリア様! 背筋を伸ばして!」
「ウエストをもう少し絞りますわよ!」
「髪飾りはこっちの方が……いや、アリア様の瞳の色に合わせるなら……」
針子たちや美容師たちが、寄ってたかって私を磨き上げていく。
目の前の大きな姿見に映っているのは、本当に私なのだろうか。
磨き上げられた肌は発光するように白く、鳶色の髪は艶やかに波打ち、精霊の加護を受けた化粧は、私の地味だと思っていた顔立ちを、清楚で気品あるものへと変えていた。
「……綺麗」
思わず呟いてしまった。
「ふふ、何を今さらおっしゃいますか」
マーサさんが櫛を入れながら微笑んだ。
「アリア様は元々お綺麗だったのですよ。ただ、ご自身でそれに気づこうとなさらなかっただけです」
「……そうでしょうか」
「ええ。自信を持ってください。明日は、貴女様がこの国の、いいえ、世界一の花嫁になる日なのですから」
ドレスが運ばれてきた。
それは、ヴァルド様がこだわり抜いた最高傑作だ。
純白の生地は、氷蜘蛛の糸と光の精霊の織り成した特注品。
動くたびに、まるで雪の結晶が舞うようにキラキラと輝く。
長いトレーンには、シロツメクサの刺繍が銀糸で施され、その一つ一つに小さな守護魔法が込められているという。
袖を通すと、驚くほど軽かった。
「……すごい。着ているのを忘れるくらい」
「精霊たちが重さを消してくれているのです。これなら、一日中着ていても疲れませんわ」
ドレスを纏った私を見て、部屋にいた全員がため息をついた。
「ああ……女神様だわ」
「なんて神々しい……」
中には涙ぐむメイドもいた。
私は鏡の中の自分に向かって、小さく微笑みかけた。
(見てる? 昔の私。……大丈夫よ。あなたはちゃんと、幸せになれるから)
王都の屋根裏部屋で泣いていた少女に、そう伝えてあげたかった。
◇
その夜。
明日の式に備えて、私たちは別々の部屋で休むことになっていた。
「花婿と花嫁は、式まで顔を合わせてはいけない」という古いしきたりを、マーサさんが頑として譲らなかったからだ。
ヴァルド様は「そんな迷信、私が凍らせて無効化する」と暴れそうになっていたが、最後は「アリア様のためです」と説得されて渋々承知したらしい。
広いベッドに一人。
いつもならヴァルド様の体温がある隣が空いているのが、少し寂しい。
でも、窓の外を見れば、城下町の明かりが星のように輝いているのが見えた。
お祭り騒ぎの前夜祭が行われているのだ。
人々が歌い、踊り、新しい国の誕生と、私たちの結婚を祝ってくれている。
『アリア、寝ないの?』
『明日は早いよー』
『目が腫れちゃうよ』
枕元に、小さな光の精霊たちが集まってきた。
「うん。……なんだか、興奮して眠れないの」
私は精霊の頭を指先で撫でた。
「ねえ、みんな。……私、本当にこの国の『大公』なんて務まるかな?」
ふと、不安がよぎる。
愛される幸せは噛み締めているけれど、一国の主としての責任は重い。
私に、みんなを導くことができるだろうか。
『大丈夫だよ!』
『アリアは優しいもん』
『ボクたちがついてるよ!』
『ヴァルドもいるしね!』
精霊たちは口々に励ましてくれる。
『それにね、アリア。……みんな、アリアのことが大好きなんだよ。人間も、精霊も、動物も』
『アリアが笑えば、みんな嬉しいの』
『だから、アリアは笑っていればいいんだよ』
「……そっか」
単純だけど、それが一番の真理なのかもしれない。
私が幸せでいること。それが、周りを幸せにする第一歩なのだ。
コンコン、と窓ガラスが軽く叩かれた。
「え?」
ここは最上階だ。誰かが登ってこられるはずがない。
私が窓を開けると、そこには風に乗って浮かんでいる、一輪の薔薇の花があった。
そして、それに結ばれた小さなカード。
『愛しいアリアへ。
会えなくて寂しいから、せめて私の心を送る。
愛している。夢でも会おう。
ヴァルド』
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまった。
しきたりを守りつつ、魔法を使ってこんなキザなことをしてくるなんて。
薔薇は、あの温室で再生させた、彼のお母様が愛した真紅の薔薇だ。
その花弁は凍ることなく、温かい魔力を帯びていた。
「……おやすみなさい、ヴァルド様」
私は薔薇を胸に抱き、ベッドに入った。
不安は消えていた。
あるのは、明日への期待と、溢れんばかりの愛だけ。
◇
そして、翌朝。
雲ひとつない快晴。
「アイスバーグ公国」の建国記念日、そして初代大公アリアと、大公配ヴァルドの聖婚式の日がやってきた。
「アリア様、お時間です!」
重厚な大聖堂の扉の前。
私は父の代わりに、騎士団長のゲイルさんにエスコートされて立っていた。
「アリア様、準備はよろしいですか?」
「はい、ゲイルさん。……転ばないように頑張ります」
「ははっ、大丈夫ですよ。もし転んでも、閣下が光の速さで支えますから」
扉がゆっくりと開かれる。
溢れ出すパイプオルガンの音色と、聖歌隊の歌声。
そして、参列者たちの熱い視線。
その真っ直ぐ先に、祭壇の前で待つヴァルド様の姿があった。
彼は振り返り、私を見た。
その瞬間、彼の瞳が大きく見開かれ、そしてとろけるような優しい色に変わったのが、遠目にも分かった。
私は一歩、足を踏み出した。
長いバージンロード。
それは、私が歩んできた苦難の道のりであり、そしてこれから歩む幸せへの道でもあった。
精霊たちが、祝福の光の雨を降らせる。
ステンドグラスから差し込む陽光が、私のドレスを虹色に輝かせる。
私は胸を張り、笑顔で歩いた。
地味で、可愛げがないと言われたアリアはもういない。
ここにいるのは、世界で一番幸せな花嫁だ。
ヴァルド様の前まで辿り着くと、彼はゲイルさんから私の手を受け取り、強く、温かく握りしめた。
「……待っていたよ、アリア」
「お待たせしました、ヴァルド様」
「綺麗だ。……言葉にならないほどに」
彼は私のベールを上げ、瞳を覗き込んだ。
「君に出会えてよかった。……私の凍てついた人生を溶かしてくれて、ありがとう」
「私こそ。……私を見つけてくれて、愛してくれて、ありがとうございます」
神官の言葉など、耳に入らなかった。
私たちはただ見つめ合い、誓いの言葉を交わした。
形式的な言葉ではない。魂からの約束を。
「誓います。……死が二人を分かつまで、いいえ、魂が尽きてもなお、貴方を愛し抜くことを」
誓いのキスの瞬間。
世界が祝福に包まれた。
教会の鐘が鳴り響き、外では歓声が上がり、窓からは無数の精霊たちが飛び込んできて舞い踊る。
「……愛している、アリア」
唇を離したヴァルド様が、もう一度私を抱きしめた。
その腕の中は、世界で一番安全で、温かい場所だった。
「私もです、ヴァルド様」
全てが終わったあと。
いいえ、全てが始まったこの日。
公爵様改め大公配様は、衆目も憚らず私を抱きしめ、そして私は、満面の笑みでそれに答えた。
これが、私のハッピーエンド。
そして、私たちの新しい冒険の始まり。
「さあ、行こうか。……国民が待っている」
「はい!」
私たちは繋いだ手を高く掲げ、光溢れる扉の向こうへと歩き出した。
「恋愛」の人気作品
書籍化作品
-
【コミカライズ】堕ちた聖騎士さまに贈るスペシャリテ〜恋した人はご先祖さまの婚約者でした〜-
1
-
シュガーレス・レモネード-
39
-
【コミカライズ】寵愛紳士 ~今夜、献身的なエリート上司に迫られる~-
516
-
「お前ごときが魔王に勝てると思うな」とガチ勢に勇者パーティを追放されたので、王都で気ままに暮らしたい-
4123
-
汚名を着せられ婚約破棄された伯爵令嬢は、結婚に理想は抱かない【コミカライズ】-
7
-
【初稿版】特オタ~特撮ヒーローズオルタネイト~-
38
-
ヴェルシュタイン公爵の再誕~オジサマとか聞いてない。~【Web版】-
93
-
魔術屋のお戯れ-
4
-
【書籍化・コミカライズ化作品】商社マンの異世界サバイバル ~絶対人とはつるまねえ~-
77

コメント
コメントを書く