「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

sika3

第21話 精霊王の出現と、王国の崩壊危機

氷の船は、夜明け前の空を切り裂いて南下を続けた。
目指す王都が近づくにつれて、空の色は通常の夜闇とは違う、ドス黒い紫色へと変貌していく。
空気は重く澱み、肌を刺すような不快な気配が満ちていた。

「……酷い」

船首に立ち、眼下の景色を見下ろした私は、思わず口元を覆った。
かつて花の都と謳われた王都は、今や見る影もなかった。
建物は崩れ、街路は泥流に飲み込まれ、所々から赤黒い瘴気が噴き出している。
人の気配はない。住民たちは皆、郊外へ避難したか、あるいは……考えたくもない最悪の事態に巻き込まれたか。

「これが、父上のやったことなのか……」
甲板の隅で、ギルバートが手すりを握りしめて震えていた。
隣にいるミラも、顔面蒼白で言葉を失っている。
自分たちが享受していた贅沢が、これほど脆く、そして多くの犠牲の上に成り立っていたことを、二人は今さらながら突きつけられていた。

「感傷に浸っている暇はないぞ」
ヴァルド様が冷徹な声で告げる。
「瘴気の発生源は王城の地下だ。……あそこだけ、空間が歪んでいる」

彼が指差した先、王城の中心部から、天に向かって太い黒煙のような柱が立ち上っていた。
それは雲を突き抜け、空に巨大な渦を作っている。
まるで、世界に穴を空けようとしているかのように。

「強行突入する。……アリア、結界の維持を頼む」
「はい!」

ヴァルド様の操舵で、氷の船は黒い渦の中心へと急降下を開始した。
「うわああああ!」
「きゃああああ!」
ギルバートとミラの悲鳴が響く中、私たちは瘴気の嵐の中へと突っ込んでいった。

バチバチバチッ!
船体に瘴気がぶつかり、激しい火花を散らす。
私の展開した光の結界と、ヴァルド様の氷の装甲が軋みを上げる。
『痛いよー!』
『臭いよー!』
精霊たちが悲鳴を上げるほどの濃密な穢れ。
しかし、私たちは止まらない。

ドォォォォン!!
氷の船は王城の中庭に荒々しく着陸した。
衝撃で石畳が砕け散り、土煙が舞う。

「降りるぞ! 遅れるな!」
ヴァルド様が私を抱えて飛び降りる。
ギルバートとミラも、転がるようにして後に続いた。

城内は静まり返っていた。
衛兵の姿も、使用人の姿もない。
ただ、床や壁には黒い粘液のようなものが張り付き、生き物のように脈打っていた。

「……気持ち悪い」
ミラが口元を押さえてえずく。
「これが、私たちが暮らしていたお城なの……?」

「城そのものが、巨大な魔導回路に作り変えられている」
ヴァルド様が壁の黒い筋を見て分析した。
「オスカーは、王城全体を触媒にして、地下の『何か』を呼び起こそうとしているようだ」

私たちは地下へと続く階段を目指した。
深くなるにつれ、空気は冷たく、そして重くなっていく。
呼吸をするだけで肺が焼けるような感覚。
ギルバートとミラは、私がかけた防護魔法がなければ、数歩で意識を失っていただろう。

「ハァ、ハァ……足が、動かない……」
ギルバートが膝をつく。
「情けない声を出すな」
ヴァルド様が一喝する。
「父に会いたいと言ったのはお前たちだ。這ってでもついてこい」

厳しい言葉だが、ヴァルド様はさりげなく氷の冷気を二人の周りに漂わせ、瘴気を中和してくれていた。
この人は、口は悪いけれど、一度懐に入れた(あるいはアリアが拾ってきた)人間は見捨てない。

地下最深部。
かつて宝物庫や霊廟があった場所のさらに奥。
王族しか立ち入りを許されない「封印の間」の扉が開け放たれていた。

中へ足を踏み入れた瞬間、異様な光景が広がっていた。

広大な地下空間の中央に、巨大な祭壇があった。
その祭壇の上には、見上げるほど巨大な「扉」がそびえ立っている。
石とも金属ともつかない、奇妙な材質で作られた扉。
その表面には無数の鎖が巻きつき、封印の呪符が貼られていたはずだが……今はその全てが断ち切られ、扉が少しだけ開いていた。

そして、その隙間から溢れ出す漆黒の闇が、祭壇の前に立つ一人の男に注ぎ込まれていた。

「……来たか」

男が振り返った。
国王オスカー三世。
しかし、その姿はもはや人間のものではなかった。

皮膚は土気色に変色し、体中に黒い紋様が浮かび上がっている。
目は白目がなくなり、全眼が赤く発光していた。
そして何より、彼の胸には、あの「深淵の魔石」が埋め込まれ、肉体と融合していた。

「父上……!」
ギルバートが絶句する。
「なんだよ、その姿……。本当に、人間を辞めてしまったのかよ……」

「人間? ククク……」
オスカーは不気味に笑った。
「人間などという不完全な器は捨てた。余は今、深淵の叡智と繋がり、神へと進化しているのだ」

彼は両手を広げ、陶酔したように語り出した。
「この扉の向こうには、太古に封印された『原初の精霊』が眠っている。……世界を無に帰し、再構築する力を持つ絶対的な破壊神だ。余はその力を取り込み、この腐った世界を作り変える!」

「狂っている……」
私が呟くと、オスカーはギロリと私を睨んだ。

「狂っているのはお前たちだ! アリア! お前が余に従っていれば、こんな手段を取る必要はなかった! お前の精霊愛好などという甘い考えが、国を弱体化させたのだ!」

彼は私に指を突きつけた。
「だが、もう遅い。扉は開かれた。……出てこい、我が僕(しもべ)たちよ!」

彼の叫びと共に、扉の隙間から黒い影が溢れ出し、実体化した。
それは異形の魔物たちだった。
不定形の影、牙を持つ獣、翼を持つ悪魔。
数百、いや数千もの魔物の群れが、私たちを取り囲む。

「ひぃっ!?」
ミラがギルバートにしがみつく。

「アリア、後ろを頼む!」
ヴァルド様が剣を抜き、前に出る。
「雑魚が何匹湧こうと、私の氷河の前では無力だ!」

「氷結界・大雪崩(アバランチ)!」
ヴァルド様が剣を振るうと、地下空間全体を埋め尽くすほどの冷気と氷塊が発生し、魔物の群れを押し流した。
一瞬にして数百の魔物が氷像と化し、砕け散る。
さすが大陸最強の魔法使い。その威力は天災級だ。

しかし、魔物は扉から次々と湧いてくる。キリがない。

「アリア、扉を! 元凶を断て!」
「はい!」

私は祭壇へ向かって走った。
「行かせるかぁぁ!」
オスカーが魔石から黒い雷を放つ。
バチィィン!
私の展開した光の盾が弾き飛ばされる。
「きゃっ!?」

「アリア!」
ヴァルド様が助けに入ろうとするが、魔物の群れに阻まれる。

オスカーが私に迫る。
異形化した腕が、私の首を掴もうと伸びてきた。
その時。

「やめろぉぉぉっ!!」
「お姉様に触るな!」

ドスッ! バシッ!
横から飛び出してきた二つの影が、オスカーに体当たりをした。
ギルバートとミラだ。
彼らは武器も持たず、泥だらけの体で、恐ろしい姿の父に掴みかかったのだ。

「なっ、貴様ら……!」
オスカーが驚いてたじろぐ。
「電池ごときが、主に逆らうか!」

「僕は電池じゃない! ギルバートだ!」
ギルバートは泣きながら、父の足にしがみついた。
「父上、もうやめてくれ! こんなの格好悪いよ! 王様なら、もっと堂々としててくれよ!」

「お父様! 目を覚まして!」
ミラもオスカーの腕にぶら下がり、必死に止める。
「私、農場で初めて自分で花を育てたの! 小さな芽が出たのよ! 世界を壊したら、あのお花も死んじゃうじゃない!」

二人の必死の訴え。
それは、かつての甘やかされた子供たちの言葉ではなかった。
自分の足で立ち、小さな命の重さを知った者たちの、魂の叫びだった。

オスカーの動きが一瞬止まった。
赤い瞳が、揺らいだように見えた。
「ギルバート……ミラ……?」

しかし、次の瞬間。
胸の魔石が赤く脈打ち、オスカーの意識を塗り潰した。
「うるさい……うるさい、うるさい!! 邪魔をするな!」

ドォン!
衝撃波が放たれ、二人は دم人形のように吹き飛ばされた。
「がはっ……!」
「きゃあっ!」
壁に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなる。

「ギルバート! ミラ!」
私は叫んだ。
なんてことを。実の子供たちを、二度も。

「……許さない」
私の中で、何かが臨界点を超えた。
怒りではない。もっと静かで、深い悲しみと決意。
この男を、そしてこの魔石を、この世界から消し去らなければならない。

私は両手を広げ、天を仰いだ。
ここは地下深くだが、私の意識は遥か上空、大気圏を超えて星の鼓動と繋がる。

「大いなる意思よ。……精霊たちの王よ」
私は祈った。
「どうか、この愚かな過ちを正す力を。世界を飲み込もうとする虚無を払う光を!」

私の祈りに呼応して、空間が震え出した。
地下室の天井が、まるで幻影のように透き通り、星空が見えた。
いや、それは星空ではない。
無数の光の精霊たちが集まり、銀河のように渦巻いているのだ。

『アリアが呼んでいる』
『アリアが泣いている』
『助けなきゃ』
『許さない』

光の渦が降りてくる。
そして、私の前に四つの巨大な影が顕現した。

燃え盛る炎の獅子。
荒れ狂う水の龍。
天空を舞う風の巨鳥。
大地を揺るがす岩の巨人。

四大精霊王が、揃い踏みで降臨したのだ。
その圧倒的なプレッシャーに、湧き出ていた魔物たちが恐怖で消滅していく。

「な、なんだこれは……!?」
オスカーが後ずさる。
「精霊王だと!? これほどの存在が、一人の娘の呼びかけに応じたというのか!?」

『……小さき人間よ』
炎の精霊王が、厳かに告げた。
『お前は禁忌に触れた。この世界の理(ことわり)を乱し、我らの愛し子を傷つけた。その罪、万死に値する』

『浄化する』
水の精霊王が冷たく言い放つ。
『この城ごと、王都ごと、穢れを洗い流す』

精霊王たちの怒りは頂点に達していた。
彼らの力はあまりに強大すぎる。
もし彼らが本気で攻撃を放てば、王都どころか、この国が地図から消えてしまう。

「待ってください!」
私は精霊王たちの前に立ち塞がった。
「王都には、まだ罪のない人々がいます! どうか、怒りを鎮めてください!」

『アリアよ。しかし、あの扉から溢れる闇は危険だ』
風の精霊王が警告する。
『あれは「虚無」。放置すれば世界を侵食する。今ここで消し去らねばならぬ』

「私が……私が何とかします! だから、国を滅ぼさないで!」

その隙を、オスカーは見逃さなかった。
「ハハハ! 仲間割れか! ならば、その精霊王の力、余が頂く!」

オスカーは胸の魔石に魔力を集中させた。
扉が大きく開く。
中から、ドロドロとした黒い泥のような闇が噴出し、精霊王たちに襲いかかった。

「精霊王を食らえ! 深淵の闇よ!」

闇は生き物のように精霊王たちに絡みつく。
『ぬうっ!?』
『なんだこの粘り気は!』
精霊王たちが暴れるが、闇は彼らの魔力を吸収し、さらに肥大化していく。
「深淵の魔石」は、精霊の力を反転させ、吸収する性質を持っていたのだ。

「いかん、吸収されている!」
ヴァルド様が氷撃を放つが、闇はそれさえも飲み込んでしまう。
「このままでは、精霊王たちが取り込まれ、世界を滅ぼす魔神が誕生してしまうぞ!」

オスカーは狂喜乱舞していた。
「素晴らしい! 力が溢れてくる! これぞ神の力だ!」
彼の体もまた、闇と同化し、巨大な怪物へと変貌し始めていた。

絶体絶命。
精霊王の召喚が、仇となってしまった。
このままでは、国どころか世界が終わる。

「……まだだ」
私は立ち尽くしていなかった。
諦めるなんて選択肢は、私の中にはない。

「ヴァルド様」
私は隣に来た夫(仮)の手を握った。
「私に考えがあります。……でも、一人ではできません」
「言ってみろ。君となら、どんな無茶でも成し遂げてみせる」

ヴァルド様は力強く頷いてくれた。
その瞳に迷いはない。

「精霊王たちが闇に囚われているなら、その闇ごと凍らせて、浄化します」
「……規模が大きすぎるな。私の魔力が尽きるかもしれん」
「尽きさせません。私がいます」

私は琥珀のネックレスを握りしめた。
「私とヴァルド様、そして全ての精霊たちの力を一つにして……奇跡を起こします」

「いいだろう。……命懸けの共同作業だな」
ヴァルド様が剣を構える。

「オスカー! そして深淵の闇よ!」
私は叫んだ。
「これが、私たちが紡いできた『愛』と『絆』の力です! 思い知りなさい!」

崩壊寸前の地下空間で、最後の戦いの幕が上がった。
精霊王を取り込んだ魔神と化した国王と、最強の夫婦(予定)の決戦。
それは、後世の歴史書に「王都の奇跡」として記されることになる、伝説の戦いだった。

続く

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