「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

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第20話 「彼女は私の妻だ。指一本触れさせない」

アイスバーグ公爵領での生活は、穏やかさと忙しさが同居する不思議な日々に変わっていた。
王都からの避難民の受け入れや、私たちの結婚式――「聖婚式」の準備で、屋敷は連日てんてこ舞いだったからだ。

「アリア、少し休め。顔色が優れないぞ」
「平気ですよ、ヴァルド様。これくらいの忙しさ、実家での雑用に比べれば……」
「比べるな。……君が無理をするのは、私の心臓に悪い」

ヴァルド様は執務の手を止め、私を強引にソファへ座らせると、自分も隣に腰を下ろした。
そして、当然のように私の肩に頭を乗せてくる。
最近の彼は、隙あらばこうして「アリア成分の補給」を行うのが日課になっていた。

「……君の匂いを嗅ぐと、落ち着く」
「犬みたいですよ、公爵様」
「構わん。君の忠犬になれるなら本望だ」

甘い言葉を囁かれ、私はくすぐったさに身をよじった。
窓の外では、雪がちらついているが、室内は精霊たちの力で春のように温かい。
こんな幸せな時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思った矢先だった。

『……ねえ、なんか変だよ』
『臭いにおいがする』
『ドロドロした、嫌なにおい』

部屋の隅で遊んでいた精霊たちが、不安そうにざわめき出した。
彼らは窓の方を警戒するように見つめている。

「どうした?」
ヴァルド様が私の異変に気づき、顔を上げる。
その瞬間、彼の瞳がスッと細められ、鋭い「氷の公爵」の目に戻った。

「……結界が、干渉を受けている?」
「えっ?」

アイスバーグ公爵邸は、ヴァルド様の強力な氷の結界と、精霊たちの加護によって守られている。
普通の魔法使いや兵士なら、敷地に入ることさえできない鉄壁の守りだ。
それが、干渉されている?

「物理的な攻撃ではない。……呪詛か、あるいは精神干渉の類か」
ヴァルド様が立ち上がり、私を背に庇うように立つ。
「離れるな、アリア」

その時、部屋の照明が一斉に明滅した。
ジジジ……という不快な音が響き、暖炉の火が青白く変色する。
影が、伸びた。
部屋の隅、家具の下、カーテンの裏。
ありとあらゆる影が、まるで生き物のように蠢き、一つに集まり始めたのだ。

「ひぃっ……!」
近くにいたメイドが悲鳴を上げて腰を抜かす。
集まった影は、黒い泥のような塊となり、やがて人の形を成した。
王冠を被り、豪奢なマントを羽織った、痩せこけた男の姿。

それは、王都に置いてきたはずの、国王オスカー三世の姿だった。

「……見つけたぞ」
影の王が、ガラガラと響く声で笑った。
その目は赤く光り、正気を感じさせない。
「アリア……余の、可愛いアリア……」

「陛下……!?」
私は息を呑んだ。
これは本人ではない。遠隔魔法による投影、あるいは分身だ。
しかし、その身に纏う瘴気は、先日のベヒモス騒動の時よりも濃く、そして禍々しかった。

「よくも……よくも余をコケにしてくれたな。民衆に石を投げさせ、泥水を啜らせ……!」
影の王は憎悪に顔を歪めた。
「だが、余は諦めん! お前がいれば……精霊の愛し子であるお前さえ手に入れば、全てをやり直せるのだ!」

国王は、まだ諦めていなかったのだ。
暴動によって王座を追われ、幽閉同然の身となってもなお、その執着心だけで禁忌の呪術に手を染めたらしい。
「黒い石」――ミラの持っていたものの親玉のような、強力な闇の触媒を使わなければ、こんな遠距離への実体化など不可能なはずだ。

「しつこい男は嫌われますよ、オスカー」
ヴァルド様が冷徹に言い放つ。
「貴様の国は終わった。時代は変わったのだ。亡霊のように湧いて出るな」

「黙れアイスバーグ! 貴様さえいなければ、アリアは余のものだったのだ!」
影の王が叫ぶと、その体から無数の黒い触手が伸びた。
それは鞭のようにしなり、ヴァルド様を排除しようと襲いかかる。

「アリア、下がっていろ!」
ヴァルド様が片手を振るう。
パキィィィン!
空気が凍りつき、触手が空中で粉砕される。
しかし、砕けた影は霧散せず、再び集まって再生した。

「無駄だ! これは実体ではない! 余の怨念そのものだ!」
王は高笑いし、今度は私に向かって手を伸ばしてきた。
「さあ、来るんだアリア! 王都の地下には、まだ『扉』がある! お前を触媒にすれば、真の神を呼べるのだ!」

その手が、私の腕に触れようとした瞬間。

『やめろー!』
『アリアに触るな!』
『汚い!』

私の周りを守護していた精霊たちが、光の壁となって立ち塞がった。
バチバチバチッ!
光と闇が衝突し、火花が散る。

「くっ……小賢しい虫ケラどもめ!」
影の王が苛立ち、懐から何かを取り出した。
それは、拳大の大きさがある、漆黒の宝玉だった。
ミラの持っていた石とは比べ物にならない、圧倒的な瘴気を放っている。

「これを見ても逆らえるか! 『深淵の魔石』よ、精霊を食らい尽くせ!」
王が石を掲げると、部屋中の光が吸い込まれていくような感覚に襲われた。
精霊たちが悲鳴を上げる。
『嫌だ! 吸い込まれる!』
『力が……抜ける……!』

「みんな!」
私は叫んだ。
このままでは、精霊たちが魔石に捕らわれてしまう。
私が魔力を放出して対抗しようとした、その時。

ドスッ。

鈍い音がして、私の視界が遮られた。
目の前に、広い背中があった。
ヴァルド様だ。

彼は影の王の目の前に立ちはだかり、伸ばされた黒い腕を、素手で掴んでいた。
「……貴様」
ヴァルド様の声が、地獄の底から響くように低く、重い。
「私の目の前で、私の妻を攫おうとするとは……死ぬ覚悟はできているんだろうな?」

「な、なんだ貴様……! この『深淵の影』に触れて、平気だというのか!?」
王が驚愕する。
この影は呪いの塊だ。触れれば肉体は腐り、精神は汚染されるはず。
しかし、ヴァルド様の腕は、青白く輝く氷のオーラに包まれていた。
呪いすらも凍てつかせ、無効化しているのだ。

「呪い? 怨念? ……そんなぬるいもので、私を止められると思うな」
ヴァルド様が握りしめた手に力を込める。
ミシミシ、と影の腕が悲鳴を上げる。
「私は『氷の公爵』だ。貴様のドス黒い欲望も、腐った執着も、全て凍らせて粉々に砕いてやる」

「は、離せ! 離せぇぇ!」
王が暴れるが、ヴァルド様の拘束は万力のように外れない。
それどころか、影の腕から急速に凍結が始まり、王の本体の方へと浸食していく。

「アリアは物じゃない。道具でも、貴様の野望のパーツでもない」
ヴァルド様が私の方を振り返ることなく、断言した。

「彼女は、私の妻だ」

その言葉が、部屋の空気を震わせた。
所有宣言ではない。
魂からの誓いであり、絶対不可侵の聖域を示す言葉。

「彼女の髪一本、指先一つ、貴様のような薄汚い手で触れさせるものか」

ズガガガガガッ!!
ヴァルド様の体から、猛烈な冷気が爆発した。
それは屋敷を壊すことなく、対象である影の王だけに集中して襲いかかった。
「絶対零度(アブソリュート・ゼロ)」

一瞬にして、影の王の全身が、美しい氷の彫像へと変貌した。
蠢いていた泥も、禍々しい瘴気も、全てが透明な氷の中に封じ込められ、時を止める。

「……あ……が……」
氷の中に閉じ込められた王の顔が、恐怖に歪んだまま固まっている。

「砕けろ」
ヴァルド様が短く告げた。
パリーンッ!!
氷像は微細なダイヤモンドダストとなって砕け散り、跡形もなく消滅した。
後に残ったのは、床に転がった黒い魔石の欠片だけ。

静寂が戻る。
精霊たちが、おそるおそる顔を出した。
『……消えた?』
『悪いやつ、いなくなった!』
『ヴァルドすごい!』

私はへたり込みそうになる膝を必死に支え、ヴァルド様の背中に駆け寄った。
「ヴァルド様! お怪我は!?」
彼の手を取る。
素手で呪いの影を掴んだ右手は、真っ赤に腫れ上がり、所々黒ずんでいた。
やはり、無傷ではなかったのだ。

「……大したことはない」
ヴァルド様は痛みを隠すように、優しく微笑んだ。
「君が無事なら、腕の一本くらい安いものだ」
「安くありません! 馬鹿!」

私は涙を流しながら、彼の手を両手で包み込んだ。
「精霊たち、お願い! 彼を治して!」
私の涙と魔力が、精霊たちを呼び寄せる。
光と水の精霊が彼の手を包み込み、呪いの残滓を浄化していく。
黒ずみが消え、火傷のような腫れが引いていくのを見て、ようやく私は息をついた。

「……無茶ばかりして」
「君を守るためなら、何度でも無茶をするさ」
ヴァルド様は治ったばかりの手で、私の涙を拭ってくれた。
「言っただろう? 指一本触れさせないと」

その言葉に、胸がいっぱいになった。
この人は、本当に私を愛してくれている。
自分の身を犠牲にしてでも、私を守ろうとしてくれる。
それが嬉しくて、同時に、彼を傷つけたくなくて、心が震えた。

「……でも、これで終わりではありませんね」
私は床に散らばった魔石の欠片を見つめた。
それは砕けてもなお、不気味に脈打っているように見えた。

「ああ。……今の影は、本体からの投影に過ぎない」
ヴァルド様の表情が険しくなる。
「王都にいるオスカーは、まだ生きている。そして、あの魔石の力を使いこなしている」

「『深淵の魔石』……。あれは、ただの魔道具ではありません」
私は精霊たちの声を聞き取った。
『あれは扉の鍵だよ』
『精霊の王様よりも、もっと怖いものが向こうにいる』
『王都の下に、大きな穴が開いちゃう』

「王都の地下には、古代の封印があるという伝承を聞いたことがある」
ヴァルド様が腕組みをして考え込む。
「初代国王が封じた『災厄』……。オスカーは、自分の復権のために、それを解き放とうとしているのか」

もしそんなものが解放されれば、国は滅びる。
いや、この大陸全土が危機に瀕するかもしれない。
私たちの平穏な暮らしも、農場で頑張っているギルバートやミラの更生も、全て無に帰してしまう。

「……行かねばなりませんね」
私は決意を込めて言った。
「王都へ。今度こそ、全ての元凶を断つために」

「ああ。……だが、今度は軍隊は連れて行かない」
ヴァルド様が言った。
「相手は呪いと瘴気の塊だ。普通の騎士では足手まといになるし、精神を汚染される危険がある。……私と君、そして精霊たちだけで行く」

「少数精鋭ですね」
「二人きりの旅行だと思えば悪くない」
こんな時でも、彼は不敵に笑って見せた。
その強さに、私は救われる。

「準備をしましょう。……これが、最後の戦いになります」

私たちは、結婚式を前にして、最大の試練へと挑むことになった。
これが終われば、今度こそ本当のハッピーエンドだ。
そう信じて。



その夜、出発の準備をしていると、部屋の扉がノックされた。
「誰だ?」
入ってきたのは、意外な人物だった。

「……公爵閣下。それにアリア様」
泥だらけの作業着を着た、ギルバートとミラだった。
監視役のトマスさんに頼み込んで、ここまで連れてきてもらったらしい。

「何の用だ。ジャガイモの皮むきは終わったのか」
ヴァルド様が冷たくあしらうが、ギルバートは引かなかった。
彼は一歩前に出ると、深々と頭を下げた。

「……頼みがあるんだ」
ギルバートは震える声で言った。
「僕たちも、連れて行ってくれないか。王都へ」

「は?」
私は目を丸くした。
「何を言っているのですか? あなたたちは魔法も使えない、ただの……」
「分かってる! 戦力になんかならないって!」
ギルバートが叫んだ。
「でも……父上を、止めたいんだ。父上をあんな風にしてしまったのは、僕たちが『電池』として甘んじていたせいでもある。……僕たちが、引導を渡さなきゃいけない気がするんだ」

「私も……」
ミラがおずおずと顔を上げた。
その手には、私が渡した花の種が植えられた、小さな鉢植えが握られていた。
まだ芽は出ていないが、彼女はそれを大切そうに抱えていた。

「私、精霊の声は聞こえないけど……お父様が寂しいのは分かるの。権力とか、力とか、そういうものに縋らないと生きていけない弱さが……私と同じだから」
ミラの目には、かつてのような傲慢さはなく、静かな決意が宿っていた。
「最後くらい、娘として……さよならを言わせてほしいの」

二人の願い。
それは身勝手かもしれない。危険な戦場に、足手まといを連れて行く余裕はない。
けれど、彼らの目には、初めて見る「責任感」という光があった。

ヴァルド様は私を見た。
「アリア、君はどう思う?」
「……連れて行きましょう」
私は答えた。
「彼らにも、見る権利があります。自分たちの血族が犯した罪の結末を。そして、それを乗り越えて進むために」

「フン。……死んでも知らんぞ」
ヴァルド様はぶっきらぼうに言ったが、それは許可の合図だった。
「ありがとうございます……!」
二人は涙ぐんで頭を下げた。

こうして、最強の夫婦(予定)と、元婚約者&元偽聖女という奇妙なパーティが結成された。
目指すは崩壊した王都。
待ち受けるは、狂気に堕ちた国王と、深淵の闇。

「行くぞ。……アリア、手袋は持ったか?」
「はい。ヴァルド様こそ、ハンカチは?」
「持った。君の涙を拭くためにな」
「もう泣きませんよ」

私たちは夜明け前の空へと飛び立った。
氷の船が、最後の戦場へと向かう。

続く

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