「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

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第17話 「戻ってこい」と言われましても、精霊たちが激怒しています

「グルルルルァァァァッ!!」

王都の空を裂くような、ベヒモスの咆哮が轟いた。
その巨躯は王城の塔よりも高く、全身は黒い泥のような瘴気に覆われている。
異界から無理やりに引きずり出されたその怪物は、召喚者の制御を半ば離れ、破壊の権化として暴れまわろうとしていた。

「潰せ! 捻り潰せぇ!」
狂王オスカー三世が、祭壇の上で杖を振り回し叫ぶ。
ベヒモスがその命令に嫌々従うように、丸太のような腕を振り上げ、私たちに向かって叩きつけてきた。

「アリア、下がっていろ!」
ヴァルド様が私の前に躍り出る。
彼は腰の剣を抜き放つと、迫り来る巨大な腕に向かって、一歩も退かずに踏み込んだ。

「氷結剣技――『氷狼牙(フェンリル・ファング)』!」

彼が剣を振り上げた瞬間、刀身から巨大な氷の狼が具現化した。
狼は空を駆け、ベヒモスの腕に食らいつく。
ドカァァァン!!
激しい衝撃音と共に、ベヒモスの腕が弾き飛ばされ、その表面が瞬く間に凍りついた。

「グォォッ!?」
怪物は驚愕に目を見開き、たたらを踏んで後退する。
人間ごときに、それも単身で自分の攻撃が防がれるとは思っていなかったのだろう。

「な、なんだと……!? ベヒモスの攻撃を剣一本で!?」
国王が信じられないものを見る目で絶叫する。
「アイスバーグ……貴様、人間か!? 化け物め!」

「妻を守るためなら、化け物にでも魔王にでもなってやるさ」
ヴァルド様は剣についた氷の欠片を払い、不敵に笑った。
「だが、この程度で化け物扱いは心外だな。……アリアのサポートがあれば、私は無敵だ」

そう、ヴァルド様の力がこれほどまでに高まっているのは、私の支援魔法のおかげだ。
私は後方で両手を広げ、周囲の精霊たちに語りかけていた。

「風の精霊シルフ、彼の動きを加速させて。光の精霊ウィスプ、彼の剣に破邪の力を宿して。……そして、大気中の全ての精霊たちよ、彼に無限の魔力を供給して!」

私の呼びかけに応じ、戦場は幻想的な光に包まれていた。
通常、魔法使いは自身の体内の魔力を消費して戦う。だから長期戦になれば枯渇する。
けれど、今のヴァルド様は違う。
私が「中継点(ハブ)」となり、大気中の無尽蔵なマナを彼に直接送り込んでいるのだ。
いわば、燃料切れのない永久機関状態である。

「おのれ……おのれぇぇ! 小賢しい真似を!」
国王は地団駄を踏んだ。
「ならば、これでどうだ! 瘴気ブレスで王都ごと腐り果てろ!」

王の命令を受け、ベヒモスが大きく息を吸い込んだ。
その口元に、ドス黒い、見るだけで吐き気を催すようなエネルギーが収束していく。
あれを放たれたら、王城はおろか、避難し遅れた市民たちまで巻き添えになる。

「させません!」
私は前に進み出た。
「アリア!?」
「大丈夫です、ヴァルド様。……あの怪物は、泣いています」

私は感じていた。
ベヒモスの咆哮の中に混じる、悲痛な叫びを。
異界で静かに暮らしていたのに、勝手に呼び出され、鎖で縛られ、破壊を強要されている。
その苦しみと怒りが、精霊使いの私には痛いほど伝わってきた。

『帰りたい……帰りたい……』
『痛い……苦しい……』

「聞こえます。あなたの声が」
私は瘴気の嵐の中、ベヒモスに向かって語りかけた。
私の周りを、最上位の光の精霊たちが守護し、瘴気を払いのけていく。

「可哀想に……。こんな汚れた鎖に繋がれて」
私はベヒモスの足元に絡みつく、赤黒い魔力の鎖を見据えた。
あれは国王の魔力――いや、ギルバート殿下やミラから吸い取った生命力で作られた、呪いの鎖だ。

「精霊王よ! その清浄なる力をもって、邪悪な契約を断ち切りなさい!」

カッッッ!!!
天から一条の光が降り注いだ。
私の怒りに呼応して現れたのは、黄金に輝く「光の精霊王」の幻影だった。
まばゆい光の剣が、ベヒモスを縛る鎖に振り下ろされる。

パリーンッ!
硬質な音と共に、呪いの鎖が砕け散った。

「グォ……?」
ベヒモスが動きを止めた。
体を縛り付けていた苦痛が消え、その瞳から狂気の赤色が薄れていく。
代わりに宿ったのは、知性ある静かな瞳だった。

「な、なに!? 制御が……鎖が切れただと!?」
国王は祭壇の上で狼狽えた。
「動け! 動くんだベヒモス! 余の命令だぞ!」

しかし、ベヒモスはもう王を見ようともしなかった。
その巨大な顔を、ゆっくりと私の方へと近づけてくる。
ヴァルド様が警戒して剣を構えるが、私は手でそれを制した。

『……小さき人間よ。お前が、我を解放したのか』
頭の中に、重厚な響きが伝わってくる。
念話だ。

「はい。勝手にお呼び立てして申し訳ありません。……こちらの不始末です」
私がカーテシーをして謝罪すると、ベヒモスは鼻を鳴らした。
『フン。礼儀正しい人間もいるものだ。……あの薄汚い欲の塊のような男とは大違いだな』

ベヒモスは軽蔑しきった目で国王を一瞥した。
その視線だけで、国王は「ひぃっ」と悲鳴を上げて尻餅をついた。

『礼を言う。……だが、我はこの世界には長居できぬ。瘴気が濃すぎる』
「ええ。すぐに元の世界へお帰りください。扉は私が開けます」

私は空間魔法の使い手ではないが、精霊たちに頼めば次元の歪みを修正することはできる。
「空間の精霊よ、迷える客人を故郷へ導いて」
空の裂け目が広がり、清浄な光が溢れ出す。

『さらばだ、愛し子よ』
ベヒモスは最後に私に一礼し、光の中へと消えていった。
後には、晴れ渡った青空と、腰を抜かした国王だけが残された。

「……」
静寂が訪れる。
王城の庭園で、私とヴァルド様、そして少し離れたところで震えているギルバート殿下とミラ、全員の視線が、祭壇の上の国王に集中した。

「あ……あ……」
国王は震える手で、何もない空を掴もうとしていた。
「余の……余の最強の軍団が……神の力が……」
全てを失った。その事実が受け入れられないようだ。

そして、彼はゆっくりと視線を巡らせ、私を見た。
その目に宿ったのは、恐怖ではなく、狂気じみた欲望だった。

「……アリア」
国王はふらふらと立ち上がり、猫なで声を出した。
「おお、アリア! やはりお前は凄かった! ベヒモスを手懐けるとは!」

彼は祭壇を駆け下り、泥だらけになりながら私に近づいてきた。
「見たか、今の力を! お前がいれば、ベヒモスどころかドラゴンさえも従えられる! 世界征服も夢ではない!」

国王は両手を広げ、満面の笑みを浮かべた。
「許そう! アリア、余はお前を許してやる! 家出はもう終わりだ。王家に戻ってこい! ギルバートとの婚約も復活させてやる。いや、余の側室でもいいぞ! この国の『大聖女』として、余と共に世界を支配しようではないか!」

その言葉に、その場にいた全員が凍りついた。
ギルバート殿下とミラでさえ、口をあんぐりと開けている。
この期に及んで、まだ自分が選ぶ立場だと思っているのか。
そして、自分の子供たちを「電池」として使い捨てようとした直後に、平然とそんな提案ができる神経。

「……気持ち悪い」
私の口から、素直な感想が漏れた。

「ん? 今なんと……?」
「気持ち悪いと申し上げました、陛下」
私は冷徹な瞳で彼を見下ろした。
「あなたは、人の心が無いのですか? 実の子供を犠牲にし、国を滅ぼしかけ、挙句の果てに私を利用して世界征服? ……正気とは思えません」

「な、なんだと! 余は王だぞ! 選ばれし者だぞ!」
「誰に選ばれたと言うのです?」
私は周囲を指差した。
「精霊たちは、誰もあなたを選んでいません。それどころか……」

私の言葉に呼応するように、周囲の空気がざわめき出した。
ヒュオオオォォ……。
風が唸り、地面が震え、木々がざわめく。
無数の精霊たちが、姿を現し始めた。
普段は人に見えない彼らが、あまりの怒りに実体化しつつあるのだ。

『許さない』
『ボクたちの森を焼いた』
『水を汚した』
『仲間を傷つけた』
『アリアを泣かせた』

色とりどりの光の粒が、国王を取り囲む。
それは美しい光景だが、放たれている殺気は凄まじかった。

「ひ、ひぃっ!? なんだこれらは! 虫か! 払え、追い払え!」
国王は必死に手を振り回すが、精霊たちは消えない。
それどころか、火の精霊が王のマントを焦がし、水の精霊が顔に冷水を浴びせ、土の精霊が足を泥に沈める。

「戻ってこい、ですって?」
私はヴァルド様の腕の中に寄り添いながら、冷ややかに告げた。
「お断りです。今さら何を言われても、私には響きません。……それに、精霊たちが激怒しています。私が止めても、もう彼らの怒りは収まらないでしょう」

「ア、アリア! 助けてくれ! 命令してくれ!」
「無理です。彼らは私の道具ではありませんから」

私は背を向けた。
「ヴァルド様、行きましょう。ここは空気が悪すぎます」
「ああ。……腐臭が移りそうだ」

私たちが立ち去ろうとすると、国王は半狂乱になって追いすがろうとした。
「待て! 待ってくれ! 余を見捨てるのか! 王だぞ!」

その時。
ドスッ。
国王の背中に、何かが投げつけられた。
それは、泥団子だった。

「……え?」
国王が振り返ると、そこには瓦礫の陰から出てきた、ボロボロの服を着た子供たちがいた。
王都の孤児たちだ。
彼らの目は、恐怖ではなく、明確な憎悪で王を睨んでいた。

「王様なんて知らない!」
「お前のせいで、お父ちゃんと・母ちゃんが死んだんだ!」
「出て行け! この国から出て行け!」

一人が石を投げると、それが合図となった。
避難し遅れていた市民たちが、衛兵たちが、そして貴族たちさえもが、次々と瓦礫や腐った野菜を投げつけ始めた。

「そうだ! 全部こいつのせいだ!」
「アリア様を追い出した馬鹿王!」
「俺たちを殺そうとしやがって!」

民衆の怒りの波が、王へと押し寄せる。
「や、やめろ! 反逆だぞ! 衛兵、衛兵はおらんのか!」
国王が叫ぶが、衛兵たちもまた、冷ややかな目で彼を見つめ、槍を地面に捨てた。

「俺たちの守るべき国は、もうあんたの国じゃない」
衛兵隊長が吐き捨てるように言った。
「俺たちは、アリア様と公爵様について行く。……あんたは、自分の壊した瓦礫の山で、一人で王様ごっこでもしてな」

「そ、そんな……」
国王はへたり込み、飛んでくる石と罵声の雨に晒された。
精霊の怒りと、民衆の怒り。
二つの断罪を同時に受け、彼はその場で小さく縮こまるしかなかった。

◇

「……哀れなものだな」
氷の船に戻ったヴァルド様が、眼下の光景を見下ろして呟いた。
王城は民衆によって制圧され、国王は拘束されたようだ。
処刑されるか、一生幽閉されるか。いずれにせよ、彼の治世は今日で終わった。

「自業自得です」
私は言った。
「でも、これで国は……」

王がいなくなり、国は混乱するだろう。
しかし、腐った根を断ち切らなければ、新しい芽は育たない。

「アリア、見ろ」
ヴァルド様が私の肩を抱き、反対側を指差した。
船の甲板の隅で、ギルバート殿下とミラが、呆然と王都を見下ろしていた。

「終わった……」
殿下が力なく呟く。
「僕たちの特権も、地位も、何もかも……」
ミラも涙を流していたが、それは以前のような演技の涙ではなかった。

「……お父様のようには、なりたくない」
ミラがポツリと言った。
「あんな風に……みんなに恨まれて、一人ぼっちで……」
彼女の体は震えていた。
自分たちの未来が、あの父と同じ末路になるかもしれないという恐怖。
そして、自分たちが「電池」として利用されたことで、初めて「利用される側の痛み」を知ったことによる変化。

「……彼らには、生きるチャンスを与えましょう」
私はヴァルド様に提案した。
「北の地で、一からやり直させるのです。身分を捨て、ただの人間として、土に触れ、作物を育て……命の重さを学ばせる。それが、彼らにとって一番の贖罪になると思います」

「……君がそう言うなら」
ヴァルド様は渋々頷いた。
「だが、甘やかしはしないぞ。私の領地では、働かざる者食うべからずだ」

「はい。ガストンさんや農場長に、厳しく指導してもらいましょう」

こうして、王都救出作戦は完了した。
ベヒモスは去り、悪王は倒れ、新しい時代が始まろうとしていた。
しかし、問題は山積みだ。
荒廃した王都の復興、難民の受け入れ、そして政治体制の再構築。

「忙しくなりそうだな、アリア」
「ええ。でも、ヴァルド様と一緒なら、きっと大丈夫です」

私たちは手を握り合い、北の方角を見た。
そこには、私たちが帰るべき場所、美しい氷と花の世界が待っている。

「帰ろう、我が家へ」
「はい、あなた」

氷の船が旋回し、北へと進路を取る。
風の精霊たちが祝福の歌を歌い、光の精霊たちが道を照らしてくれた。

かつて「地味で可愛げがない」と捨てられた令嬢は、今や一国の運命を握る「聖女」となり、そして何より、最強の公爵様に溺愛される「最愛の妻」として、幸せな未来へと歩き出したのだった。

◇

……と、綺麗に終わるかと思いきや。

数日後、アイスバーグ公爵領に、意外な人物が訪ねてきた。
「た、頼む! 俺を弟子にしてくれ!」
「私も! 私も畑仕事を手伝わせて!」

ボロボロの服を着て、鍬を持ったギルバート(元殿下)とミラ(元聖女)だった。
彼らは私の予想以上に「生きたい」という執着を見せ、泥まみれになる道を選んだようだ。
まあ、ガストンさんに怒鳴られながらジャガイモの皮を剥く元王子の姿は、なかなかシュールで面白い見世物になりそうだけれど。

彼らの更生(とざまぁの続き)は、また別のお話。
私の物語は、ここでひとまずのハッピーエンド――いや、ハッピー・スローライフの始まりを迎えることになった。

(完)

……とはならず、物語はもう少しだけ続く。
王都の事後処理と、私たちの結婚式という一大イベントが残っているからだ。

続く

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