「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

sika3

第16話 元婚約者が青い顔でやってきました

王都の空が不気味な赤紫色に染まった翌朝。
アイスバーグ公爵領は、早朝から物々しい空気に包まれていた。
ヴァルド様は直ちに騎士団を招集し、王都への進軍――いや、救出作戦の準備を命じた。

「アリア、君は本当に来るつもりか?」
玄関ホールで、ヴァルド様が改めて私の顔を覗き込む。
彼は漆黒の戦闘服に身を包み、腰には氷の魔力を帯びた長剣を佩いている。その姿は、まさに北の守護神といった威厳があった。

「はい。王都の悲鳴が聞こえるのです。精霊たちが助けを求めています」
私は彼が用意してくれた、動きやすい旅装束(もちろん、氷蜘蛛の糸で織られた最高級品だ)の袖を握りしめた。
「それに、ヴァルド様がおっしゃったではありませんか。決して一人にはさせないと」

「……ああ。言ったな」
ヴァルド様は口元を緩め、私の髪を優しく撫でた。
「分かった。私の背中は君が守ってくれ。……君の背中は、私が死んでも守る」

「死ぬなんて言わないでください。……二人で生きて帰るんです」
「そうだな。……君との甘い新婚生活(予定)を残して死ぬなど、あり得ない」

私たちが決意を新たにしていると、廊下の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。
「閣下! 大変です!」
騎士団の分隊長が、血相を変えて駆け寄ってくる。
「北の塔の牢獄で、異変が起きました! 罪人たちが……ギルバート殿下とミラ嬢が、様子がおかしいのです!」

「様子がおかしい? 寒さに耐えきれず発狂でもしたか」
ヴァルド様が冷淡に返す。
「いいえ、そうではなく……! とにかく、こちらへ連れてまいります!」

分隊長の合図で、数人の騎士に抱えられた二人がホールへと運ばれてきた。
その姿を見て、私は息を呑んだ。

「……っ、これは」

ギルバート殿下とミラ。二人の顔色は、文字通り「土気色」を通り越して真っ青だった。
唇は紫色に変色し、目は虚ろで、全身が激しく痙攣している。
まるで、体の中から生命力を無理やり引き抜かれているかのような、見ていられないほどの衰弱ぶりだった。

「あ……あ……」
殿下が床に転がされ、私の方へ這いずってくる。
その目は恐怖で見開かれ、焦点が定まっていない。

「た、すけ……助けて……」
殿下は掠れた声で呻いた。
「ち、父上が……父上が、僕を……食べている……」

「食べている?」
私は眉をひそめた。
「どういうことですか?」

「痛い……熱い……! 体の中が、燃えるように……!」
横でミラも悲鳴を上げてのた打ち回っている。
「お父様が……私の魔力を、命を……吸い取っていくの……! 嫌ぁ! やめてぇ!」

その言葉で、私はハッとした。
昨晩感じた、あの邪悪な気配。
王都の方角から見えた、不吉な光。

「……まさか、血の共鳴(ブラッド・レゾナンス)?」
私が呟くと、ヴァルド様の表情が一気に険しくなった。
「血の共鳴だと? ……あの愚王、禁忌の召喚術の代償に、自分の子供たちの命を使っているのか」

禁忌の召喚魔法。
それは強大な異界の怪物を呼び出す代わりに、術者に莫大な魔力と生命力の支払いを要求する。
通常、術者自身の命を対価とするが、外道な術者は「自分と血の繋がった者」をパス(経路)として使い、身代わりにする場合があるという。

「なんてことを……」
私は戦慄した。
国王は、自分の保身と野望のために、実の息子と娘を「生きた電池」として消費しているのだ。
彼らが北の地へ追放同然に送り出されたのも、もしかしたら最初からこの時のための「予備電源」扱いだったのかもしれない。

「あ、アリア……!」
ギルバート殿下が、私の足元に縋り付いてきた。
かつての尊大さは見る影もない。鼻水を垂らし、涙を流し、なりふり構わず命乞いをする姿は、哀れとしか言いようがなかった。

「悪かった……! 僕が悪かった! お前を捨てたことも、酷いことを言ったことも、全部謝る! だから……この痛みを止めてくれ! 精霊使いのお前なら、できるだろう!?」

「私も! 私も謝るわお姉様!」
ミラも這いずり寄ってくる。
「今までいじめてごめんなさい! ドレスを切り裂いたのも、教科書を隠したのも、全部私がやったの! だから助けて! お父様との繋がりを切って!」

自分たちが助かりたい一心での謝罪。
そこには誠意も反省もない。あるのは恐怖だけだ。
普通なら、見捨てるべきだろう。
自業自得だと言って、そのまま朽ち果てるのを見届けるのが、彼らへの最大の復讐かもしれない。

「……汚らわしい」
ヴァルド様が冷酷に言い放ち、殿下の手を私の足から蹴り離した。
「私の妻に触れるな。……その薄汚い命、父親と共に散るなら本望だろう? 王家のために尽くせるのだ、喜んで死ね」

「ひぃぃっ……! い、嫌だ! 死にたくない!」
「ヴァルド様、お願い! 慈悲を!」

二人は絶望の悲鳴を上げる。
私は静かに彼らを見下ろした。
怒りはなかった。ただ、底知れぬ空虚さと、哀れみだけがあった。
親に利用され、捨てられ、最後は養分として食い潰される子供たち。
形は違えど、かつての私と同じだ。

「……ヴァルド様」
私は夫(仮)の袖を引いた。
「繋がりを、断ち切っていただけませんか」

ヴァルド様が驚いたように私を見る。
「助けるのか? こいつらを」
「慈悲ではありません。……ただ、これ以上、私の目の前で精霊たちが悲しむようなことを見たくないだけです」

私は二人の周りに漂う精霊たちを見た。
彼らは殿下たちを嫌っていたが、今のあまりに惨たらしい状況には、怯えて身を寄せ合っていた。
『怖いよー』
『魂が削れてる音がする』
『気持ち悪い魔法だ』

「それに……」
私は殿下とミラを冷ややかに見据えた。
「ここで死なれては、罪を償わせることもできません。生きて、自分の愚かさを噛み締めながら、一生をかけて罪を贖っていただきます」

私の言葉に、ヴァルド様はふっと笑った。
「……なるほど。死ぬより辛い生き地獄を味わわせるというわけか。君も随分と『公爵夫人』らしくなってきたな」

ヴァルド様は剣を抜いた。
その刀身が、絶対零度の冷気を帯びて青白く輝く。
「感謝しろ、愚か者ども。アリアの慈悲に」

彼は剣を一閃させた。
ヒュンッ!
目には見えないが、空間に張り巡らされていたドス黒い因果の糸が、氷の刃によって断ち切られる音がした。

「ガハッ……!?」
「うぐっ……!」
殿下とミラが同時に血を吐き、その場に倒れ込んだ。
しかし、顔色は先ほどまでの死相とは違い、わずかに生気が戻っていた。
体内の魔力回路が焼き切れそうになっていたのが、強制的に遮断されたことで止まったのだ。

「はぁ、はぁ……い、痛くない……?」
殿下が自分の体を確かめるように触る。
「助かった……のか……?」

「勘違いしないでください」
私は冷たく告げた。
「命は助けましたが、あなたたちの魔力回路は今の負荷でもうボロボロです。おそらく、二度と魔法を使うことはできないでしょう」
「なっ……!?」
「ただの人として、これからは泥にまみれて働きなさい。それが、あなたたちの生きる道です」

魔法が使えない王族と聖女(自称)。
それは彼らにとって、死刑宣告にも等しい屈辱だろう。
しかし、彼らは反論する気力もなく、ただ呆然と床に突っ伏していた。

「さて、アリア。……王都へ行くぞ」
ヴァルド様が剣を納める。
「国王は『電池』を失った。召喚の儀式は不完全なものになるはずだ。叩くなら今しかない」

「はい。……あの二人も、連れて行きますか?」
「ああ。荷台にでも放り込んでおけ。自分たちの父親が何をしようとしたか、その目で確かめさせるのも一興だ」



私たちは屋敷の外へ出た。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「な、なんだこれは……」
護送されてきた殿下が、目を丸くして空を見上げる。

屋敷の前庭に、巨大な氷の船が浮かんでいたのだ。
ヴァルド様の魔力と、氷の精霊たちが作り上げた、空飛ぶ軍艦。
透き通る氷の船体は朝日を浴びてダイヤモンドのように輝き、帆の代わりに風の精霊たちが待機している。

「陸路では時間がかかる。空から行くぞ」
ヴァルド様が私を抱き上げ、軽々と船の甲板へと飛び乗った。
続いて、騎士たちが乗り込み、最後に殿下とミラが荷物のように放り込まれた。

「出航だ! 風の精霊たちよ、我らを王都へ運べ!」
私の号令と共に、風の精霊たちが一斉に風を起こした。
船がふわりと浮き上がり、滑るように空へと駆け上がる。

「うわあああ! と、飛んだ!?」
「高い! 怖いぃぃ!」
甲板の隅で震える元婚約者たちの悲鳴を置き去りにして、氷の船は南へと加速した。

上空から見下ろす世界は白銀だったが、南へ進むにつれて、景色は一変した。
「……酷い」
私は手すりを握りしめた。

王都周辺の空は、禍々しい紫色の雲に覆われていた。
大地は枯れ果て、泥沼と化し、所々から黒い煙が上がっている。
かつて花の都と呼ばれた美しい王都の面影は、どこにもない。

「あれが……僕たちの国……?」
殿下が絶句している。
「嘘だ……こんなの、地獄じゃないか……」

「これが現実です」
私は彼らに背を向けずに言った。
「あなたたちが精霊を蔑ろにし、私を追放し、自分たちの欲を優先した結果が、これです」

「……」
二人は何も言い返せなかった。
父王が自分たちを犠牲にしようとした事実。
そして、目の前に広がる滅びの光景。
それらが、彼らの歪んだプライドを完全に粉砕していた。

「見ろ、アリア」
ヴァルド様が前方を指差す。
王都の中央、王城の上に、巨大な黒い亀裂が入っていた。
空間の裂け目。そこから、異形の影が這い出そうとしている。

『オオオオオオ……』
地響きのような唸り声が、空気を震わせる。
召喚された魔物だ。まだ不完全だが、その大きさは王城の塔よりも巨大だった。

「あれは……伝説の厄災級魔獣、『ベヒモス』か」
ゲイル団長が青ざめる。
「陛下はなんてものを呼び出したんだ……! あんなものが暴れたら、国など一日で消し飛ぶぞ!」

「消し飛ばさせはしない」
ヴァルド様が氷の船の船首に立つ。
その背中には、揺るぎない自信と、激しい怒りが漲っていた。

「私の領民を脅かし、私の愛する妻を悲しませる害虫は、たとえ神話の怪物であろうと駆除するのみだ」

彼は振り返り、私に手を差し出した。
「アリア。君の力を貸してくれ。……君の精霊魔法で、あの化け物の動きを封じ、私がトドメを刺す」

「はい、ヴァルド様。……二人で、この悪夢を終わらせましょう」
私は彼の手を取った。
その手は温かく、力強かった。

船は速度を上げ、黒い雲の中へと突入していく。
稲妻が走り、嵐が吹き荒れる中、私たちの氷の船だけが、希望の光のように輝いていた。

甲板の隅で、ギルバート殿下とミラは、ただ震えながらその背中を見つめていた。
かつて自分たちが「地味で無能」と見下していた姉が、今は世界を救う英雄の隣で、誰よりも眩しく輝いている。
その圧倒的な差を、嫌というほど見せつけられながら。

「……勝てない」
殿下がポツリと漏らした。
「最初から、僕たちは彼女に勝てなかったんだ……」

その言葉は、風の音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。



「来るぞ! 衝撃に備えろ!」

氷の船が王都上空に到達した瞬間、下から黒い泥のような触手が無数に伸びてきた。
ベヒモスの迎撃だ。

「氷結砲、発射!」
ヴァルド様の合図で、船の両舷に並んだ氷の精霊たちが、一斉に氷の礫(つぶて)を放つ。
ドカドカドカッ!
触手が凍りつき、砕け散る。

「突っ込むぞ! アリア、結界を!」
「はい! 光の精霊ウィスプ、私たちを守って!」

船全体が黄金色の光に包まれる。
私たちは魔物の懐、王城のテラスへと強行着陸を試みた。
そこには、狂乱の王、オスカー三世の姿があった。

「はーっはっは! 見ろ! この力! 余は神になったのだ!」
王は祭壇の前で両手を広げ、笑っていた。
その背後で、這い出したベヒモスが王都を破壊しようと鎌首をもたげる。

ドォォォォン!!
氷の船が、王城の庭園に激突し、滑走して止まる。
「な、なんだ!?」
王が振り返る。

土煙の中から、二つの人影が現れた。
氷の剣を携えた公爵と、精霊を従えた令嬢。

「神になった、だと?」
ヴァルド様が冷ややかに言い放つ。
「寝言はそこまでにしておけ、オスカー。……貴様のそのふざけた野望ごと、氷河期に送ってやる」

「お、お前たちは……! アイスバーグ! そして魔女アリア!」
王は憎悪に顔を歪めた。
「よくもノコノコと現れたな! ベヒモスよ、奴らを食い殺せ!」

「お父様……!」
私たちの後ろから、よろよろと殿下とミラが降りてきた。
その姿を見て、王は眉をひそめた。
「なんだ、ギルバートか。……チッ、生きていたのか。役立たずの『電池』め」

その冷酷な一言。
それが、殿下とミラの中に残っていた、最後の「親への情」を断ち切る決定打となった。

「……電池」
殿下は乾いた笑いを漏らした。
「僕たちは……電池だったのか。息子じゃなくて……」
ミラも、膝から崩れ落ちて泣き出した。

「さあ、審判の時だ」
私は前に進み出た。
「国王陛下。あなたの行いは、精霊の逆鱗に触れました。……この国を、民を、そして家族すらも犠牲にした罪。今ここで償っていただきます」

「黙れ黙れぇ! 魔女風情が!」
王が杖を振るう。
ベヒモスが咆哮し、巨大な腕を振り下ろしてきた。

しかし、私はもう逃げない。
隣にはヴァルド様がいる。
後ろには、私を信じてくれる人たちがいる。

「ヴァルド様、お願いします!」
「任せろ!」

最強の夫婦(予定)による、国盗り……いいえ、国救いの戦いが、今始まる。
ざまぁ展開の最終章、開幕である。

続く

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品