「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~
第11話 「君が欲しい」と言われても、意味が深すぎます!
城下町での「お披露目デート」から数日が経った。
あの日以来、アイスバーグ公爵領の雰囲気は、さらに明るく華やいだものになっていた。
領民たちは「アリア様と公爵様が幸せなら、今年の冬は越せる!」と謎の自信に満ち溢れ、実際に私が精霊にお願いした農作物は順調に育ち、温泉街も賑わいを見せている。
屋敷の中も同様だ。
かつては「氷の城」と恐れられた場所が、今や「愛の巣」などと呼ばれ始めている始末。
その原因の九割は、私の旦那様(仮)にある。
「……アリア。行くな」
「ヴァルド様、お仕事の時間です。騎士団長がお待ちですよ」
「あと五分……いや、十分。君の匂いを補充させてくれ」
朝の執務室の扉の前で、大陸最強の氷魔法使いが、私にしがみついて離れない。
身長190センチの偉丈夫が、子犬のように甘えてくる姿は、破壊力抜群だが困りものでもある。
『ヴァルド、仕事しろー!』
『アリアが困ってるぞー』
『デレデレだー!』
精霊たちが野次を飛ばすが、ヴァルド様は聞こえないふりをして、私の首筋に顔を埋めている。
「……君がいないと、また部屋を凍らせてしまいそうだ」
「脅し文句が物騒すぎます。……ほら、行ってらっしゃいませ。お昼にはシチューを持って伺いますから」
私が背伸びをして、彼の頬にチュッと音を立ててキスをすると、ヴァルド様はビクッと体を震わせ、そして蕩けるような笑顔になった。
「……よし。今のエネルギーで、魔獣の百匹くらいは狩れそうだ」
「事務仕事をしてくださいね」
名残惜しそうに離れていく彼を見送り、私はふう、と息をついた。
幸せだ。間違いなく幸せなのだが、この甘さに慣れていない心臓が、いつか爆発するのではないかと心配になる。
「アリア様、お熱いですこと」
メイド長のマーサさんが、生暖かい目で見守っていた。
「冷やかさないでください……。それより、あの方たちは?」
私が尋ねると、マーサさんの表情がスッと「氷の公爵家のメイド長」のものに戻った。
「ギルバート殿下とミラ様でしたら、現在、西の塔の客室にて『謹慎』していただいております。……昨晩、厨房に忍び込もうとして、精霊たちに雪だるまにされたばかりですので、しばらくは大人しいかと」
「そうですか……。懲りないですね」
「はい。食料庫の鍵を壊そうとした際、火の精霊が殿下のズボンに火をつけまして、ボヤ騒ぎになる寸前でした」
私は頭を抱えた。
一国の王子と、聖女を自称する令嬢が、食い意地を張って放火未遂とは。
彼らは「お客様」として最低限の食事は提供されているはずだ。それでも満足できず、私たちが食べている「アリア特製メニュー(精霊の加護付き)」を盗み食いしようとしているらしい。
「監視は続けてください。特にミラ……彼女の動向が気になります」
「承知いたしました。……あの方、時折、独り言のように『石』に話しかけているとか」
「石?」
「はい。黒くて気味の悪い石だそうです」
胸騒ぎがした。
黒い石。精霊に愛される私には、直感的にそれが良くないものだと分かる。
ミラが「聖女」として振る舞えていた理由、そして精霊の声が聞こえないはずの彼女が自信満々だった理由。
その秘密が、そこにあるのかもしれない。
◇
その日の午後。
私はヴァルド様に言いつけられた通り、昼食のワゴンを押して執務室へ向かった。
今日のメニューは、領内で採れたばかりのハーブを使ったチキンの香草焼きと、カボチャのポタージュだ。
「失礼します、ヴァルド様」
扉を開けると、そこには書類の山と格闘するヴァルド様の姿があった。
しかし、いつもと様子が違う。
部屋の空気が、重く、そして熱っぽい。
氷の精霊たちが、心配そうに彼の周りをグルグルと回っている。
『アリア! 来てくれた!』
『ヴァルドが変なんだ!』
『熱いよー、苦しいよーって言ってる!』
「ヴァルド様!?」
私はワゴンを放置して駆け寄った。
ヴァルド様は机に突っ伏していたが、私の声に反応して顔を上げた。
その顔は赤く上気し、アイスブルーの瞳が潤んでいる。
呼吸が荒い。
「ア、アリア……。来るな……」
彼は苦しげに私を制した。
「今、魔力が……制御できない……。近づくと……君を傷つける……」
「何を言っているんですか! こんなに辛そうなのに!」
私は構わず彼に触れようとした。
バチッ!
青白い火花が散る。拒絶ではない。彼の体内から溢れ出す魔力が、あまりに膨大すぎて、空間そのものを歪ませているのだ。
「魔力過多……?」
私は気づいた。
ここ数日、私の影響で屋敷中の精霊たちが活発になりすぎている。
さらに、ヴァルド様自身の感情が高ぶり(主に私への愛で)、彼の内なる魔力生成器官がフル稼働してしまっているのだ。
本来なら放出するべき冷気を、私を寒がらせないために無意識に抑え込んでいるせいで、体内でオーバーヒートを起こしている。
「馬鹿です……! 私のために我慢していたんですね」
私は涙ぐみながら、彼の手袋を外した。
素手に触れると、火傷しそうなほど熱い。氷の魔力を持つ彼が、これほど熱を持つなんて異常事態だ。
「どうすれば……。精霊たち、彼を冷やしてあげて!」
『やってるよ! でも追いつかないの!』
『中から冷やさないとダメだ!』
中から。
体内の魔力を循環させ、外部へ逃がすか、誰かが受け止めてあげる必要がある。
精霊使いである私なら、彼の魔力を受け入れる器になれるかもしれない。
「ヴァルド様、私を見て」
私は彼の頬を両手で包み込んだ。
「私が受け取ります。貴方の余分な魔力を、私に流してください」
「だめだ……! そんなことをしたら、君の身体が凍りつく……!」
「平気です。私は『氷の公爵』の婚約者ですよ? これくらいで凍るような柔な愛じゃありません」
私は強引に、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「んっ……!?」
ヴァルド様が目を見開く。
口移しでの魔力譲渡。物語の中だけの話だと思っていたけれど、今はこれしか思いつかない。
冷たくて、甘い味がした。
彼の口から流れ込んでくる魔力は、奔流のような冷気となって私の体内を駆け巡る。
一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われたが、すぐに私の体内の精霊たちがそれを歓迎し、エネルギーへと変換していく。
『わーい! ご馳走だー!』
『ヴァルドの魔力、美味しい!』
『もっともっと!』
私の身体を媒介にして、過剰な魔力が精霊たちへと分配されていく。
しばらくして唇を離すと、ヴァルド様の顔色は随分と落ち着いていた。
呼吸も整っている。
「……はぁ、はぁ。……落ち着きましたか?」
私が尋ねると、ヴァルド様は呆然とした顔で私を見つめ、そして突然、私を机の上に押し倒すように抱きしめた。
「ヴァ、ヴァルド様!?」
「……足りない」
「えっ?」
彼の瞳から、先ほどの苦痛の色は消えていた。
代わりに宿っているのは、もっと深く、暗く、熱烈な渇望の炎。
「魔力の暴走は収まった。……だが、今度は別の衝動が暴走しそうだ」
彼は私の耳元で、低く掠れた声で囁いた。
「アリア。……君が欲しい」
ドクンッ。
心臓が破裂するかと思った。
至近距離で見つめる美貌。乱れた黒髪。色気のある吐息。
そして、その言葉。
「き、君が欲しいって、あの、その……!?」
私の思考回路はショート寸前だ。
魔力譲渡の流れで、そういうことになってしまうの?
まだ結婚式も挙げていないのに?
いや、でも婚約者だし、私は彼を愛しているし、嫌ではないけれど、心の準備が!
「わ、私は……その、地味で、体も貧相ですし、経験もありませんし……!」
私がしどろもどろに言い訳(?)を口走ると、ヴァルド様はキョトンとして、それから私の焦りように気づき、クスクスと喉を鳴らして笑った。
「……ふっ、くく。アリア、君は何を想像しているんだ?」
「へ?」
「もちろん、それも含めて『欲しい』が……今はまだ、我慢するよ。君を大切にしたいからな」
彼は私の額にコツンと自分の額を当てた。
「私が言った『欲しい』は、もっと深い意味だ」
彼は私の手をとり、自分の心臓の上に置いた。
トクトクと、力強い鼓動が伝わってくる。
「私はずっと、孤独だった。魔力のせいで誰も触れられず、誰も近づけなかった。……だが、君は平気な顔で私に触れ、キスをし、私の命そのもの(魔力)を受け入れてくれた」
彼の眼差しが、真剣なものに変わる。
「アリア。私は君の身体だけでなく、君の魂が欲しい。君の過去も、未来も、笑顔も涙も、その全てを私に預けてほしい。……ただの契約上の婚約者としてではなく、真の伴侶として、私の人生に入ってきてくれないか」
それは、今まで聞いたどんな言葉よりも重く、そして甘いプロポーズだった。
「君が欲しい」という言葉に込められたのは、一時の情熱ではなく、永遠の執着と誓い。
この人は、私なしでは生きていけないと、弱さをさらけ出してくれているのだ。
「……意味が、深すぎます」
私は涙声で答えた。
「そんな風に言われたら、逃げられないじゃないですか」
「逃がすつもりはない。……氷漬けにしてでも、君を離さない」
冗談めかして言うけれど、目が笑っていない。本気だ。
でも、その重さが心地よかった。
誰にも必要とされなかった私が、こんなにも強く求められている。
「私も……ヴァルド様が欲しいです。貴方の孤独も、優しさも、全部」
私が抱きつき返すと、ヴァルド様は安堵の息を漏らし、私を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
二人の間には、言葉はいらなかった。
ただ、互いの体温と鼓動を感じ合うだけで、魂が溶け合っていくような感覚。
執務室の机の上で抱き合う公爵と令嬢。
はたから見れば不謹慎極まりないが、周りの精霊たちが『もっとやれー!』とハートマークを飛ばしているので、まあ良しとしよう。
◇
甘い時間は、唐突な爆発音によって破られた。
ドォォォォン!!
「……なんだ!?」
ヴァルド様が弾かれたように顔を上げる。
振動は屋敷の地下、宝物庫の方角からだった。
「まさか、敵襲か?」
ヴァルド様の表情が一瞬で「氷の公爵」に戻る。
私もドレスを整え、彼に続く。
「精霊たち、何があったの!?」
私が問いかけると、壁をすり抜けて煤だらけの精霊が飛び込んできた。
『アリア! 大変!』
『あの馬鹿な男と女が、宝物庫の扉を爆破した!』
『変な黒い石を使って、結界を破ったんだ!』
「ギルバート殿下たちが!?」
信じられない。
いくら何でも、公爵家の宝物庫を爆破強盗するなんて、一国の王族のやることではない。
いや、彼らはもう追い詰められて、正常な判断ができなくなっているのかもしれない。
「……私の屋敷で盗っ人猛々しい」
ヴァルド様が低く唸る。
「アリア、離れるなよ。……今度こそ、引導を渡してやる」
◇
私たちは地下へと急いだ。
煙の充満する廊下を抜けると、破壊された宝物庫の扉の前で、ギルバート殿下とミラが立っていた。
二人は宝物庫の中から、金目のものや魔道具を必死に袋に詰め込んでいた。
「あった! これだ、これがあれば!」
ミラが手にしていたのは、青白く光る大きな結晶石だった。
それはアイスバーグ家に代々伝わる秘宝『永久氷晶(エターナル・クリスタル)』。
強大な氷の魔力を秘めた魔石だ。
「これさえあれば、私だって精霊を従えられるはずよ! お姉様なんかよりずっとすごい力が手に入るわ!」
ミラは狂ったような目で叫んでいる。その手には、不気味に脈打つ「黒い石」が握られており、それが永久氷晶の光を濁らせていた。
「そうだ! それを持って王都へ帰るぞ! この氷男の財産も全部没収だ!」
殿下も王冠やら宝石やらを抱えて笑っている。
「……何をしている」
氷点下の声が響き、二人がビクリと振り返った。
そこには、怒りすら通り越して無の表情を浮かべたヴァルド様と、私が立っていた。
「げっ、公爵!?」
「ま、また邪魔をするのね!」
「邪魔をしているのはどちらだ」
ヴァルド様が右手をかざす。
「我が家の秘宝に汚い手で触れるな。……死にたいのか?」
ヒュオッ!
無数の氷の槍が空中に生成され、二人に向かって切っ先を向ける。
殿下は悲鳴を上げて腰を抜かしたが、ミラは違った。
彼女は黒い石を掲げ、叫んだのだ。
「来なさい! 氷の精霊王!」
その瞬間、黒い石からドス黒い瘴気が噴き出した。
それは強制的に精霊を支配し、使役する禁忌の術だった。
『グググ……ッ!』
ヴァルド様の背後にいた氷の精霊王(仮)が、苦しげに呻き声を上げた。
黒い鎖のようなものが、精霊王の体に巻きつき、引きずり出そうとしている。
「なっ……!?」
ヴァルド様が驚愕に目を見開く。
「精霊王を、強制支配だと?」
「あははは! すごい! 言うことを聞くわ! やっぱり私は聖女なのよ!」
ミラは勝ち誇った顔で私を見た。
「見てなさいお姉様! 貴女の得意な精霊も、私のこの力の前では無力よ! さあ精霊王、その二人を凍らせておしまい!」
黒い石の力で理性を失いかけた精霊王が、ゆっくりと私たちの方へ巨大な腕を振り上げる。
その瞳は赤く染まり、暴走状態にあった。
「くっ……精霊王、鎮まれ!」
ヴァルド様が自身の魔力で抑え込もうとするが、黒い石の干渉が強く、拮抗している。
このままでは、屋敷ごと吹き飛ぶかもしれない。
「ミラ、やめて! それは精霊を苦しめているだけよ!」
私は叫んだ。
「うるさい! 黙れ地味女!」
精霊たちの悲鳴が聞こえる。
『痛いよー!』
『苦しいよー!』
『親分が壊されちゃう!』
許せない。
私の大切な人たちを傷つけ、精霊たちを道具として扱い、苦しめるなんて。
私の中で、何かがプツンと切れた。
「……いい加減に、しなさいッ!!」
私は眼鏡を投げ捨て、一歩前へ踏み出した。
そして、全力で魔力を解放した。
ヴァルド様から先ほど受け取った膨大な魔力と、私自身の魔力が合わさり、黄金色のオーラとなって噴き上がる。
「全精霊に告ぐ! 我が名において命じる!」
私の声は、地下室の空気を震わせ、王都まで……いや、国中に響き渡るほどの威圧感を持っていた。
ミラが持っていた黒い石に、亀裂が入る。
「邪悪な鎖を断ち切れ! 光よ、闇を払え!」
カッッッ!!!
目も眩むような閃光が、私を中心に炸裂した。
それはただの光魔法ではない。
高位精霊、いや、精霊王クラスの力が、私の怒りに呼応して顕現した輝きだった。
「きゃあああああ!」
ミラの手の中で黒い石が粉々に砕け散り、彼女は吹き飛ばされた。
同時に、精霊王に巻きついていた黒い鎖が消滅する。
『オオオオオ……!』
正気を取り戻した氷の精霊王が、咆哮を上げた。
それは感謝の咆哮であり、そして自分を操ろうとした愚か者への断罪の合図だった。
「ひ、ひいいっ! 石が! 石がぁぁ!」
ミラは黒い粉になった石をかき集めようとして、泣き叫んでいる。
殿下は泡を吹いて気絶していた。
「……アリア?」
ヴァルド様が呆気にとられて私を見ていた。
私は肩で息をしながら、乱れた髪をかき上げた。
眼鏡がないせいで視界は少しぼやけているけれど、ヴァルド様の顔だけははっきりと見えた。
「……あの方たちを、お仕置きしましょう、ヴァルド様。もう我慢の限界です」
私が静かに告げると、ヴァルド様はハッとして、そして凶悪に笑った。
「ああ。喜んで。……地獄を見せてやろう」
「君が欲しい」と言われた直後の共同作業が、侵入者の撃退だなんて、色気はないけれど私たちにはお似合いかもしれない。
最強の精霊使いと、最強の氷魔法使い。
二人が本気でキレた時、王族だろうが何だろうが、もう止める術はなかった。
続く
あの日以来、アイスバーグ公爵領の雰囲気は、さらに明るく華やいだものになっていた。
領民たちは「アリア様と公爵様が幸せなら、今年の冬は越せる!」と謎の自信に満ち溢れ、実際に私が精霊にお願いした農作物は順調に育ち、温泉街も賑わいを見せている。
屋敷の中も同様だ。
かつては「氷の城」と恐れられた場所が、今や「愛の巣」などと呼ばれ始めている始末。
その原因の九割は、私の旦那様(仮)にある。
「……アリア。行くな」
「ヴァルド様、お仕事の時間です。騎士団長がお待ちですよ」
「あと五分……いや、十分。君の匂いを補充させてくれ」
朝の執務室の扉の前で、大陸最強の氷魔法使いが、私にしがみついて離れない。
身長190センチの偉丈夫が、子犬のように甘えてくる姿は、破壊力抜群だが困りものでもある。
『ヴァルド、仕事しろー!』
『アリアが困ってるぞー』
『デレデレだー!』
精霊たちが野次を飛ばすが、ヴァルド様は聞こえないふりをして、私の首筋に顔を埋めている。
「……君がいないと、また部屋を凍らせてしまいそうだ」
「脅し文句が物騒すぎます。……ほら、行ってらっしゃいませ。お昼にはシチューを持って伺いますから」
私が背伸びをして、彼の頬にチュッと音を立ててキスをすると、ヴァルド様はビクッと体を震わせ、そして蕩けるような笑顔になった。
「……よし。今のエネルギーで、魔獣の百匹くらいは狩れそうだ」
「事務仕事をしてくださいね」
名残惜しそうに離れていく彼を見送り、私はふう、と息をついた。
幸せだ。間違いなく幸せなのだが、この甘さに慣れていない心臓が、いつか爆発するのではないかと心配になる。
「アリア様、お熱いですこと」
メイド長のマーサさんが、生暖かい目で見守っていた。
「冷やかさないでください……。それより、あの方たちは?」
私が尋ねると、マーサさんの表情がスッと「氷の公爵家のメイド長」のものに戻った。
「ギルバート殿下とミラ様でしたら、現在、西の塔の客室にて『謹慎』していただいております。……昨晩、厨房に忍び込もうとして、精霊たちに雪だるまにされたばかりですので、しばらくは大人しいかと」
「そうですか……。懲りないですね」
「はい。食料庫の鍵を壊そうとした際、火の精霊が殿下のズボンに火をつけまして、ボヤ騒ぎになる寸前でした」
私は頭を抱えた。
一国の王子と、聖女を自称する令嬢が、食い意地を張って放火未遂とは。
彼らは「お客様」として最低限の食事は提供されているはずだ。それでも満足できず、私たちが食べている「アリア特製メニュー(精霊の加護付き)」を盗み食いしようとしているらしい。
「監視は続けてください。特にミラ……彼女の動向が気になります」
「承知いたしました。……あの方、時折、独り言のように『石』に話しかけているとか」
「石?」
「はい。黒くて気味の悪い石だそうです」
胸騒ぎがした。
黒い石。精霊に愛される私には、直感的にそれが良くないものだと分かる。
ミラが「聖女」として振る舞えていた理由、そして精霊の声が聞こえないはずの彼女が自信満々だった理由。
その秘密が、そこにあるのかもしれない。
◇
その日の午後。
私はヴァルド様に言いつけられた通り、昼食のワゴンを押して執務室へ向かった。
今日のメニューは、領内で採れたばかりのハーブを使ったチキンの香草焼きと、カボチャのポタージュだ。
「失礼します、ヴァルド様」
扉を開けると、そこには書類の山と格闘するヴァルド様の姿があった。
しかし、いつもと様子が違う。
部屋の空気が、重く、そして熱っぽい。
氷の精霊たちが、心配そうに彼の周りをグルグルと回っている。
『アリア! 来てくれた!』
『ヴァルドが変なんだ!』
『熱いよー、苦しいよーって言ってる!』
「ヴァルド様!?」
私はワゴンを放置して駆け寄った。
ヴァルド様は机に突っ伏していたが、私の声に反応して顔を上げた。
その顔は赤く上気し、アイスブルーの瞳が潤んでいる。
呼吸が荒い。
「ア、アリア……。来るな……」
彼は苦しげに私を制した。
「今、魔力が……制御できない……。近づくと……君を傷つける……」
「何を言っているんですか! こんなに辛そうなのに!」
私は構わず彼に触れようとした。
バチッ!
青白い火花が散る。拒絶ではない。彼の体内から溢れ出す魔力が、あまりに膨大すぎて、空間そのものを歪ませているのだ。
「魔力過多……?」
私は気づいた。
ここ数日、私の影響で屋敷中の精霊たちが活発になりすぎている。
さらに、ヴァルド様自身の感情が高ぶり(主に私への愛で)、彼の内なる魔力生成器官がフル稼働してしまっているのだ。
本来なら放出するべき冷気を、私を寒がらせないために無意識に抑え込んでいるせいで、体内でオーバーヒートを起こしている。
「馬鹿です……! 私のために我慢していたんですね」
私は涙ぐみながら、彼の手袋を外した。
素手に触れると、火傷しそうなほど熱い。氷の魔力を持つ彼が、これほど熱を持つなんて異常事態だ。
「どうすれば……。精霊たち、彼を冷やしてあげて!」
『やってるよ! でも追いつかないの!』
『中から冷やさないとダメだ!』
中から。
体内の魔力を循環させ、外部へ逃がすか、誰かが受け止めてあげる必要がある。
精霊使いである私なら、彼の魔力を受け入れる器になれるかもしれない。
「ヴァルド様、私を見て」
私は彼の頬を両手で包み込んだ。
「私が受け取ります。貴方の余分な魔力を、私に流してください」
「だめだ……! そんなことをしたら、君の身体が凍りつく……!」
「平気です。私は『氷の公爵』の婚約者ですよ? これくらいで凍るような柔な愛じゃありません」
私は強引に、彼の唇に自分の唇を重ねた。
「んっ……!?」
ヴァルド様が目を見開く。
口移しでの魔力譲渡。物語の中だけの話だと思っていたけれど、今はこれしか思いつかない。
冷たくて、甘い味がした。
彼の口から流れ込んでくる魔力は、奔流のような冷気となって私の体内を駆け巡る。
一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われたが、すぐに私の体内の精霊たちがそれを歓迎し、エネルギーへと変換していく。
『わーい! ご馳走だー!』
『ヴァルドの魔力、美味しい!』
『もっともっと!』
私の身体を媒介にして、過剰な魔力が精霊たちへと分配されていく。
しばらくして唇を離すと、ヴァルド様の顔色は随分と落ち着いていた。
呼吸も整っている。
「……はぁ、はぁ。……落ち着きましたか?」
私が尋ねると、ヴァルド様は呆然とした顔で私を見つめ、そして突然、私を机の上に押し倒すように抱きしめた。
「ヴァ、ヴァルド様!?」
「……足りない」
「えっ?」
彼の瞳から、先ほどの苦痛の色は消えていた。
代わりに宿っているのは、もっと深く、暗く、熱烈な渇望の炎。
「魔力の暴走は収まった。……だが、今度は別の衝動が暴走しそうだ」
彼は私の耳元で、低く掠れた声で囁いた。
「アリア。……君が欲しい」
ドクンッ。
心臓が破裂するかと思った。
至近距離で見つめる美貌。乱れた黒髪。色気のある吐息。
そして、その言葉。
「き、君が欲しいって、あの、その……!?」
私の思考回路はショート寸前だ。
魔力譲渡の流れで、そういうことになってしまうの?
まだ結婚式も挙げていないのに?
いや、でも婚約者だし、私は彼を愛しているし、嫌ではないけれど、心の準備が!
「わ、私は……その、地味で、体も貧相ですし、経験もありませんし……!」
私がしどろもどろに言い訳(?)を口走ると、ヴァルド様はキョトンとして、それから私の焦りように気づき、クスクスと喉を鳴らして笑った。
「……ふっ、くく。アリア、君は何を想像しているんだ?」
「へ?」
「もちろん、それも含めて『欲しい』が……今はまだ、我慢するよ。君を大切にしたいからな」
彼は私の額にコツンと自分の額を当てた。
「私が言った『欲しい』は、もっと深い意味だ」
彼は私の手をとり、自分の心臓の上に置いた。
トクトクと、力強い鼓動が伝わってくる。
「私はずっと、孤独だった。魔力のせいで誰も触れられず、誰も近づけなかった。……だが、君は平気な顔で私に触れ、キスをし、私の命そのもの(魔力)を受け入れてくれた」
彼の眼差しが、真剣なものに変わる。
「アリア。私は君の身体だけでなく、君の魂が欲しい。君の過去も、未来も、笑顔も涙も、その全てを私に預けてほしい。……ただの契約上の婚約者としてではなく、真の伴侶として、私の人生に入ってきてくれないか」
それは、今まで聞いたどんな言葉よりも重く、そして甘いプロポーズだった。
「君が欲しい」という言葉に込められたのは、一時の情熱ではなく、永遠の執着と誓い。
この人は、私なしでは生きていけないと、弱さをさらけ出してくれているのだ。
「……意味が、深すぎます」
私は涙声で答えた。
「そんな風に言われたら、逃げられないじゃないですか」
「逃がすつもりはない。……氷漬けにしてでも、君を離さない」
冗談めかして言うけれど、目が笑っていない。本気だ。
でも、その重さが心地よかった。
誰にも必要とされなかった私が、こんなにも強く求められている。
「私も……ヴァルド様が欲しいです。貴方の孤独も、優しさも、全部」
私が抱きつき返すと、ヴァルド様は安堵の息を漏らし、私を強く、壊れ物を扱うように抱きしめた。
二人の間には、言葉はいらなかった。
ただ、互いの体温と鼓動を感じ合うだけで、魂が溶け合っていくような感覚。
執務室の机の上で抱き合う公爵と令嬢。
はたから見れば不謹慎極まりないが、周りの精霊たちが『もっとやれー!』とハートマークを飛ばしているので、まあ良しとしよう。
◇
甘い時間は、唐突な爆発音によって破られた。
ドォォォォン!!
「……なんだ!?」
ヴァルド様が弾かれたように顔を上げる。
振動は屋敷の地下、宝物庫の方角からだった。
「まさか、敵襲か?」
ヴァルド様の表情が一瞬で「氷の公爵」に戻る。
私もドレスを整え、彼に続く。
「精霊たち、何があったの!?」
私が問いかけると、壁をすり抜けて煤だらけの精霊が飛び込んできた。
『アリア! 大変!』
『あの馬鹿な男と女が、宝物庫の扉を爆破した!』
『変な黒い石を使って、結界を破ったんだ!』
「ギルバート殿下たちが!?」
信じられない。
いくら何でも、公爵家の宝物庫を爆破強盗するなんて、一国の王族のやることではない。
いや、彼らはもう追い詰められて、正常な判断ができなくなっているのかもしれない。
「……私の屋敷で盗っ人猛々しい」
ヴァルド様が低く唸る。
「アリア、離れるなよ。……今度こそ、引導を渡してやる」
◇
私たちは地下へと急いだ。
煙の充満する廊下を抜けると、破壊された宝物庫の扉の前で、ギルバート殿下とミラが立っていた。
二人は宝物庫の中から、金目のものや魔道具を必死に袋に詰め込んでいた。
「あった! これだ、これがあれば!」
ミラが手にしていたのは、青白く光る大きな結晶石だった。
それはアイスバーグ家に代々伝わる秘宝『永久氷晶(エターナル・クリスタル)』。
強大な氷の魔力を秘めた魔石だ。
「これさえあれば、私だって精霊を従えられるはずよ! お姉様なんかよりずっとすごい力が手に入るわ!」
ミラは狂ったような目で叫んでいる。その手には、不気味に脈打つ「黒い石」が握られており、それが永久氷晶の光を濁らせていた。
「そうだ! それを持って王都へ帰るぞ! この氷男の財産も全部没収だ!」
殿下も王冠やら宝石やらを抱えて笑っている。
「……何をしている」
氷点下の声が響き、二人がビクリと振り返った。
そこには、怒りすら通り越して無の表情を浮かべたヴァルド様と、私が立っていた。
「げっ、公爵!?」
「ま、また邪魔をするのね!」
「邪魔をしているのはどちらだ」
ヴァルド様が右手をかざす。
「我が家の秘宝に汚い手で触れるな。……死にたいのか?」
ヒュオッ!
無数の氷の槍が空中に生成され、二人に向かって切っ先を向ける。
殿下は悲鳴を上げて腰を抜かしたが、ミラは違った。
彼女は黒い石を掲げ、叫んだのだ。
「来なさい! 氷の精霊王!」
その瞬間、黒い石からドス黒い瘴気が噴き出した。
それは強制的に精霊を支配し、使役する禁忌の術だった。
『グググ……ッ!』
ヴァルド様の背後にいた氷の精霊王(仮)が、苦しげに呻き声を上げた。
黒い鎖のようなものが、精霊王の体に巻きつき、引きずり出そうとしている。
「なっ……!?」
ヴァルド様が驚愕に目を見開く。
「精霊王を、強制支配だと?」
「あははは! すごい! 言うことを聞くわ! やっぱり私は聖女なのよ!」
ミラは勝ち誇った顔で私を見た。
「見てなさいお姉様! 貴女の得意な精霊も、私のこの力の前では無力よ! さあ精霊王、その二人を凍らせておしまい!」
黒い石の力で理性を失いかけた精霊王が、ゆっくりと私たちの方へ巨大な腕を振り上げる。
その瞳は赤く染まり、暴走状態にあった。
「くっ……精霊王、鎮まれ!」
ヴァルド様が自身の魔力で抑え込もうとするが、黒い石の干渉が強く、拮抗している。
このままでは、屋敷ごと吹き飛ぶかもしれない。
「ミラ、やめて! それは精霊を苦しめているだけよ!」
私は叫んだ。
「うるさい! 黙れ地味女!」
精霊たちの悲鳴が聞こえる。
『痛いよー!』
『苦しいよー!』
『親分が壊されちゃう!』
許せない。
私の大切な人たちを傷つけ、精霊たちを道具として扱い、苦しめるなんて。
私の中で、何かがプツンと切れた。
「……いい加減に、しなさいッ!!」
私は眼鏡を投げ捨て、一歩前へ踏み出した。
そして、全力で魔力を解放した。
ヴァルド様から先ほど受け取った膨大な魔力と、私自身の魔力が合わさり、黄金色のオーラとなって噴き上がる。
「全精霊に告ぐ! 我が名において命じる!」
私の声は、地下室の空気を震わせ、王都まで……いや、国中に響き渡るほどの威圧感を持っていた。
ミラが持っていた黒い石に、亀裂が入る。
「邪悪な鎖を断ち切れ! 光よ、闇を払え!」
カッッッ!!!
目も眩むような閃光が、私を中心に炸裂した。
それはただの光魔法ではない。
高位精霊、いや、精霊王クラスの力が、私の怒りに呼応して顕現した輝きだった。
「きゃあああああ!」
ミラの手の中で黒い石が粉々に砕け散り、彼女は吹き飛ばされた。
同時に、精霊王に巻きついていた黒い鎖が消滅する。
『オオオオオ……!』
正気を取り戻した氷の精霊王が、咆哮を上げた。
それは感謝の咆哮であり、そして自分を操ろうとした愚か者への断罪の合図だった。
「ひ、ひいいっ! 石が! 石がぁぁ!」
ミラは黒い粉になった石をかき集めようとして、泣き叫んでいる。
殿下は泡を吹いて気絶していた。
「……アリア?」
ヴァルド様が呆気にとられて私を見ていた。
私は肩で息をしながら、乱れた髪をかき上げた。
眼鏡がないせいで視界は少しぼやけているけれど、ヴァルド様の顔だけははっきりと見えた。
「……あの方たちを、お仕置きしましょう、ヴァルド様。もう我慢の限界です」
私が静かに告げると、ヴァルド様はハッとして、そして凶悪に笑った。
「ああ。喜んで。……地獄を見せてやろう」
「君が欲しい」と言われた直後の共同作業が、侵入者の撃退だなんて、色気はないけれど私たちにはお似合いかもしれない。
最強の精霊使いと、最強の氷魔法使い。
二人が本気でキレた時、王族だろうが何だろうが、もう止める術はなかった。
続く

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