「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

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第9話 公爵様の笑顔が破壊力抜群な件について

「あ、開けろ! この無礼者どもが! 僕は第二王子、ギルバートだぞ!!」

猛吹雪の吹き荒れる夜。
アイスバーグ公爵邸の重厚な玄関扉が、激しく叩かれた。
その音は、まるで遭難者が最後の力を振り絞っているかのように必死で、そしてどこか傲慢だった。

私はヴァルド様の隣に立ち、ゆっくりと深呼吸をした。
身に纏っているのは、ヴァルド様から贈られたアイスブルーのドレス。
氷蜘蛛の糸で織られたその生地は、シャンデリアの光を受けてオーロラのように輝いている。
背筋を伸ばし、顎を引く。
今の私は、誰かに虐げられるだけの令嬢ではない。

「……開けてやれ」
ヴァルド様の低い声が響く。
執事たちが頷き、重い閂(かんぬき)を外して扉を開け放った。

ヒュオオオオッ!!
凄まじい風と共に、雪崩のように白い塊が転がり込んできた。

「ぶへぇっ! さ、寒い! 死ぬかと思った!」
「きゃあああ! 私の肌が! 髪がぁぁ!」

玄関ホールの絨毯の上に倒れ込んだのは、見るも無残な姿の集団だった。
全身が氷漬けになり、眉毛も睫毛も真っ白。高級な毛皮のコートは雪でぐしょ濡れになり、見る影もない。
ガチガチと歯を鳴らし、鼻水を垂らしているその男が、かつての私の婚約者、ギルバート殿下だとは、誰も信じないだろう。
その横で芋虫のように丸まっているのが、妹のミラだ。

「よ、ようこそお越しくださいました。ギルバート殿下、ミラ」
私は努めて冷静に声をかけた。

私の声を聞き、ギルバート殿下がビクリと反応した。
彼は震える手で顔についた雪を払いのけ、充血した目でこちらを睨み……そして、固まった。

「あ……ア、アリア……?」

殿下は口を半開きにして、呆然と私を見上げていた。
無理もない。王都にいた頃の私は、地味な色の古着を着せられ、眼鏡で顔を隠し、いつも俯いていたから。
今の私は、公爵家の宝石を身につけ、肌は艶やかで、自信に満ちている。

「な、なんだその恰好は……! ずいぶんと……き、綺麗に……」
殿下は言葉を失い、食い入るように私を見つめた。その瞳に浮かんでいるのは、驚愕と、そして卑しい独占欲だ。

「ふん。やはりな」
殿下はニヤリと歪んだ笑みを浮かべ、よろよろと立ち上がった。
「僕が来ると聞いて、精一杯めかし込んだわけか。健気なやつめ。……これなら、隣を歩かせても恥ずかしくはないな」

……はい?
私は我が耳を疑った。この期に及んで、まだそんな都合の良い解釈ができるなんて、ある意味才能かもしれない。

「お姉様……!?」
ミラも起き上がり、私を見て悲鳴のような声を上げた。
「なによそれ! そのドレス、見たことない素材だわ! それにそのネックレス、国宝級の琥珀じゃない! ずるい、ずるいわ! 私が聖女なのに!」

「騒がしい」
氷点下の声が、二人の喚き声を断ち切った。

ヴァルド様が一歩前に出た。
その瞬間、玄関ホールの空気がビリビリと震えた。
身長190センチを超える巨躯に、漆黒の騎士服。その瞳は絶対零度のアイスブルー。
背後には、今日も今日とて巨大な氷の精霊王(仮)が仁王立ちし、ギルバート殿下たちを見下ろしている。

『あ、この男だ! アリアを捨てた馬鹿な男!』
『凍らせちゃえ!』
『鼻の頭に氷柱(つらら)作ってやる!』

精霊たちが殿下の周りを飛び回り、悪戯を開始した。
「ひっ!? な、なんだこの寒気は!」
殿下が悲鳴を上げて後ずさる。

「私の屋敷で喚くな。……不愉快だ」
ヴァルド様が冷徹に見下ろすと、殿下は真っ青になりながらも、虚勢を張って胸を反らせた。

「き、貴様がアイスバーグ公爵か! 僕は第二王子だぞ! 出迎えもせず、この態度はなんだ!」
「遭難者が勝手に転がり込んできただけだろう。……本来なら不法侵入で叩き出すところだが、アリアの知人だというから入れてやったのだ。感謝しろ」

「なっ……! 不法侵入だと!? 僕はアリアを迎えに来てやったんだ! その女は僕の婚約者だぞ!」

「元、です」
私はきっぱりと訂正した。
「婚約は破棄されました。殿下ご自身の口で宣言されたはずです」

「あ、あれは言葉のあやだ! ちょっとした痴話喧嘩だろう!」
殿下は鼻息荒く私に詰め寄ろうとした。
「アリア、もういい。許してやる。王都の天気もお前の機嫌のせいで荒れているようだが、僕が迎えに来たんだから機嫌を直せ。さあ、一緒に帰るぞ」

手を伸ばして私の腕を掴もうとする殿下。
しかし、その手が私に届くことはなかった。

ガシッ。
ヴァルド様の手が、殿下の手首を万力のように掴み上げたのだ。

「い、いっ……!?」
「私の妻に、触れるな」

ヴァルド様の声は静かだった。
けれど、そこに含まれる怒気は、外の吹雪よりも激しかった。
掴まれた殿下の手首が、ミシミシと音を立て、うっすらと霜が降りていく。

「つ、妻だと!? ふざけるな、王家の許可もなく結婚など認められるか!」
「辺境伯には戦時特権がある。緊急時における婚姻の自由もな。……そして今、我が領は貴殿ら王家の失政による食糧難という『緊急時』にある」

ヴァルド様は殿下の手首を乱暴に振り払った。
殿下は「ひぃっ」と情けない声を上げて尻餅をつく。

「ま、待ってください! 公爵様!」
それまで震えていたミラが、猫なで声を出して割って入ってきた。
彼女はボサボサの髪を必死に整え、上目遣いでヴァルド様を見つめた。
「誤解ですわ。お姉様は嘘つきなんです。昔から虚言癖があって……きっと公爵様も騙されているんです!」

ミラは涙を溜めた瞳(演技)でヴァルド様にすり寄る。
「可哀想な公爵様。こんな冷たい場所で、お寂しいでしょう? 私が聖女の祈りで、貴方様の心を溶かして差し上げますわ」

彼女はヴァルド様の腕に触れようとした。
その瞬間。

『うわっ、触るな!』
『ヴァルドが汚れる!』
『カチカチになれー!』

ヴァルド様を守護する氷の精霊たちが一斉に反応した。
パキパキパキッ!
ミラの足元の絨毯が、一瞬にして凍りついた。

「きゃあああああっ!?」
ミラは滑って派手に転倒し、スカートがめくれ上がった。
聖女にあるまじき無様な姿だ。

「……私の心を溶かせるのは、アリアだけだ」
ヴァルド様はミラを一瞥もしない。
まるで汚物を見るような目だった。
「それに、私の屋敷が冷たいだと? ……ここは、世界で一番温かい場所だ」

ヴァルド様が私の方を向き、ふわりと表情を緩めた。
その瞬間、張り詰めていた氷の空気が一変した。
春の陽射しのような、とろけるように甘く、優しい微笑み。

「そうだろう? アリア」

ドキンッ。
心臓が大きく跳ねた。
な、なにその笑顔!? 破壊力が高すぎる!
いつも無表情なヴァルド様が、私だけにこんな顔を見せるなんて反則だ。
周りのメイドたちが「はわわ……」と頬を染めて倒れそうになっている。

「は、はい……。とても、温かいです」
私が真っ赤になって答えると、ヴァルド様は満足そうに目を細め、私の腰を抱き寄せた。

それを見たギルバート殿下は、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「な、なんなんだ貴様らは! 見せつけやがって! 大体、なんだこの屋敷は! 外は吹雪なのに、なんで中はこんなに暖かいんだ!?」

「アリアのおかげだ」
ヴァルド様は誇らしげに言った。
「彼女が来てから、屋敷の暖炉は消えることがない。食事は美味く、風呂は温かく、花は咲き誇っている。……アリアこそが、この屋敷の太陽だ」

「う、嘘だ! そんなはずがない!」
殿下は叫んだ。
「アリアは無能だ! 地味で、可愛げがなくて、なんの役にも立たない女だ! それが、こんな……こんな……!」

殿下は悔しそうに周りを見渡した。
王都の王宮よりも遥かに快適で、美しく整えられた空間。
そして何より、幸せそうに微笑む私。
自分が捨てたものが、どれほど価値のあるものだったのか、認めざるを得ない光景がそこにあった。

「……お腹、空きました」
ふと、ミラが小さな声で言った。
「ここに来るまで、何も食べてないの……。スープのいい匂いがする……」

確かに、食堂からはガストンさんが作った特製シチューの香りが漂ってきていた。
殿下のお腹も、グゥ〜と情けない音を立てた。

「……仕方ない」
ヴァルド様は溜息をついた。
「追い返そうにも、外はこの嵐だ。死なれても目覚めが悪い。……客室へ案内しろ。食事も出してやれ」
「はっ」

執事が二人を促す。
殿下は「ふん、当然の報いだ!」と捨て台詞を吐きながらも、スープの匂いに釣られてふらふらと奥へ消えていった。

◇

「……よかったのですか? あの方々を泊めてしまって」
二人が去った後、私はヴァルド様に尋ねた。
ヴァルド様は私の肩を抱いたまま、窓の外の猛吹雪を見つめた。

「精霊たちが、帰さないと言っているからな」
「え?」
「外の嵐は、自然のものではない。風と雪の精霊が、屋敷の周りに結界のように張り巡らせている。……あいつらを閉じ込めるためにな」

ヴァルド様はニヤリと笑った。
その笑顔は、先ほどの私に向けた甘いものとは全く違う、獲物を追い詰める捕食者の笑みだった。

「ただ帰すだけでは生温い。……たっぷりと見せてやろうじゃないか。彼らが捨てた『地味な女』が、ここではどれほど愛され、敬われ、幸せに暮らしているかを。そして、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを、骨の髄まで理解させてやる」

それは、精神的な拷問宣言だった。
「ヴァルド様……性格が悪いです」
「君を傷つけた連中だ。これでも手加減しているつもりだが?」

ヴァルド様は悪戯っぽく私にウィンクした。
「それに、明日からは君の『信者』たちも黙っていないだろうしな」

◇

翌朝。
嵐はまだ続いていたが、屋敷の中は平和そのものだった。
食堂に行くと、ギルバート殿下とミラが既に席についていた。
二人は出された朝食――焼きたてのパン、新鮮なサラダ、オムレツ、そして温かいスープを、犬のように貪り食っていた。

「う、うまい……! なんだこのパンは! 王都のパンより柔らかいぞ!」
「野菜が……甘い……! 久しぶりにまともな食事だわ……!」

王都の食糧難は深刻なようだ。
彼らの食い意地の張った姿を見て、給仕をするメイドたちが冷ややかな視線を送っている。

そこへ、私とヴァルド様が入室した。
「おはようございます」
私が挨拶すると、メイドたちの表情が一瞬で明るくなり、全員が深々と頭を下げた。
「おはようございます、アリア様! 今朝のハーブティーは最高ですよ!」
「アリア様、後で温室の蕾を見てください! また新しい花が!」

その態度の落差に、殿下はパンを詰まらせそうになった。
「げほっ! ……おい、アリア。お前、使用人たちに何を吹き込んだんだ。なんで僕よりお前の方が敬われているんだ」

「人徳、というやつだろう」
ヴァルド様が私の椅子を引きながら答えた。
「ここでは誰もがアリアを愛している。……お前たち以外はな」

その時、食堂の窓がコンコンと叩かれた。
見ると、窓の外に人影がある。
いや、一人や二人ではない。数十人の村人たちが、吹雪の中を訪ねてきていたのだ。

「公爵様! アリア様! お届けものです!」
「南の森で採れた珍しいキノコを持ってきました!」
「アリア様にお手紙を書いてきたの!」

彼らは「アリア教」と化した領民たちだった。
私が王都からの客人にいじめられている(という噂が光の速さで広まっていた)と聞きつけ、応援に駆けつけたのだ。

「な、なんだあの連中は……暴動か!?」
殿下が怯える。

「いいえ、私の大切な友人たちです」
私は窓を開けさせた。冷たい風が入ってくるが、それ以上に村人たちの熱気がすごい。

「アリア様! 大丈夫ですか!? 変な男が来たって聞きましたけど!」
「俺たちが追い返しましょうか!?」
村の屈強な男たちが、鍬や斧を持ってギルバート殿下を睨みつける。

「ひぃっ!?」
殿下は椅子から転げ落ちた。
「な、なんなんだこの野蛮人どもは! 僕は王子だぞ!」

「王子? 知らねえな」
村長が鼻を鳴らした。
「俺たちが知ってるのは、俺たちを飢えから救ってくれたアリア様と、俺たちを守ってくれる公爵様だけだ。お前さんが誰だか知らねえが、アリア様を泣かせたら、この村全員、いや、領民全員が黙っちゃいねえぞ!」

「そ、そうだー!」
「帰れー!」
「アリア様は俺たちの女神だー!」

シュプレヒコールが巻き起こる。
ミラは真っ青になって震えている。
「う、嘘よ……。お姉様が、こんなに支持されてるなんて……。王都では誰も見向きもしなかったのに……」

私は村人たちに向かって手を振った。
「みんな、ありがとう! でも大丈夫よ。ヴァルド様が守ってくれているから」

私がそう言うと、ヴァルド様が私の肩に手を置き、村人たちに向かって力強く頷いた。
「安心しろ。私の目の黒いうちは、アリアに指一本触れさせん。……それに、こいつらはただの『見学者』だ。自分たちが捨てた幸せを指をくわえて見ているだけのな」

ヴァルド様の言葉に、村人たちはドッと笑った。
「なんだ、見学者か!」
「ざまぁみろってやつだな!」
「後悔しても遅いぞー!」

ギルバート殿下は顔を真っ赤にして、しかし何も言い返せなかった。
圧倒的な「アウェー」の空気。
そして何より、私の隣に立つヴァルド様が向ける、あの「笑顔」が怖すぎたからだ。

ヴァルド様は私を見るときは目を細めて優しく微笑むのに、殿下の方を向く時だけ、口角だけを吊り上げた冷酷な笑みを浮かべていた。
その笑顔は雄弁に語っていた。
『生きて帰れると思うなよ』と。

「く、くそっ……! 覚えてろ! 僕にはまだ切り札があるんだ!」
殿下は震える声で捨て台詞を吐いた。
「聖女ミラの力が目覚めれば、こんな田舎、一瞬でひれ伏させてやる!」

ミラがビクッと体を震わせたのを、私は見逃さなかった。
目覚めるも何も、彼女には力なんてない。
その残酷な真実が露呈する時が、刻一刻と迫っていた。

「楽しみにしておりますわ、聖女様」
私がにっこりと微笑むと、ミラは「ひぃっ」と悲鳴を上げてヴァルド様の背後に隠れようとし、氷の精霊に足を踏まれて泣き出した。

アイスバーグ公爵邸での、奇妙な同居生活。
それは、彼らにとっての地獄の釜の蓋が開いた瞬間でもあった。

続く

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