「地味で可愛げがない」と婚約破棄された精霊使い、氷の公爵家に拾われる。~今さら戻れと言われても、最強の旦那様が許しません~

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第8話 枯れた大地を蘇らせたら、感謝されすぎて困ります

公爵領に春を呼ぶプロジェクトは、予想を遥かに超えるスピードで進展していた。
試験農場での成功は、風の精霊たちの噂話よりも速く、領内全土へと広まったらしい。
翌日から公爵邸には、各地の村長や町長たちからの嘆願書が山のように届き始めたのだ。

「どうか、我々の村にも救いを!」
「井戸が枯れてしまいました。女神様のお力をお貸しください!」
「作物が育たず、子供たちが飢えています……」

執務室の机に積み上げられた手紙の山を見て、ヴァルド様は眉間に深い皺を寄せていた。
その表情は、魔獣の大群を前にした時よりも険しい。

「……アリア。これらを全て聞き入れる必要はない。君は一人しかいないし、身体は一つしかないのだから」
彼は心配そうに私を見た。
「君の魔力が尽きれば、倒れてしまうかもしれない。私は君を酷使するためにここに置いているわけではないんだ」

「ヴァルド様、お気遣いありがとうございます」
私は彼の手を取り、安心させるように微笑んだ。
「でも、大丈夫です。精霊たちは、むしろ『もっと遊びたい!』『活躍したい!』ってウズウズしているんです。それに……」

私は一枚の手紙――子供の拙い字で書かれた「おねがいします」という手紙を指でなぞった。
「私、今まで『無能』だと言われて生きてきました。誰かの役に立てるのが、こんなに嬉しいことだなんて知らなかったんです。だから、やらせてください」

私の決意の固さを感じ取ったのか、ヴァルド様は深く溜息をつき、そして諦めたように、しかし優しく微笑んだ。
「……分かった。君がそう言うなら止めない。だが、条件がある」
「条件、ですか?」
「私も同行する。移動は全て私が抱えて行うし、君が少しでも疲れた顔をしたら即座に強制送還する。……いいな?」

その過保護ぶりに、私は思わず噴き出してしまった。
「ふふ、はい。承知いたしました、私の過保護な旦那様」



かくして、私たち「公爵領救済ツアー」が始まった。
最初に向かったのは、領の西部に位置する鉱山街だった。
ここはかつて豊かな鉱脈で栄えていたが、ここ数年の寒波で地下水脈が凍結し、生活用水すら不足する深刻な事態に陥っていた。

「よ、よくぞお越しくださいました、公爵様! それにアリア様!」
街の代表者が涙ながらに出迎えてくれる。
街の人々の顔や服は煤けており、水を自由に使えない苦労が滲んでいた。

「水が出ないため、風呂にも入れず、鉱石の洗浄もできません。このままでは街は死んでしまいます」
悲痛な訴えを聞きながら、私は静かに目を閉じて意識を集中させた。
精霊の視界を通して、地下の様子を探る。

『ここだよー』
『冷たくて動けないよー』
『岩が邪魔してるの』

深い、深い地下の底から、微かな水の精霊たちのSOSが聞こえる。
寒さで凍りついているだけでなく、地殻変動で岩盤がずれ、水脈を塞いでしまっているようだ。

「……分かりました。水脈が岩に阻まれています。それをどかして、凍った道を溶かせば、また水は流れます」
私がそう告げると、代表者は絶望的な顔をした。
「岩盤を砕くには、ダイナマイトを使っても数ヶ月はかかります……」

「いいえ、そんなに時間はかかりません。……ヴァルド様、お願いします」
私は隣に立つヴァルド様に合図を送った。
「あの地点の地下深くに、細くて鋭い氷の杭を打ち込んでください。岩盤に亀裂を入れるだけでいいんです」

「承知した」
ヴァルド様が片手を上げる。
その周囲に、きらめく氷の魔力が収束していく。
「……穿て」

ズドンッ!!
音と共に、地面が僅かに揺れた。
目には見えないが、地下数百メートルで、精確無比な一撃が岩盤を貫いたのが分かった。
さすが、魔獣を一撃で仕留めるコントロールだ。

「よし。次は私の番ね。……土の精霊ノーム、亀裂を広げて道を作って! 火の精霊サラマンダー、地熱を借りて氷を溶かして!」

私の呼びかけに応じ、大地が低く唸りを上げた。
ゴゴゴゴゴ……。
地面の揺れが大きくなり、村人たちが悲鳴を上げて身を寄せ合う。
そして、次の瞬間。

プシュアァァァァァッ!!

街の中央にあった枯れ井戸から、猛烈な勢いで水柱が噴き上がった。
いや、ただの水ではない。湯気だ。
「あ、熱い!? これ、お湯だぞ!」
「温泉だ! 温泉が出たぞー!!」

そう、火の精霊に地熱を上げてもらった結果、冷たい地下水が天然の温泉へと変わったのだ。
降り注ぐ温かい湯の雨に、人々は歓喜の声を上げて飛び込んでいく。
「あったけえええ!」
「生き返る! 生き返るぞぉぉ!」

「お、温泉まで掘り当ててしまうとは……」
ヴァルド様も驚いて目を瞬かせていたが、すぐに満足げに頷いた。
「これで、この街は観光地としても復興できるな」
「はい。北国で露天風呂なんて、きっと人気が出ますよ」

鉱山街の人々の感謝は凄まじかった。
「アリア様は女神だ!」
「このお湯は『アリアの湯』と名付けよう!」
「いや、銅像を建てよう! 広場の真ん中に!」

「えっ、ど、銅像はやめてください! 恥ずかしいですから!」
私が慌てて止めると、彼らは残念そうにしながらも、代わりに大量の鉱石(宝石の原石含む)を馬車に積み込み始めた。
「せめてこれを受け取ってください!」
「俺たちが掘った一番いい石です!」

「こんなに貰えません!」
「いいえ、命の恩人ですから!」
押し問答の末、結局馬車が傾くほどの宝石を持ち帰る羽目になってしまった。



次に向かったのは、穀倉地帯の村だった。
ここでは土壌が痩せ細り、何を植えても枯れてしまうという。
私は土の精霊と植物の精霊に協力を仰ぎ、腐葉土を一瞬で熟成させ、大地に栄養を行き渡らせる魔法を行使した。
さらに、ヴァルド様の氷壁で防風林を作り、作物を守る体制を整えた。

結果、一晩で枯れ木に花が咲き、麦が芽吹くという奇跡が起きた。
村人たちは涙を流して感謝し、今度は山盛りの野菜や保存食、そして村に伝わる伝統織物を献上してきた。

「アリア様のために織ったのです!」
「この布でドレスを作ってください!」
「いや、俺の家の権利書を……」
「私の娘を侍女に……!」

感謝の気持ちが重すぎる。
特に「家の権利書」とか言い出したお爺さんを止めるのには苦労した。

行く先々で奇跡を起こすたび、私の二つ名は増えていった。
『豊穣の女神』『温泉の聖女』『北の救世主』……。
挙句の果てには、私の似顔絵を描いたお守りが出回り始め、それを拝むと商売繁盛や夫婦円満のご利益があるという噂まで流れ始めた。

「……アリア。君の人気は天井知らずだな」
ある日の移動中、馬車の中でヴァルド様が少し拗ねたように言った。
その膝の上には、村人から押し付けられた『アリア様饅頭(私が監修したわけではない)』が置かれている。

「困りました……。私はただ、精霊たちにお願いしているだけなのに」
「それこそが稀有な才能なのだ。……だが」
ヴァルド様の手が伸びてきて、私を強く抱き寄せた。
馬車の中だというのに、彼の顔が近い。

「皆が君を崇めるのは構わない。だが、君が誰のものかは、はっきりさせておかねばな」
「ヴァルド様……?」
「君は女神などではない。私の、愛しい妻だ。……偶像として祀り上げられるより、一人の女性として私に愛されていてほしい」

彼の切実な瞳に、胸がキュンとなる。
彼は私が「みんなのアリア様」になって遠くへ行ってしまうのではないかと、不安に思っているのかもしれない。
「当たり前です。私はヴァルド様の隣にいる時が、一番幸せですから」

私がそう伝えると、彼は安心したように表情を緩め、私の首筋に顔を埋めた。
「……ならいい。だが、あの銅像建設の計画だけは阻止せねばな。君の美しさを石塊などで表現できるわけがない」
「そこですか!?」

そんな平和で、少し気恥ずかしい日々。
私たちは知らなかった。
この幸せな光景の裏側で、北の雪山に挑む愚かな者たちが、地獄を見ていることを。



「ハックション!! ……寒い、寒すぎるぞ!!」

公爵領へと続く山岳地帯。
そこは、一年中猛吹雪が吹き荒れる魔の領域だ。
王都から派遣されたギルバート王子とその一行は、今まさに遭難寸前だった。

「どうなっているんだ! 地図ではここは街道のはずだろう!?」
ギルバートは膝まで埋まる雪の中で絶叫した。
豪華な王族の衣装は雪に濡れて重くなり、自慢の金髪も凍りついてバリバリになっている。
隣にいるミラに至っては、寒さのあまり化粧がひび割れ、唇は紫色になり、もはや「聖女」の面影はない。

「で、殿下ぁ……もう無理ですぅ……帰りたいぃ……」
「黙れ! ここまで来て帰れるか! アリアはすぐそこにいるんだぞ!」

彼らがこれほどまでに苦戦しているのには理由があった。
もちろん、自然の猛威もある。
だがそれ以上に、この山を守る精霊たちが、彼らを「拒絶」しているのだ。

『あ、あいつだ! アリアをいじめた悪い男!』
『臭いぞー、欲の匂いがプンプンするぞー』
『ここを通すな! 雪崩を起こせー!』

精霊たちにとって、アリアは愛すべき友であり、主だ。
そのアリアを傷つけた男が、のこのこと彼女を連れ戻しに来たとなれば、精霊たちの怒りは頂点に達する。

風の精霊が、ギルバートの顔面にだけ集中的に突風を浴びせる。
「ぐわっ!? なぜ僕の顔ばかり!」
氷の精霊が、彼の足元の雪を凍らせてツルツルにする。
「うわっ!?」
ドスンッ!
派手に転んだギルバートの上に、木の精霊が枝から大量の雪を落とす。
ドサササッ!

「ぶへぇっ!!」
雪だるまのようになった王子を見て、護衛の騎士たちも助けるどころではなかった。彼らもまた、謎の腹痛や装備の破損に見舞われていたからだ。

「これは……呪いだ……」
近衛騎士隊長が青ざめて呟く。
「北の魔女の呪いだ……我々は足を踏み入れてはいけない場所に来てしまったのでは……」

「呪いなどあるか! これは……そう、アリアだ! アリアが僕を試しているんだ!」
ギルバートは錯乱気味に叫んだ。雪まみれの顔で、目だけが異様にギラギラしている。
「これは『愛の試練』だ! この困難を乗り越えて迎えに来てくれるか、僕の愛を試しているに違いない! 待ってろアリア、今行くぞ! 僕が君を許してやるからな!」

完全に認知が歪んでいた。
彼は自分が「許す」側だと思い込んでいる。
その傲慢さが、さらに精霊たちの神経を逆撫でするとも知らずに。

『うわー、勘違い男だー』
『キモーい』
『もっと埋めちゃえ!』

さらに激しくなる吹雪の中、一行の行軍は、牛の歩みのように遅々として進まなかった。



一方、公爵邸。
視察から戻った私は、久しぶりに屋敷の大浴場に浸かっていた。
ここも私の改革により、温泉が引かれている。
広々とした湯船からは雪景色が見渡せ、極楽そのものだ。

「はぁ……生き返る……」
お湯につかりながら、ふと窓の外を見る。
遠くの山々が、分厚い雪雲に覆われているのが見えた。

『アリア、アリア』
湯気の中から、小さな水滴のような精霊が現れた。
遠くの風の精霊からの伝言役だ。
『あのね、変な集団が山で立ち往生してるって』
『雪だるまになって転がってるって』
『「アリアが僕を試してるんだー」って叫んでるって』

その報告を聞いて、私は呆れて溜息をついた。
「……まだ懲りていないのね、ギルバート殿下」

正直、精霊たちのイタズラだけで追い返せれば一番良いのだが、相手は一国の王子だ。
騎士団も連れているし、おそらく魔法道具なども持っているだろう。
ボロボロになりながらも、いずれはここへ辿り着くはずだ。

「まあ、いいわ」
私はお湯をすくい上げ、パシャリと顔にかけた。
「来るなら来なさい。今の私は、もうあなたの顔色を窺うだけの『壁の花』じゃない」

お風呂から上がり、部屋に戻ると、ヴァルド様が待っていた。
湯上がりの私の姿を見て、彼は一瞬言葉を失い、それから顔を真っ赤にして背けた。

「……あー、その。湯加減はどうだった?」
「最高でした。ヴァルド様も入ってくればよかったのに」
「い、一緒にか!?」
「いえ、交代で、という意味ですが……」

私が首を傾げると、彼は「そ、そうか、そうだよな」と独り言を呟きながら、落ち着かなげに咳払いをした。
「……アリア。例の客だが、予想より到着が遅れているようだ」
「ええ、精霊たちから聞きました。随分と山で遊んでもらっているようで」

「ふん。自業自得だ」
ヴァルド様は冷ややかに笑った。
「だが、到着した時が本番だ。……アリア、君に渡したいものがある」

彼が差し出したのは、一着のドレスだった。
それは、彼が以前「王都の流行を取り寄せた」と言っていたものとは明らかに違う。
深いアイスブルーの生地に、銀糸で精緻な刺繍が施されている。
その刺繍は、雪の結晶や、北国特有の花々を描いていた。
そして何より、布地そのものが微かに魔力を帯びて輝いている。

「これは……?」
「氷蜘蛛の糸と、光の精霊の織り成した布で作らせた。……公爵夫人のための、正装だ」

ヴァルド様は真剣な眼差しで私を見つめた。
「あいつが来たら、君を断罪しようとするか、連れ戻そうとするか、どちらかだろう。だが、このドレスを纏った君は、誰よりも気高く、美しい。……堂々と胸を張って、あいつを見下ろしてやればいい」

彼の想いが込められたドレス。
それは、私にとって最強の鎧だった。
「ありがとうございます、ヴァルド様。……これを着て、あの方との過去に、完全に決着をつけます」

私はドレスを胸に抱きしめた。
来るべき対決の時は近い。
でも、不思議と怖くはなかった。
私には、最強の旦那様と、たくさんの精霊たち、そして領民たちの想いがついているのだから。

「さあ、準備は万端です。……いつでもいらっしゃい、元婚約者様」

窓の外で、風がヒュオオと鳴いた。
それは開戦の合図のようにも、あるいは勝利の凱歌のようにも聞こえた。

続く

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