理系のオカルト研

ノベルバユーザー626957

幽界 丑三つ時の決戦

『丑三つ時の決戦』

一歩、足を踏み入れると場の空気は一気に重くなった。
耳鳴りが激しさを増している。
それでいて辺りは静まり返っている。

「いのさん‥‥あれ‥」
「あぁ、そこにおるな」

異様な黒いモヤは人影のように揺れている。
敵意こそ感じられないが、歓迎されていないことは十分に感じ取れる。

「汝等、ここに何しに来た」
喋っている‥‥が声ではない。脳に直接語りかけているようだ。
いのにもその声は届いている。
聞きたいのはこちらも同じ。
「是非、こちらの質問にも答えてもらいたいな」

黒いモヤが人影を成した、その瞬間だった。
背後で、空気が“軋んだ”。
パキパキ!

「……来るぞ」
サトが低く告げる。


振り返る間もなく、視界の端を何かが横切った。
人の形を保っていない、歪んだ影。
感情だけが剥き出しになったような存在。
ビリビリとつんざくような圧が、凄まじく2人を襲う。

耳鳴りが一気に強まる。鼓膜が破れそうだ。
Voyagerがすべてに反応を示して警告音が止まらない。
頭痛と吐き気が同時に押し寄せた。
配信を見るリスナーのコメントはいっさい動いていなかった。
皆が見入っていた。

『———』

言葉にならないノイズが、直接脳を掻き乱す。

「っ……!」

足が竦む。
逃げ場はない。

その時、黒い影が一歩、前に出る。

『去れ!』
祖母の霊が叫ぶ。
そう聞こえた感じがした。

後退りする2人。
その“圧”だけで、まわりの空間が震える。

歪んだ影がこちらに飛びかかろうとした瞬間、
いのが短く印を切る。


「急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」
いのは叫んだ。
目の前から風が舞い上がり、風の壁が両者を隔てる。
休む間も無く両手を口元にもっていき印を結ぶ。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前
(りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん)」

眩い光が降り注ぎ、時が止まったかのように静まりかえる。

『お前たちは何者ぞ‥‥』


次の瞬間、歪んだ霊は黒い霧となって霧散した。
消滅ではない。
弾き出されたのだ。
「またすぐに来るやろな」

耳鳴りが、嘘のように引いていく。
静寂。

その静けさも束の間‥
視線を戻すと弾き出されたはずの霊が目の前にいた。

『害なき者に害を成すもの。出て行け!』
霊はそれだけ言うと、先程より強い霊気を放ちながら人影に変化する。
先ほどよりもはっきりと。くっきりと。
祖母の姿がそこにいた。
写真立てにあった顔と認識できるくらいに、霊体とは思えないほど生々しく存在していた。

霊がこちらへ滲むように近づいた瞬間、空気が不自然に鳴った。

「……?」

違和感を、いのも感じ取っていた。
一瞬、周囲を見回す。

霊の動きが僅かに鈍る。

『——— ️』

霊がこちらに触れる前に、何かが先に触れる。

それは光でも、言葉でもない。
ただ、懐かしい匂いだった。

霊は明らかに怯んだ。
「こ、これは!」

「……結界やな」
いのは呟く。

だが、ここには結界など張っていない。
張れるはずの者も、いない。

祖母の霊が、ゆっくりと振り向いた。

『……娘のためか』

声に、僅かな揺れがあった。

歪んだ霊が、逃げるように後退する。
見えない“線”を越えられないかのように。

「今の……誰が?」

問うと、祖母の霊はしばらく黙っていた。

『我が娘よ…‥力までは遺伝はしておらんがの』

そう前置きしてから、続ける。

『だが、知っておった。
境の在り処も、越えてはならぬ線の意味も』

いのが、ため息をつく。

「……生者も死者も護りたい気持ちは同じや」

祖母の霊は、否定しなかった。

『気づかぬふりをして、ずっと見とったか』

その言葉だけで十分だった。
家の中の空気が、わずかに張りつめていた。

幽界との境は保たれている。
だが、完全ではない。

『……これ以上は、邪魔されてはかなわん。
決着をつけるとするかの‥‥』

祖母の霊は静かだが、譲るつもりはなかった。


「どないしよ、サトさん‥‥」

いのの言葉を遮るように、
廊下の奥で、微かな音がした。

「……?」
サトは顔を上げる。

次の瞬間。
ガチャ、と玄関の鍵が回った。

三人とも動きが止まる。

「……え?」

扉が開き、夜気が流れ込む。

「……やっぱり。まだ起きてた」

とみさんだった。
上着を羽織っただけの、いつもの姿。

「なんか眠れなくてさ。
変な感じして寝付けないし。検証は?」

目をこすりながら、家の中を見回す。

「あー。電気、つけっぱー」

その瞬間、
祖母の霊が、はっきりと息を呑んだ。

『……来よったか』

とみの視線が、何もないはずの空間で止まる。

「……何か言った?」

空気が、わずかに歪む。

「ねぇ、そこ……誰か、いる?」

いのは笑みを浮かべる。

「まだ、見えとらんが……感じとるな」

とみさんは首を傾げる。

「分かんないけど……ここ、落ち着かない」

無意識に、母親がお清めと言って盛り塩をする場所に立っている。

境界の中心。

祖母の霊が、一歩下がる。

『……やはりか』

声に、諦めにも似た色が混じる。

『運命か‥‥突き放しても、自ら戻ってくるか』

とみさんが、ぞくりと肩をすくめる。

「寒っ!……暖房、ついてる?」

その一言で、場の緊張がほんの少し緩んだ。

サトがとみの肩に手を置く。

「今日はもう終いだ。検証も終わった」

「え?」

「今夜はな……“境界”が乱れとる」

とみは一瞬、言いかけてやめた。

「……そっか。いの、なんかお母さんみたい笑」

そう言って、靴を履き直す。

その背中を見ながら、
祖母の霊が低く言った。

『……もう、交渉の必要ない』

いのが、ゆっくりと振り向く。

祖母の霊は、とみさんを見たまま答える。

『この子は、“守られる側”をすでに選んどる』

何も知らない顔で、欠伸を噛み殺している。

『……それでいい』

祖母の霊はそう呟いた。

玄関の外から母の呼ぶ声がする。

「……とみちゃん?来てる?」

眠そうな声。

「……とみ?」

「お母さん……」

母は、とみさんの顔を見て、ほんの一瞬だけ目を細めた。
しかし、それ以上は何も聞かなかった。

上着を羽織ったまま、少しだけ息を整えている。

「やっぱり、ここだったのね」

責める調子ではない。
確かめるような声音。

家の中を一度、見回す。
電気。
窓。
何もない廊下。

——何も、見えない場所。

母は、それで十分だった。

「夜中に出るなら、ひと声かけてよね」

「……ごめん」

母は、首を振る。

「いいの」

そして、ホテルへ戻っていった。



祖母の霊は、もう姿を見せていない。しかし、
居ることは感じられた。

母は、振り返らずに言った。

「夜中に男がいるとこに行くなんて大胆過ぎよ」

「ちょっとお母さん!そんなんじゃ無くて」

「お互いの境界線は超えたらダメよ。貴方たちも。今は閉じてるみたいだから良いけど」

最後の言葉。
誰に向けたものでもない。

けれど、確かに——届く相手がいた。

「2人も早く寝なさいね。おやすみ」

そう言って、扉を静かに閉める。

鍵の音。

夜が、完全に終わる。

何時間も経っているかのように感じる。
時計に目をやると、2時半を過ぎた頃だった。


「とみさんのお母さん、知っとったな。
お婆ちゃんがいたこと」

「あぁ。霊の娘だからな。触れないという選択も、護り方の一つなのかも知れないな」



検証は終わった。

祖母の霊らしきものが家の守り神として居る。
そう、とみさんに報告した。
そして、あまり気にしなくていいとも伝えた。
とみさんは笑顔で頷く。
「2人ともありがとう。また遊びに来てよ」

霊の存在意義が2人の中で変わっていく。

「真実は一つとは限らないって事か、いのさん」
「バーローw」
「何だと!」
大爆笑する2人の声が車から聞こえる。


——終。

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