『意図切』
その2『祖母』
『シズルシズル。』
ガボガボと水の中で喋っているかのような、不明瞭な声が鼓膜を揺らす。
静留は声をあげようとしたが、それは叶わなかった。
代わりにヒュッ、と喉が鳴る。
『シズシシシジズシシズル。』
思わず耳を塞ぐ。
視界の端でチラチラと濃い茶髪が揺れる。
先端からはポタポタと雫が垂れ落ち、僅かに腐敗臭が漂う。
静留の眼球は自分でも驚くほどギョロギョロと動いていた。
「着きましたよ。」
長い長い廊下を抜けて辿り着いたのはやや黄ばんだ白い襖の前。
「坊っちゃんはこの中に。」
振り返った老婆が薄く笑う。
続いて右手の壁際に下がり、どうぞと促す。
『シシズシシしズル。』
襖に手を伸ばした瞬間、声が大きくなる。
硬く目を瞑り、手探りで取っ手を探す。
震える指先に引っかかりを感じた静留は恐怖を振り払うかのように勢い良く襖を引いた。
その瞬間、ふわり、とどこか懐かしいような、落ち着くような香りが静留の鼻腔を撫でた。
今は亡き祖母の笑顔が瞼の裏に浮かび上がる。
唯一の孫である自分をとてもとても可愛がってくれた祖母の顔。
安堵感を覚え、閉じた瞼の端に涙が滲んだ。
同時にどうしようもないほど、静留は祖母が恋しくなる。
「お婆ちゃん…。」
無意識に声が漏れたのと同じくして、死にたいと言う気持ちが萌芽する。
「静留。」
瞼の祖母が自分を呼んだ気がした。
(お婆ちゃん…私もそっちに…。)
もう一度、心の中で祖母に語り掛ける。
「静留。」
先ほどよりも明瞭に声が聞こえたように思えた。
静留と祖母は離れて暮らしており、滅多に会えなかったが思い出すのは楽しかった日々ばかり。
いつも優しく笑っていた事やちょっと困るくらいに静留の好物を準備していた事、お父さんたちには内緒だよ、帰り際小遣いをくれた事などが浮かんでは消えていく。
それと同時に覚えたのは申し訳なさだった。
晩年は寝たきりとなり施設で過ごしていた祖母。
折り悪く大学受験のタイミングと重なり、遠方と言うこともあって見舞いに行けたのは一度きり。
枯れ枝のように細くなった祖母が「静留ちゃんがお嫁に行くまで生きていたいんだけどねえ…。」と涙声で漏らした事、「静留ちゃん、勉強も良いけど健康が一番だよ。婆ちゃんは静留ちゃんが元気なのが一番嬉しいよ。」と言って、帰り際に渡されたクシャクシャになったお札は今も使えず、大切に机の引き出しにしまってある。
数々の思い出が鮮明に蘇れば、強烈な違和感が湧き上がった。
そして、気付く。
祖母が自分を呼ぶのはいつも"ちゃん"付けだったことに。
ガボガボと水の中で喋っているかのような、不明瞭な声が鼓膜を揺らす。
静留は声をあげようとしたが、それは叶わなかった。
代わりにヒュッ、と喉が鳴る。
『シズシシシジズシシズル。』
思わず耳を塞ぐ。
視界の端でチラチラと濃い茶髪が揺れる。
先端からはポタポタと雫が垂れ落ち、僅かに腐敗臭が漂う。
静留の眼球は自分でも驚くほどギョロギョロと動いていた。
「着きましたよ。」
長い長い廊下を抜けて辿り着いたのはやや黄ばんだ白い襖の前。
「坊っちゃんはこの中に。」
振り返った老婆が薄く笑う。
続いて右手の壁際に下がり、どうぞと促す。
『シシズシシしズル。』
襖に手を伸ばした瞬間、声が大きくなる。
硬く目を瞑り、手探りで取っ手を探す。
震える指先に引っかかりを感じた静留は恐怖を振り払うかのように勢い良く襖を引いた。
その瞬間、ふわり、とどこか懐かしいような、落ち着くような香りが静留の鼻腔を撫でた。
今は亡き祖母の笑顔が瞼の裏に浮かび上がる。
唯一の孫である自分をとてもとても可愛がってくれた祖母の顔。
安堵感を覚え、閉じた瞼の端に涙が滲んだ。
同時にどうしようもないほど、静留は祖母が恋しくなる。
「お婆ちゃん…。」
無意識に声が漏れたのと同じくして、死にたいと言う気持ちが萌芽する。
「静留。」
瞼の祖母が自分を呼んだ気がした。
(お婆ちゃん…私もそっちに…。)
もう一度、心の中で祖母に語り掛ける。
「静留。」
先ほどよりも明瞭に声が聞こえたように思えた。
静留と祖母は離れて暮らしており、滅多に会えなかったが思い出すのは楽しかった日々ばかり。
いつも優しく笑っていた事やちょっと困るくらいに静留の好物を準備していた事、お父さんたちには内緒だよ、帰り際小遣いをくれた事などが浮かんでは消えていく。
それと同時に覚えたのは申し訳なさだった。
晩年は寝たきりとなり施設で過ごしていた祖母。
折り悪く大学受験のタイミングと重なり、遠方と言うこともあって見舞いに行けたのは一度きり。
枯れ枝のように細くなった祖母が「静留ちゃんがお嫁に行くまで生きていたいんだけどねえ…。」と涙声で漏らした事、「静留ちゃん、勉強も良いけど健康が一番だよ。婆ちゃんは静留ちゃんが元気なのが一番嬉しいよ。」と言って、帰り際に渡されたクシャクシャになったお札は今も使えず、大切に机の引き出しにしまってある。
数々の思い出が鮮明に蘇れば、強烈な違和感が湧き上がった。
そして、気付く。
祖母が自分を呼ぶのはいつも"ちゃん"付けだったことに。
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