『意図切』

空わかめ

その1『式沢静留』

閑静な住宅街。
今風のモダンな建物が立ち並ぶ東京の一角に存在する古びた日本家屋。
敷地をぐるりと囲む長い塀と幾つかの蔵やひょっこりと覗く手入れされた松の木からは威容と共に繁栄の面影を感じさせるが、同時に時代から取り残されたような異物感があった。

無地田(ムチタ)の表札が掲げられた門の前に立ち、都内の女子大に通う、式沢静留(シキサワ・シズル)は息を飲んだ。
喉が乾く。
蝉の鳴き声がうるさい。
ジリジリと照りつける煩わしい太陽。
彼女は決して暑さのせいではない、冷たくべとつく汗に不快感を覚えつつそっと呼び鈴を鳴らした。

漆喰で塗り固められた古風な作りの門からは、やや浮いた印象のあるカメラ付きインターホンのランプが赤く灯り、通話状態であることを静留へと知らせる。

「すいません…お電話した式沢なんですが…。」

無意識に胸の前で手を組む静留。
それは祈りの姿にも似ていた。

返事はない。

「あの…。」

沈黙に耐えきれず再度彼女が発声すると同時にいびつな音を立てて門が開く。

「暑い中、ご足労頂きまして。どうぞ、坊っちゃんがお待ちです。」

灰色の着物に小豆色の帯を締めた老女は出迎えた。
加齢のせいか曲がった腰で僅かに頭を下げると、右手でそっと静留を敷地内へと誘導した。

(優しそうな人だな…。)

老婆を見て、どこか他人事のように静留は思う。
思いつつ、一歩踏み出す。
脚が重い。

一瞥した後、老婆はすたすたと歩き出した。
見た目とは裏腹な軽やかな足取り。
静留は足早に後を追った。

時代劇に出てくるような玄関をあがって長い廊下を歩く。
涼しさを通り越して肌寒さを覚える空気、ギシギシとなる床板に不気味さを覚えながら、ふと静留は気付いた。

あれほど騒がしかった蝉の鳴き声が全くと言っていいほど聞こえないのだ。
まるで外界から隔絶されたような錯覚を覚えるほどに。

「恐ろしいですか?」

振り返る事無く老婆が問うた。

「いや、あの…。」

言い淀む静留。
だが、そんな事は関係ないとばかりに老婆は更に続ける。

「恐ろしいのですね。それはこの屋敷がですか?それとも…。」

ゾワッ、と静留は総毛立った。
背後に濃厚かつ害意に満ちた気配を覚える。

「振り返ってはいけませんよ。」

元よりそんなつもりも勇気も無い。
静留はただ頷くしかなかった。

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