あさのかお

優月アカネ@note創作大賞受賞

十四話

「あら凛子ちゃん。今日で勤務がおしまいなんですって?」
「はい。短い間でしたがお世話になりました」

凛子が生放送の準備をしていると、スタジオ入りしたあす香がとぼけた顔で訊ねる。

「寂しくなるわね。次のお仕事、決まったの?」
「いえ、それはまだ」
「しばらくはゆっくりしたらいいわよ。次は身の丈にあった仕事を探すことね」

近くに誰もいないのをいいことに、あす香は嫌味を投げつけてセットに向かっていった。
凛子は今日が最終出勤日だというのに、そのことに触れてくるスタッフはいない。新入りだから、特に別れを惜しむ理由もないのだろう。あるいは急にクビになった凛子に関わりたくないと思っているのかもしれない。
凛子はしみじみと番組のセットやカメラを眺めながら、心の中で春秋テレビへのお別れを済ませた。

「それでは本番いきまーす。5,4,3…………」

男性ディレクターのカウントが始まる。

「――みなさんおはようございます。十一月二十九日金曜日。望月あす香が朝のニュースをお伝えします」

いつもと変わりなく生放送がスタートする。今日のトップニュースは昨日行われた選挙の結果について。次のトピックは銀座の宝飾店に覆面の強盗が入ったニュース。三十分はお硬い話題が連続する。
セット中央のあす香の隣には局の男性アナウンサーがおり、横の細長いテーブルにはコメンテーターが三人並んでいる。

最初のCMがもうすぐ明けるというところで、凛子は男性アナに「緊急ニュースが入りました。映像合わせますので、明けでお願いします」と原稿を滑り込ませた。
男性アナは軽く驚いたものの、そこはプロで、すぐに「了解」と頼もしくうなずいた。

「CM明けまーす。5,4,3…………」
「――ここで緊急ニュースが入ってまいりましたのでお伝えします」

原稿に目を落とした男性アナは、ぎょっとした表情を隠しきれなかった。隣に座るあす香が怪訝な表情で男性アナに視線を向ける。

「えー。その……」

男性アナは助けを求めるように凛子を見た。凛子は力強くうなずいた。――読み上げていいと。責任は自分が取るからと。
黙り込むと放送事故になるため、男性アナは数秒間葛藤したものの、腹を決めたようだった。

「えー、お伝えいたします。……弊社社員である望月あす香アナの不倫が明らかになりました。相手は同じく弊社社員であります女性の夫だということです。望月アナの夫は俳優の小瀬田廉さんで、これはW不倫ということになり――」

放送中の画面がVTRに切り替わり、グッドマザー賞で使った不倫の映像が流れ出す。
あす香の顔は、真っ青になった。
この番組だけだと思われては困る。VTR映像は全国各地の茶の間だけではなくて、実は同時に新宿や渋谷の大型スクリーンにも流れている。通勤途中のサラリーマンや、子供を保育園に送るお母さんも足を止めて見上げているに違いないのだ。

「夏海の家は、『右近ビルディング』。都内に何箇所も商業ビルや高級ホテルを有する大企業よ。自社ビルのスクリーンで放映してくれるなんて、夏海と夏海のご両親に感謝だわ」

生粋のお嬢様とは思えないほど親しみやすい夏海。将来は実家の映像事業やイベント事業を担いたいとのことで、このテレビ局で下積みをしているのだった。

男性アナの原稿読み上げは続く。みだらな映像に合わせて密会の詳細を報じ、愛梨ちゃんの映像に切り替わるとネグレクトが疑われることを読み上げる。彼の表情は無になっていて、感情を失ったロボットのようだった。
周囲のスタッフも騒然としている。止めるべきかCMを差し込むべきか悩んでいるようだった。しかし、こんなニュースの後に差し込まれたスポンサー企業は激怒するだろうということで、怒号ばかりが飛び交って判断は遅れていた。

あす香は下を向いていうつむいている。小刻みに体が震えていた。そりゃあそうだろう、道に外れることをしておいて国民の皆様に顔向けなんてできるはずがない。

「さて。決着を付けにいきますか!」

凛子は小道具の影に隠しておいたワインボトルの栓を軽快な音を立てて抜き、あす香のもとへ向かった。

「みなさんはじめまして。望月アナが不倫をしたのはわたしの夫です」

唖然として凛子を見上げるあす香の脳天に、凛子はワインボトルを傾けた。

「――――っ!?」

あす香の頬に血の涙のようなワインがつたい、レースのあしらわれた清楚なブラウスに真っ赤なシミが広がっていく。
本番前はあれだけ威勢がよかったのに今は小さく悲鳴を上げるばかりで、カメラの前では一言も発せないようだった。

「慰謝料は請求しませんし、わたしは今日をもって会社を辞めます。だからこれがわたしからの餞別です」

たっぷり一本、あす香に赤ワインをかけ干した。

「……さようなら。望月あす香さん」

凛子はそのまま画面をフェードアウトし、スタッフの間を通ってスタジオを出る。
持ってきたキャリーバッグを引いて会社を出ると、晴れ渡った青空が広がっていた。

「――空気が美味しい。ああ、これでわたしは自由になったんだわ!」

近くのポストに封筒を投函する。宛先は旺介と住んでいたアパートで、記入済みの離婚届が入っている。
凛子は陰り一つ無い晴れ晴れとした表情で、一歩を踏み出すのだった。



パシャ パシャパシャッ!

十一月二十九日。都内某所のハウススタジオで行われているのは、俳優・小瀬田廉の写真集撮影だ。
カメラマンの他、舞台裏をテレビで放映するということで、映像のカメラマンも同行している。
そのスタッフの中に旺介の姿もあった。

(小瀬田廉の撮影に抜擢されるなんて! こりゃあいよいよ俺の時代が来たな)

不倫相手の夫だというのに、バレていないと思い込んでいる旺介に危機感はない。むしろ、仕事の面でも廉に勝ったような気さえして優越感に浸っていた。
肩で風を切ってスタジオ内を闊歩し、廉の控室の前を通りがかると。

「あっ、カメラマンさん!」

開いたドアの向こうから廉に呼び止められた。

「あ……俺ですか?」
「そうそう。新しいスタッフさんだよね? ちょっと雑談でもどう? ほら、雰囲気よく撮影したほうがいいものができるから」
「お、お気遣いありがとうございます。じゃあ、お邪魔します……」

まさか小瀬田廉本人と会話することになるとは思わず、旺介は初めて緊張した。
室内に入ると強面の男数人がドアを閉める。旺介はドキッとして本能的に彼らに目を遣った。

「彼らは僕の事務所の社員とマネージャー。せっかくだから、顔見知りになっておいた方が良いかと思って。まあそこに座ってよ」
「制作会社から来ました浅倉旺介です。今日はよろしくおねがいします……」

テーブルを挟んで廉の向かいに腰を下ろす旺介。
控室は十畳ほどの広さで、テーブルセットの他にウオーターサーバーや観葉植物、壁掛けテレビなどがあった。
廉は顎の下で腕を組みながらにこやかに話しかける。

「浅倉君は、カメラマン歴は長いの?」
「新卒から今の会社にいるので、五年ちょっとになります」
「そう。昔からカメラマンに興味が?」
「いやっ、小さい頃はプロゲーマーになりたいな、なんて……。映像業界は大学の広告研究会がきっかけで興味を持ったって感じです」

小瀬田廉はかなり気さくなんだな、と思いながら旺介は質問に応じていく。誘導されていることには、まだ気がついていない。

「広告研究会? 偶然だね、うちの妻も広告研究会に入っていたんだよ。東光大学出身なんだけど」
「……望月あす香アナですよね。……実は僕も東光大学出身なんです」
「えっ、そうなの? すごい偶然だね。じゃあ今度、皆で食事でもどう? 妻も喜びそうだから」
「あー……。……はい、ぜひ」

なんだかマズイ流れになりつつあることを感じた旺介は、目の前に置いてあるテレビのリモコンに気がつく。話を逸らそしたほうがよさそうだと思った。

「俺の奥さん、テレビ局で働いてるんです。小瀬田さんは普段テレビとかって見ますか? ご自分が出ているドラマとか」
「いや……逆にあんまり見ないね。撮影まで時間があるから、たまにはつけてみようか」

廉がリモコンのスイッチを入れると、八時過ぎのニュースが映った。あす香が銀座の宝飾店強盗事件ついて読み上げている。

「おっ、今はそんな時間か。あー、銀座のコレね。物騒で嫌だよね……」

暫くニュースを眺めていると、異変はCM明けに起こった。

『えー、お伝えいたします。……弊社社員である望月あす香アナの不倫が明らかになりました。相手は同じく弊社社員であります女性の夫だということです。望月アナの夫は俳優の小瀬田廉さんで、これはW不倫ということになり――』

「――――!?」

男性アナの読み上げに、旺介と廉の顔色が変わる。
画面が切り替わり、不倫のVTRが流れ始める。旺介は思わず椅子から立ち上がった。「はっ……どうして? 何が起こってる?」

廉は不気味な微笑みを浮かべながら、ゆっくりと旺介に顔を向ける。

「この映像の男、浅倉くんに瓜二つだね。偶然なのかな? 君に双子の兄弟はいる?」
「いっ、いや……これはその……!」

旺介は目を泳がせると、「……すいません。一度トイレに」と呟いてドアに走る。
しかし、ドアの前に強面のマネージャーが立ち塞がった。

コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品