あさのかお
十三話
愛梨を連れてゲストルームに遊びに来た廉に、凛子は月末でクビになったことを告げた。
廉は青ざめ、テーブルに額がつくくらい頭を下げた。
「……すまない! あす香がそこまでするなんて! 俺も事務所もあいつには心底愛想が尽きてるから、今すぐにでも報道向けにコメントを出そう。証拠の写真だってまだ手元にたくさんあるし」
「いえ、いいんです。……もともとわたし、ここ一年ほど『ずっとこの会社で仕事を続けるのかな?』って悩んでいたところだったんです。いい区切りだったんだと思います」
「でもそれじゃあ……」
廉は凛子が無理をして平気な顔をしているのではないかと思った。しかし凛子は穏やかに微笑みながらかぶりをふる。
「わたしの実家は農家なんです。人間より牛の数のほうが多いような田舎で育ちました。……東京は騒がしくて、誰もがせかせかしながら生きています。少しの失敗も許されなくて、一分一秒に意味を持って過ごさないといけないような……上京してからはそんな感覚で毎日を過ごしてました」
神妙な表情で耳を傾ける廉。愛梨は向こうで夏海と楽しそうに遊び始めている。
「……旺ちゃんと上手くいかなくなったのは、わたしにも責任の一端があります。忙しさに呑まれて余裕を失ってしまったから。しっかり地に足をつけて踏みとどまることができなかったから」
「そんなことない。不倫は絶対にするほうが悪いんだ。凛子さんはまぶしいぐらいにいつも頑張ってる……自分を責めないでほしい」
廉が声に力を込めると、凛子は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、わたしは自分を卑下してるわけじゃないんです。自分なりに努力して戦った年月でしたから。……だから多分、東京の空気はわたしには合わなかったということなんだと思います。うっすらそう感じていたところにクビを宣告されて、上司からはなんにも庇ってもらえなくて、そこでハッキリ諦めがつきました。もう会社、辞めようって」
口調は歯切れがよく、凛子は新たな一歩を踏み出そうとしているのだなと廉は感じ取った。
「あす香の件が片付いたら、どうするか考えているの?」
「地元に帰ろうと思ってます。小さなテレビ局があるんですよ、ケーブルテレビですけどね。映像作りは好きなので、そこで働かせてもらえないか訊ねてみるつもりです」
「そう……」
廉は愛梨をちらりと見て、少しためらった後に口を開く。
「……実は、万が一凛子さんに何かあったらうちの事務所に勧誘しようと思ってたんだ。映像関係の仕事もできるし、テレビ局よりホワイトで給料もきちっと出る。身内びいきと言われるかもしれないけど、スタッフは情のある人間だよ。決意を聞いた後に言うのはずるいかもしれないけど……どうかな?」
思ってもみない話に凛子はきょとんとするが、社交辞令だと理解して礼を言う。
「お気持ちだけで十分です」
「僕は心からそう思ってるんだけど……。うーん、気持ちを伝えるって難しいな……」
廉は苦笑いを浮かべて頭をかいた。
「なにか困ったことがあったら、いや、そうじゃなくても。いつだって君からの連絡を待ってる」
「えっ」
「……ほら、愛梨も寂しがるだろうし。僕からも連絡してもいいかな……?」
「あっ、ああ! それはもちろん。地元に帰ったら地産の美味しい物を送りますね。愛梨ちゃんも好きそうなお菓子とか」
話が一段落すると、凛子も愛梨と夏海に混じって遊び始める。
最後の嵐の前の、和やかな夜が過ぎていった。
◇
十月三十一日、午前三時。スマホのアラーム音が鳴ると、凛子はパチリと目を覚ました。
洗面台で歯を磨き、いつもより丁寧に身支度を整えると、両頬をぱしんと叩いて気合を入れる。
「――今日ですべてに決着をつける。望月あす香、あなたはもうおしまいよ」
朝八時からの生放送なので、裏方であるADの入り時間は深夜だ。キャリーケースに荷物を詰めてマンションを出ると、真っ暗な空が広がっている。
それでも今の凛子は、明けない夜なんて無いことを知っている。
「よしっ。いきましょう」
呼んでいたタクシーに乗り込んで、凛子は職場に向かった。
廉は青ざめ、テーブルに額がつくくらい頭を下げた。
「……すまない! あす香がそこまでするなんて! 俺も事務所もあいつには心底愛想が尽きてるから、今すぐにでも報道向けにコメントを出そう。証拠の写真だってまだ手元にたくさんあるし」
「いえ、いいんです。……もともとわたし、ここ一年ほど『ずっとこの会社で仕事を続けるのかな?』って悩んでいたところだったんです。いい区切りだったんだと思います」
「でもそれじゃあ……」
廉は凛子が無理をして平気な顔をしているのではないかと思った。しかし凛子は穏やかに微笑みながらかぶりをふる。
「わたしの実家は農家なんです。人間より牛の数のほうが多いような田舎で育ちました。……東京は騒がしくて、誰もがせかせかしながら生きています。少しの失敗も許されなくて、一分一秒に意味を持って過ごさないといけないような……上京してからはそんな感覚で毎日を過ごしてました」
神妙な表情で耳を傾ける廉。愛梨は向こうで夏海と楽しそうに遊び始めている。
「……旺ちゃんと上手くいかなくなったのは、わたしにも責任の一端があります。忙しさに呑まれて余裕を失ってしまったから。しっかり地に足をつけて踏みとどまることができなかったから」
「そんなことない。不倫は絶対にするほうが悪いんだ。凛子さんはまぶしいぐらいにいつも頑張ってる……自分を責めないでほしい」
廉が声に力を込めると、凛子は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、わたしは自分を卑下してるわけじゃないんです。自分なりに努力して戦った年月でしたから。……だから多分、東京の空気はわたしには合わなかったということなんだと思います。うっすらそう感じていたところにクビを宣告されて、上司からはなんにも庇ってもらえなくて、そこでハッキリ諦めがつきました。もう会社、辞めようって」
口調は歯切れがよく、凛子は新たな一歩を踏み出そうとしているのだなと廉は感じ取った。
「あす香の件が片付いたら、どうするか考えているの?」
「地元に帰ろうと思ってます。小さなテレビ局があるんですよ、ケーブルテレビですけどね。映像作りは好きなので、そこで働かせてもらえないか訊ねてみるつもりです」
「そう……」
廉は愛梨をちらりと見て、少しためらった後に口を開く。
「……実は、万が一凛子さんに何かあったらうちの事務所に勧誘しようと思ってたんだ。映像関係の仕事もできるし、テレビ局よりホワイトで給料もきちっと出る。身内びいきと言われるかもしれないけど、スタッフは情のある人間だよ。決意を聞いた後に言うのはずるいかもしれないけど……どうかな?」
思ってもみない話に凛子はきょとんとするが、社交辞令だと理解して礼を言う。
「お気持ちだけで十分です」
「僕は心からそう思ってるんだけど……。うーん、気持ちを伝えるって難しいな……」
廉は苦笑いを浮かべて頭をかいた。
「なにか困ったことがあったら、いや、そうじゃなくても。いつだって君からの連絡を待ってる」
「えっ」
「……ほら、愛梨も寂しがるだろうし。僕からも連絡してもいいかな……?」
「あっ、ああ! それはもちろん。地元に帰ったら地産の美味しい物を送りますね。愛梨ちゃんも好きそうなお菓子とか」
話が一段落すると、凛子も愛梨と夏海に混じって遊び始める。
最後の嵐の前の、和やかな夜が過ぎていった。
◇
十月三十一日、午前三時。スマホのアラーム音が鳴ると、凛子はパチリと目を覚ました。
洗面台で歯を磨き、いつもより丁寧に身支度を整えると、両頬をぱしんと叩いて気合を入れる。
「――今日ですべてに決着をつける。望月あす香、あなたはもうおしまいよ」
朝八時からの生放送なので、裏方であるADの入り時間は深夜だ。キャリーケースに荷物を詰めてマンションを出ると、真っ暗な空が広がっている。
それでも今の凛子は、明けない夜なんて無いことを知っている。
「よしっ。いきましょう」
呼んでいたタクシーに乗り込んで、凛子は職場に向かった。
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