ほっとけないよ?

清水レモン

時間が止まった

 『なんかすごくそのそれって、なんていうかその…肌きれいだな』

 目が合ったままでもわかる、彼女の頬その肌の美しさ。
 白いの。肌色なの。ほんのりとピンクのような、そこに朝ならではの陽射しと影。
 ほんとうに時間が止まった。
 いや、時間が止まったはずなのに風が吹いていて彼女の髪が揺れている。
 目が合ってる、むしろなんかこう睨まれている?
 みたいな。
 ガン飛ばしてるわけじゃないんだけど、そう思われてしまったとしたら誤解です。
 まあ弁解の余地も機会もないだろうから、これっきり。
 おれは視線をそらし、自分の列の前を向く。

 『ん…気のせいか? なんだか視線を感じるような』

 だが、おれは目を向けない。
 そんな弱々しい根拠だけでは視線を向けたりしない。
 視線を感じる、そんなの冷静に考えれば当然あたりまえじゃないか。

 だって、これだけこんんなに人がいるんだぜ。

 誰かが目を開けて歩いている立ち止まる並ぶ、さらに周囲を見たりする。
 この環境では、いつなんどきどこのだれの視線が飛んでこようが不思議ではない。
 関心をもたれなくても見られることはあるだろう。
 たまたま同じ方向の視線というだけで、おれに向けられているわけじゃない。
 流れ弾がヒュンヒュンしているだけさ。
 
 いやそれにしても時間が長い。まだかよ。

 おれは空を見あげる。

 『いい天気。最高かよ』

 澄み切って雲が見当たらない。いちめん海のような青空がひろがっていた。
 
 『あの空は宇宙につながっているんだよな。大気圏とか成層圏とか。どんななんだっけ?』

 宇宙を想像するのは楽しい。
 酸素がないらしいから苦しそうだけど、なぜか宇宙には惹かれる。
 ふと思うんだよね。
 誰かがメッセージを発しているんじゃないか、って。
 そのメッセージが突然このおれに舞い降りてきて、すさまじい衝撃でビビビっとなにかこう、ひらめきとか?
 ないかな。
 
 ゆっくり視線を落としていく。
 青空から線路沿い桜並木ガードレールさらに誰かの頭、頭、頭…
 
 ないよな、あるわけ。
 ひらめきとか宇宙からのメッセージだとか。あるわけが。

 カタタン!

 遠くで響く。線路の響きか電車の喘ぎかソラミミか、カタタン。って。

 『もうすぐかな、電車。ヒマだヒマだと持て余したけど、いよいよ来るんだな電車が』

 静止しているように感じられた時間が急に素早く流れ始めた、ように感じる。
 するとたちまち足元この靴の裏あたりに鈍い衝撃があって、先頭車両プアーン!

 一両目、二両目、何両目、まだスピード早い早い早い、あ遅くなった止まる止まる停まる。プシュー。

 動き出した列、前へ前へ。すでに車内は満員に見える。
 思わずおれは列から横に出た。すぐ後ろの人が前へ前へ前へ、電車に飲み込まれていく吸い込まれていく立ち向かっていく。
 ふと別の列に視線を向ければ、押せ押せ押せ押せの押せやで押しまくり。
 おれ、列から出ちゃった。予想もしなかった。なんだよサボるのか、おれ。
 と自問自答しかけたそのとき、いよいよ車両に乗るよって立ち位置でセーラー服が立ち尽くす。

 『彼女もサボり…なわけないよな。おれみたいに列からはみ出したわけじゃなさそだし。乗ろうとしている感じだし。でもチョットなんかあれ』

 彼女の目の前は、すでにあふれる人。やっとこさで車両内に足を入れたけれど体の半分が駅ホームのまま宙に浮いているみたいな男性の姿。
 そこに入っていくのは正直どうなんだよ、って思う。思うわけだけど。

 『!』

 ときどきあるんだよね、おれ。サボっちゃうの。現実から逃げ出しちゃうのさ。なんの計画もなく予定も立てずにぶらっと列を抜け出しちゃうことが。
 満員電車は嫌いだ。それもものすごく。もううんざりだよ、いいかげん。
 だからってどこへ。帰る? んなことは無理。
 だったらどうする。どこに向かう。とりあえずでいい、まずどこへ。
 そんなことを瞬時に高速で逡巡しゅんじゅんしながら、おれは歩き出していた。

 「あの」
 おれはセーラー服の彼女に近づく、
 「乗るんだろ」

 「はい…え?」
 「いこう」

 おれは彼女の背に手をあてて、すっと前へ。
 彼女の体は軽くて自然に動いて、でも超満員のひとたちの壁に怯えているようにも見えて静かにブレーキがかかったような気がする。
 
 『それじゃ』
 おれは彼女の背に手をあてたまま彼女の前に出る、そのまま乗降口に肩からつっこんだ。
 おれの手に、彼女の背中の戸惑いと動揺が伝わってきた。そんな気がする。
 おれは力をこめて超満員の壁に体当たりした、つもり。だが意外にも柔らかく沈み込んでいくような感覚で、すうっと車内に移動できた。
 『よし』
 おれは体の向きをくるりとかえて。
 「大丈夫だよ安心して」
 と彼女に言う。と、彼女の目線はおれの胸のあたりにあって、おれには彼女の頭頂部が見えた。と思った瞬間には彼女がおれと正面で密着する。
 駅のホームから、なにか声が聞こえる。駅員だろう。
 ドア閉まりマース。
 プシュー。
 『っと!』
 おれは慌てて手を自分に寄せた、さらに彼女が密着する。ていうか、おれの学ラン越しに埋没してしまう。
 でも。
 『ちょっとゴメン』
 おれは手をゆるめることなく、さらに引き寄せた。
 激しくゆっくりドアが閉まる、おれたちの体に擦れることなく。
 発車シマース。
 ドアが完全に閉まったのを実感したので手を緩めた。
 ふわっと、ドアに寄りかかるように彼女が。
 少しだけおれから離れる。
 でも手は彼女にまわしたままだった。
 
 「あ」
 見あげた彼女の目線がおれとぶつかる。
  

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