ほっとけないよ?

清水レモン

新しい朝が始まる

 『おはようございます。お目覚めはいかがですか』

 無機質なあいさつが届く。いつものように、だが、いつもとなにかがちがって感じられる。
 ちがうのは、おれの気持ちの問題か。
 正直、なんにもヤル気が出ない。ていうか倦怠感っていうの、こんな感じ?
 スリープ状態からクリックひとつで復帰させたパソコンが、うなっている。

 うなりつづけて数分間。
 さきほどいれたコーヒーがほどよく冷めたころだろう。
 妻は仕事に出かけた。
 この雑居ビルの一階にあるコインランドリーの掃除だ。
 息子は放浪中で娘は嫁入りしている。それも数年前。なのに、いまだに空耳だよ。

 いつまで寝てんだ起きろこらー

 起動しかけたままのパソコンは、搭載メイドが無機質に会話を投げかけてくる。
 不思議なものでね、今日は温かみを感じるよ。
 パソコン本体がうなりにあわせて無機質な声が途切れ途切れだが、そこがなぜか人間味に思えてしまう。
 おかしいな、普段こんなとき『やっぱアンドロイド感あるよな』って思うのに。
 人間は体調に左右される。機械を左右しているのは、なんだろうか。

 『新着メッセージが、ナナ、件あります』

 おれは思う、こんなふうに無機質に応対したとしても人間の誠実さや勤勉さは相手に伝わるのではないだろうかと。がんばって努力して精一杯の根性を見せて、それでもどうしようもなくなって挫折したかのように失意モードであいさつしあう、なんてことの多い日常に対しておれは疑問を感じ始めている。だからこそなのだろう。

 がんばるんだったらさ、むしろ「がんばらない」をがんばろうな。

 そんなことを、ふと脳内で文字化したりする。
 他愛のない言葉遊びさ。

 新着メッセージが7件というのは、むちゃくちゃ多いほうだよ?
 まず基本的にゼロ。それがベースにあってのことだから。
 リアルな人間関係からのメールは基本的に、ない。
 きっぱりと言える、こればかりは自信を持って断言できてしまう。
 じゃあ、どこから。
 よくあるらしい詐欺も広告も、おれのパソコンには寄りつかない。来るなら来いって思ってるけど、実際なかなか来ないのが現実。
 来るのはネットでの仲間たちからだ。
 オンラインゲームで一緒に過ごしている仲間たち。
 と言っても、仲間たちのなかの、ごくごく限られた一部の仲間たちだが。

 早く読みたいけれども現実がそうさせてくれないのでコーヒーを飲みながら手帳を開く。システム手帳は、これ小学生のときから使い続けているやつだ。
 よくぞまあ、ここまで一緒に。おれは思う。
 命を備えていない存在に、おれは平気で声を出して語りかけている。手帳にも万年筆にも、インク瓶にすらも。
 中学生のとき、思ったっけな。
 なんでもいい、おまえらなんか言ってみろよ。
 完全やつあたりで、どうかしてる。客観的に判断しても、どうかしていただろう。
 病んでいるのではないか、と指摘されることがなかったのでおれはおれを以上とは思わずに生きてきた。こんなおれを妻は笑顔で受け入れている。ありがたいことだよな、と、ふとしたとき冷静にそう思う。
 
 『ごきげんよう。読みあげます』

 とパソコン画面、右ななめ上にようやく姿を見せたメイドが言う。表情は変わらない。ほんとうなら唇がなまめかしく動いてくれて、思わず見とれてしまうらしい。おれのパソコンでは無表情気味の、うすら笑いだ。

 読みあげますと言って、すぐ読んでくれたことなどないけどね。
 でも、そこがまた…

 いい。

 そっか。これ、これはこれでいいというより、これがいいんだ。

 とくに、おれにとっては。

 眠気眼ねむけまなこにビタミン剤タイプの目薬をさしながら、おれはごきげんになっていった。

 そうだ、そうだな。今日こそはコイツに名前を。
 おれは画面に向き合い、いくつかの候補を思い浮かべる。
 
 やばい。なんかちがう。まただ、まだ決められない。

 おれはリモコンで音楽を流す。こちらはすんなり流れてくる。おれが選曲したとおりに、見事にイントロからぶれずバグらず正確に。
 たちまち室内が夏模様に変わった。

 そろそろ今日は、たっぷり多めに水あげとくか。
 おれはベランダに向かって歩き始める。くるくる巻いてあるホースを引っ張り出して、水鉄砲を土に向けてトリガーをひく。
 どぼどぼどぼっ。おおっと、いけね。ストレートにしたままだった。勢い良すぎた水流が、ポトスの鉢を直撃したうえに、その土を削り取って撒き散らしてしまった。
 まあ、いい。そろそろ掃除もしなきゃって思ってたんだし。
 まずは掃除から、はじめるとしようか。
 体を動かしてから、それからだな頭脳に仕事してもらうのは。まずは水まき。なぜだろう、いつも面倒に感じてたんじゃなかったっけ、おれ。今朝は楽しい、銃口を鉢にプランターに、その土の表面に向けてタイムリーなシャワーを浴びせていく。
 しかも、すごくいい天気。

 ベランダからは都会の雲海が広がっているのが、よく見渡せた。

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