受験生は視線そらさない

清水レモン

日曜日の午後まもなく

そわそわする。
あともう少しで授業が終わる。
だが、すぐにではない。
時計を確認したいのをグッとこらえて黒板を眺める。
新しい情報は、ない。
後ろの気配が、へん。
しゃべり声のかけらも聞こえてこないのに、おしゃべりしまくっているかのような。
なんだろうこれ、波動というのか周波数あるいは。
『毒電波みたいななにかか』
僕は呼吸を整えていく。
まもなく終わる授業、その終わりへと向かう一秒一秒、まだかまだなのか。

「チョット早いけど興はこれでおしまいね~また来週みんな」
と先生が声を放つ。
広々とした教室に行き渡りつつも返事なんて、まったくない。
僕は軽く会釈してノートを閉じた。

カバンにしまいながら早まる鼓動を抑えて抑えて、いやどう抑えていいのかわからない。
ウィリアムテルの序曲が聴こえてきそうだ、というよりもうすでに脳内の片隅で鳴っている。

「!?」
あれこれ考えたからって、なにがどう変わるわけでもないか。
僕は意を決して後ろの席を振り返ることにした、いちおう心の準備は万端だ、
「な」

・・・誰もいない。

なあ、このあとなんだけど。
と言いかけていた僕は、なにを言おうとしてたんだっけ。
残り香もなく、消しゴムのカスひとつすらなく、最初から誰もいなかったみたいな机。

たぶん僕は夢を見ていたんだ。

ドアの錠そのノブは冷たくて、つかんだときすべりそうだった。
やはりガチャリと不器用そうな接触音と摩擦音のハーモニー。
ドアを押せば半開きの状態から勢いよく戻ろうとする科学作用。
『よっ』と出れば背後でバターン!

そうだよな、さっきも音なんてなにひとつしていなかった。

階段で待ち受けられているかもしれない。
誰もいない。
意識しすぎか。
踊り場は陽だまりの影絵で変化し続けている。
誰の気配も残っていないし。
なにを探しているんだろう、それとも期待なのか不安なのか。
もう逃げ出す準備を心は始めていた、まさにそのとき。

「やあ」
思わず僕から声を出してしまったよ。
いったいなんなんだよ僕というやつは。
ふたりの女の子が一階ロビーでパンフレットやチラシを手にして話している。
ふたりがいっせいに僕を見るので僕は『おっと』と言いそうになった。
いったいなんなんだよ、その目に見えない圧力!
そして気配という気配が消されまくっていて、けれども間違いなくふたりがいる。
いちおう・・・・影がある、か。
と、ふたりの足元を確認したときだ、

「脚が好きなのね」

え?-----どういう意味の発言ですか。
と問い詰めたいのをなんとかこらえ、

「ふたりは同じ学校なの?」と、どうでもいい質問をくりだしてみた。

「ちがうよ」
「ちがうわ」

「そっか」

会話が続かない。

「それじゃ、わたしここで。じゃあね」
と、ひとりが言う。
手を振り、ふりふり、さらにハイタッチまでして、ひとりが残される。
えーと。

えーと。

えー・・・・・僕は二カッと笑ってみる、いつも鏡に向かってするみたいに。

どういうふうに見えるのか想像がつかないが、彼女の表情が少し変化した。ように思えたよ。たぶん、僕が思ってるほど僕は美少年でもイケメンでもないのだろう、と思い知らされたような気がしたけれど、まあいいさ。そんなの、とっくに知っている。
それよりもだ。

「・・・・・」

「うん」と僕は答える。いや、なにも訊かれていないか。

『うん』と唇を閉じたまま彼女が返事をした、ような気がした。

あれ? なんだろう、無言なんだけど覇気を感じるぞ。
なぜだろう、よくわからないが彼女とてつもなく生き生きとして見える。

「授業、終わったしね」
僕は言った。

「終わったね」
彼女が言う。

「前にもたしか」と僕は以前に彼女から質問されたときのことを持ち出そうとしたら、

「それで、それで、それで? それで」
と、ジャンプしそうなポーズで静かに控えめに、爪先立ちしたり着地したりする。

『なんかそれ、かわいいな』と僕は思う。

ちょぃっ、と背伸びするみたいに、爪先立ち。
で着地。
そのリピートがダンスみたいで、
『ひょっとしてなにかダンスとか習ってるとか踊るのが好きだとか、もしかしたら今の流行の振り付けとかですか、なんだか可愛い雰囲気がするね?』
と言おうとしたら、

「かわいい」
と断言したまま、じっと見つめてしまった。

「!?」
驚いた顔で、ひいている彼女。

僕の脳内では会話として成立していきそうな言葉だったが、彼女にとっては唐突過ぎて意味不明だったことだろう。

ちょっと反省する。
しくじったな、とも思ったけれど意識して気にしないように努力することにした。
それよりも、このあとだ。
どうする。
どうなる。
そもそも、どうしてこういう流れになったんだっけ。

僕は『また今度』と言ってバイバイしようか一瞬だけ考えた。
考えるには考えたけれど、そうすると心残りというか疑問符だけが誕生してしまい、なんとも薄気味悪い一週間になりそうな予感がする。
そういうのは避けたい。

「前に、さ」と僕は話を切り出す。
続ける言葉は、まだ思いついていない。

「うん。あのときは驚いたよ。でも嬉しかったかな」
と彼女が言う。

『ん?』
話の展開が見えてこない。

「まーくんが同じ塾に来てるとは思わなくて。
 ちょっとだけ運命みたいななにか、感じちゃったよ」

僕の名前を知っている。
ていうか、まーくんて。

「運命と書いて、くされえんとでも読ませますか」
と僕は言う。まさかとは思うけど。

「かもしれない。にしても、背、あいかわらず高いよね。いくつ」

僕は記憶を呼び覚ます。
ああ、そうか、そうだった。
小学校のとき、ほんの一時期だけど、たしか春期講習だけ参加したことのある中学受験予備校で一緒だった。

脳内ホワイトボードに虹色マーカーで大きく、

『やまもとカテリナ』

と文字が映し出された。

「りなっち、背は伸びてないね」
僕は彼女を思い出した。
まるで別人のような雰囲気。
背は伸びていないような印象だけど、いろいろと変わった。
とくに、その、雰囲気。

「おんなのこは小さいほうがカワイイもの。伸びなくていいの」

「僕はスラッと背の高い女の子も好きだけど」

「訊いてないです」

「いつもなんで不思議な質問ばかりしてくるのさ」

「不思議な質問て」

「しかも唐突に。返事する前に、いなくなってるし」

「まーくん反応が遅いんだよ。こっちもいろいろ忙しいし」

「じゃあ、このあとは・・・・無理? かな」

「午後あいてるよ」

「そっか」

「そうだ」

「さっき、どうしてもわからないところがあって。教えてくれないかな」

「いいよ。どこ。自習室に行く?」

「いや」僕は商店街の方角を顎でクイっと指し示してから「喫茶店」と提案した。

「喫茶店」

「うん。喫茶店」

「暗いところ?」と彼女が訊くから、

「暗いかどうかはチョットよくわかんないっていうか、考えたことないけど?」

「いきなりそういうところでああいうこととかするっていうか、したいの」

「ごめん、なに。よくわかんないや」

「勉強したいのかと思ったから」

「うん、そうだよ、そうだな。勉強したい」

「そっか」

「いまの、りなっちのことを勉強したい。だから教えてよ」

「わたし」

「テレビとかニュースは、よく知らないんだけどね。でも、少ししゃべりたい」

「わかった」
ぶっきらぼうにしか見えない彼女が、くいっと僕の服をつまんだ。
『あ、それ、そういうの・・・・・昔のままだな』
と僕は思った。
そして思い出した。
りなっち、やまもとカテリナはやたらとボディタッチにスキンシップをしてくる。
気づいた時には、もう遅かったが。

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