ノクターナルサーガ Nocturnal SAGA

池田クロエ

第3章 魔本家への召喚46 高貴な生まれ

 同じ頃。桃沢家の旧館の三階にある「学術の間」に海、犬井と猫のプッチがいた。

「学術の間」にはとても高い格子天井にアーチ形の大きな窓があり、床は全てぴかぴかに磨かれ、四方の壁のうち三面にズラリと蔵書が並んでいる。

 続きにある窓が無い部屋には、海外の有名作家の初版本や直筆の手紙、十九世紀に出た豪華版の雑誌など珍しい本が並んでいた。

「学術の間」の真ん中に置いてある、大きなテーブルの椅子に海が座り、そのはす向かいに犬井が立っていた。プッチは出窓に寝そべり二人の様子を眺めている。

「では特別授業に戻ります。今日はは美術の時間ということで。コレをお見せしましょう。レオナルド・ダ・ヴィンチに関することが知りたいとおっしゃいましたね?」
 犬井が、画集を海に見せながらきいた。

「うん。プッチの友達だから、知りたいんだ」
 海が答えた。

「素晴らしい心がけでございます」
 犬井は微笑んで画集を広げた。

「レオナルド・ダ・ヴィンチは一四五二年、イタリアのトスカーナ地方と呼ばれるところのヴィンチ村で生まれました。レオナルド・ダ・ヴィンチとは、ヴィンチ村のレオナルドという意味でございます。
 後に彼は、絵、建物、武器、天文学など色んな分野で才能を発揮し、数々の功績を残します。
 彼が生きたのはルネサンス時代と申しまして、ちょうどイタリアで芸術が花開いた時代だったのです」

「すごいね、プッチ。そんな時にイタリアに居たんだ?」
 海が窓際のプッチにいった。

「まあね。化け猫も六百年もやっていれば、色んなことがあるわけさ」
 プッチが涼しげ答えた。

「レオナルドは十四歳でフィレンツェに移り、ヴェロッキオという人物の工房に画家見習いとして弟子入りします。当時は、師匠に認められると画家組合に登録され、やがて独立するというのが普通でした。弟子入りして早々にレオナルドは絵の上手さで、師匠ヴェロッキオを驚かせたそうです」

「へえ、じゃあすぐ独立できるね」
 海が目を輝かせた。

「ところが違ったのでございます。独立するには才能だけではなく、パトロンが必要でした」
「パトロン?」

「はい。パトロンとは古代ローマの時代に紀元を発するパトロヌスと…」

「分かんねえよ、小学二年生にそんな古代ローマの話をしても」
 プッチが横やりを入れた。

「やかましい! 分かっとるわ」
 犬井はプッチに間髪入れずに言い返すと、一度咳払いをした。

「話が脱線しましたので古代ローマの話はまた今度。パトロンとはつまり、お金を出して支援してくれる人です。当時フィレンツェにはメディチ家など、大変なお金持ちの大貴族がいて、彼らが芸術家を育てるパトロンだったのです」

「へえ。そんなお金持ちがいたの?」

「ちなみに、あそこにおります化け猫も、当時メディチ家と肩を並べる名家だったプッチ家の出身であります」

「ええ! ホント? プッチはホントに凄いね?」
 海は驚いてプッチを尊敬の目で見つめた。

「まあね。よくいわれる。『もしかして高貴な家の出ですか?』って。隠してもバレるみたい」
 プッチは体をくねくねさせ、首をかしげて海を見た。

「同じルネサンス時代における、三大天才の一人であるラファエロが十七歳でマエストロ、つまり先生と呼ばれ、二十歳そこそこで大工房を構えたのに対し、レオナルドはパトロンに恵まれず、なかなか独立できなかったのです」

「じゃあ、貧乏だったの?」
 海はテーブルの上で両腕を組んだ。

「面白い質問ですね。彼はこういいました。『私のことを貧乏だといわないで欲しい。貧乏とは、お金のない人をいうのではない。貧乏とは、多くのものを欲しがる人をいうのだ』と」

「どういうこと?」海が聞いた。

「彼は六十四歳でフランスに行きます」犬井は答える代わりに画集を広げた。「イタリアでは戦争が起こり、思うような活動が出来なかったからです。そのとき彼が持っていったのは『モナ・リザ』、『洗礼者ヨハネ』、『聖母子と聖アンナ』の三枚の絵」

 犬井は「洗礼者ヨハネ」の絵を海に見せた。

「うわあ」
 海はその絵に見入った。ヨハネの口元は今にも動きだし、何か語りかけてきそうだった。

「あの大天才が、このたった三枚の絵を持ってフランスに行ったのです。今でもこの絵を見るために世界中から人々がフランスを訪れるのです」

「ふうん」
 海は何度も頷いて洗礼者ヨハネの絵をじっと見つめた。

「おい、桃李が帰ってきたぞ」
 窓から外を見ていたプッチが声を掛けると海が顔を上げた。

「ほんと?」
「では、今日はここまでにしましょう」犬井がいった。
「うん」

 犬井が本を閉じると、プッチと海は「学術の間」を飛び出していった。

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