受験戦争

清水レモン

ここにきてよかった

「まず最初に言っておこうと思うだが、聞いてくれるかい?」
父が言う。
さっきまでとちがって、ゆっくりしたトーンだった。
「はい」
ゆかりは飲みかけのマグカップを急いで置いた。

(来た!)

なにか言われるのだろう。
なにを言われるのだろう?
頭はカラッポだが体が『なにか』を思い出したようにビクッと脈打つ。

「あ、緊張しなくていいからね。たいした話じゃないし」

「もう! 貴方おとうさんはもったいぶりすぎでおおげさでぎょうぎょうしいんだから~」
「そんなことないだろうよ。なあ?」
父は息子あきらを見て同意を求める。
少年あきらくんは無口で無反応に見えたが、ほんの一瞬だけ遅れたテンポで、
「きっと面白くない話だよ」
と言った。
(えっ!! そんなこと言っちゃうの)
うんうんうん、と父はうなずきながら、
「まあそうかもな。面白いか面白くないかでいえば、面白くないだろう。きっと」
キッパリと断言した。
(おもしろくないんだ?)
(まあ、おもしろくないほうが自然かな)
(ここまでが上出来じょうでき。むしろ上出来できすぎでおかしかった)
ゆかりは覚悟を決める。
(なにを言われても受けとめる)
もしかしたら、ないてしまうかもしれない。
涙を止めることはできないだろう。
けれど、毅然とした振る舞いはできるはずだ。
(涙が流れちゃっても拭いたりせずそのままでいく。ちゃんと目をひらいておく)
ゆかりは姿勢を正した。


おとうさんはね、いちばん大切にしなくちゃいけないことは『教育』だと思ってる。
 だから子どもたちには、しっかりと『教育』を受けさせるべきだし、つねに意識しておかなければならないんだと考えてる」
(なるほど)
「つまり勉強がいちばん大切だ、っていうことだよ」
(・・・・・)
「ゆかりちゃんは学校の勉強は好き?」
(あんまし・・・)
「どの科目が好き?」と母が訊いてきた。
「算数」と即答する。
「どうして、どんなところが好き?」
「ちゃんと答があって、やりかたさえわかれば正しい答えを出せるから」
「ほお?」と父が言う。
ゆかりと母の一瞬の会話から、なにかを感じ取ったのかもしれない。
「実を言うとね、うちのその、あきらは学校の成績があまりその」
(あまりその?)
「まあひらたくいうと、よくなくてね!」
(・・・・・)
いくら学校の成績が悪かろうとも、こんな初対面の相手に軽やかに笑いながら言うことかしらと思う。
母を見ると眉をしかめていた。
「まじめなほうなんだ。こう見えて」
(いや、見るからにまじめなタイプだと思うけど)
(少なくとも、ワルガキっていう感じがしない)
(でも意外。むしろ優等生でも不思議じゃないから)
「学校の先生からは、『態度もいいし友だちから好かれてるしヘンな悪さをしたりもしない』って言われててね。まあ、ほんとかどうかは見ていないからわからないんだけども」
(友だちから好かれてる・・・か。ちゃんと友だちいるんだね)
ゆかりは少年あきらを見る。
言い返すこともなく、かといって怒られてシュンってしてる感じもしない。
『まじめそうで優等生でも不思議じゃないけど成績はかんばしくない、と』
ゆかりは声にこそ出さなかったが、父に向かって心の中で言葉を放った。
「そうなんだよ、勉強してないわけじゃないのに成績よろしくないんだよ」
(!)
ゆかりは心を読み取られたような気がした。
『まさかね? おとうさんのひとりごとでしょうし』
「そこで考えた。
 ちゃんと勉強してるのに成績がよくないのは、教える環境に問題があるんじゃないのかと。
 それで塾に通わせてるんだよ」
「塾。ですか」
「そう、塾。
 ここからそう遠くない距離にあってね、フツウの自宅おうちなんだよ。
 なあ、おまえおかあさん、たしか塾の先生って昔は学校で教師だったとかだよなあ」
「らしいよ。結婚して退職したった。子どもが高校にはいったから自分にできることしようってことで教えはじめたらしい。
 家庭教師だとひとりしか教えられないけど、塾だったらなんにんも教えられるでしょ?
 だからだ、って言ってたかな~」
「なんにんかから月謝をもらえば、家庭教師でひとりだけ教えるより効率よく稼げるだろうしな」
「それは知らない。でも、『家庭教師は緊張する。塾は楽しい』って言ってたかな~」
(塾よりも家庭教師のほうがあきらには合いそうな気がするけど)
「ま、塾に通い始めたからといってすぐ成績があがったわけじゃない。
 まだ結果は見えていないし、正直よくわからないんだ。
 でもな?
 試してみる価値はあると思ってるんだよ。
 試しているんだから、結果をあわてなくていい。
 じっくり取り組んでいけばいいんだから。
 もし仮に、なんの効果も得られなかったとしよう。
 それでも勉強した経験は身につくんだ。
 わかんなくても挑戦トライすること。
 できなくても、へこたれない。
 できなかったら、できるようになるまで勉強すればいい。
 そのためには時間がかかってもいい。
 そう思ってるんだ」
ゆかりは父の話を聞きながら、あきらと母の顔を観察した。
あきらの横顔には反論も同意も感じられず、ただたんたんとした感情のままじっと座っているように見えた。
「つまりだ。
 おとうさんは『教育こそがいちばん大事』だと思うし、
 教育そのためには『お金を惜しまない』って決めてるんだ。
おとうさんは学校の成績が悪いけど、だからって頭が悪いとは限らない。
 教え方の問題もあるかもしれないし、まわりのひとたち、先生や生徒、そういう環境が合っていないだけなのかもしれない。
 いずれにしろ、おとうさんにはわからない。わからないから判断しようがない。
 ってことで、だったら教育者プロにおまかせしようと考えたんだ。
 家庭教師でも塾でもいいよ、元教師むかしセンセイでも学校以外へ就職センセイにならなかった、どっちにしろ上手に教えられる人プロならいい。
 教育者プロにまかせるからには、きっちりお金ちゃんと払わないといけないしな。
 
 おとうさんは『教育費はケチったらいけない』と思ってるんだよ」

ゆかりは父の話を聞きながら、
息子あきらを大事に思ってる、んだろうな。
 子どもを愛してるって、こういうことなのかもしれないね』
という感想を持つにいたる。
(うん。これ、ここ、いい。大正解だったわ!ここにきてよかった
あらためて父と母を見る。
間違いない。なんていう、あたたかい視線。
間違いない。なんという、あかるい雰囲気。
すうっと風が自然に横切っていくような感覚がある。
ゆかりの視線に気づいたのか、
『うん』
と母がうなずいた。
すると、父がじっとゆかりを見つめて無言になり、
(あれ? どうしたのかな)
そう思ったとき。

「ゆかり、おまえの教育にもお金を惜しまないぞ。
 おまえたちには、どこにいっても通用する『つぶしのきく人間』になってもらうからな。
 しっかり勉強するんだぞ」
父が言った。



コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品