ひと夏を戯れたホテル

清水レモン

季節が変わる前に

 いつも、できるだけ早足で歩くようにしている。
 風を頬に感じられるし、なんとなく少し視点が高くなる気がするから。
 いまよりちょっと、ほんのちょっとでいい、眺めを良くしたい。いつも頭を押さえつけられている気がして、へんになりそうなんだ。わかってる、悪いのはおれのほうさ。
 
 でも本当にそうなのか?
 おれが悪いのか?

 いつも問いかけが止まらない。

 驚いたことに、18才になったというのに10才の頃のことを、ありありと思い出す。塾に通い始めた頃のことだ。あの頃は両親が寛大で「少しでも学校の成績が良くなるといいな」「テストの点数、みんなと同じくらいには取りたいわよね」なんて軽い感じだった。
 分岐点は、いつだっただろう?
 いまでは「いい大学しか認めない」「いい学校に行ってないんでしょ? そんな子と付き合うのやめなさい」と表情ひとつ変えずにさらりと言ってくる。
 おれは心の中だけで問いかける、
 『父上、あなたの出身校はどちらでしたっけ』
 『母上、あなたは大学を受けたことあるのですか』
 答えは、すでに知っている。だから聞かない。けど、あらためて聞いてみたい。反応も予想がつくさ、
 『あのな? お父さんの頃は、大学なんて行かなくていいって言われちゃったんだよ。お父さんのお父さんつまりオマエのおじいちゃんだ、おじいちゃんが大学なんて行くもんじゃないって、そりゃあもう一点張りでな』
 『あのね? お母さんだって、本当は大学に行きたかったの。受ければ受かったわよ、どこだってね。決まってるでしょ、ちゃんと勉強してたんだもの。でもお父さんと同じよ、うちのとこもおじいちゃんがねぇ……ほんと、あの頃は将来どうなるかなんて親は考えられなかったんでしょうね』
 そして決まってくちを揃えて言うのさ、
 『お父さんもお母さんも親に許してもらえなかったから行ってない。けど、おまえは行かせてやる。だからちゃんと勉強しなさい、いいとこに入りなさい』
 
 いったい、何度、反論したことだろうか。
 空を見あげて雲の流れを追いかけていると、決して速いとは感じられない。けれども、ちょっと目を離した隙に雲はまったく形を変えてしまっている。いつも視線を向けていないと、変化そのものを知ることができない。視線を向けていれば、他になにも手がつかない。参考書を見ながら空を見ることは不可能だ。親の声が、こんなふうにひとりきりでいる時間にさえ、脳内ではっきり聞こえてしまう。
 やめてくれ。
 たのむからもう、やめてほしい。
 ちゃんと話は聞くよ。聞いてたし。聞いてただろう?
 おれの話は、これっぽっちも聞かないくせに。15秒すら、もたないんだよな。
 どこに逃げても声がつきまとうし、ふりきったつもりが知らす知らずに親の顔を気にして行動してしまっている。だからダメだ、このままじゃ。

 おれは物理的に、もっと距離を取ろう。そう思った。帰ろうと思っても、すぐには帰れない。それくらい離れないと。学校も塾も予備校も、友達の家でさえも、すぐに親が駆けつけてこれる距離だから。
 安心して、ひとりきりになりたい。
 そのために必要なのは居場所というより、どれだけ距離を離れられるかだ。ちがうか?

 おれは知ったかぶりして自問自答を終わらせる。
 だが、なかなかその距離を見いだすことができないでいた。どうすればいい、どうすればできる。わからない、どんなに考えても方法も手段もわからなかった。

 それが……いともかんたんに、実現できた。いま、まさに。
 電車に乗っているだけで。乗り続けて終点まで、さらに乗り換えられるのなら乗り換えて。特殊な技術は必要なかったし、特別そんなに難しいことでもなかった。
 ただ、そのままでいる。座っている。そのまま、そのままで、降りるべき駅を通過すればよかった。

 実現してみれば、かんたんだった。けれども、実際に実現してしまえるまで、まったく想像すらできなかった。無意味に家出を想像したことはあったけれども、現実に意味をなすのは、こういうこと。
 こういうこと、つまり、いまの自分がすぐできること、そのことを自分自身で強くハッキリと認識すること、どのような効果が得られるのか明確に未来が見えてくればなおさらいい。

 おれには、わかった。
 もう後戻りできない。
 いまさら誰も、ここには追いつけない。
 おれのほうが、一歩も二歩も、少なくとも二時間は先の地点にいる。

 どうすればいいのか正直まだよくわからないけれど、どうしたいのかだけはハッキリとわかった。
 おれは、おれを生きたい。失敗できる自由をこの手でつかみとり、成功したときの喜びをわがものとし、親孝行のために自分を偽るのではなく、おれがおれとして生きる未来でも親孝行は必ずできるのだと信じたい。願いでもいい、祈りでもかまわない。
 おれは思うんだよ、なにかを犠牲にしなくても成功できるし、誰かを欺かなくてもつかみとることだって可能だと。
 言い換えれば、自分を犠牲にしても成功する保証なんてどこにもないわけだし、誰かを欺いて恨みを買ったところで、いったいどれだけの喜びを得られるというんだい?

 そもそも、だ。
 父上、母上、あなたがたは、いったい本当に『将来』を見据えたうえで発言しているのですか。

 おれにはわかる。
 その場しのぎで、いいがかりつけてるのは、あなたたちのほうではないのですか。
 いきあたりばったりの発想と、自分で実現できなかったことへの……後悔。

 とにかくもう、あなたがたの後悔や怨念を晴らすための道具でいるのは、いやなんですごめんなさい。わがままでいい、ものわかりがわるいやつでいい、おれは究極おれでいたい。

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