裏社会のボスと乞食
第一話
その日、二人の少年がこの世に生を受けた。
一人は大都市ランドンの恥部、この都市でもっとも賎しい者たちが暮らす貧困窟で育つことになる。
その名はトム。
もう一人の名はエドワード・トウェイン。
エドワードはランドンの暗部、三大裏ギルド【砂漠の三日月】の若きボスとして君臨していた。
「見てよ。また掃き溜めのゴミが物乞いなんてしてるわ。卑しいったらありゃしない! まったく……あんな場所。さっさとなくならないかしら」
大都市ランドンの一角。
大通りに繋がる薄暗い路地に目をやりながら、質素な装いの老婦人が隣を歩く老人に言う。
その視線の先には、擦り切れて穴が開いた服を着こんだ黒目黒髪の少年トムが物乞いをしていた。
トムは何度聞いたか分からない、自身を卑しむ言葉を右から左へと聞き流しながら、ひたすらに目の前に置いた裏返しのキルト帽にコインが投げられるのを待つ。
キルト帽の中にはわずかばかりの少額コインの他にしなびた果物が入っていた。
「乞食か……そら。地母神ドリアード様の慈悲がありますように」
豊かな白髭を生やした老人が、トムのキルト帽の中に銅貨を一枚投げ入れてた。
地母神ドリアードはランドンだけではなくこの国アングランドで最も信仰される女神で、その教義の一番に他者への慈愛の心を説いている。
一般的な職に就くことができないトムが物乞いで何とか生活ができるのも、この教えのおかげで自らの財を見ず知らずの困窮者に分け与える者がいるためだ。
もっとも、朝から日が傾くまで物乞いを続けて、トムが得られた初めての成果がこの銅貨なのだが。
「ありがとうございます……」
トムはお礼の言葉を発する。
老人がその場を立ち去ると、すぐにキルト帽の中に落ちた銅貨を拾い上げ、注意深く懐深くへとしまい込んだ。
最悪の事態に備えて。
その後もトムはしばらく物乞いを続けた。
日が傾きかけたのを合図に、この場を立ち去ることを決める。
しかし、今日に限ってはその判断を出すのが遅すぎたようだ。
三人の男たちがトムの前に現れたのだ。
トムは内心、溜息を吐く。
「おい! その金を俺らに寄こせ! 断っても痛い目を見るだけだぞ?」
トムと似たり寄ったりな薄汚れた服を着こんだ男の一人が、座ったままのトムに向かって怒鳴った。
他の二人はにやにやと笑っている。
抵抗しても無駄だと理解しているトムは、何も言わずにキルト帽を中身が入ったまま手前に押し出した。
怒鳴った男が見せ金として入れておいた粗銅貨三枚を拾い上げる。
続いてしなびた果物も持ち上げたが、中が虫食いだらけなことに気が付きトム目掛けて投げつけた。
慌てて避けた顔の後ろの壁で、乾いた破裂音が鳴る。
「おい! 他にも持ってんじゃねぇだろうなぁ?」
「残念ながらそれだけです。勘弁してください」
男の問いにトムは必死の表情でそう答えた。
トムの返答自体は疑わなかったが、代わりに男たちはトムに危害を加えることを決める。
物乞いをするトムと同じ貧困窟で暮らす男たちの、憂さ晴らしの対象に選ばれてしまったのだ。
ランドンで人殺しは重罪だが、貧困窟に住む者はほとんどの市民から人としてすら認識されていないため、男たちの暴力を見ても止める者はいない。
中にはゴミが一つ減ってこの街が綺麗になると思っている者までいた。
幸い、トムが大けがを負う前に男の一人が手に入れた金で何か食べる物を手に入れようと言い出した。
急所を守りながらうずくまるトムを置いて、男たちは去って行く。
トムは痛む身体を擦りながら立ち上がった。
「あ……イテテテ。今日は運が悪かったなぁ……せっかく銅貨を手に入れたのに見せ金を取られちゃった」
そう言いながらトムは空を見上げた。
男たちからの暴力を受けている間にすでに日は沈み、空には無数の星と細い三日月が昇っていた。
暗くなれば荒くれ者たちも増える。
先ほどは死を免れたが、次に出会う危険が同じとは限らない。
トムは慌てて自らの住処へと急いだ。
貧困窟と呼ばれる旧市街地。
打ち捨てられた崩れかけの建物の一角がトムの住処だ。
冷たい地面にそのまま横たわると、トムはゆっくりと目を閉じた。
次の日、トムは昨日得た金で数日ぶりのわずかな食べ物を買い腹を満たした。
貧困窟にもまだ枯れていない井戸があるため、飲み水だけは常に確保できる。
しかし水でいくら腹を満たしても、一定期間食べ物を口にしなければ死ぬのは誰でも一緒だ。
事実、貧困窟に住む者の多くの死因は餓死。
次に多い理由は他者からの暴力で、病気で死ぬのは稀。
病気にかかった場合、よほど急に悪化する病でない限り、餓死するのが貧困窟の常識だった。
早くに両親を亡くし、貧困窟で暮らしてきたトムが十六になる今まで生きてこれたのは、幸運ともいえた。
「イテテテ。昨日ぶたれた所が痛むなぁ。仕方ない……薬草を取りに行くか」
トムはランドンの西に位置する貧困窟から更に西、ランドンと海をつなぐタムズ川の下流へと足を運んだ。
運河としても使われるタムズ川の細い支流の一つにたどり着くと、川辺に群生する黄色い花を咲かせた薬草を摘む。
この薬草を口に含んで咀嚼を繰り返して粘り気を出した後、腫れた場所に塗れば痛みも腫れも速くひく。
すでに亡くなった貧困窟での第二の親に聞いた知恵だった。
「そういえば、塗る前はできるだけ清潔にしろだったな」
ちょうど目の前には澄んだ川がある。
トムはぼろ布を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。
春先でも冷たい川の水は、始め傷に染みたが、すぐに気持ちよさが勝った。
水浴びなど久しぶりだったためトムが川の中ではしゃいでいると、川辺に近付く影が二つ。
その影にトムが気付くのは、自身の身に起こる異変の後だった。
「うっ! 苦しい……な、なんだ……これ、は……」
突然の息苦しさに川から身を出したトムは、自分の身体に目をやり驚きの声を上げる。
しかし口から漏れ出る言葉は、力無いものだった。
まるで老人になったかのようにシワだらけの身体に驚いていると、川辺から声が聞こえた。
「ふはははっ! まさか、【砂漠の三日月】のボスともあろう者が、護衛も付けずにこんな場所でのんきに水遊びなどしているとはな」
「おい、本当にこいつがエドワード・トウェインで間違いないのか?」
「うん? 間違うはずがないだろう。この地域では黒目黒髪の男などあの男以外には珍しい。それに見ろ。人相書きとも一致している」
初めに喋った黒いローブを着た男が、隣に立つ皮鎧の男に懐から出した羊皮紙を見せる。
何度か羊皮紙とトムの顔を行き来した後、皮鎧の男は数度頷いた。
「確かに。しかし、お前の魔法は殺しにはもってこいだが、人相を確認するのには向かないな。他人の水分を強制的に追い出す魔法だったか? シワだらけで、十六歳のはずが老人みたいだ」
「そう言うな。エドワード・トウェインもなかなかの手練れと聞いている。一人でも対処できると判断できるくらいの実力はあるのだろう。俺の魔法にかかれば反撃の芽も潰せる」
突然現れた二人組の会話に、トムは人違いだと叫びたかった。
(エドワード!? 誰だ!? そんなの知らない! 助けてくれ!!)
しかし、張り付いた喉は開かず、一言も発せない。
その日トムは、自らの死を意識した。
次の瞬間……
目の前の二人組の首が宙を舞った。
「え……?」
ローブの男が死んだおかげで魔法の効果が切れたトムは、湿度の戻った口から声を漏らす。
重力に従い崩れていく二人組の影から、壮年の男が姿を見せた。
手には怪しく光る血塗りの剣を持っている。
間違いなくこの男が二人組を一瞬にして死に追いやったのだ。
男の剣呑な眼差しを宿す左目には、縦に深い切り傷が刻まれている。
服装はまるで今まで殺した者たちの血を吸ったかのような、どす黒い赤。
トムは男から死の臭いを嫌というほど感じた。
男は剣の血を払うと、爽やかな笑顔をトムに見せる。
たった今人を二人殺したとは思えないような表情に、トムは面を食らってしまった。
一人は大都市ランドンの恥部、この都市でもっとも賎しい者たちが暮らす貧困窟で育つことになる。
その名はトム。
もう一人の名はエドワード・トウェイン。
エドワードはランドンの暗部、三大裏ギルド【砂漠の三日月】の若きボスとして君臨していた。
「見てよ。また掃き溜めのゴミが物乞いなんてしてるわ。卑しいったらありゃしない! まったく……あんな場所。さっさとなくならないかしら」
大都市ランドンの一角。
大通りに繋がる薄暗い路地に目をやりながら、質素な装いの老婦人が隣を歩く老人に言う。
その視線の先には、擦り切れて穴が開いた服を着こんだ黒目黒髪の少年トムが物乞いをしていた。
トムは何度聞いたか分からない、自身を卑しむ言葉を右から左へと聞き流しながら、ひたすらに目の前に置いた裏返しのキルト帽にコインが投げられるのを待つ。
キルト帽の中にはわずかばかりの少額コインの他にしなびた果物が入っていた。
「乞食か……そら。地母神ドリアード様の慈悲がありますように」
豊かな白髭を生やした老人が、トムのキルト帽の中に銅貨を一枚投げ入れてた。
地母神ドリアードはランドンだけではなくこの国アングランドで最も信仰される女神で、その教義の一番に他者への慈愛の心を説いている。
一般的な職に就くことができないトムが物乞いで何とか生活ができるのも、この教えのおかげで自らの財を見ず知らずの困窮者に分け与える者がいるためだ。
もっとも、朝から日が傾くまで物乞いを続けて、トムが得られた初めての成果がこの銅貨なのだが。
「ありがとうございます……」
トムはお礼の言葉を発する。
老人がその場を立ち去ると、すぐにキルト帽の中に落ちた銅貨を拾い上げ、注意深く懐深くへとしまい込んだ。
最悪の事態に備えて。
その後もトムはしばらく物乞いを続けた。
日が傾きかけたのを合図に、この場を立ち去ることを決める。
しかし、今日に限ってはその判断を出すのが遅すぎたようだ。
三人の男たちがトムの前に現れたのだ。
トムは内心、溜息を吐く。
「おい! その金を俺らに寄こせ! 断っても痛い目を見るだけだぞ?」
トムと似たり寄ったりな薄汚れた服を着こんだ男の一人が、座ったままのトムに向かって怒鳴った。
他の二人はにやにやと笑っている。
抵抗しても無駄だと理解しているトムは、何も言わずにキルト帽を中身が入ったまま手前に押し出した。
怒鳴った男が見せ金として入れておいた粗銅貨三枚を拾い上げる。
続いてしなびた果物も持ち上げたが、中が虫食いだらけなことに気が付きトム目掛けて投げつけた。
慌てて避けた顔の後ろの壁で、乾いた破裂音が鳴る。
「おい! 他にも持ってんじゃねぇだろうなぁ?」
「残念ながらそれだけです。勘弁してください」
男の問いにトムは必死の表情でそう答えた。
トムの返答自体は疑わなかったが、代わりに男たちはトムに危害を加えることを決める。
物乞いをするトムと同じ貧困窟で暮らす男たちの、憂さ晴らしの対象に選ばれてしまったのだ。
ランドンで人殺しは重罪だが、貧困窟に住む者はほとんどの市民から人としてすら認識されていないため、男たちの暴力を見ても止める者はいない。
中にはゴミが一つ減ってこの街が綺麗になると思っている者までいた。
幸い、トムが大けがを負う前に男の一人が手に入れた金で何か食べる物を手に入れようと言い出した。
急所を守りながらうずくまるトムを置いて、男たちは去って行く。
トムは痛む身体を擦りながら立ち上がった。
「あ……イテテテ。今日は運が悪かったなぁ……せっかく銅貨を手に入れたのに見せ金を取られちゃった」
そう言いながらトムは空を見上げた。
男たちからの暴力を受けている間にすでに日は沈み、空には無数の星と細い三日月が昇っていた。
暗くなれば荒くれ者たちも増える。
先ほどは死を免れたが、次に出会う危険が同じとは限らない。
トムは慌てて自らの住処へと急いだ。
貧困窟と呼ばれる旧市街地。
打ち捨てられた崩れかけの建物の一角がトムの住処だ。
冷たい地面にそのまま横たわると、トムはゆっくりと目を閉じた。
次の日、トムは昨日得た金で数日ぶりのわずかな食べ物を買い腹を満たした。
貧困窟にもまだ枯れていない井戸があるため、飲み水だけは常に確保できる。
しかし水でいくら腹を満たしても、一定期間食べ物を口にしなければ死ぬのは誰でも一緒だ。
事実、貧困窟に住む者の多くの死因は餓死。
次に多い理由は他者からの暴力で、病気で死ぬのは稀。
病気にかかった場合、よほど急に悪化する病でない限り、餓死するのが貧困窟の常識だった。
早くに両親を亡くし、貧困窟で暮らしてきたトムが十六になる今まで生きてこれたのは、幸運ともいえた。
「イテテテ。昨日ぶたれた所が痛むなぁ。仕方ない……薬草を取りに行くか」
トムはランドンの西に位置する貧困窟から更に西、ランドンと海をつなぐタムズ川の下流へと足を運んだ。
運河としても使われるタムズ川の細い支流の一つにたどり着くと、川辺に群生する黄色い花を咲かせた薬草を摘む。
この薬草を口に含んで咀嚼を繰り返して粘り気を出した後、腫れた場所に塗れば痛みも腫れも速くひく。
すでに亡くなった貧困窟での第二の親に聞いた知恵だった。
「そういえば、塗る前はできるだけ清潔にしろだったな」
ちょうど目の前には澄んだ川がある。
トムはぼろ布を脱ぎ捨てて川に飛び込んだ。
春先でも冷たい川の水は、始め傷に染みたが、すぐに気持ちよさが勝った。
水浴びなど久しぶりだったためトムが川の中ではしゃいでいると、川辺に近付く影が二つ。
その影にトムが気付くのは、自身の身に起こる異変の後だった。
「うっ! 苦しい……な、なんだ……これ、は……」
突然の息苦しさに川から身を出したトムは、自分の身体に目をやり驚きの声を上げる。
しかし口から漏れ出る言葉は、力無いものだった。
まるで老人になったかのようにシワだらけの身体に驚いていると、川辺から声が聞こえた。
「ふはははっ! まさか、【砂漠の三日月】のボスともあろう者が、護衛も付けずにこんな場所でのんきに水遊びなどしているとはな」
「おい、本当にこいつがエドワード・トウェインで間違いないのか?」
「うん? 間違うはずがないだろう。この地域では黒目黒髪の男などあの男以外には珍しい。それに見ろ。人相書きとも一致している」
初めに喋った黒いローブを着た男が、隣に立つ皮鎧の男に懐から出した羊皮紙を見せる。
何度か羊皮紙とトムの顔を行き来した後、皮鎧の男は数度頷いた。
「確かに。しかし、お前の魔法は殺しにはもってこいだが、人相を確認するのには向かないな。他人の水分を強制的に追い出す魔法だったか? シワだらけで、十六歳のはずが老人みたいだ」
「そう言うな。エドワード・トウェインもなかなかの手練れと聞いている。一人でも対処できると判断できるくらいの実力はあるのだろう。俺の魔法にかかれば反撃の芽も潰せる」
突然現れた二人組の会話に、トムは人違いだと叫びたかった。
(エドワード!? 誰だ!? そんなの知らない! 助けてくれ!!)
しかし、張り付いた喉は開かず、一言も発せない。
その日トムは、自らの死を意識した。
次の瞬間……
目の前の二人組の首が宙を舞った。
「え……?」
ローブの男が死んだおかげで魔法の効果が切れたトムは、湿度の戻った口から声を漏らす。
重力に従い崩れていく二人組の影から、壮年の男が姿を見せた。
手には怪しく光る血塗りの剣を持っている。
間違いなくこの男が二人組を一瞬にして死に追いやったのだ。
男の剣呑な眼差しを宿す左目には、縦に深い切り傷が刻まれている。
服装はまるで今まで殺した者たちの血を吸ったかのような、どす黒い赤。
トムは男から死の臭いを嫌というほど感じた。
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コメント
ノベルバユーザー599850
裏社会の乞食というストーリーの組み立て方に興味が湧いたので読ませていただきました。
地名や役名もしっかりしていると感じたので続きに期待させられます!