【コミカライズタイトル:恋と不眠と小説と】大好きな作家の担当編集になったけど、ワンナイトした男性でした
7章-1
悠さんの書く話は優しくてあたたかい家族の物語だったり、友情の話だったりする。そこにほんのすこしミステリーが混じっていた。読了後はいつだって優しさと希望に包まれて、ほっとする。その読了感が私は大好きだった。
平日の金曜日。仕事が終わった後、私は予約していた本を買いに向かった。
予約はしているのに、わざわざ平積みにされた悠さんの本も見に行く。まだ本を読んだわけではないのに、この光景だけで嬉しくなる。彼の担当編集になったからだろうか。次は自分の番なのだと思うと気合いが入った。
明日からは休日で、悠さんとデートをする約束をしているのはまだ先の月末だ。なので明日と明後日に予定はない。
レジで本を受け取って、すぐにでも本を抱きしめたくなる。悠さんには悪いけれど、このままアパートに帰ってしまいたくなった。
だけどそれは一日の辛抱だ。すぐに帰らないと、悠さんが一人でご飯を作ることになる。彼は私の帰りが遅い場合、気にすることなく料理を始めるのだ。まるで競うように家事を取り合っている。
鞄の中に新刊を入れて、悠さんのマンションへと向かう。
頭は明日のことでいっぱいだ。
朝食を食べたらすぐにアパートに帰ろう。
机の上に付箋やメモ帳を置き、手が汚れないナッツ系のお菓子と紅茶を用意して、この前見つけた綺麗なピアノの音楽を流すのもいい。アロマストーンに製油を垂らすのもいいかもしれない。
一度読んだら、余韻が抜けないまま再読したい。その後、好きな台詞や文章に付箋を貼って、素敵だった言葉を専用のノートに書き写す。読み返すだけで、その場面が蘇ってくるノートだ。作品名もページ数も書いているので、気になったら読み返すことができる。
悠さんの家で彼が趣味で書いた小説を読んでいる時は、こんなことはできない。持って帰ることもできないし、もちろん再読だってできていなかった。頼めるとすれば、完成してからだろう。
だから悠さんの小説を全力で楽しめる時間は至福だった。想像するだけでも、ときめていてしまう。
それでも、前のようにファンレターを送るのは憚られた。感想文はたぶん書いてしまう。いつものように、作品の雰囲気にあいそうな便箋を選び、自分の感情をひたすら書くのは止められない。
悠さんとの同居生活は、想像以上に心地良かった。朝食は悠さんが作り、その間にお弁当を私が作る。時々交代することもあるし、先に料理が終わった方が手伝うこともある。
一人暮らししていた頃はマンネリしていた私の料理も、悠さんのおかげでだいぶ作れる料理が多くなった。彼は料理が上手なのに、私の料理を美味しそうに食べてくれるのが嬉しい。マンションに帰ると「おかえり」と言ってくれて、その日のお弁当の感想なんかを話してくれる。お風呂上がりは悠さんが過去に書いた小説を読ませてもらえて、ホットワイン以外にもハーブティーやお酒をすこしだけ飲んだりする。寝る時は、小さな声で話をしながらゆっくりと眠る日々。えっちなことはしていない。ひたすら抱きしめられている。ぐっすり眠れているみたいなので、する必要もなかった。
不満など何もない心地良い生活。何もなさすぎて、実は悠さんの方に負担がのしかかっているのではないかと不安になる。一度聞いてみたけれど、「大丈夫ですよ」と笑うだけ。
土日も悠さんはいてくれても構わないと言ってくれたけれど、予定があると話している。今週は悠さんの新刊を読むという予定があるが、来週からは何もなかった。かといって、悠さんの家に昼間も居続けたら執筆の邪魔になりそうだ。アパートに帰ってだらだらする日もあれば、喫茶店や図書館に足を運ぶことになった。
同居生活を送るようになって二週間が経っても三週間が経っても悠さんは私を抱きしめて眠るだけだった。
私って、かなり魅力がないのかもしれない。落ち込みそうになる。でも、悠さんとベッドの中で身を寄せあって話す会話は、まるで特別な内緒話みたいで好きな時間だった。
こうしていると、カップルみたいだ。
でも、カップルじゃない。勘違いしたら駄目だ。私が翌日休みの日であっても、セックスしたいと思わないのだから脈もない。この生活もいつまで続くのか。
悠さんの新刊が発売されてから三週間後。
会社にはファンレターが幾つも届いていた。溜まってきたので転送しようか考えて、持って帰ることにした。
手紙の内容を確認していると、うずうずする。
届いたファンレターの中に、私の手紙はない。アパートの引き出しに仕舞ったままだ。人の感想を読んでいると、私も送りたかったと思ってしまう。羨ましい。
わかる、わかると頷きながらできる限り綺麗に便箋を封筒に戻した。
手渡しを選んだのは、早く受け取って欲しいこともある。でもそれだけではなくて、悠さんの反応も知りたかった。
「これ、ファンレターです」
仕事から帰ってすぐに鞄から取り出すと、悠さんの長い睫がぱちぱちと瞬いた。
「ありがとうございます」
自分への手紙だと分かると、彼は頬を緩めて受け取る。その場で一枚、一枚、封筒の表裏を確認し始めた。自分宛かどうか、確認しているのだろうか。
「……あ、でも」
悠さんは言い辛そうに口を開いた。
渡したものに不備でもあっただろうか。
「他にファンレターはなかったですか」
「他ですか? とりあえず、今着ているのはこれが全部です。また届いたら送りますよ」
「……そうですか」
彼は嬉しそうな顔のまま、けれど歯切れが悪かった。残念そうに俯いている。
「何かありましたか?」
「いつもすぐに手紙を送ってくれる方のものが届いていないので、何かあったのかなと……」
「そうなんですか」
ドキリとした。
まさか私のことだったりするのだろうか。
「どういう方なんですか」
「いつも口説かれているんじゃないかってくらい、褒めてくれる方です」
……うん、私ではないはずだ。
口説くような勢いで褒めたことはない。
「うん……でも、いつかは飽きられてしまうこともあると思いますし、気にしないようにします。義務でもないですから」
「名前を教えてもらえれば、届いたらすぐに送りますよ?」
「いいんですか」
「それくらい大丈夫ですよ」
悠さんが楽しみにしているほどの感想文が気になった。確認のために私も読むので、彼のモチベーションに繋がるような言葉であるなら知っておきたい。
「遠山芽依さんって方です」
「へ」
「そういえば、香月さんと名前が一緒なんですよね」
「そうなんですね! ちょっとびっくりしてしまいました」
不自然に固まってしまったのを取り繕うため、私はひたすら笑顔を作る。
どうしよう。
どうしようもない。
それ、私です。
もう担当編集だからファンレターを送らないようにしようと思っていたんです。だからこの先も手紙が届くことはないです。なんて言えるはずもない。
聞いてよかったのか、聞かなければよかったのか。頭が痛くなってきた。
「どうしたんですか、香月さん。顔が真っ赤ですよ」
「これは……う、あの」
「もしかして名前が同じでドキッとしましたか?」
「は、はい、そうです。聞き間違いかと思いましたよ」
「名前の漢字も一緒なんですよ。偶然ってすごいですね」
「へーすごーいですね」
口から泡が吹きそうだった。自分でもびっくりするほど大根役者な台詞が出たけれど、悠さんはそれを不審に思ったりはしなかった。むしろ、面白い反応だなあと笑っている。
「まあ、絶対に送ってもらえるなんて思っていないので、なかったらなかったでいいです」
「いえいえ、きっとそのうち届くと思いますよ!」
勢いで励ましてから、後悔する。
そのうち届くなんて言っておいて、送らないという選択肢はあるのだろうか。
「は、はは……」
羞恥で涙が出そうになる。私の感想について、悠さんがどう思っているのか知ることができたのは嬉しかった。
しかし、口説いているつもりはなかったのだ。正確には口説くような勢いで褒めるなのだが。
悠さんはそんな風に受け取っていたのだと思うと、全身が熱くなる。
感想文自体は、書いていてアパートにある。宛名も差出人も書いていた。あとは切手を貼って郵便ポストに入れるだけ。
もらう側の悠さんが欲しいと思っているのなら送ればいい。本人にもまだバレていないのだ。私だって、読んでもらえるのなら読んで欲しい。
だから夕食を食べたあとはアパートに戻った。切手を貼ってポストに投函する。一日でも早く悠さんに届けよう。もらうことを嫌がっているわけではないのなら、気づかれないうちは送ったっていいじゃないか。
数日経って、ようやく私の手紙が会社に届く。会社で自分のファンレターを読む羞恥に耐えながら確認の格好を取り、その夜に悠さんに手渡した。
「今日、届いていましたよ」
と、第三者風を装う。
「ありがとうございます」
悠さんは遠山芽依から届いた手紙を、とても大切そうに受け取った。一枚しかなかったからそういう風に見えたのかもしれない。自分の書いた手紙だからこそ、願望も混ざって認知が歪んでいるのか。彼は嬉しそうに顔をほころばせていた。ほっと息を吐く姿を見ると、すぐに渡せなかったことを申し訳なく感じてしまう。
感動の再会でも果たしたかのような雰囲気を眺めていると、明るい表情の悠さんが私に言った。
「せっかくですから、香月さんも読みますか?」
「は……?」
悠さんは糖分たっぷりのふにゃふにゃ顔だった。初孫を自慢したくて仕方がないおじいちゃんみたいな、そういう反応。よっぽど嬉しいのだろう。
しかし、それだけは勘弁して欲しかった。
「……先に、内容は確認しているので」
「そうでしたね」
残念そうに目尻を下げる姿に罪悪感を持ちそうになるが、いやいや違う。このことに関しては悪くないはずだと自分に言い聞かせる。
結局、ファンレターをこれからも送ることになってしまったけれど、悠さんが私だと気づいていないのならいいとしよう。
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