【コミカライズタイトル:恋と不眠と小説と】大好きな作家の担当編集になったけど、ワンナイトした男性でした

佐倉響

6章-2





 流されやすいのではないかと心配になる芽依さんは、変なところで意志の強さを発揮する。俺と同居すると決めた時もそうだったし、小説のためにデートに行こうと誘ってきた時もそうだった。

 芽依さんにとって、俺は男性というよりは作家なのだろう。家の中にいる彼女は隙だらけだった。襲ってしまわないようにするのが大変なほど、警戒心がない。

 だけど俺はもうすこしだけ芽依さんと生活していたくて、この関係を続けてしまっている。下心がまったくないとは言い切れないが、実際に睡眠の質は上がっているので、効果はあった。頭もすっきりしていた。もうすこし続ければ、薬なしでも眠れるようになるのではないか。それくらい、びっくりするほどよく眠れる。――ただし、隣にいる芽依さんにムラムラしなければだが。むしろそちらに意識のすべてが向いているから、他の余分なことを考えずにすんでいるのかもしれない。

 そんな中、いつものようにという言葉がつくほど一緒に夕飯を作った後、芽依さんはとんでもないことを言い出した。

「二日後の金曜日なんですけど、その日は私、合コンに行くので……」

「わ」

 頭が混乱して、手元から箸が滑り落ちる。おかげで俺は僅かに考える時間を取ることができた。

「す、すみません」

 取った箸を洗いながら、落ち着こうと自身に言い聞かせる。

 合コンって何だ?

 合同カンパの略。

 異なる組織・サークルなどに属する男女の二つ以上のグループが合同で行うコンパ。

 頭の中で辞書が返事をする。知っている。そうではない。

 どうして合コンに芽依さんが行くんだ。

 彼女は良くも悪くも裏表がなさそうな、あったとしても突けば簡単に見えてしまいそうなくらい素直な人だ。一番に心配なのは騙されないかどうかである。

 初めて会った時、バーで飲んでいた芽依さんの姿を思い出す。一人で嬉しそうな態度を隠しもせず、ふわふわと笑っていた。それを見た男性二人組が今にも話しかけようとしていたのだ。もしもあの場に俺がいなかったら、どうなっていたのだろう。考えるだけでゾッとする。

 箸を洗い終えた後、一度深呼吸して椅子に座った。落ち着こう。

「ええと、何でしたっけ」

「金曜日は合コンに行くので、夕飯は必要なくなりました」

 ……本当に合コンに行くんですか。

「あ! ちゃんと夜には帰って黒澤さんが眠る時間には間に合わせますからね」

 心配するべきは俺ではなく、芽依さんの方でしょうと言いたくなるのをぐっと我慢する。合コンする場所は徒歩三十分の距離だと聞いて、だいたいどの辺りなのか想像がついた。俺にとっては心配でしかない合コンだが、芽依さんが楽しみにしている様子を見ると止めることなどできない。

 そもそも、俺は芽依さんの恋人でも何でもないのだ。好きな人ができたら、この関係はすぐに止めると言っている。それなのに束縛しては駄目だ。

 本当は行って欲しくないけれど。

 本心を隠して、芽依さんが気分よく合コンに行けるように話をした。夜、帰って来なかったら、同居も解消されるかもしれない。デートをするという約束も、もしかするとなかったことになりそうだ。

「違うんです。私、別に出会いを求めて合コンに参加するわけじゃないです!」

「……え」

 出会い以外に、一体何を求めて参加するというのだろう。……食べること?

 芽依さんは焦ったように早口でまくしたてた。

「私、今まで一度も合コンに参加したことがなくて、男性経験もそれほどなくて」

 ……俺が初めてですよね。他にないですよね。

「もうすこし大人の女性らしい経験をしようと思ったんです。だから男の人とどうこうなりたいとか、そういうことは考えていません」

 ……芽依さんは一体何を目指しているのだろう。混乱しながらも、彼女が何か盛大に勘違いをして暴走している予感があった。

「今の私の優先順位は悠さんが一番なんですから」

 ……どうしよう。全然意味が分からない。

 なのに顔が熱い。ドキドキしそうになる感情にストップをかけた。ここはドキドキする場面ではない。芽依さんは合コンに行こうとしているのだ。

 落ち着こう。大きく息を吐いて、芽依さんが言ったことを整理する。……うん。やっぱり分からない。

「香月さんの気持ちはよく分かりました。……じゃあ、俺が寝るまでに帰ってきてください。それと何かあったら……電話してください。一応、携帯番号は知っていますよね」

「知っています。でも、筑波さんからよっぽどのことがない限り電話しては駄目だと聞いています」

「香月さん一人ではどうにもならない時にする電話は、よっぽどのことでしょう?」

「それは……そうかもしれないですけど……」

 不眠症になった同時期から、電話も苦手になっていた。それでも緊急時にはメールより電話の方がいい。気分が悪くなるだけなので、芽依さんが大変な目に遭っている時は躊躇わずに電話して欲しかった。

 電話ではなかったせいで芽依さんの危機に間に合わなかったら、悔やんでも悔やみきれない。

「でも、大丈夫ですよ。男性に絡まれても、うまくできます」

「うーん」

 俺を安心させようと芽依さんはにっこり笑う。

 ……俺が最初に話しかけた時、彼女はどうだっただろう。申し訳ないけれど、あんまり納得できなかった。

 お酒は一杯までにするよう助言して、それきり合コンのことは話題にしないようにした。話せば話すほど、俺は表情を作ることができなくなる。行って欲しくないという顔を出したくはなかった。

 そして合コン当日。仕事から帰ってきた芽依さんはすぐに着替えを済ませた。

「じゃあ黒澤さん、いってきます」

 清楚で涼しそうな服装の彼女を数秒見ることしか叶わない。

「……いってらっしゃい」

 久しぶりに夕飯が一人だった。隣に芽依さんがいない中、キッチンに立つのがすこし寂しい。もうすっかり、隣に彼女がいることに慣れてしまっていた。

 いつかは元の作家と担当編集という関係だけに戻るはずだ。

 夕飯を食べた後、何をするでもなくソファーに座っていた。

 今頃、芽依さんはどうしているだろう。彼女は心配するような歳ではない。それに合コンにいる半数は同じ大学の人だと言っていた。中には友人も混ざっているので、きっと大丈夫だと思いたい。

「……過保護すぎる」

 俺は芽依さんの保護者ではないし、どちらかといえば助けてもらっている側だ。

 このまま家にいても、落ち着かないのでいっそ外に出ることにした。ぼんやりと散歩をしていると、気づけば駅近くにある飲み屋街に来ていた。無意識に足がそっちに向いていた。

 だとしても、どのお店に芽依さんがいるのかは知らない。……知っていたとしても、そのお店に入ったりはしないが。

 このまま帰る気もおきず、行きつけの喫茶店に入ることにした。店内の隅々までコーヒーの香りがするその場所が俺は好きだった。お店の一番奥にある席に座って、コーヒーを頼んだ。

 時計を見ると夜の十時前だった。そろそろ合コンは終わっているだろうか、それとも他のお店に移動したのだろうか。芽依さんからのメールはきていない。

 こんなところまで来てしまったけれど、彼女が帰ってくる前にはマンションに戻っておきたかった。

 何度目かの溜め息を吐くと、カランカランとドアにかけられたカウベルの鳴る音がした。顔を上げると二人の男女がお店に入るところだった。

「ん!?」

 背中を伸ばしそうになるのを中断し、即座に頭を伏せる。

 ……いや、何をしているんだ。

 隠れずに堂々としていればいいのだが、入ってきたのは芽依さんと知らない男性だった。目が合ったら、お互い気まずくなるだろう。運がいいのか悪いのか、どうしてこのお店に入ってきたのだろう。

 今すぐお店を出て行きたい気持ちと、すこしだけ様子を確かめておきたい気持ちがぶつかり合う。

 しかしレジ近くに二人は座ったので、俺が出て行くには姿を見せることになるため座っているしかなくなった。

 芽依さんは俺から背を向ける形で座り、男性の方は俺の方を向いてソファーに座る。おかげで男性の声はよく聞こえた。二人で来ている人は芽依さんたち以外いないせいでもある。

「俺のこと、覚えていてくれて嬉しいよ」

「覚えていますよ。あの頃の演劇サークル、活動も活発で私も公演を何度か見に行ったことがあります。高倉さんは主役を演じることも多かったですよね」

「俺が主役を演じる機会が増えたのは香月さんのおかげだ。客席で香月さんを見つけた時は嬉しかったよ」

 男性の方は芽依さんにとても好意的だった。口説こうとしているのがよく分かる。

「……私、ただ見に行っただけだと思うんですけど」

 対して芽依さんの方は、話について行けていないようだった。温度差がすごい。それもそのはず、どうやら芽依さんは男性に話があるからと言ってこのお店に来たようだった。きっと言葉通り信じているのだろう。

「良かったら定期的に会って、役作りの手伝いをして欲しいんだ」

「……私はそういう専門の知識はないですよ」

 芽依さんは相手が本気で役作りの手伝いをして欲しいと思っているらしい。彼女らしい姿にほっとするものの、このままでは埒が明かないのではないか。

 だけど、ここは芽依さんを信じようと思った。お酒に酔っている様子はない。だとすれば、わざわざ俺が何かしなくても自分で断ることもできるはず。

 なのに高倉さんと呼ばれた男性は、芽依さんの励ましも褒め言葉も受け取らずに自分の都合を押し続ける。それもそうだ。彼は芽依さんからアドバイスをもらいたいのではなく、単に会う口実が欲しいだけなのだから。

 男性の言葉に、芽依さんが困り果てて、喋れなくなる気配を感じた。このまま放置していたら押し切られてしまいそうだ。

 偶然とはいえ、その場にいた俺は伝票を持って立ち上がる。芽依さんに話しかけて、一緒にお店を出ようと思った。

 ……その時はまだ、いくらか余裕はあった。

「何か思い詰めているんじゃないですか? 冷静に考えてみてください。私では力になれないと思います」

「でも香月さんは編集として働いているでしょう。あなたならきっと俺を導いてくれる。定期的に会えませんか。やっぱり香月さんは俺の運め――」

「――失礼」

 思った以上に冷たい声が出た。顔から表情が消えるほど冷えた怒りが腹の奥底から湧き出る。一瞬、我を失いかけた。男性が言いかけた言葉に嘲笑を浮かべそうになる。

 けれど、ここには芽依さんがいた。彼女の前で理性のないことはしたくない。

 芽依さんを見ると、俺は自然と強ばった顔が緩んだ。彼女のおかげで落ち着きを取り戻し、問題の男性に向き直る。

 このまま適当に相手をして出て行ってもよかった。だが、こんなずるい手を使ってくる相手だ。きちんと対処しなければ、知人を使ってでも芽依さんと連絡を取り再び話をするだろう。

「彼女は断っているようなので、そろそろ解放して頂けませんか」

「お前には関係ないだろう。これは俺と香月さんの話だ」

 怒りと冷静さがほどよく前に出たためか、頭と口がよく回った。喫茶店に入ってからの二人の会話を思い出しては、男と同じように口調が荒くなってしまわないように自制する。

「行こうか、芽依」

 言いたいことを言い終えて、俺は芽依さんに声をかける。勢い余って呼び捨てにしてしまったけれど、芽依さんは顔を真っ赤にさせて頷いた。

 喫茶店を出た後、恋人のふりをするために芽依さんの手を繋いだ。

 男性との会話を終えると、途端に虚しくなった。

 ……俺は、何をしているんだろう。

 芽依さんの出会いや機会を奪いたくないと言いながら、奪っていた。確かに男性はずるいことをしていたが、そういう恋の駆け引きだってあるだろう。

 言い訳をさせてもらえるとすれば、肝心の芽依さんはそういうものに気づいていなかった。純粋に彼のことを案じて言葉をかけていたのだ。だから我慢することができなかった。

 不眠を理由に、芽依さんと同居している俺も、男性と対して変わらないだろうに。

 飲み屋街を抜け、駅を通りすぎて、夜が更けて道に人がいない住宅街に入っても、繋いだ手はそのままだった。芽依さんは手を繋いでいることも忘れて、話に夢中になっているのかもしれない。

 家に帰った頃、芽依さんは思い出したように話した。

「それにしても、合コンって少女漫画だと途中で抜け出したりする男女とか、終わったタイミングでこっそりどこかに行く話が多いんですけど、そういうのを見かけたりすることがなくて残念でした。やっぱり現実にはないんですかね、黒澤さん……?」

 とても残念そうに話す彼女は、人の恋路にしか興味がなかったのかもしれない。

 芽依さんこそ、そういう状況だったと思うんですけど。

 俺と男性が話したことは真に受けていないようだった。まあ、最後まで高倉と呼ばれた男性は口説きたくて話しかけたことを認めなかったから当然と言えば当然か。

 そして芽依さんは自信満々に言った。

「大丈夫ですよ、黒澤さん。私、恋愛にはあまり興味はないですし、結婚願望もないんです。だから黒澤さんがぐっすり一人で眠れるまで協力しますから」

 俺がいつまでも一人でぐっすり眠れなかったら、彼女はそばにいてくれるのだろうか。聞いてみたいけれど、怖くて聞けなかった。

 いつか芽依さんが誰かに恋をするとすれば、それは一体どんな人だろう。男性として好きになった人にはどんな顔をするのだろう。すこしは男として見てもらえているかな、と思ったけれど露出の少ない服を芽依さんに贈ってからはそういう服ばかりを着て眠っている。男として多少は意識してもらえたかと思いきや、俺よりも先に寝ていることが多かった。

 いい加減、曖昧にせずにこの生活の期限を決めるべきだろう。俺はどうしても芽依さんに頼らなければならないほど、酷い不眠になっていない。

 ――それこそ、高倉と同じようなことはしたくなかった。

 この生活を止めることを伝えるのなら、やっぱり約束しているデートが終わった後の方がいいだろう。

 その日まで、変な空気になりたくはなかったし、何より最後の思い出が欲しかった。





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