色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて

ながみ

ex 4-2. 彼の初恋 (春都視点)

 そんなことを思い出していると、ドンッと背中を叩かれて一気に現実に引き戻された。

「おい、加賀谷……お前、少しは自分で歩く努力しろよ」

「…う………やめろ、気持ち悪い」

「おい、頼むから吐くなよ!?ただでさえお前はムカつくぐらい背が高くて運びづらいってのに余計な仕事増やすな」

「まぁ、それは大丈夫でしょう。加賀谷のその状態はお酒云々というより精神的なストレスが原因だろうし。最悪、橘のスーツがダメになるだけだね」

「ぎゃー、このスーツ高かったんだぞ!それだけは絶対やめてくれ!」

「ほら、呼んでたタクシー来たよ。2人とも乗って」

「いやだ……帰りたくない………」

「じゃあね加賀谷、しっかり眠るんだよ。悪いけど俺は妻が家で待ってるから帰るよ。橘、後は頼んだ」

「おう、お疲れぃ」

 佐倉が呼んでくれたのであろうタクシーに揺られてどこかへ向かう。まぁ、橘の部屋だろう。これまでも何度か世話になっている。いつからか、あの店で酔い潰れると彼らが迎えに来てくれるようになった。いい加減こんなことは辞めなければいけないと分かっているし、あの店に通う頻度も随分落ちてきた。それでも、今でもたまにあの席で彼女との思い出に浸りたくなるのだ。

 なにせ、初恋だったのだ。姉たちの影響で物心つく前から恋愛モノのフィクションを延々と見ていた。あるいは未だに仲睦まじい両親たちの影響なのか、俺の生まれ持っての嗜好なのか、とにかく画面の中で微笑み合う幸せそうな2人に憧れていたのだ。何の因果か容姿に恵まれた俺は、言い方は悪いがいくらでも相手を選ぶことができたし、きっといつかは素敵な人に出会えるだろうと。そう思っていたのだ。

 だから、ティーンエイジャーの頃は色んな子と付き合ってみた。だけど、皮肉なことにみんな俺の顔しか見ていなかった、俺と付き合うことがある種のステータスのようになり、いつしかそこに肉欲が追加され……とうとう俺はうんざりした。本当に好きになった相手以外とそんなことをしたいとは到底思えなかった。刹那的な快楽を満たす存在ではなく、生涯を一緒に過ごす相手。そんな人を探し求めていた。

 それから何年も経って、俺は彼女を見つけたのだ。今まで自分が散々言われてきて、信憑性に欠けると判断していた一目惚れという現象。彼女を一目見て、自分の考えが間違っていたことを瞬時に理解した。身体が甘く痺れて、疼く。そんな不思議な感覚だった。それでも、そんな事実を受け入れがたくて己の感覚に内心抵抗していたのだが彼女に会うたびに好きという気持ちが際限なく溢れてきて、いつしか自分の想いは揺るぎないものになっていった。

 自分が思っていたより彼女が年下で驚いたこともあったが、そんなことは些細なことだった。それよりも彼女の気持ちが分からない事の方が深刻な問題だった。熱い目でこちらを見つめてくれることもあるのに、どこか冷めているというか。一線を引いた態度を取る彼女の思惑が読めなくてじれったかった。それでも、少しずつ彼女の心の壁が溶けていく実感はあった。だから、時間を掛けてどんどん俺に溺れさせて、丁寧に愛を注いでいきたかった。

 なのに、あの夜。小さく頷いた彼女の誘惑に耐えられず、彼女を抱いてしまった。自分も経験のないことだったのではっきりとはわからなかったが、恐らく彼女も初めてで。手探りで互いの身体を確かめて、本能のままに愛し合った。彼女の熱く柔らかな唇と絡み合う指先の感触。それだけで心が満たされて本当に幸せだった。

「しかし、お前も難儀だな………ルックスも中身も超一級品なのに心がぶっ壊れちまってる。あれ以来、誰も抱けないなんて……俺がそんな状態になったら気ぃ狂う自信あるわ」

「………それは別にどうでもいいよ」

「ああ?男にとっては死活問題だろ…ってかさ、何回も言ってるけど興信所とか使って調べりゃいいんじゃねぇの?いくらでも手段はあるだろ」

「……それは、考えたけど……俺と会う気のない彼女に無理強いするのは………迷惑だろ」

「はぁ、なんでこんなに健気な男がこんな目に遭ってんだろうな……」

 だから見捨てらんねぇんだよ、と呟いた橘が背中を撫でる。男に触れられて喜ぶような趣味はないのでシンプルに気持ち悪い。でも、そんな橘と佐倉の気遣いにはいつも感謝していた。

「仕事で…何か困ったことがあれば言えよ………」

「はいはい、いつもありがとうな………ほんっとに、歴代最年少でマネージャーに昇進するくらい仕事はできるのになぁ」

「…仕事しか、することないからな…でも、仕事も…そろそろ辞めるつもりだ……アメリカに帰る…」

「は、正気か!?」

 今日一番の驚きを見せた橘に肩を揺さぶられる。さすがにそれは本気で胃が気持ち悪い。そして、退職してアメリカに帰国するという話は本気だった。どの案件を最後にするかはまだ迷っているが、少なくとも1年以内にはUNIを辞める。いい加減、この地を離れて彼女への未練を断ち切らなくてはいけない。家業を継いでもいいし、向こうでコンサルをやってもいい。彼女を忘れるために仕事に熱中していたおかげで、1人で気ままに生きて行けるくらいにはスキルも経験も溜まった。

————それからしばらくして、俺は自分の最後の案件を決めた。

 社内でPMの募集がかけられていた大手化粧品メーカー、瑠璃香の案件。自ら提案中の案件でもなく、これまで長年に渡ってリレーションを築いてきたクライアントの案件でもない。なんなら、自分がこれまでコンサルタントとして培ってきたケイパビリティと若干ズレてすらいる案件。それでも、俺がこの案件を担当しようと思ったのは、かつて彼女が一番興味を示していた企業だったからだ。己の女々しさには本当にうんざりするがどうしようもない。心がそう叫んでいるのだから。

 そして、クライアント先でプロジェクト概要を説明している時に————彼女を見つけたのだ。関連部署の人間が全員集められた大規模な会議にも関わらず、自然と彼女に視線を引き寄せられた。当然、5年前とは雰囲気が違う。それでも彼女だとはっきりと理解した。

 その存在に気がついた瞬間から今すぐ会議など終えて、彼女の元に駆け寄りたかった。だが、さすがにそれは彼女にも迷惑がかかるだろうしやめておくことにした。代わりに、これからどうやって彼女に接触するか考える。極力迷惑をかけないように、それでいて確実に彼女を捕まえたい。こうして再会したからには絶対に逃したくないと本能が訴えてくる。物凄い速さで頭を回転させて策を考えたが、そもそも未だに彼女の名前すら知らないことに気がついた。まずは情報収集をしなくては。

 こんな仕事を何年も続けてきたおかげで、何も考えなくても淡々とプレゼンができるようになっている。そのことにこれほど感謝する日が来るとは思わなかった。口を動かしながら、彼女の姿を改めて確認すると隣に座った女子社員たちと何か話し込んでいる。この様子では、彼女は俺に気がついていないかもしれない。もしかしたら、そもそも忘れられているかもしれない。

 それでも構わなかった。今度こそ絶対に彼女を手に入れる。心の中でそんな想いを滾らせながら、俺はプレゼンテーションを締めくくったのだった。

 それから1週間が経って、彼女————逢坂玲奈の直属の上司である三木課長と会話していると、近くの席に彼女がいることに気がついた。さすがに課長と1対1で話をしながら様子を窺うのは難しく、彼女がこちらを向いた瞬間があったような気はするものの、すぐに視線を逸らされてしまって残念だった。仕事の話をしながら内心落胆していると、今度は彼女の話し声が聞こえてきて胸が高鳴った。しかし、その会話に眉を顰めた。課長が訝しげな顔でこちらを見ているがそれどころではない。

 少し距離があるので完璧に聞き取れた訳ではないが、何にせよ彼女と同僚の会話の内容は看過し難かった。婚活アプリで出会った相手と今夜デートする。おまけに、結婚まで辿り着けると良いね、だと?さらに、彼女は押しに弱いから何かあるかもしれないと言われている。思わず、彼女の方を振り向くと今日に限っていつもよりセクシーな服装をしていた。豊かな胸から腰にかけてのシルエットがやけに官能的で男の劣情を擽る。これは、絶対にダメだ。

 そう思った俺は適当な理由をつけて、課長との会話を終えると衝動的に彼女の後を追った。廊下で彼女の腕を掴んで、近くの空いていた会議室に入って、彼女の両腕をそっと壁に押し付ける。何を言うかなんて何も考えていなかった。ただ。彼女をこのまま見知らぬ男の元に送り出すのが嫌で。その一心で壁に縫い留めたのだが————彼女が縋るような声で俺の名を呼んでくれたのを聞いて、俺の心は決まった。

「————俺と結婚して欲しい。結婚を前提に付き合って欲しい」

 ひどく驚いた顔をしているものの、頬を薄っすらと染めた彼女が————玲奈が俺を見つめていたのだった。



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