色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて

ながみ

2-7. 遠い夏の夜の記憶

 今日はもう帰ろうか、とぎこちない笑みを浮かべた加賀谷さんに手を引かれて店の外に出た。急に告白されて、あんなことを言われた私は頭が真っ白になっていた。

 今までも散々、彼の友人やお店の人たちに言われていた。私自身も気がついていた。

 今日だって、そういうことがあるかもしれないと分かっていて彼についてきた。

 それでも、彼にこうして言葉にされると違った。想像と、全然違った。抑えきれない欲が滲んだ熱い瞳で見つめられると何も考えられなくなった。

 真夜中を過ぎ、華やかな灯りも消え始めた街には晩夏の冷たい風が吹いている。なのに、身体は熱を帯びていた。来た時と同じように繋がれた手はあの時以上に熱く感じる。加賀谷さんも、私と同じような気持ちなのだろうか。

 街路樹が並ぶ大通りに出ると、加賀谷さんは立ち止まった。

「この辺りならタクシーを捕まえられると思うから。今夜はありがとうね」

「加賀谷さん……」

「さっきのことは…気が向いた時に返事をしてくれればいいから。またお店に会いに行ってもいいかな?」

 私を気遣う優しげな瞳に問いかけられる。実はお店は今日までだったんです、と伝えたいのに上手く言葉が出てこなくて。でも、どうしても彼から離れがたくて。

 それで、繋いでいた手を私からぎゅっと握り返した。 

「……リリちゃん、そんな顔で見つめられると勘違いしそうになるよ」

 自分が今、どんな顔をしているかなんて分からない。この想いが何なのかも、彼と同じ気持ちなのかどうかも、恋愛経験のない私には分からない。それでも、まだしばらく彼と一緒にいたかった。

「……このまま帰りたくない」

 まだ一緒にいたい、離れたくないと思ったことをそのまま続けて言葉にしていると————加賀谷さんに唇を奪われた。強い衝動を感じるキスは激しくて、静かな夜の街に微かな水音が響く。

「————っ、あ」

「っは………リリちゃん、いいの?」

 妖しげな光を灯した彼の瞳が私を魅了する。舌を絡めるほど欲を滾らせているのに、最後の最後まで私を気遣ってくれる彼がじれったくて、でも愛しくて。

 小さく頷いた後のことはよく覚えていない。気がついたらタクシーに乗せられていて、手を引かれて彼の部屋へ。それから、2人きりの部屋でさらに激しいキスをして、甘く溶かされて————朝を迎えた。


***


 ぐっすりと眠る美しい顔を名残惜しく見つめて————私は静かに彼の家を去った。

 愛し合っている時にファーストネームで呼んで欲しいと言われて、昨夜から加賀谷さん…じゃなくて、春都さんと呼ぶようになった彼は眠っていても端正な顔立ちをしていた。あんなイケメンと素敵な一夜を過ごせて良かった。そう自分に言い聞かせて私は見知らぬ朝の街を歩く。

 目覚めてから、色々なことを考えた。昨夜のアルコールと、その…初体験で気怠い身体を起こして横を見ると、春都さんが幸せそうな顔でぐっすりと寝ていた。今週はかなり忙しかったそうで、昨夜はどうにか仕事を終わらせて会いに来ることができたと話していた。疲れている彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出す。下腹部の違和感が凄まじいが歩けないほどではない。

 春都さんの家はかなり広くて綺麗だった。白をベースに揃えられたインテリアはまるでホテルのようだ。アクセントとしてブルーの家具や雑貨が置かれていて、彼のセンスの良さを感じる。

————ただ、この部屋には違和感があった。生活感もあまりないような気がする。

 洗面台を借りたくて廊下に出ると、他にも部屋がいくつかあることに気がついた。1人暮らしというより、カップルや家族で住むことを想定した間取りのように思える。それに窓から見える景色からして、ここはかなり立地の良い場所だ。

「もしかして誰かと住んでるとか……まさかね」

 小声で独り言を呟きながら洗面台に行くとますます不安が募った。クレンジングや洗顔料が、置いてある。おそるおそるバスルームを覗くとやはり高そうな女性向けのシャンプーやトリートメントが揃えられていた。トイレやリビングにも男性の1人暮らしでは明らかに使わないものが散見されて私は血の気が引いた。

『前に働いてた銀座のクラブにいたんだよね。お遊びで女の子をガチ恋させて、一晩過ごした挙句にドッキリでしたって言い切った客が』

 いつかのルナさんの言葉が脳内で反芻される。柳さんはその可能性は低いんじゃないかと言っていたし、私もそう思っていた。でも、これだけ色んなものを見つけてしまうと分からなくなってきた。

 そんな折にスマホの通知音が聞こえた。私のスマホのものとは違うその音に振り向くと、加賀谷さんのスマホがリビングのテーブルの上に置かれていた————そして、その通知内容が目に飛び込んできた。

“今日泊まりに行くから”

 サラという名の送信相手のアイコンはどう見ても女性の写真だった。しかも、派手な美人。

 スッと頭が冷えていく。苦しいような、哀しいような、それでいてどこか納得するような気持ちを抱えたまま手を動かす。身支度を整え、荷物をまとめて、最後に寝室に立ち寄った。

 愛しい人の寝顔を見ながら本当にこれでいいのか考える。

 もしかしたら、私の勘違いで春都さんに疚しいことはないのかもしれない。疾しいことがあったとしても、目を瞑って彼と付き合ってみるという選択肢もある。

 それでも、もう終わりにしようと思ってしまった。彼の比にならないくらい、私だって嘘をついてきた。結局、本当の名前すら伝えていない。昨夜伝えようと思ったのに言いそびれてしまって少し後悔していた。でも、こうなってみると名前を教えなくて良かった。

 朝の街は晴れやかなものの、随分涼しかった。夏の終わりを告げるかのような風を感じながら、秋からの履修を考える。結局、夏はインターンにも行かなかったし就活も本腰を入れて頑張らないと。

————そうして、私は日常へと戻っていった。



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