色香滴る外資系エリートに甘く溶かされて

ながみ

1-2. 突然の再会と求婚

 プロジェクト開始から1週間、今のところ加賀谷さんに私の存在はバレていない……はずだ。

 加賀谷さんを始めとしたUNIのメンバーは1つ上のフロアを拠点としているらしい。半常駐と言っていたように毎日いる訳でもないようで、私が彼らを見かけることは稀だった。それでも会議やヒアリングの関係で私たちのフロアに降りてくることがあって、見かける度に心臓が竦んだ。

 幸い、私は加賀谷さんと直接関わる必要のない立ち位置にいる。だから、このままプロジェクト終了まで平穏に過ごしたい。過去の恋に騒ぐ心を抑えて、社会人となった私は自分にそう言い聞かせた。

 それに、と今夜の予定を確認する。実はデートの予定が入っているのだ。相手は2ヶ月ほど前に始めた婚活マッチングアプリで知り合った日本駐在中のイギリス人。このアプリで今の恋人に出会えたという結衣の熱烈な勧めにより、私は絶賛婚活中なのだ。

 恋愛も結婚もあまり興味はないが、気がつけば私も26歳。立派なアラサーだ。周囲は結婚ラッシュだし、両親が何だかそわそわしていることにも勘づいている。なので、試しに婚活を始めてみた。

 ただ……上手くいく自信はない。相手の問題ではなく、自分の心の問題だ。それなりに好意を向けることはできても、あと一歩を踏み出せない。私の密かな悩みだった。

 元々、異性を敬遠している節があった私は加賀谷さんと出会うまで恋をしたことがなかった。そして、その後は就活に燃えていたせいで恋愛どころではなかった。だから、自分の心の問題に気がついたのは就活を終えた後、学生時代の終わりにモテ期が到来した時だった。やることがなくなって燃え尽きていた私は、何故か立て続けに告白された。恐らく、暇そうにフラフラしている姿を見て「こいつならイケる!」と思われたのだろう。

 加賀谷さんを忘れるためにも新しい恋をしてみようと意気込んだ私は、なんと全員とデートに行った。そして、その結果1人だけ気になる人ができた。彼はそれまでほとんど話したことのない同級生で、随分と熱心に私を口説いてくれたのが決め手だった。それから彼とは何度かデートを重ね、お付き合いすることになった。傍から見ても悪くないカップルだったと思う。

 でも、ダメだった。相手が私を思う様な気持ちを返せていないことに気づいてしまった。関係が深まるにつれて、スキンシップを求められるようになったのに私はそれを受け入れられなかったのだ。なんとなく、触れられたくないと思ってしまう。結局、良い雰囲気になった時に私が彼を拒んでしまったことが引き金となって別れてしまった。

 入社後も社内の先輩や友達の紹介で知り合った人とそれっぽい雰囲気になることはあったけど、心から好きになれた人は誰もいなかった。肝心な場面で身体が竦んでしまって、相手に申し訳ないことをしてばかりだった。次第にそんな自分に嫌気が差して、ここ数年は恋愛そのものを避けていた。そして、仕事に没頭しているうちに今の年齢になってしまった訳だ。

 今夜の出会いはどうなるだろうか。あまり期待せず、会話と食事を楽しむことに集中しよう。そんなことを思いながら、ふと後ろを振り返ると課長と見覚えのありすぎる色男が話し込んでいた。慌てて姿勢を戻して、気配を殺しながら帰り支度をしていると「お疲れ様です、逢坂おうさかさん」とわざとらしい笑顔の瑞希が近づいてきた。

「椎名さんこそお疲れさまです……それで、どうしたの?」

「ふふふ、今夜って例のデートだよね?」

「うん。これから向かうとこ」

「きゃー!玲奈ってあんま恋愛してるイメージないから新鮮!婚活アプリの人だよね?このまま結婚まで辿り着けると良いね!!」

「ちょっと、そんなに大きい声で言わなくても!」

 あまりにも大きい声で瑞希が反応するから焦った。話のネタにもなるし、婚活していることを敢えて隠す気はないがシンプルに恥ずかしい。

「金曜の夜だし、もしかしたらそういうこともあるかもよ?玲奈もなんだかいつもよりセクシーな感じだし」

 声を潜めた瑞希がニヤニヤしながら私の腕をつついてきた。化粧品会社勤務なので普段からそれなりに外見には気を遣っているが、今日は特に大人っぽい装いにしてみた。胸元に抜け感のある紺のブラウスとブラックのタイトスカートに華奢な7cmヒールのパンプスを合わせている。身体のラインを引き立ててくれるものの、品良く見える組み合わせなのでオフィスでも問題ない服装のはずだ。

「ないない。相手が年上だからいつもより大人っぽくしてるだけだって」

「でも、相手はわかんないじゃん?玲奈はクールな美人さんだけど案外押しに弱そうだからなぁ。なんかあったら私に連絡していいからね!」

 やけに真剣な顔で瑞希がそんなことを言うから、思わず笑ってしまった。デートの前に化粧直しもしたいし、もう行くねと伝えて瑞希と別れる。そのまま席を立って、廊下に出た。

 デートに向けて自分の気分を上げるためにアクセサリーや香水を持ってきている。これからどこかで支度しなきゃなと考えつつ、人気のない廊下を歩いていると不意に後ろから腕を掴まれた。

「————少し、お時間良いですか」

 その声に肩が揺れる。私の大好きな、大好きだった艶のある低い声。偽りの名前を甘く優しく呼んでくれたその声に捕らわれて体が動かなくなる。

 突然のことに返事すらできずにいると、近くの会議室へと腕を引かれた。誰もいない会議室の壁に両腕を縫いつけられた私は、ただ目を見開くことしかできない。そして、互いの視線が絡んだ刹那、私は彼の名を呼んでしまった。

「————は、るとさん」

「っ、リリちゃん……」

 しまったと思った瞬間にはもう遅かった。よりによって彼のファーストネームを口にしてしまった。自分で発したにも関わらず、その懐かしい響きに心臓が跳ねる。彼もまた、この場では誰も知りえない私の偽りの名を呼んだ。

 何を言えばいいのか分からず、美しい顔を至近距離で見つめる。遠目で見て思っていた通り何も変わっていない。むしろ、あの頃よりさらに素敵になっていて……なんだかくらくらしてきた。彼の色香に当てられてしまったのだろうか。

 私がそんなことを考えていると、完璧な形の唇がゆっくりと動き始めた。躊躇うような、それでいて強い意志を感じさせる声が響く。

「————俺と結婚して欲しい。結婚を前提に付き合って欲しい」

 狂おしいほど切なげな表情で想いを伝える彼が———加賀谷さんが私を見つめていたのだった。



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