もう一度、重なる手
もう一度、重なる手
中学生のとき、歳の離れた妹ができた。
俺が小学生のときに母親が病気で死んで以来、色恋沙汰の全くなかった父親が、突然に再婚相手を連れてきたのだ。
父の再婚相手は高校の同窓会で再会した同級生で、実年齢よりも五つは若く見える美人だった。梨花さんという名前の彼女には、小学生になったばかりの子どもがいた。それが、フミだ。
最初は小学生の妹なんて、わがままで自分勝手で面倒くさいに違いないと思っていたけれど、フミはとても落ち着いていて、わがままでも自分勝手でもなかった。
特にフミは人見知りが強くておとなしく、何をするにもまず、大人の顔色を慎重に窺っていた。実の母親である梨花さんにも、なるべく我儘を言わないようにと毎日気を遣っているふうだった。
人の顔色を窺うばかりで、ほんとうに欲しいものを選べない。自分のほんとうにしたいことを主張できない。俺はそんなフミのことが気になった。
家族になったのなら、せめて兄である俺の前でくらいはリラックスできるようになってもらいたい。そう思ったから、時間があればフミを遊びに連れ出したり、宿題をみてあげたりして、懐いてもらえるように努力した。その成果もあってか、フミは俺の前ではよく笑うようになったし、気を遣わずに話をしてくれるようになった。
俺のことを「アツくん」と呼んで懐いてくれるフミは、すぐに実の妹みたいに可愛くて、大切な存在になった。
だけど俺は、フミの母親の梨花さんのことはあまり好きになれなかった。
自由奔放で自分のことが一番大事なタイプの梨花さんは、フミよりもずっと内面的に子どもに見えた。そんな彼女と俺の父との結婚生活は長くは続かず、結婚して三年で離婚することになった。
父と梨花さんの離婚が決まったとき、実子である俺は父についていくことになったけれど、フミには選択肢が与えられた。
血の繋がりのない俺や父と一緒に暮らすか、実の母親である梨花さんと暮らすか。まだ十歳だったフミには、きっと難しい決断だった。
父と梨花さんの離婚の原因が、梨花さんの不倫だったことを知っていた俺は、「一緒に行こう」と何度もフミを誘った。
結婚しているのに家庭を――、特に実の娘であるフミのことを考えずに不貞行為をした梨花さんに、大切なフミを任せられないと思った。
フミだって、実の娘にあまり関心のない母親よりも、彼女を大切に思っている俺や父のことを選ぶと思った。だけど、決断の日。
「おいで……」
俺が声をかけても、フミは小さな頭を左右に振って、決して俺の手を取ろうとはしなかった。今にも泣き出しそうな瞳は確実に俺を求めて揺れているのに、フミが選んだのは血縁のある実の母親だった。
フミと離れたあとも、俺はたった数年だけ家族になれた小さな女の子のことが忘れられなかった。
フミは梨花さんの元でちゃんとした生活が送れているのだろうか。自分がしたいと思うことをちゃんとできているだろうか。
事あるごとにフミのことが思い出されて、いつも気がかりだった。
だから俺の勤めているクリニックのあるビル内でフミと再会したときは、運命の巡り合わせだと思った。
そんなフミと、紆余曲折あって付き合うことになった俺は、十四年ぶりにフミの母親――、梨花さんと会うことになった。
ホテルのカフェで。俺の父と俺、フミ、梨花さんの四人で。
ひさしぶりに会った梨花さんは昔よりも老けていたけれど、それでもやっぱり実年齢よりも若く見えて綺麗だった。大きくてパッチリとした目が、フミと似ている。だけど、性格や少し高慢な物言いは、おっとりしているフミとは全く似ていなかった。
俺とフミが、将来的なことも見据えて同棲を考えていることを伝えると、梨花さんは俺たちにとんでもない提案をしてきた。
「史花と侑弘くんが家族になって、またみんなで昔みたいに暮らせたら楽しそうだなって思ったのよ」
父と結婚しているときから身勝手なことばかりしていた梨花さんは、十四年ぶりに会ってもその本質を全く変えていなかった。
もともと、家族として暮らしていた俺たち四人の生活を壊したのは梨花さんだ。それなのに、『またみんなで暮らせたら』なんて、そんな話、俺や父が簡単に受け入れられるはずがない。
梨花さんの自分勝手な発言に、普段は温厚な父が珍しく本気でキレていた。
父にキレられた梨花さんは驚いて放心状態になっていて、その隣でフミも戸惑いの表情を浮かべていた。
父と梨花さんの争いに巻き込まれて戸惑うフミの顔が、十四年前の小学生だったフミと重なる。
「おいで、フミ」
俺はフミに手を差し伸べると、優しい声で呼びかけた。
梨花さんの隣で心許なさげな表情を浮かべているフミに、手で、声で必死に訴えかける。
もう、十四年前のように後悔はしたくない。フミのことを手放したくない。
だから今度こそ、俺の手をとって。俺を選んで。
そうすれば、重なるその手をあの日の小さな君と一緒に握りしめて。もう二度と離さないから――。
fin.
俺が小学生のときに母親が病気で死んで以来、色恋沙汰の全くなかった父親が、突然に再婚相手を連れてきたのだ。
父の再婚相手は高校の同窓会で再会した同級生で、実年齢よりも五つは若く見える美人だった。梨花さんという名前の彼女には、小学生になったばかりの子どもがいた。それが、フミだ。
最初は小学生の妹なんて、わがままで自分勝手で面倒くさいに違いないと思っていたけれど、フミはとても落ち着いていて、わがままでも自分勝手でもなかった。
特にフミは人見知りが強くておとなしく、何をするにもまず、大人の顔色を慎重に窺っていた。実の母親である梨花さんにも、なるべく我儘を言わないようにと毎日気を遣っているふうだった。
人の顔色を窺うばかりで、ほんとうに欲しいものを選べない。自分のほんとうにしたいことを主張できない。俺はそんなフミのことが気になった。
家族になったのなら、せめて兄である俺の前でくらいはリラックスできるようになってもらいたい。そう思ったから、時間があればフミを遊びに連れ出したり、宿題をみてあげたりして、懐いてもらえるように努力した。その成果もあってか、フミは俺の前ではよく笑うようになったし、気を遣わずに話をしてくれるようになった。
俺のことを「アツくん」と呼んで懐いてくれるフミは、すぐに実の妹みたいに可愛くて、大切な存在になった。
だけど俺は、フミの母親の梨花さんのことはあまり好きになれなかった。
自由奔放で自分のことが一番大事なタイプの梨花さんは、フミよりもずっと内面的に子どもに見えた。そんな彼女と俺の父との結婚生活は長くは続かず、結婚して三年で離婚することになった。
父と梨花さんの離婚が決まったとき、実子である俺は父についていくことになったけれど、フミには選択肢が与えられた。
血の繋がりのない俺や父と一緒に暮らすか、実の母親である梨花さんと暮らすか。まだ十歳だったフミには、きっと難しい決断だった。
父と梨花さんの離婚の原因が、梨花さんの不倫だったことを知っていた俺は、「一緒に行こう」と何度もフミを誘った。
結婚しているのに家庭を――、特に実の娘であるフミのことを考えずに不貞行為をした梨花さんに、大切なフミを任せられないと思った。
フミだって、実の娘にあまり関心のない母親よりも、彼女を大切に思っている俺や父のことを選ぶと思った。だけど、決断の日。
「おいで……」
俺が声をかけても、フミは小さな頭を左右に振って、決して俺の手を取ろうとはしなかった。今にも泣き出しそうな瞳は確実に俺を求めて揺れているのに、フミが選んだのは血縁のある実の母親だった。
フミと離れたあとも、俺はたった数年だけ家族になれた小さな女の子のことが忘れられなかった。
フミは梨花さんの元でちゃんとした生活が送れているのだろうか。自分がしたいと思うことをちゃんとできているだろうか。
事あるごとにフミのことが思い出されて、いつも気がかりだった。
だから俺の勤めているクリニックのあるビル内でフミと再会したときは、運命の巡り合わせだと思った。
そんなフミと、紆余曲折あって付き合うことになった俺は、十四年ぶりにフミの母親――、梨花さんと会うことになった。
ホテルのカフェで。俺の父と俺、フミ、梨花さんの四人で。
ひさしぶりに会った梨花さんは昔よりも老けていたけれど、それでもやっぱり実年齢よりも若く見えて綺麗だった。大きくてパッチリとした目が、フミと似ている。だけど、性格や少し高慢な物言いは、おっとりしているフミとは全く似ていなかった。
俺とフミが、将来的なことも見据えて同棲を考えていることを伝えると、梨花さんは俺たちにとんでもない提案をしてきた。
「史花と侑弘くんが家族になって、またみんなで昔みたいに暮らせたら楽しそうだなって思ったのよ」
父と結婚しているときから身勝手なことばかりしていた梨花さんは、十四年ぶりに会ってもその本質を全く変えていなかった。
もともと、家族として暮らしていた俺たち四人の生活を壊したのは梨花さんだ。それなのに、『またみんなで暮らせたら』なんて、そんな話、俺や父が簡単に受け入れられるはずがない。
梨花さんの自分勝手な発言に、普段は温厚な父が珍しく本気でキレていた。
父にキレられた梨花さんは驚いて放心状態になっていて、その隣でフミも戸惑いの表情を浮かべていた。
父と梨花さんの争いに巻き込まれて戸惑うフミの顔が、十四年前の小学生だったフミと重なる。
「おいで、フミ」
俺はフミに手を差し伸べると、優しい声で呼びかけた。
梨花さんの隣で心許なさげな表情を浮かべているフミに、手で、声で必死に訴えかける。
もう、十四年前のように後悔はしたくない。フミのことを手放したくない。
だから今度こそ、俺の手をとって。俺を選んで。
そうすれば、重なるその手をあの日の小さな君と一緒に握りしめて。もう二度と離さないから――。
fin.
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