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完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます

小達出みかん

ごめん

セミの鳴き声が響くその日の夕方、郁美は花園に呼び出され、迎えにきたタクシーに乗り込んだ。

 ――今日は、企画が採用か却下か決まる、大事な会議があると聞いている。

(呼んでくれたったことは、うまく、いったのかな。)

 企画はお父さんに認められたのか。薔薇の家はどうなったのか。そして……花園が郁美に話したい事とは、何なのか。

(改まって、何だろう。借金の事とか……かな)

 そういえば、最近忙しくて、花園とそういう行為をしていない。もしかしたら、これを機に、この関係を清算しようというつもりなのかもしれない。そう考えて、郁美は何故か少し動揺した。

(も、もちろん、そう言う事なら……時間がかかっても、きっちり借金は返す気持ちではいるけど……!)

 ヤミ金と違って、利子が膨れ上がったり、ヤクザが取り立てに来るわけではない。かなりありがたい債権者だ。だけど。

(もしかして……私にもう、飽きたとか……?)

 ここのところ、花園と郁美はただ仕事の話をしあい、励まし合うような関係になっていた。そんな郁美に、花園はもう『女』としての興味が失せてしまったのかもしれない。

 良い同僚。仕事仲間。そんなポジションに、シフトしたのかもしれない。

(それは……ありがたい事、のはず)

 自分は最初、花園との行為に対して拒否感があったではないか。早く終わってくれればいいと、思っていたではないか。それなのに、これから花園にそう言われるのかと思うと、車の中で一人、恐ろしかった。

(やっぱり……私、あの人の事が)

 一体いつから、こんなに彼が、自分の心の中を占めるようになってしまったんだろう。何がきっかけだったんだろう。

 花園が、郁美のお弁当に礼を言った時だろうか。それとも、一緒にスーパーに買い物に行ったあの日だろうか。いや、一緒に薔薇を見た日だろうか――。

(わからない。でも……)

 最初は、花園の事が苦手だった。意地悪で人を見下す、嫌な人だと思っていた。けれど、それは彼のすべてではなかったのだ。この数か月一緒に過ごして、郁美は彼の優しい部分や、弱い部分をたくさん知った。

(意地悪な御曹司じゃない。彰さんはやっぱり……)

 郁美がパスタを作ったら、手放しで喜んでいた。褒めたら、無邪気な顔を見せて笑った。 

(頑張り屋で、一生懸命な……年下の男の子)

 彼は誰か褒めてくれる人を、抱きしめて励ましてくれる人を求めていたのだ。

 それがわかってしまった今、郁美はもう、彼の事を放っておけなくなってしまった。

(ちょっと意地っぱりな所もあるけど……私、花園さんの事が)

 大事に、なってしまったのだ。ワン太ちゃんのキーホルダーをくれた彼を。郁美に思い出の庭を見せてくれた彼を。

 しかしだからこそ、郁美は思った。

(もし彰さんが――もう私に興味がないのなら、潔くお礼を言って、別れよう)

 これからは、良き同僚として接していく。彼には郁美よりももっとふさわしい人が、きっといるはずだから。

(借金をかかえた、こんなしがない従業員なんかじゃなくて、ちゃんとした家の、素敵な人が)

 その時車が止まったので、郁美はタクシーから降りた。目の前に、大きなホテルのビルが聳え立っていた。回転ドアの向こうに見知った人影が見えたので、郁美は少し緊張しながらもガラスの丸い玄関をくぐった。

「すみません、お待たせしましたか?」

 郁美が声をかけると、花園は振り向いて笑みを浮かべた。ダブルのスーツ。初めてみた。ダブルだと、どうしても衣装じみてしまいがちであるが、花園は着慣れているのが堂々として、まるで大仰な感じがしない。彼のノーブルな佇まいと、ホテルのロビーがとてもしっくりくる。

「いや、俺も今ついたところ。行こうか」

 連れてこられたのは、最上階、26階にあるレストランだった。壁は全面ガラス張りで、テーブルには真っ白なクロスと、そして一輪の紅い薔薇が飾られていた。

(わぁ……本格的なレストランだ……)

 給仕が引いてくれる椅子にドキドキしながら座ると、ガラスを一枚隔てた東京の夜景が目に飛び込んできた。無限に広がるように見える夜景の輝きを眺めながら、郁美は会話の口火を切った。

「こんな素敵な所に連れてきていただいて、ありがとうございます」

 軽く頭を下げた郁美に、花園は少しむくれたように言った。

「……結局、最後まで敬語、やめなかったな」

 最後。その言葉に思わずドキッとする。

「そ、それより……今日の会議は、どうでしたか。企画は……」

 緊張しながら聞く郁美に、花園はふっと笑った。

花がほころぶような笑みだった。

「それが、親父もしぶしぶ、認めてくれてさ。兄貴は吠えてたけど。これから正式に検討される、ってさ」

 それを聞いて、郁美の緊張もいくらかやわらいだ。

「ああ、よかったですね!やっぱり良い企画だから、わかってくれたんですね」

「まぁ、青山先生の存在が、大きかったかな……。あの人が賛成してくれたから、親父もとりあえず認めざるを得ない、って感じだったし」

 あの時、花園を泥酔させた偉い「先生」か。しかし郁美はふと気が付いた。

「でも、その先生を彰さんの紹介したのは、お父様なんですよね? ということは……」

 郁美は少し考えて、言った。

「お父様は、こうなる事を本当は期待していたんじゃないでしょうか」

「え?」

「ただの憶測ですが……。お父様は、変化をせず伝統を守るという方針を、お持ちだったんですよね。だけど、売り上げを考えれば何がしかの変化を受け入れなくてはいけない。でも、今更そんな企画を受け入れれば、自分の方針を覆したようになってしまって、周りに示しがつかない……」

 グラスを傾けながら、花園はふうんとうなずいた。

「それで、青山先生クラスの人にごり押しされて仕方なく変化を受け入れる……という流れを作りたかった、と」

「と、言う事じゃないでしょうか。青山先生の指導の下、うなずかざるを得ないような企画を彰さんが作るのを、期待していたのでは」

 すると花園は、照れ隠しのように顔をしかめた。

「うーん、どうかなぁ」

「なんか、そんな気がします。でもとにかく、よかったです。あの企画が実現するの、私も楽しみなんです」

「そう?」

「はい。一目見て、ここのカフェ席に座って美味しいものを食べたいな、って思いました。だからきっと、いろんな人がそう思うと思いますよ」

「そっか……そうなると、いいな」

「そうです。きっとお兄さんもお父さんも、彰さんの実力を認めるようになりますよ。これから」

「あの兄貴とは、もう関わらないでいれれば俺は十分だよ」

 せいせいしたようにそう言う花園に、郁美は家の事を聞いた。

「お兄さんは……その、家の事は、何か言っていました?」

「ああ、言っていたな。会議後、あの家を今日にでも潰してやる、とかってさ」

「それはまた……企画が通った彰さんに腹いせしたかったんでしょうか」

「そんなとこだろうな。でも、遺書のコピーを見せたら、とうとう兄貴も尻尾を巻いて帰ったよ」

 郁美はほっとした。

「お兄さんにも、わかってもらえたんですね。じゃあ、家は……」

「もうちゃんと、俺のものだ。これからも西田さんに、庭の管理をお願いし続ける」

「よかったです……西田さんにも、あとで連絡を入れますね」

「ああ。これも郁美のおかげだな。まさか押し入れの奥に、遺書が眠っていたなんて」

 郁美の見つけた遺書は、ワン太ちゃんのぬいぐるみごと、銀行に預けてある。

「いえ、たまたまだったんです、本当……」

「俺も、すっかり忘れてた。あのぬいぐるみをもらった事。ばあちゃんが死んだあと、置いて出たことだけは、覚えていたんだけど」

「持っては出なかったんですね」

「あの兄貴のいる花園家に持っていくより、ばあちゃんの家に置いて行った方が良いって思ったんだろうな。子どもなりに、考えたんだな」

「そうでしたか……」

「でもまさかあそこに、祝電以外の手紙が入っていたなんてな」

 手紙には、子どもにもわかりやすいひらがなで記してあった。自分に病気が見つかったこと。まだ猶予はあるが、いつかお別れしなくてはいけない事。そしてこの庭と屋敷を、彰に譲りたいという想いが。

おそらくそのあと、弁護士に正式に文書を作るよう依頼するつもりだったが、予想外の発作が起こり、叶わなかったのだろう、と西田さんが推測していた。

『彰さんが気が付くように、大事な祝電のぬいぐるみと一緒にしておこう、って考えたんでしょうね……』

 花園はふっと笑った。

「俺、悪い事しちゃったな。ばあちゃんが死んで、祝電を見返しもしなかった。あのぬいぐるみを見るのが、しんどくて、でも大事でさ。それで、持っていかずに置いていったんだ。で、さっぱり忘れてた。郁美がワン太を好きって言ったときに、何か思い出しそうな気がしたんだけど」

 郁美はなんとはなしに、バッグから家の鍵を取り出した。花園がくれたワン太ちゃんのマスコットを、そこにつけていたのだ。

「これを買うの……辛くありませんでしたか」

 すると花園は、自分の鞄の底から同じものを取り出し、郁美のワン太ちゃんの隣に置いて眺めた。

「いいや? 今は何とも思わない。むしろ……こいつを見て、穏やかな気持ちになるよ」

 薔薇の花の下で、小さい2匹のワン太ちゃんが、仲良く座っている。それを見る花園の目も、優しかった。

「お店でこいつらの顔を見たとき、やっと思い出したんだよ。そうだ、俺はこのぬいぐるみを、ばあちゃんからもらったなって。だから何か懐かしかったんだって。それで、郁美にあげようと思って買ったんだ」

 ワン太ちゃんのつぶらな目を見るようにして、花園はふっと笑った。

「郁美が喜んでくれるかなって思ったんだ。そう思うと、ワクワクした。それで、人に何かをプレゼントするって、楽しい事なんだなって思った。だからばあちゃんも、俺にあのぬいぐるみを買った時、楽しかったのかな」

 その言葉に、郁美は強くうなずいた。

「そうですよ。きっと楽しいし、嬉しかったはずです。大事な孫の入学祝いなんですから」

 しかし、花園は下を向いた。

「ど、どうしたんですか!?」

 何かいけない事を言ってしまったかと焦る郁美だったが、花園はぽつんとつぶやいた。

「俺がやった事知ったら、ばあちゃん、きっと悲しむだろうな」

「……え?」

 何を言っているんだろうと首をかしげる郁美に、花園は軽く息をついて、話した。

「俺、ずっと自分が自分が、ってそればっかりで、人の事を考えてなかった。最低な野郎だった」

 次の瞬間、花園は郁美に深々と頭を下げた。

「ごめん。借金の事も、無理強いしたことも。最低な事をしたって、思ってる……」

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