完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます
秘密の薔薇園
表参道を向けて、車はゆうゆうと走っていく。花園は機嫌が良かったが、なぜか目的地を言おうとしない。
「どこですか? 教えてくださいよ」
少し不安だった郁美は聞いてみたが、にやにや笑うだけで教えてくれない。
「安心しなよ。そんな変なとこじゃないから」
(変なとこって……)
ますます不安になってしまった郁美だったが、その時車はぴたりと止まった。いつの間にかビル街を抜けて、緑ある閑静な住宅街に来ていたようだ。目の前には、レンガの塀に覆われた邸宅があった。中は良く見えないが、塀の背を抜いて木々が茂っているのがわかる。
「ここは……?」
「俺の祖母の家だ。今は誰も住んでいないけど」
花園は鍵を取り出し、野茨の絡みつく門を開けた。白い可憐な花が、錆びた黒い柵に絡みついている。門だけで、なんだか絵になりそうな雰囲気だ。
(この先に、魔女のお屋敷があっても、不思議じゃないような)
キィとわずかな音がして、門が開く。少しわくわくしながら、郁美は花園について中に足を踏み入れた。
「わ……」
郁美は思わず、目を見開いた。入ってすぐに、目の前で様々な蔓草や花が絡まり合い、緑のトンネルになっている。中の通り道は、まるで鉱山の輝く宝石のように、そこここに薔薇が埋もれて咲いていた。ダイナミックなトンネルのその先に、屋敷の一部がわずかに見える。
「ほら、行こうよ」
驚く郁美を見て、花園は嬉し気に郁美に手を差し出した。まるで悪戯が成功した子どもみたいな顔だった。
「は、はい」
花園はしっかりと郁美の手を握って、歩きだした。
このトンネルは庭師の手によって意図的に作られたものらしく、ところどころ枝分かれしていた。先をのぞくと、白いベンチがあったり、古びた木製のぶらんこがあったりした。
(すごい……まるで『秘密の花園』みたい)
言葉もなく花や景色に見とれる郁美を見て、花園は楽しそうだった。
「どう? 気に入った?」
「とても素敵なお庭ですね。いろんなお花が盛りで、どこを見ても綺麗で……」
トンネルが途切れ、外の庭が垣間見えた。睡蓮の池に、小さな橋が架かっている。午前の日差しにまどろむように、薄桃色の睡蓮は蕾を閉じていた。
見とれる郁美の隣で、花園は苦笑した。
「ああ、あの池に昔、ボールを落とした事があったっけな」
「よくここで遊んでいたんですか?」
「まあ、一時住んでたからな」
こんな所に住むなんて、やっぱり御曹司は違うな。郁美はそう思ったが、花園はそれ以上は何も言わなかった。
ようやっと、屋敷の玄関にたどり着いた。白い壁に蔦のからむ、青い屋根のお屋敷だった。花園は何のためらいもなく、鍵を開けて飴色に光るドアノブをまわした。中は磨き抜かれた板敷きの廊下が続いている。花園はどんどん先へ行く。
「あの、私、入って大丈夫ですか?」
「俺が連れてきたんだから、いいに決まってるだろ」
そう言われて、広い玄関の三和土の上で郁美は靴を脱いだ。
「お……おじゃまします……」
立派な応接間には、座り心地のよさそうなツイードのソファセットが置いてあった。レースのカーテンを透かした木漏れ日が落ちて、床に花の模様を作っている。人の住んでいるような生活感はないが、丁寧に手入れされている気配がした。
しかし花園は素通りして階段を上っていった。さらにいくつか廊下を曲がると、そこは屋上に続く扉だった。
「ほら、出るぞ」
ドアを開けると、屋上もまた小さな庭になっていた。花壇や鉢が道のように配置され、どちらを向いても薔薇が咲いていた。まるで空中庭園だ。
「わぁ……綺麗……」
青空の下、薔薇は今が盛りの美しさだった。真紅に、桃色に、白に、紫に……。目移りしてて視線を庭の外にやると、緑の木々に、他の家々の屋根、そして初夏の空の遠くにスカイツリーの影が見えた。
「なんて良い景色」
郁美は思わずつぶやいた。薔薇とこの景色。とてもおよびつかないが、自分のバルコニーでも、こんな風に美しく薔薇を咲かせてみたいものだ。
「郁美に、これを見せたかったんだ」
そう言われて、郁美は花園を顧みた。
「ありがとうございます。とても……いいものを、見せてもらいました」
「花とか好きって言ってたからさ。ここのこと思い出して。テレビでやってるとこより混んでないしいいかなって」
「おばあ様は、ガーデニングがお好きだったんですか?」
「そうだったな。庭師も雇っていたし、自分もよく花の世話をしていた」
懐かしがるような顔で、花園はつぶやいた。その優しい表情を見て、ここは彼にとって良い思い出のある場所なのだな、と郁美は分かった。
「本当に、素敵な庭にお家ですね。住んでいる人がいなくても、なんだか温かい感じがします」
「そっか……郁美も、そう思うか」
おばあ様は、どんな方だったんですか……。そう聞こうとしたとき、二人の背後でドアが開いた。
「まぁ、いらしてたんですね、彰さん。こちらは……?」
ドアの向こうに、緑のエプロンをかけた白髪の老婦人が建っていた。
「お久しぶりです、西田さん。彼女は一斤の社員の中野さんです」
彼女は微笑んで郁美に挨拶をした。
「初めまして、私はここの庭園の管理をしています、西田と申します」
たしかに長いエプロンには、土がついていた。長い白髪をすっきりと一本にまとめて、きりっとした姿だ。郁美は本物の庭師を前にして、少し興奮した。
「突然お邪魔して、申し訳ありません。とても美しいお庭を見せていただいていました」
「まぁ、ありがとうございます。今は誰も見る人もいないから、花たちもきっと喜んでいます」
優しいその言葉に、郁美はついつい熱く語ってしまった。
「どの薔薇も、大振りで咲き誇っていて……屋上なのに、すごいです。私もベランダで薔薇を育てているのですが、あまりうまくいかなくて」
「なかなか条件がそろわないと難しいですよね。薔薇の種類は……?」
「イングリッシュローズの、ピンク色のものです。品種名はちょっとわからないのですが……粉を吹いたみたいに萎れてしまって」
「あら、それはきっとうどんこ病ですね。待ってて、治し方を書いて渡しますわ」
彼女がそう言って階段を降りていったので、郁美はあわてて後を追った。
「大丈夫です! 今、スマホで調べてみます……!」
検索欄に『うどんこ病』と打つ。先ほどのソファのある応接間で、西田さんも郁美のスマホを覗き込んだ。
「そうそう、この殺菌剤をまいておくと、病気は予防できるの。でも、発症してしまったあとはミラネシンで洗うのよ。専門店に行かないとないから、分けてあげるわ」
「す、すみません……!」
恐縮する郁美に、彼女は薬剤の入った袋を渡して笑った。
「いいえ、気にしないで。せっかく薔薇好きのお嬢さんとお知り合いになれたんだから」
微笑むその目は、ただただ温かい。おばあ様という人も、こんな優しい人だったのだろうか。そんな思いがふとよぎった。
「ありがとうございます。私も、嬉しいです」
素直な嬉しさから頭を下げた郁美を見て、ふふと西田さんは笑った。
「なんだか中野さんとは、長いお付き合いになるような気がします」
「え? そ、それは……?」
郁美が聞くと、彼女は謎めいた微笑みを浮かべた。
「あんな嬉しそうな彰さんを見るのは、子どもの時以来かもしれません」
どういう意味だろう。郁美はとりあえず彼の事を聞いた。
「彰さんとは、長いお付き合いなんですか?」
「ええ。小さいころは、この家の主人の敦子さんと仲良しでね。よくお庭で3人一緒に遊んだわ……」
少し寂し気な顔で、西野さんは言った。郁美は御曹司以外の花園の顔を知らない。だからこうやって彼の昔の話を聞くのは、なんだか不思議な気持ちだった。
(おばあちゃんっ子……だったんだ)
「大人になってからはあまりここには来られなくなって。たまに来られる時も、いつもおひとりだったから」
と、言う事は。
思い出の大事な場所に、花園は郁美を招待してくれた、という事なのだろうか。
郁美の胸が、きゅっとなる。それは、自分でも思いがけない反応だった。
素敵なワンピースを買ってもらうより、ジャグジー付きのホテルに泊まるよりも、今日ここに連れてきてくれた事が、嬉しい。そう思ってしまったのだ。
意地っ張りな彼が、心の奥底にしまい込んでいる物を少し、見せてくれたようで。
「いったい2人とも、何しているんだ?」
するとその時、上から花園が降りてきた。西田さんが朗らかに言った。
「ふふ、今お茶を淹れますよ。どうぞ庭園で召し上がってください」
「どこですか? 教えてくださいよ」
少し不安だった郁美は聞いてみたが、にやにや笑うだけで教えてくれない。
「安心しなよ。そんな変なとこじゃないから」
(変なとこって……)
ますます不安になってしまった郁美だったが、その時車はぴたりと止まった。いつの間にかビル街を抜けて、緑ある閑静な住宅街に来ていたようだ。目の前には、レンガの塀に覆われた邸宅があった。中は良く見えないが、塀の背を抜いて木々が茂っているのがわかる。
「ここは……?」
「俺の祖母の家だ。今は誰も住んでいないけど」
花園は鍵を取り出し、野茨の絡みつく門を開けた。白い可憐な花が、錆びた黒い柵に絡みついている。門だけで、なんだか絵になりそうな雰囲気だ。
(この先に、魔女のお屋敷があっても、不思議じゃないような)
キィとわずかな音がして、門が開く。少しわくわくしながら、郁美は花園について中に足を踏み入れた。
「わ……」
郁美は思わず、目を見開いた。入ってすぐに、目の前で様々な蔓草や花が絡まり合い、緑のトンネルになっている。中の通り道は、まるで鉱山の輝く宝石のように、そこここに薔薇が埋もれて咲いていた。ダイナミックなトンネルのその先に、屋敷の一部がわずかに見える。
「ほら、行こうよ」
驚く郁美を見て、花園は嬉し気に郁美に手を差し出した。まるで悪戯が成功した子どもみたいな顔だった。
「は、はい」
花園はしっかりと郁美の手を握って、歩きだした。
このトンネルは庭師の手によって意図的に作られたものらしく、ところどころ枝分かれしていた。先をのぞくと、白いベンチがあったり、古びた木製のぶらんこがあったりした。
(すごい……まるで『秘密の花園』みたい)
言葉もなく花や景色に見とれる郁美を見て、花園は楽しそうだった。
「どう? 気に入った?」
「とても素敵なお庭ですね。いろんなお花が盛りで、どこを見ても綺麗で……」
トンネルが途切れ、外の庭が垣間見えた。睡蓮の池に、小さな橋が架かっている。午前の日差しにまどろむように、薄桃色の睡蓮は蕾を閉じていた。
見とれる郁美の隣で、花園は苦笑した。
「ああ、あの池に昔、ボールを落とした事があったっけな」
「よくここで遊んでいたんですか?」
「まあ、一時住んでたからな」
こんな所に住むなんて、やっぱり御曹司は違うな。郁美はそう思ったが、花園はそれ以上は何も言わなかった。
ようやっと、屋敷の玄関にたどり着いた。白い壁に蔦のからむ、青い屋根のお屋敷だった。花園は何のためらいもなく、鍵を開けて飴色に光るドアノブをまわした。中は磨き抜かれた板敷きの廊下が続いている。花園はどんどん先へ行く。
「あの、私、入って大丈夫ですか?」
「俺が連れてきたんだから、いいに決まってるだろ」
そう言われて、広い玄関の三和土の上で郁美は靴を脱いだ。
「お……おじゃまします……」
立派な応接間には、座り心地のよさそうなツイードのソファセットが置いてあった。レースのカーテンを透かした木漏れ日が落ちて、床に花の模様を作っている。人の住んでいるような生活感はないが、丁寧に手入れされている気配がした。
しかし花園は素通りして階段を上っていった。さらにいくつか廊下を曲がると、そこは屋上に続く扉だった。
「ほら、出るぞ」
ドアを開けると、屋上もまた小さな庭になっていた。花壇や鉢が道のように配置され、どちらを向いても薔薇が咲いていた。まるで空中庭園だ。
「わぁ……綺麗……」
青空の下、薔薇は今が盛りの美しさだった。真紅に、桃色に、白に、紫に……。目移りしてて視線を庭の外にやると、緑の木々に、他の家々の屋根、そして初夏の空の遠くにスカイツリーの影が見えた。
「なんて良い景色」
郁美は思わずつぶやいた。薔薇とこの景色。とてもおよびつかないが、自分のバルコニーでも、こんな風に美しく薔薇を咲かせてみたいものだ。
「郁美に、これを見せたかったんだ」
そう言われて、郁美は花園を顧みた。
「ありがとうございます。とても……いいものを、見せてもらいました」
「花とか好きって言ってたからさ。ここのこと思い出して。テレビでやってるとこより混んでないしいいかなって」
「おばあ様は、ガーデニングがお好きだったんですか?」
「そうだったな。庭師も雇っていたし、自分もよく花の世話をしていた」
懐かしがるような顔で、花園はつぶやいた。その優しい表情を見て、ここは彼にとって良い思い出のある場所なのだな、と郁美は分かった。
「本当に、素敵な庭にお家ですね。住んでいる人がいなくても、なんだか温かい感じがします」
「そっか……郁美も、そう思うか」
おばあ様は、どんな方だったんですか……。そう聞こうとしたとき、二人の背後でドアが開いた。
「まぁ、いらしてたんですね、彰さん。こちらは……?」
ドアの向こうに、緑のエプロンをかけた白髪の老婦人が建っていた。
「お久しぶりです、西田さん。彼女は一斤の社員の中野さんです」
彼女は微笑んで郁美に挨拶をした。
「初めまして、私はここの庭園の管理をしています、西田と申します」
たしかに長いエプロンには、土がついていた。長い白髪をすっきりと一本にまとめて、きりっとした姿だ。郁美は本物の庭師を前にして、少し興奮した。
「突然お邪魔して、申し訳ありません。とても美しいお庭を見せていただいていました」
「まぁ、ありがとうございます。今は誰も見る人もいないから、花たちもきっと喜んでいます」
優しいその言葉に、郁美はついつい熱く語ってしまった。
「どの薔薇も、大振りで咲き誇っていて……屋上なのに、すごいです。私もベランダで薔薇を育てているのですが、あまりうまくいかなくて」
「なかなか条件がそろわないと難しいですよね。薔薇の種類は……?」
「イングリッシュローズの、ピンク色のものです。品種名はちょっとわからないのですが……粉を吹いたみたいに萎れてしまって」
「あら、それはきっとうどんこ病ですね。待ってて、治し方を書いて渡しますわ」
彼女がそう言って階段を降りていったので、郁美はあわてて後を追った。
「大丈夫です! 今、スマホで調べてみます……!」
検索欄に『うどんこ病』と打つ。先ほどのソファのある応接間で、西田さんも郁美のスマホを覗き込んだ。
「そうそう、この殺菌剤をまいておくと、病気は予防できるの。でも、発症してしまったあとはミラネシンで洗うのよ。専門店に行かないとないから、分けてあげるわ」
「す、すみません……!」
恐縮する郁美に、彼女は薬剤の入った袋を渡して笑った。
「いいえ、気にしないで。せっかく薔薇好きのお嬢さんとお知り合いになれたんだから」
微笑むその目は、ただただ温かい。おばあ様という人も、こんな優しい人だったのだろうか。そんな思いがふとよぎった。
「ありがとうございます。私も、嬉しいです」
素直な嬉しさから頭を下げた郁美を見て、ふふと西田さんは笑った。
「なんだか中野さんとは、長いお付き合いになるような気がします」
「え? そ、それは……?」
郁美が聞くと、彼女は謎めいた微笑みを浮かべた。
「あんな嬉しそうな彰さんを見るのは、子どもの時以来かもしれません」
どういう意味だろう。郁美はとりあえず彼の事を聞いた。
「彰さんとは、長いお付き合いなんですか?」
「ええ。小さいころは、この家の主人の敦子さんと仲良しでね。よくお庭で3人一緒に遊んだわ……」
少し寂し気な顔で、西野さんは言った。郁美は御曹司以外の花園の顔を知らない。だからこうやって彼の昔の話を聞くのは、なんだか不思議な気持ちだった。
(おばあちゃんっ子……だったんだ)
「大人になってからはあまりここには来られなくなって。たまに来られる時も、いつもおひとりだったから」
と、言う事は。
思い出の大事な場所に、花園は郁美を招待してくれた、という事なのだろうか。
郁美の胸が、きゅっとなる。それは、自分でも思いがけない反応だった。
素敵なワンピースを買ってもらうより、ジャグジー付きのホテルに泊まるよりも、今日ここに連れてきてくれた事が、嬉しい。そう思ってしまったのだ。
意地っ張りな彼が、心の奥底にしまい込んでいる物を少し、見せてくれたようで。
「いったい2人とも、何しているんだ?」
するとその時、上から花園が降りてきた。西田さんが朗らかに言った。
「ふふ、今お茶を淹れますよ。どうぞ庭園で召し上がってください」
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