完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます
10人中10人が
――しかし、いつまでたっても手のひらが降りてこない。
おそるおそる目を上げると、千鶴の後ろに、花園が立ち彼女の手を掴んでいた。
「誰が、千鶴さんの婚約者だって?」
「あ……彰さん!」
千鶴は慌てて振り向いた。その声は、郁美に掛けたものより2オクターブは高かった。
「だってそういう話だったでしょ、ゆくゆくは……って」
「それは、顕造さんが冗談で言った話でしょう」
「でも父は本気だったわ!」
彰はふうとため息をついて、彼女の手を離した。
「常識的に考えて、わかりませんか。大昔の話ならともかく、今の日本で、親が子どもに結婚相手を強要する事なんてありえないし、従う義務もない」
「で、でも……私の両親は政略結婚だったわ、磯矢グループと四葉商社の……!」
「政略婚とはいえ、ご当人たちが納得の上の結婚だったんでしょう。仲がいいですからね。あなたのご両親は」
「彰さんは、納得してない、っていうわけ!?」
「千鶴さんも、もっとよく考えた方がいいです。顕造さんの言う事に従うのではなくて、あなた自身で相手は選んだほうがいい。俺より良い男なんて、この世にたくさんいるんだから」
「あ……あなたほどの人なんて、他にいない! かっこよくて、紳士的で、優しくて……!」
すると花園は、今までの穏やかな顔を歪ませた。
「あなたが、俺の何を知ってるって言うんです?」
「え……」
「少なくとも彼女の方が、俺の性格の悪さを良く知っていますよ。でしょ?」
いきなり話を振られて、郁美は困った。
「それは……その」
「俺の性格、最悪だろ?」
そう詰め寄られて、郁美はしどろもどろ言った。
「い、一概にはそうとも……ですが紳士的という表現は……同意しかねますね……」
なんとも言えない空気になった中、花園は軽く肩をすくめて郁美に言った。
「外に三ツ矢を待たせてある。先にそちらへ行っててくれないか」
「は、はい……」
たしかに、二人で話した方が良いかもしれない。郁美はそそくさとその場を後にした。
郁美が公園を出たのを確認して、花園は言った。
「俺はあなたと結婚するなんて、今まで一言も言った事はありませんし、態度にも出した事はありません。デートの一回もしたことはない。ですよね?」
「で、でも、それは……っ」
花園はため息をついた。
「できれば言いたくなかった。けれどはっきり言わないとわかってもらえないようなので、伝えますね」
花園は千鶴に頭を下げた。
「千鶴さん、すみません。俺はあなたと結婚する気はありません」
彼女の目が、驚愕に見開かれる。
「待って、私より、あの人を選ぶってこと!?」
「そうですが」
「何で? 遊びじゃ、なかったの!?」
まったく予想していなかった、そんな顔つきで千鶴は花園に詰め寄った。その顔は悲壮なほどで、花園は少し考えてから、答えた。
「遊びも何も……俺が今一番欲しいのは、あの人なんです。
……まだ本人にも、それは言っていませんが」
千鶴は、信じられないような顔をして花園を見ていた。が、花園は淡々と続けた。
「あなた個人に恨みも何もありませんし、できればこれからも良き知人で居たいと思っています。けど、さっき彼女に言った事に俺は怒っています。俺も謝ったから、千鶴さんも郁美に謝ってください。それでお互いイーブンという事にしませんか」
「い、いや……何であの人に、謝らなきゃいけないの」
「俺とあなたの間には、何の約束もない。なのに嘘をついて、郁美を侮辱した上に、脅したでしょう。郁美はあなたに対して、何もしていないのに」
怒りと屈辱にぶるぶる震えながら、千鶴は真一文字に唇を結んだ。
――今まで、自分をここまで粗末に扱った男など、いなかった。男は皆、千鶴の美貌にひれふし、言うなりになるのが当たり前だった。
(あの女が悪い事をしてないですって!?)
冗談じゃない。私がずっと狙っていた男を、横から奪っていったのだ。こんなひどい行為が、他にあるだろうか。千鶴は怒りで目の前が真っ赤になりそうだった。
しかし、だからといって冷静な判断力まで失ってはいなかった。
(……たしかに、私の彰さんの婚約は、口約束以下のもの。お互いの親が、それを望んでいるだけで、彰さんにその気はない……)
花園の気持ちが千鶴にない事は、気が付いていた。けれどその事実は、よりいっそう千鶴と彼に惹きつけた。
アプローチをし続けていれば、きっといつか自分になびくはず。だって男性は、口では何といっていても、美しい女が何より好きなのだから。その気を見せていれば、花園が千鶴を好きにならない理由がない。
あと少し。あと少しで、本当の婚約者になれるはずだったのに。
(それが……なんで、なんであの女なの!?)
自分よりも何かが勝っている女なら、まだ良かった。それなのに。
「あんな女の……どこがいいの!? 私の方がずっと、美人でしょ!?」
すると花園は、ふっと破顔した。
「そうですね。10人中10人がそう思うでしょう。げんに俺も、最初見た時は彼女が美人だなんて思ってもいなかった」
「じゃあ、なんで!? 何があったのよ!」
そう問いかけられた花園は、一瞬虚を突かれたような顔をしたあと、照れ臭そうに少しうつむいて、笑った。
「……それは、秘密です」
それは、千鶴が初めてみた、花園の飾らない笑顔だった。
まるで思春期の男の子のような、繊細な笑顔だった。
(この人、こんな風に――笑うんだ)
虚しさと悔しさに、涙が溢れそうになる。千鶴は花園に背を向けた。花園に、こんな姿を見られたくない。どんなにつらくても、ここでおとなしく去った方が、プライドは守られる。千鶴の巨大な自尊心は、これ以上の負けをさらす事を許さなかった。
「彰さんの気持ちはわかったわ。……あなたたちの事は、忘れる事にします。もう、個人的には関わらないわ。でも」
「でも?」
「あの人には絶対に謝りませんから。じゃ」
そう言って、千鶴は勢いよく公園を出て行った。
花園はそれを見送ったあと、公園の外に駐車してある車のもとへと向かった。
「二人とも、待たせたな」
「花園さん、」
郁美は心配な顔で花園を見上げた。花園は肩をすくめて、彼女の隣に乗り込んだ。
「大丈夫だ。彼女とはちゃんと話をつけた。俺たちの事は忘れてくれるってさ」
「でも、大丈夫なんですか? あの人は、花園さんの婚約者なんじゃ……」
花園ははぁとため息をついた。
「違うって」
郁美はおそるおそるたずねた。
「でも……あの、彼女本人が、そう言っていたのですが」
「それは、99パーセント、嘘だ。」
「残りの1パーセントは?」
「たしかに、向こうの親父は彼女と俺を結婚させてがってた。けど……俺はその気になれなかった」
「でも、彼女はその気だったんですね? それって……その、千鶴さんに対して、不誠実なのでは」
花園は呆れた。
「お前、さっきあれに散々言われといて、よくそんな事言えるな。それに俺だって、選ぶ権利はあるだろ」
「いえ……千鶴さんは、花園さんに対してすごい本気だと思ったので……」
「ふうん」
郁美はためらいながらも言った。
「なんで……千鶴さんでは、ダメだったんですか? あんな綺麗で、仕事もできる人……」
すると花園は口を尖らせた。
「お前もさっき聞いてただろ。彼女は、俺の表面しか知らない。内面を知ったら、きっと幻滅して手のひらを反すだろうよ。」
「……そうでしょうか。」
こっそり車の中から二人の様子をうかがっていたが、千鶴は本当に花園の事が好きなようだった。
(それなのに……忘れるって、彰さんに言ったなんて)
郁美の事をこき下ろした千鶴だが、今の彼女の心中を思うと、さすがに後味が悪い。しかし花園がはっきりと婚約者でないと否定してくれて、どこかで安心もしていた。
(じゃあ、ここ数週間のごたごたは……私も花園さんも、非はなかったってこと、だよね……)
花園は、郁美に嘘をついていたわけではなかったのだ。そう思うと、郁美の胸につかえていた重りが取れたような気がした。
(よかった。私、騙されていたわけじゃ、なかったんだ)
しかしそんな郁美に、花園は逆に言い返した。
「そっちこそ、何だよあの弟は。どう考えても、距離が近すぎだろ」
「ほ、本当に弟なんです。」
花園はむっつりと答えた。
「知ってる」
「えっ、信じてくれるんですか」
「まぁ、な……。何であの時、隠して教えてくれなかったんだよ。そしたら俺だって」
「……ごめんなさい。でも……というかあの、何であの時、彰さんはあそこに……?」
すると花園はぐっと詰まったあと、目をそらした。
「た、たまたまだよっ。別にデートの下見とかじゃ、ないからなっ」
「そうですか……」
花園は睨むように郁美を覗き込んだ。
「弟の事、養ってんだろ。それを俺がバカにするって、思ってたわけ?」
――知っていたのか。郁美は気まずい思いで彼から目をそらした。
「花園さんは……私たちとは違う世界の人ですから。理解されないだろうと思ったんです」
「なにそれ。俺の事……そんな風に見てたってこと」
責めるようなその声色に、郁美はわずかながら反撃をした。
「だ、だって花園さんは……一斤屋の御曹司じゃないですか。私たちみたいな、弱い立場の人間の気持ちなんて……」
「わからないって?」
郁美はためらいつつも、譲らない目でこくんとうなずいた。花園は言い返したくなったが――そもそも郁美との関係は、脅しから始まっていたのだった。
(俺は借金を肩代わりして、郁美を無理やり抱いた……)
彼女を侮辱し、脅したのだ。先ほど千鶴に言った事は、そのまま花園がした事でもある。
(俺こそ……郁美に謝らなきゃ、いけないんだ)
郁美からすれば、力を笠に着た無体な行為でしかない。花園に対して悪いイメージを持つのも、当たり前の事だ。
(だけど……だけど俺、本当は……)
花園はふうとため息をついた。ここですべき事は、彼女を責めることではない。
「……先週は、悪かった。彼氏だって疑って、人前でキレたりして」
「えっ……」
郁美はそのまま固まってしまった。
「なんだよ」
(花園さんが、私に謝るなんて……)
しかし、考えてみれば、以前マンションに初めて上がった時も、彼は時間に遅れた事を郁美にたいしてちゃんと謝ってくれた。
(そうだよね。約束とか、お礼とか……本当はちゃんとできる人なんだ、花園さんは)
自分も見習わなくては。今度は郁美が謝った。
「こちらこそ、すみませんでした。いくら千鶴さんに言われたからと言って、花園さんと行こうといっていた場所に、約束を破っていくのは配慮に欠けていました」
「え? 千鶴に言われた?」
「はい。花園さんは自分の婚約者なので、もう関わらないでほしいと言われて」
花園は顔を手で覆って大袈裟にうめいた。
「あー……郁美のドタキャンは、そのせいだったのか……くそっ、もっととっちめてやればよかった」
「そんな怒らなくても……もう終わった事ですし」
「怒らないでいられるか。何の苦労もしてないくせに、人の人生邪魔しやがって!」
「そうなんですか?」
「そうだよ。千鶴は何不自由なく、優しい両親に甘やかされてここまで来ている。俺や郁美みたいに、仕事に生活がかかってるわけじゃない」
「彰さんも……生活がかかっているんですか?」
意外そうなその声に、花園は思わず笑ってしまった。
「そうだよ。言っただろ。結果を出さなきゃ、俺に居場所なんてないからな」
郁美はしばし沈黙した。花園は一見すると、自信と余裕のある御曹司そのものだ。最初にそんな事を言われても、郁美は信じなかっただろう。
でも、今なら少しはわかる。花園が、本当は自信も余裕もない人間だという事が。
(本当に余裕があるなら……自分の健康を無視した仕事の仕方なんて、しない)
(それに……本当に自分に自信のある人は、部下をいじめたりも、しないだろうし)
花園は、本当は毎日必死だったのだ。何に対してなのかは、わからない。けれど常にプレッシャーに押しつぶされて、追われているように見える。
だから、郁美に対してしょうもない意地悪をする。かと思えば、身も世もなく甘えたりもする。
(本当に……困った人ね)
胸の奥が、くすぐられたように疼く。困惑と、諦めと、そしてその下に潜む、甘やかな気持ち。そんなものが、郁美の中で割り切る事ができずに渦巻いている。
だから郁美は、ただ花園に言った。
「今週も、お疲れ様でした。ご自宅に伺って、何か作りましょうか」
すると、今までのぶうたれた顔が嘘のように、花園の顔がぱっと輝いた。
おそるおそる目を上げると、千鶴の後ろに、花園が立ち彼女の手を掴んでいた。
「誰が、千鶴さんの婚約者だって?」
「あ……彰さん!」
千鶴は慌てて振り向いた。その声は、郁美に掛けたものより2オクターブは高かった。
「だってそういう話だったでしょ、ゆくゆくは……って」
「それは、顕造さんが冗談で言った話でしょう」
「でも父は本気だったわ!」
彰はふうとため息をついて、彼女の手を離した。
「常識的に考えて、わかりませんか。大昔の話ならともかく、今の日本で、親が子どもに結婚相手を強要する事なんてありえないし、従う義務もない」
「で、でも……私の両親は政略結婚だったわ、磯矢グループと四葉商社の……!」
「政略婚とはいえ、ご当人たちが納得の上の結婚だったんでしょう。仲がいいですからね。あなたのご両親は」
「彰さんは、納得してない、っていうわけ!?」
「千鶴さんも、もっとよく考えた方がいいです。顕造さんの言う事に従うのではなくて、あなた自身で相手は選んだほうがいい。俺より良い男なんて、この世にたくさんいるんだから」
「あ……あなたほどの人なんて、他にいない! かっこよくて、紳士的で、優しくて……!」
すると花園は、今までの穏やかな顔を歪ませた。
「あなたが、俺の何を知ってるって言うんです?」
「え……」
「少なくとも彼女の方が、俺の性格の悪さを良く知っていますよ。でしょ?」
いきなり話を振られて、郁美は困った。
「それは……その」
「俺の性格、最悪だろ?」
そう詰め寄られて、郁美はしどろもどろ言った。
「い、一概にはそうとも……ですが紳士的という表現は……同意しかねますね……」
なんとも言えない空気になった中、花園は軽く肩をすくめて郁美に言った。
「外に三ツ矢を待たせてある。先にそちらへ行っててくれないか」
「は、はい……」
たしかに、二人で話した方が良いかもしれない。郁美はそそくさとその場を後にした。
郁美が公園を出たのを確認して、花園は言った。
「俺はあなたと結婚するなんて、今まで一言も言った事はありませんし、態度にも出した事はありません。デートの一回もしたことはない。ですよね?」
「で、でも、それは……っ」
花園はため息をついた。
「できれば言いたくなかった。けれどはっきり言わないとわかってもらえないようなので、伝えますね」
花園は千鶴に頭を下げた。
「千鶴さん、すみません。俺はあなたと結婚する気はありません」
彼女の目が、驚愕に見開かれる。
「待って、私より、あの人を選ぶってこと!?」
「そうですが」
「何で? 遊びじゃ、なかったの!?」
まったく予想していなかった、そんな顔つきで千鶴は花園に詰め寄った。その顔は悲壮なほどで、花園は少し考えてから、答えた。
「遊びも何も……俺が今一番欲しいのは、あの人なんです。
……まだ本人にも、それは言っていませんが」
千鶴は、信じられないような顔をして花園を見ていた。が、花園は淡々と続けた。
「あなた個人に恨みも何もありませんし、できればこれからも良き知人で居たいと思っています。けど、さっき彼女に言った事に俺は怒っています。俺も謝ったから、千鶴さんも郁美に謝ってください。それでお互いイーブンという事にしませんか」
「い、いや……何であの人に、謝らなきゃいけないの」
「俺とあなたの間には、何の約束もない。なのに嘘をついて、郁美を侮辱した上に、脅したでしょう。郁美はあなたに対して、何もしていないのに」
怒りと屈辱にぶるぶる震えながら、千鶴は真一文字に唇を結んだ。
――今まで、自分をここまで粗末に扱った男など、いなかった。男は皆、千鶴の美貌にひれふし、言うなりになるのが当たり前だった。
(あの女が悪い事をしてないですって!?)
冗談じゃない。私がずっと狙っていた男を、横から奪っていったのだ。こんなひどい行為が、他にあるだろうか。千鶴は怒りで目の前が真っ赤になりそうだった。
しかし、だからといって冷静な判断力まで失ってはいなかった。
(……たしかに、私の彰さんの婚約は、口約束以下のもの。お互いの親が、それを望んでいるだけで、彰さんにその気はない……)
花園の気持ちが千鶴にない事は、気が付いていた。けれどその事実は、よりいっそう千鶴と彼に惹きつけた。
アプローチをし続けていれば、きっといつか自分になびくはず。だって男性は、口では何といっていても、美しい女が何より好きなのだから。その気を見せていれば、花園が千鶴を好きにならない理由がない。
あと少し。あと少しで、本当の婚約者になれるはずだったのに。
(それが……なんで、なんであの女なの!?)
自分よりも何かが勝っている女なら、まだ良かった。それなのに。
「あんな女の……どこがいいの!? 私の方がずっと、美人でしょ!?」
すると花園は、ふっと破顔した。
「そうですね。10人中10人がそう思うでしょう。げんに俺も、最初見た時は彼女が美人だなんて思ってもいなかった」
「じゃあ、なんで!? 何があったのよ!」
そう問いかけられた花園は、一瞬虚を突かれたような顔をしたあと、照れ臭そうに少しうつむいて、笑った。
「……それは、秘密です」
それは、千鶴が初めてみた、花園の飾らない笑顔だった。
まるで思春期の男の子のような、繊細な笑顔だった。
(この人、こんな風に――笑うんだ)
虚しさと悔しさに、涙が溢れそうになる。千鶴は花園に背を向けた。花園に、こんな姿を見られたくない。どんなにつらくても、ここでおとなしく去った方が、プライドは守られる。千鶴の巨大な自尊心は、これ以上の負けをさらす事を許さなかった。
「彰さんの気持ちはわかったわ。……あなたたちの事は、忘れる事にします。もう、個人的には関わらないわ。でも」
「でも?」
「あの人には絶対に謝りませんから。じゃ」
そう言って、千鶴は勢いよく公園を出て行った。
花園はそれを見送ったあと、公園の外に駐車してある車のもとへと向かった。
「二人とも、待たせたな」
「花園さん、」
郁美は心配な顔で花園を見上げた。花園は肩をすくめて、彼女の隣に乗り込んだ。
「大丈夫だ。彼女とはちゃんと話をつけた。俺たちの事は忘れてくれるってさ」
「でも、大丈夫なんですか? あの人は、花園さんの婚約者なんじゃ……」
花園ははぁとため息をついた。
「違うって」
郁美はおそるおそるたずねた。
「でも……あの、彼女本人が、そう言っていたのですが」
「それは、99パーセント、嘘だ。」
「残りの1パーセントは?」
「たしかに、向こうの親父は彼女と俺を結婚させてがってた。けど……俺はその気になれなかった」
「でも、彼女はその気だったんですね? それって……その、千鶴さんに対して、不誠実なのでは」
花園は呆れた。
「お前、さっきあれに散々言われといて、よくそんな事言えるな。それに俺だって、選ぶ権利はあるだろ」
「いえ……千鶴さんは、花園さんに対してすごい本気だと思ったので……」
「ふうん」
郁美はためらいながらも言った。
「なんで……千鶴さんでは、ダメだったんですか? あんな綺麗で、仕事もできる人……」
すると花園は口を尖らせた。
「お前もさっき聞いてただろ。彼女は、俺の表面しか知らない。内面を知ったら、きっと幻滅して手のひらを反すだろうよ。」
「……そうでしょうか。」
こっそり車の中から二人の様子をうかがっていたが、千鶴は本当に花園の事が好きなようだった。
(それなのに……忘れるって、彰さんに言ったなんて)
郁美の事をこき下ろした千鶴だが、今の彼女の心中を思うと、さすがに後味が悪い。しかし花園がはっきりと婚約者でないと否定してくれて、どこかで安心もしていた。
(じゃあ、ここ数週間のごたごたは……私も花園さんも、非はなかったってこと、だよね……)
花園は、郁美に嘘をついていたわけではなかったのだ。そう思うと、郁美の胸につかえていた重りが取れたような気がした。
(よかった。私、騙されていたわけじゃ、なかったんだ)
しかしそんな郁美に、花園は逆に言い返した。
「そっちこそ、何だよあの弟は。どう考えても、距離が近すぎだろ」
「ほ、本当に弟なんです。」
花園はむっつりと答えた。
「知ってる」
「えっ、信じてくれるんですか」
「まぁ、な……。何であの時、隠して教えてくれなかったんだよ。そしたら俺だって」
「……ごめんなさい。でも……というかあの、何であの時、彰さんはあそこに……?」
すると花園はぐっと詰まったあと、目をそらした。
「た、たまたまだよっ。別にデートの下見とかじゃ、ないからなっ」
「そうですか……」
花園は睨むように郁美を覗き込んだ。
「弟の事、養ってんだろ。それを俺がバカにするって、思ってたわけ?」
――知っていたのか。郁美は気まずい思いで彼から目をそらした。
「花園さんは……私たちとは違う世界の人ですから。理解されないだろうと思ったんです」
「なにそれ。俺の事……そんな風に見てたってこと」
責めるようなその声色に、郁美はわずかながら反撃をした。
「だ、だって花園さんは……一斤屋の御曹司じゃないですか。私たちみたいな、弱い立場の人間の気持ちなんて……」
「わからないって?」
郁美はためらいつつも、譲らない目でこくんとうなずいた。花園は言い返したくなったが――そもそも郁美との関係は、脅しから始まっていたのだった。
(俺は借金を肩代わりして、郁美を無理やり抱いた……)
彼女を侮辱し、脅したのだ。先ほど千鶴に言った事は、そのまま花園がした事でもある。
(俺こそ……郁美に謝らなきゃ、いけないんだ)
郁美からすれば、力を笠に着た無体な行為でしかない。花園に対して悪いイメージを持つのも、当たり前の事だ。
(だけど……だけど俺、本当は……)
花園はふうとため息をついた。ここですべき事は、彼女を責めることではない。
「……先週は、悪かった。彼氏だって疑って、人前でキレたりして」
「えっ……」
郁美はそのまま固まってしまった。
「なんだよ」
(花園さんが、私に謝るなんて……)
しかし、考えてみれば、以前マンションに初めて上がった時も、彼は時間に遅れた事を郁美にたいしてちゃんと謝ってくれた。
(そうだよね。約束とか、お礼とか……本当はちゃんとできる人なんだ、花園さんは)
自分も見習わなくては。今度は郁美が謝った。
「こちらこそ、すみませんでした。いくら千鶴さんに言われたからと言って、花園さんと行こうといっていた場所に、約束を破っていくのは配慮に欠けていました」
「え? 千鶴に言われた?」
「はい。花園さんは自分の婚約者なので、もう関わらないでほしいと言われて」
花園は顔を手で覆って大袈裟にうめいた。
「あー……郁美のドタキャンは、そのせいだったのか……くそっ、もっととっちめてやればよかった」
「そんな怒らなくても……もう終わった事ですし」
「怒らないでいられるか。何の苦労もしてないくせに、人の人生邪魔しやがって!」
「そうなんですか?」
「そうだよ。千鶴は何不自由なく、優しい両親に甘やかされてここまで来ている。俺や郁美みたいに、仕事に生活がかかってるわけじゃない」
「彰さんも……生活がかかっているんですか?」
意外そうなその声に、花園は思わず笑ってしまった。
「そうだよ。言っただろ。結果を出さなきゃ、俺に居場所なんてないからな」
郁美はしばし沈黙した。花園は一見すると、自信と余裕のある御曹司そのものだ。最初にそんな事を言われても、郁美は信じなかっただろう。
でも、今なら少しはわかる。花園が、本当は自信も余裕もない人間だという事が。
(本当に余裕があるなら……自分の健康を無視した仕事の仕方なんて、しない)
(それに……本当に自分に自信のある人は、部下をいじめたりも、しないだろうし)
花園は、本当は毎日必死だったのだ。何に対してなのかは、わからない。けれど常にプレッシャーに押しつぶされて、追われているように見える。
だから、郁美に対してしょうもない意地悪をする。かと思えば、身も世もなく甘えたりもする。
(本当に……困った人ね)
胸の奥が、くすぐられたように疼く。困惑と、諦めと、そしてその下に潜む、甘やかな気持ち。そんなものが、郁美の中で割り切る事ができずに渦巻いている。
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