完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます
兄弟喧嘩
「遅かったな、彰」
ソファに座った父が、鷹揚に言う。彰は軽く頭を下げた。
「お待たせしました」
隣に立つ兄・清がちらりと彰を見た。血を分けた兄弟とはとても思えない、他人行儀で冷たいまなざしだった。それは、彰にとってはおなじみで、もう何とも思わない。
(……いちいち兄の言動に傷ついていたのは、何歳までだったかな)
久々に兄と対面して、そんな思いが胸をよぎる。
清が本妻の長男であるのに対して、彰は愛人の子どもだった。幼いころに母を亡くし、面倒を見てくれていた祖母も亡くし、この屋敷に引き取られたその時は――さすがに兄と継母からの冷遇に、ショックを受けた。
しかし、それももう昔の事だ。彰はこの兄に認められようと思う事など、とっくに諦めていた。
(逆に、超えてやる――。この兄よりも、俺の方が有能だと証明してみせる)
それは、彰が幼いころから抱えている切実な野望だった。
自分が優れていると、役に立つ人間だと証明できれば、父親や祖父に、認めてもらう事ができる。
でなければ、自分はこの家に居場所などない。
じわじわと炙られるようなこの焦りが、彰の中には常にあるのだった。
「清、岐阜店に行ってもらって1年たつが、売り上げは横ばいだな。何か提案はあるか」
父が口を開いて、まず清にそう聞いた。父はいつも、あれをしろ、これをしろ、と命令する前にそう聞く。『何か提案はあるか』と。
それを聞かれるたびに、彰は『試されている』と身が引き締まるとともに、怯えにも似た震えが背筋に走りそうになるのだった。ここで良い提案ができなければ父に『無能』と認定されてしまうのではないか、と。
しかし清は背筋を伸ばしてゆうゆうと答えた。
「フロアごとの売り上げと来客人数を計上すると、2階、3階のブランド店の収益が今一つ伸びていないのが気になります。売上はほとんど外商頼りで、店舗でのものが少ない。なので思い切って店舗を入れ替え、ブランド店を一階に移すのはどうかと考えています。一階は、一番集客を見込めるフロアなので。そして元の店舗を……」
兄の策を、父は否定も肯定もせず傾聴し、今度は彰に話を振った。
「さて……では彰。まだ配属されて一か月だが、何か思うところはあるか」
彰の身体に、緊張が走る。
兄が配属された岐阜店をはじめとする地方店は、爆発的な黒字が出ることは一貫してないが、年商で見ると比較的安定している。しかし東京の本店は、ここ十数年以上、売り上げは落ち続けている。
それは簡単な話だった。通販で何でも安く手に入り、さまざまな専門店が日々増え続けるこの東京で、『百貨店』はもう求められていないのだ。
(だけど、父さんは……いや、花園一族はずっと、それでもこの『一斤』を存続させる手を求めている)
今に始まったことではない。それはずっと、歴代の取締役が苦心していた事だった。いろんな起死回生の策が取られ、そして終わっていったのだ。
だというのに、一か月居ただけの自分に、具体的な良策など浮かぶはずもない。ただ花園は、ずっと考えていた事を口に出した。
「……一か月、心臓業務から売り場まで、いろんな人の仕事ぶりを学ばせてもらいましたが、一斤本店は申し分ないと思いました」
「ほう? たとえばどこが」
「売り場ごとに、売り上げを支える要となる店員がいます。海外ブランドも、子供服も、紳士服も。そしてそれを采配する主任たちの目利き。やはり他とは違うと驚かされました」
一斤本店は、若き日に当然父も携わっていた。一瞬、懐かし気にその目が細められる。そこですかさず、花園は提案した。
「ですが、やはり世間の人は、高すぎるものには興味がない。直営店を減らして、もっと親しみのある、入りやすい専門店を増やすべきかと」
すると、父の目が鋭くなった。
「直営店を減らす、だと? 清はどう思う」
兄は首を振った。
「考えられませんね。どこにでもあるようなチェーン店を、のべつまくなしに入れるなんて。田舎のショッピングモールとはちがう。一斤は、歴史と伝統のある百貨店だという認識が足りないですね」
父が何も言わなかったので、彰は兄に反論した。
「たしかに、今までの歴史は大切にしていくべきです。直営店たちはその最たるものでしょう。だけど、変化を恐れていては年商は落ちていくばかりかと」
「考えナシのギャンブルだな。年商が大幅下落する可能性の方が大きい! まったく、これだからお前は無能なんだ」
そこで父はちらりと兄を見た。
「清」
それだけで、兄は黙った。しかし父は厳しく言った。
「たしかに彰、お前の提案は浅はかに過ぎる。直営店を減らすなど、私の前以外では、口に出すなよ。わかったな」
彰はわずかにうつむいた。手に脂汗がにじむ。
「お前はもっと、学ばなくてはならない。青山先生の所を訪ねて、勉強させてもらいなさい」
父の命令は絶対だった。彰はうつむいたまま、うなずいた。
「……はい。学ばせていただきます」
父の部屋を後にして、清は得意げに彰に言った。
「お前も終わったな。父さんの前で、あんな馬鹿な提案をするなんて」
この兄の前で、落ち込む顔など見せたら餌食にされる。身をもってそれを知っている彰は傲然と顔を上げてニッコリ笑った。
「兄さん、岐阜から長旅、お疲れ様。俺も一度は行ってみたいよ。どんなところなんだろうな。緑が多くていい場所なんだろ?」
すると、兄はとたんに冷たく目を細めた。
「俺も最初は、本店に配属された。最初に学ぶならあそこ、という方針だからだ。お前が今本店にいるのも、それ以上の理由はない。くれぐれもうぬぼれるなよ」
使用人たちが立ち並ぶ玄関で別れる前に、清は彰に耳打ちした。
「次にお前が配属される場所がどこか、楽しみだな。きっとお前に似合いの場所だろうさ。Son of a bitch !」
待たせているマセラティにゆうゆうと乗り込んで、清は去った。今日は久しぶりに、母の待つ家へと帰ったのだろう。
腹立ちを深呼吸で眺めながら、彰も自分の秘書、三ツ矢の車を探した。しかし、見慣れた黒塗りのセダンはどこにもない。
(突然郁美のほうに車をまわしたから……まだついていないのかもな)
運転中は、連絡にも出れない。とりあえずメッセージだけでも三ツ矢に入れようとしたその時、父の部下の一人に声を掛けられた。
「彰さん、今青山先生がちょうどいらしていまして……」
耳打ちされたその言葉に、彰ははっとした。――父に言われた事は、最速でこなさないと。本当なら、郁美と会って話をしたかったが、そういうわけにもいかなくなってしまった。
「どちらに? 僕の方から挨拶に伺いたいです」
彰はそう言って、案内に従った。部下の背中に聞く。
「……青山先生は、たしか長年一斤の顧問をされている方ですよね」
「はい。花園家とは、祖父の代からお付き合いがあります。かなり気難しい方ではありますが……情に厚い方でもあります」
「そうか……」
父が紹介してくれたのだ。どんな人物だろうと、その人の側で学ぶべき事があるはずだ。そして自分に対するメリットも。すべて自分の力で、それらを吸い取ってもぎ取らなければ意味がない。彰は気合を入れるため、ぐっと背筋を伸ばした。しかし部下の男性は、意味深に言った。
「私から、三ツ矢さんにご連絡しておきますから」
ソファに座った父が、鷹揚に言う。彰は軽く頭を下げた。
「お待たせしました」
隣に立つ兄・清がちらりと彰を見た。血を分けた兄弟とはとても思えない、他人行儀で冷たいまなざしだった。それは、彰にとってはおなじみで、もう何とも思わない。
(……いちいち兄の言動に傷ついていたのは、何歳までだったかな)
久々に兄と対面して、そんな思いが胸をよぎる。
清が本妻の長男であるのに対して、彰は愛人の子どもだった。幼いころに母を亡くし、面倒を見てくれていた祖母も亡くし、この屋敷に引き取られたその時は――さすがに兄と継母からの冷遇に、ショックを受けた。
しかし、それももう昔の事だ。彰はこの兄に認められようと思う事など、とっくに諦めていた。
(逆に、超えてやる――。この兄よりも、俺の方が有能だと証明してみせる)
それは、彰が幼いころから抱えている切実な野望だった。
自分が優れていると、役に立つ人間だと証明できれば、父親や祖父に、認めてもらう事ができる。
でなければ、自分はこの家に居場所などない。
じわじわと炙られるようなこの焦りが、彰の中には常にあるのだった。
「清、岐阜店に行ってもらって1年たつが、売り上げは横ばいだな。何か提案はあるか」
父が口を開いて、まず清にそう聞いた。父はいつも、あれをしろ、これをしろ、と命令する前にそう聞く。『何か提案はあるか』と。
それを聞かれるたびに、彰は『試されている』と身が引き締まるとともに、怯えにも似た震えが背筋に走りそうになるのだった。ここで良い提案ができなければ父に『無能』と認定されてしまうのではないか、と。
しかし清は背筋を伸ばしてゆうゆうと答えた。
「フロアごとの売り上げと来客人数を計上すると、2階、3階のブランド店の収益が今一つ伸びていないのが気になります。売上はほとんど外商頼りで、店舗でのものが少ない。なので思い切って店舗を入れ替え、ブランド店を一階に移すのはどうかと考えています。一階は、一番集客を見込めるフロアなので。そして元の店舗を……」
兄の策を、父は否定も肯定もせず傾聴し、今度は彰に話を振った。
「さて……では彰。まだ配属されて一か月だが、何か思うところはあるか」
彰の身体に、緊張が走る。
兄が配属された岐阜店をはじめとする地方店は、爆発的な黒字が出ることは一貫してないが、年商で見ると比較的安定している。しかし東京の本店は、ここ十数年以上、売り上げは落ち続けている。
それは簡単な話だった。通販で何でも安く手に入り、さまざまな専門店が日々増え続けるこの東京で、『百貨店』はもう求められていないのだ。
(だけど、父さんは……いや、花園一族はずっと、それでもこの『一斤』を存続させる手を求めている)
今に始まったことではない。それはずっと、歴代の取締役が苦心していた事だった。いろんな起死回生の策が取られ、そして終わっていったのだ。
だというのに、一か月居ただけの自分に、具体的な良策など浮かぶはずもない。ただ花園は、ずっと考えていた事を口に出した。
「……一か月、心臓業務から売り場まで、いろんな人の仕事ぶりを学ばせてもらいましたが、一斤本店は申し分ないと思いました」
「ほう? たとえばどこが」
「売り場ごとに、売り上げを支える要となる店員がいます。海外ブランドも、子供服も、紳士服も。そしてそれを采配する主任たちの目利き。やはり他とは違うと驚かされました」
一斤本店は、若き日に当然父も携わっていた。一瞬、懐かし気にその目が細められる。そこですかさず、花園は提案した。
「ですが、やはり世間の人は、高すぎるものには興味がない。直営店を減らして、もっと親しみのある、入りやすい専門店を増やすべきかと」
すると、父の目が鋭くなった。
「直営店を減らす、だと? 清はどう思う」
兄は首を振った。
「考えられませんね。どこにでもあるようなチェーン店を、のべつまくなしに入れるなんて。田舎のショッピングモールとはちがう。一斤は、歴史と伝統のある百貨店だという認識が足りないですね」
父が何も言わなかったので、彰は兄に反論した。
「たしかに、今までの歴史は大切にしていくべきです。直営店たちはその最たるものでしょう。だけど、変化を恐れていては年商は落ちていくばかりかと」
「考えナシのギャンブルだな。年商が大幅下落する可能性の方が大きい! まったく、これだからお前は無能なんだ」
そこで父はちらりと兄を見た。
「清」
それだけで、兄は黙った。しかし父は厳しく言った。
「たしかに彰、お前の提案は浅はかに過ぎる。直営店を減らすなど、私の前以外では、口に出すなよ。わかったな」
彰はわずかにうつむいた。手に脂汗がにじむ。
「お前はもっと、学ばなくてはならない。青山先生の所を訪ねて、勉強させてもらいなさい」
父の命令は絶対だった。彰はうつむいたまま、うなずいた。
「……はい。学ばせていただきます」
父の部屋を後にして、清は得意げに彰に言った。
「お前も終わったな。父さんの前で、あんな馬鹿な提案をするなんて」
この兄の前で、落ち込む顔など見せたら餌食にされる。身をもってそれを知っている彰は傲然と顔を上げてニッコリ笑った。
「兄さん、岐阜から長旅、お疲れ様。俺も一度は行ってみたいよ。どんなところなんだろうな。緑が多くていい場所なんだろ?」
すると、兄はとたんに冷たく目を細めた。
「俺も最初は、本店に配属された。最初に学ぶならあそこ、という方針だからだ。お前が今本店にいるのも、それ以上の理由はない。くれぐれもうぬぼれるなよ」
使用人たちが立ち並ぶ玄関で別れる前に、清は彰に耳打ちした。
「次にお前が配属される場所がどこか、楽しみだな。きっとお前に似合いの場所だろうさ。Son of a bitch !」
待たせているマセラティにゆうゆうと乗り込んで、清は去った。今日は久しぶりに、母の待つ家へと帰ったのだろう。
腹立ちを深呼吸で眺めながら、彰も自分の秘書、三ツ矢の車を探した。しかし、見慣れた黒塗りのセダンはどこにもない。
(突然郁美のほうに車をまわしたから……まだついていないのかもな)
運転中は、連絡にも出れない。とりあえずメッセージだけでも三ツ矢に入れようとしたその時、父の部下の一人に声を掛けられた。
「彰さん、今青山先生がちょうどいらしていまして……」
耳打ちされたその言葉に、彰ははっとした。――父に言われた事は、最速でこなさないと。本当なら、郁美と会って話をしたかったが、そういうわけにもいかなくなってしまった。
「どちらに? 僕の方から挨拶に伺いたいです」
彰はそう言って、案内に従った。部下の背中に聞く。
「……青山先生は、たしか長年一斤の顧問をされている方ですよね」
「はい。花園家とは、祖父の代からお付き合いがあります。かなり気難しい方ではありますが……情に厚い方でもあります」
「そうか……」
父が紹介してくれたのだ。どんな人物だろうと、その人の側で学ぶべき事があるはずだ。そして自分に対するメリットも。すべて自分の力で、それらを吸い取ってもぎ取らなければ意味がない。彰は気合を入れるため、ぐっと背筋を伸ばした。しかし部下の男性は、意味深に言った。
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