完璧御曹司が、なぜか私にだけ意地悪をしてきます
借金取りが来た!
「今日の弁当も卵焼きとウインナー?はは、幼稚園児の弁当みたいだな」
どんよりとした雨の日の休憩室。遅い昼食を摂る郁美に、また花園は絡んできた。
「……花園さんは、もう食べたんですか?」
「まだだけど」
郁美はちらりと時計を見た。売り場の社員は、皆ランチ休憩を交代でとっている。郁美はいつも後半の時間に休憩室でお弁当を食べていた。
「外食なら、そろそろ出ないとまずいんじゃないですか」
「あ~……まぁ、俺、今日はコンビニでいいかなって」
ガサガサとビニール袋を取り出し、花園は郁美の隣に腰を下ろした。
(……何でわざわざ隣に座るのさ、他いくらでも開いてるのに)
ため息をつきたくなった郁美だが、ふいにポケットのスマホが鳴り出した。
(――あっくん?!なんだろう)
淳史は仕事中の連絡は文字でのメッセージしかしてこない。着信はよほどの事だろう。郁美は花園には目もくれず立ち上がって廊下へと出た。
「どうしたの!?」
電話の向こうで、淳史の声は震えていた。
「ご、ごめんいくちゃん、今あいつらが家まできて――いくちゃんの勤め先、言っちゃった……」
「えっ」
「ごめん、ごめんなさい。何人もきて、脅されて――警察呼ぼうと思ったんだけど、その時スマホも取り上げられてて」
パニックになりそうになるのをぐっと抑えて、郁美は冷静な声を出した。
「わかった。あっくんは無事?怪我はない?」
「うん――平気。土足であがられたから、部屋はちょっとちらかったけど」
「大変だったね。こっちは私がなんとかするから、戸締り気を付けて待ってて」
通話を切って、郁美は振り返りもせず一階へと向かった。心を奮い立たせ、迎撃態勢を整えながら。
(大丈夫、大丈夫――なんとかなる。なんとかして、みせる)
外はしとしと春の雨が降っていた。折り畳み傘の影で、郁美は目を光らせて待った。すると相手はやってきてすぐに郁美を見つけた。
「あぁ、あんたが中野郁美?」
がっちりとした肩幅の男が郁美を見下ろしていた。坊主頭に、あきらかに堅気でない形のスーツ。趣味が悪いと思いながら、郁美は挑むように彼を見上げた。
「そうよ。待ってた。なんの用?」
「ハハッ、肝が太ぇなぁ。そんなの決まってるだろ。さっさと借りた金を返せ」
「私は借りてない」
「それが淳史は借りてんだわ。その本人が払えないなら、あんたが払うのが筋ってもんだろ。貯金はあるのか?」
「借金はいくらなわけ」
「500万」
その金額に、郁美の背筋はスッと冷たくなった。
「嘘でしょ。そんなに借りてないって言ってた」
「利子だよ、利子。ぐずぐず返済から逃げてるからこんな事になる。姉ちゃん、あんたが今日払ってくれなきゃもっと金額は膨れ上がるぜ」
百貨店の店員の給料は、決して高額ではない。淳史と暮らしていくのが精一杯で、余分な貯蓄など全くない。いや、『なくなった』のだ。
「――ないわ。貯金なんて」
「数十万くらいあるだろ」
「ないの。本当よ。ぜんぶ淳史に使った。借金はあんたのとこだけじゃないから」
その言葉に、男の顔は獣のように歪んだ。ガルルと唸り声が聞こえてきそうだ。
「他の返済を優先したっていうのか?いけないねぇ姉ちゃん。本当に金がないのか、一緒に銀行いってたしかめさせてもらおうか。それができないなら、これから他のとこに金たのみにきてもらう」
郁美の目は泳いだ。――本当に、口座に余計なお金なんてない。それを知ったらこの男は、また新たな闇金で借金を背負わせるつもりだろう。淳史ではなく、今度は郁美に。
(――こんな事繰り返してちゃ、いつまでたっても完済なんてできない……!)
いやだ。借金なんてしたくない。けれど本当に、今お金がない――。
「待って。来月になったら給料が入る。ボーナスだって」
しかし男はぐいっと郁美の手を掴んだ。
「いいや、待ってられるか。こちとら散々待たされてんだ。行くぞ」
「いや!放して!」
「嫌なら500万、いますぐ払うんだな」
ぐいっと乱暴に引っ張られ、郁美の手から傘が落ちた。その音に、数名の通行人が振り向いた。中には怪訝な顔をしている人もいる。それを見て、男は手を引いた。
「チッ……今は勘弁してやる。夜またお前の家に行くからな」
そう捨て台詞を履いて、坊主頭はあっというまに人込みにまぎれて消えてしまった。
(ああぁ……どう、どうしよう……)
ずるずると座り込むたくなるのを抑えて、郁美は力の入らない手で傘を拾おうと屈んだ。しかし郁美が拾う前に、その傘をさしかける者がいた。
「は……花園、さん?」
傘を受け取りながら、郁美は注意深く彼の表情を伺った。花園は――嘲るように、郁美を見下ろしていた。
「何、中野さん、借金してんの?」
――聞かれていた。郁美の全身に緊張が走った。
「……花園さんには、関係のない事です」
郁美は固い表情で返し、傘で顔を隠して踵を返した。しかし花園は追い打ちをかけるように追いかけてきた。
「500万?意外だなぁ。何にそんな使ったの?親の借金とか?」
言う義理なんてない。でも、こんな情けない事を社内で言いふらされでもしたら。郁美はぎりっと歯をかみしめた。
(よりによって、この人に立ち聞きされるなんて……っ)
無言の郁美の肩に、彼の手がかかった。
「俺が貸してやろうか、500万」
「冗談やめてください」
郁美は手を振り払おうと身体をねじったが、逆に前にまわりこまれて、両肩をつかまれた。
「冗談じゃない」
「……なんで」
「500万くらいすぐ用意、できるし」
郁美はとまどった。相手の真意がわからない。それに――うまい話には裏がある。
「結構です。返せる当てもありませんし」
「でも今夜家行くとか言ってたじゃん?すぐ用意しなきゃ危なくない?」
「そんな心配していただかなくて大丈夫です」
「いいじゃん、社員を助けるのも俺の仕事だし、なぁ?」
今まで散々当たり散らされたあとにそんな事を言われても、まったく信用できない。郁美は探るように整ったその顔を見た。
「何でですか?私に恩を売って――何か花園さんに得があるんですか?」
そういうと、花園は面食らったような表情をし、そののちににっと笑った。
「困ってる人を見ると放っておけないんだよ。俺って。しかも世話になってる先輩だし。な?」
郁美の脳裏に、今まで投げつけられた言葉が甦る。『色味がダサいな』『なんで一斤に入ったの?』『安っぽい靴……』
なぜかはわからないが、花園は郁美の事が目障りなのだ。だから追い出そうと常に嫌味を言い、仕事の邪魔をしてくる。
そんな相手に今更『助けたい』といわれた所で、何の罠だろうとしか思えない。
(信じちゃダメ。きっと足元すくわれる……)
恐ろしくなった郁美は無理やりその手を振り払って、建物の中へと逃げるように走った。
午後は、散々だった。郁美があまりに青い顔をしているので、加奈に何度も心配されたほどだった。
「大丈夫ですか、中野さん……。具合悪いなら、早退したほうがいいんじゃ」
こそっと耳打ちしてくる彼女に、郁美は無理やり笑顔を浮かべて首を振った。
「大したことないの、心配かけてごめんなさい」
――早退した所で、あの坊主頭が家で待っているかもしれない。念のため、淳史には連絡を入れて、近くのネットカフェに避難させていた。
(どうしよう――ああ)
今夜はなんとか逃げられたとしても、いつまでも帰らないわけにはいかないし、明日また会社に、それこそこのフロアまで来られでもしたら。
(お客様にも、同僚にもバレる――)
不始末という事で最悪、仕事を失ってしまうかもしれない。それを防ぐには、とにかくお金を払うしかない。
(でも、500万なんて大金、どうやって)
何か金策がないだろうか。郁美はトイレでスマホの画面をじっと見つめた。
『副業 高額』――その語句で検索すると、出てくるのは当然。
(即日3万円……5万円可?ああ、風俗か……)
郁美ははぁとため息をついた。そんな事は無理だと思いながらも、頭の中で計算する。
(1回3万円だとして、500割る3……)
そして冷水を浴びせかけられたようにぞっとした。500万稼ぎだそうとしたら、3桁を超える男の相手をしなくてはならないのだ。
本当に無理だ。できるわけがない。郁美は肩を落としうつむいた。床のタイルが寒々しく見える。
(どうして……こんな事になってるんだろう)
郁美はへにゃりとした足に無理やり力を入れてトイレから出た。まだ仕事中なのだ。フロアに戻らなくては。
(ああ、ひどい顔してる)
手洗いの鏡にうつる郁美の顔は、青ざめて艶がなく、28という年齢以上に老け込んで見えた。
しかし、とにかく仕事だけはきちんとこなさなくては。郁美はどこか麻痺したような気持ちで冷たい水で手を洗い、廊下へ出た。
「あ、いたいた」
「花園さん……?」
トイレを出た瞬間に呼び止められて、郁美はびくっと身をすくませた。
「どうしたのさ、そんな怖がらないでよ。はいこれ」
輪ゴムで止められた分厚い包みを、花園は差し出した。
「何……ですか?」
「決まってんだろ、500万」
郁美はあわててあたりを見回した。こんなもの、誰かに見られでもしたら。
「し――しまってください!」
「いらないの?」
「いらないってさっき言ったでしょう!」
苛々したように、花園はがしがしと頭をかいた。
「どうしてそう、人の親切を突っぱねるかなぁ……困ってんなら、素直に受け取ればいいのに」
「身内ならともかく、何で他人の花園さんから、こんな大金受け取らなきゃならないんですか。返せるかもわからないのに、嫌です」
すると花園は少し考えた後、目を細めた。
「それじゃあさ……返さなくて、いいよ」
郁美は耳を疑った。
「その代わり、身体で返してよ」
「……え?」
郁美の身体に怖気が走った。花園はうすら笑いのまま続けた。
「俺、金には困ってないし。中野さんが現金返せなくて嫌っていうならそっちでいい。そうだなぁ、1回10万ってことでどう?」
「は……?」
「つまり、俺と50回ヤレば500万完済。どう?好待遇だよ」
花園は郁美の手に、無理やり封筒を押し付けた。
「や、やめて――」
「家まであいつが来たら困るだろ?また新しく借金するより――今これを貰ったほうが安全だし賢いと思うよ?」
「無理、できません……ッ」
最後の力を振り絞って、郁美は封筒を花園の方に押し返した。すると花園は郁美の耳に口を近づけ囁いた。
「受け取ってくれないなら、人事にチクっちゃおうかな。中野さんは真面目に見えて闇金で借金してて、首がまわらないんだって」
「――!」
仕事をクビになる。それだけは……。郁美の腕の力が抜けた。
「はい、じゃあ今日仕事おわったら、しっかり返済してきてね。」
そういって、花園はいい笑顔で去っていった。郁美の腕の中に、ずしりとした封筒の束を残して。
どんよりとした雨の日の休憩室。遅い昼食を摂る郁美に、また花園は絡んできた。
「……花園さんは、もう食べたんですか?」
「まだだけど」
郁美はちらりと時計を見た。売り場の社員は、皆ランチ休憩を交代でとっている。郁美はいつも後半の時間に休憩室でお弁当を食べていた。
「外食なら、そろそろ出ないとまずいんじゃないですか」
「あ~……まぁ、俺、今日はコンビニでいいかなって」
ガサガサとビニール袋を取り出し、花園は郁美の隣に腰を下ろした。
(……何でわざわざ隣に座るのさ、他いくらでも開いてるのに)
ため息をつきたくなった郁美だが、ふいにポケットのスマホが鳴り出した。
(――あっくん?!なんだろう)
淳史は仕事中の連絡は文字でのメッセージしかしてこない。着信はよほどの事だろう。郁美は花園には目もくれず立ち上がって廊下へと出た。
「どうしたの!?」
電話の向こうで、淳史の声は震えていた。
「ご、ごめんいくちゃん、今あいつらが家まできて――いくちゃんの勤め先、言っちゃった……」
「えっ」
「ごめん、ごめんなさい。何人もきて、脅されて――警察呼ぼうと思ったんだけど、その時スマホも取り上げられてて」
パニックになりそうになるのをぐっと抑えて、郁美は冷静な声を出した。
「わかった。あっくんは無事?怪我はない?」
「うん――平気。土足であがられたから、部屋はちょっとちらかったけど」
「大変だったね。こっちは私がなんとかするから、戸締り気を付けて待ってて」
通話を切って、郁美は振り返りもせず一階へと向かった。心を奮い立たせ、迎撃態勢を整えながら。
(大丈夫、大丈夫――なんとかなる。なんとかして、みせる)
外はしとしと春の雨が降っていた。折り畳み傘の影で、郁美は目を光らせて待った。すると相手はやってきてすぐに郁美を見つけた。
「あぁ、あんたが中野郁美?」
がっちりとした肩幅の男が郁美を見下ろしていた。坊主頭に、あきらかに堅気でない形のスーツ。趣味が悪いと思いながら、郁美は挑むように彼を見上げた。
「そうよ。待ってた。なんの用?」
「ハハッ、肝が太ぇなぁ。そんなの決まってるだろ。さっさと借りた金を返せ」
「私は借りてない」
「それが淳史は借りてんだわ。その本人が払えないなら、あんたが払うのが筋ってもんだろ。貯金はあるのか?」
「借金はいくらなわけ」
「500万」
その金額に、郁美の背筋はスッと冷たくなった。
「嘘でしょ。そんなに借りてないって言ってた」
「利子だよ、利子。ぐずぐず返済から逃げてるからこんな事になる。姉ちゃん、あんたが今日払ってくれなきゃもっと金額は膨れ上がるぜ」
百貨店の店員の給料は、決して高額ではない。淳史と暮らしていくのが精一杯で、余分な貯蓄など全くない。いや、『なくなった』のだ。
「――ないわ。貯金なんて」
「数十万くらいあるだろ」
「ないの。本当よ。ぜんぶ淳史に使った。借金はあんたのとこだけじゃないから」
その言葉に、男の顔は獣のように歪んだ。ガルルと唸り声が聞こえてきそうだ。
「他の返済を優先したっていうのか?いけないねぇ姉ちゃん。本当に金がないのか、一緒に銀行いってたしかめさせてもらおうか。それができないなら、これから他のとこに金たのみにきてもらう」
郁美の目は泳いだ。――本当に、口座に余計なお金なんてない。それを知ったらこの男は、また新たな闇金で借金を背負わせるつもりだろう。淳史ではなく、今度は郁美に。
(――こんな事繰り返してちゃ、いつまでたっても完済なんてできない……!)
いやだ。借金なんてしたくない。けれど本当に、今お金がない――。
「待って。来月になったら給料が入る。ボーナスだって」
しかし男はぐいっと郁美の手を掴んだ。
「いいや、待ってられるか。こちとら散々待たされてんだ。行くぞ」
「いや!放して!」
「嫌なら500万、いますぐ払うんだな」
ぐいっと乱暴に引っ張られ、郁美の手から傘が落ちた。その音に、数名の通行人が振り向いた。中には怪訝な顔をしている人もいる。それを見て、男は手を引いた。
「チッ……今は勘弁してやる。夜またお前の家に行くからな」
そう捨て台詞を履いて、坊主頭はあっというまに人込みにまぎれて消えてしまった。
(ああぁ……どう、どうしよう……)
ずるずると座り込むたくなるのを抑えて、郁美は力の入らない手で傘を拾おうと屈んだ。しかし郁美が拾う前に、その傘をさしかける者がいた。
「は……花園、さん?」
傘を受け取りながら、郁美は注意深く彼の表情を伺った。花園は――嘲るように、郁美を見下ろしていた。
「何、中野さん、借金してんの?」
――聞かれていた。郁美の全身に緊張が走った。
「……花園さんには、関係のない事です」
郁美は固い表情で返し、傘で顔を隠して踵を返した。しかし花園は追い打ちをかけるように追いかけてきた。
「500万?意外だなぁ。何にそんな使ったの?親の借金とか?」
言う義理なんてない。でも、こんな情けない事を社内で言いふらされでもしたら。郁美はぎりっと歯をかみしめた。
(よりによって、この人に立ち聞きされるなんて……っ)
無言の郁美の肩に、彼の手がかかった。
「俺が貸してやろうか、500万」
「冗談やめてください」
郁美は手を振り払おうと身体をねじったが、逆に前にまわりこまれて、両肩をつかまれた。
「冗談じゃない」
「……なんで」
「500万くらいすぐ用意、できるし」
郁美はとまどった。相手の真意がわからない。それに――うまい話には裏がある。
「結構です。返せる当てもありませんし」
「でも今夜家行くとか言ってたじゃん?すぐ用意しなきゃ危なくない?」
「そんな心配していただかなくて大丈夫です」
「いいじゃん、社員を助けるのも俺の仕事だし、なぁ?」
今まで散々当たり散らされたあとにそんな事を言われても、まったく信用できない。郁美は探るように整ったその顔を見た。
「何でですか?私に恩を売って――何か花園さんに得があるんですか?」
そういうと、花園は面食らったような表情をし、そののちににっと笑った。
「困ってる人を見ると放っておけないんだよ。俺って。しかも世話になってる先輩だし。な?」
郁美の脳裏に、今まで投げつけられた言葉が甦る。『色味がダサいな』『なんで一斤に入ったの?』『安っぽい靴……』
なぜかはわからないが、花園は郁美の事が目障りなのだ。だから追い出そうと常に嫌味を言い、仕事の邪魔をしてくる。
そんな相手に今更『助けたい』といわれた所で、何の罠だろうとしか思えない。
(信じちゃダメ。きっと足元すくわれる……)
恐ろしくなった郁美は無理やりその手を振り払って、建物の中へと逃げるように走った。
午後は、散々だった。郁美があまりに青い顔をしているので、加奈に何度も心配されたほどだった。
「大丈夫ですか、中野さん……。具合悪いなら、早退したほうがいいんじゃ」
こそっと耳打ちしてくる彼女に、郁美は無理やり笑顔を浮かべて首を振った。
「大したことないの、心配かけてごめんなさい」
――早退した所で、あの坊主頭が家で待っているかもしれない。念のため、淳史には連絡を入れて、近くのネットカフェに避難させていた。
(どうしよう――ああ)
今夜はなんとか逃げられたとしても、いつまでも帰らないわけにはいかないし、明日また会社に、それこそこのフロアまで来られでもしたら。
(お客様にも、同僚にもバレる――)
不始末という事で最悪、仕事を失ってしまうかもしれない。それを防ぐには、とにかくお金を払うしかない。
(でも、500万なんて大金、どうやって)
何か金策がないだろうか。郁美はトイレでスマホの画面をじっと見つめた。
『副業 高額』――その語句で検索すると、出てくるのは当然。
(即日3万円……5万円可?ああ、風俗か……)
郁美ははぁとため息をついた。そんな事は無理だと思いながらも、頭の中で計算する。
(1回3万円だとして、500割る3……)
そして冷水を浴びせかけられたようにぞっとした。500万稼ぎだそうとしたら、3桁を超える男の相手をしなくてはならないのだ。
本当に無理だ。できるわけがない。郁美は肩を落としうつむいた。床のタイルが寒々しく見える。
(どうして……こんな事になってるんだろう)
郁美はへにゃりとした足に無理やり力を入れてトイレから出た。まだ仕事中なのだ。フロアに戻らなくては。
(ああ、ひどい顔してる)
手洗いの鏡にうつる郁美の顔は、青ざめて艶がなく、28という年齢以上に老け込んで見えた。
しかし、とにかく仕事だけはきちんとこなさなくては。郁美はどこか麻痺したような気持ちで冷たい水で手を洗い、廊下へ出た。
「あ、いたいた」
「花園さん……?」
トイレを出た瞬間に呼び止められて、郁美はびくっと身をすくませた。
「どうしたのさ、そんな怖がらないでよ。はいこれ」
輪ゴムで止められた分厚い包みを、花園は差し出した。
「何……ですか?」
「決まってんだろ、500万」
郁美はあわててあたりを見回した。こんなもの、誰かに見られでもしたら。
「し――しまってください!」
「いらないの?」
「いらないってさっき言ったでしょう!」
苛々したように、花園はがしがしと頭をかいた。
「どうしてそう、人の親切を突っぱねるかなぁ……困ってんなら、素直に受け取ればいいのに」
「身内ならともかく、何で他人の花園さんから、こんな大金受け取らなきゃならないんですか。返せるかもわからないのに、嫌です」
すると花園は少し考えた後、目を細めた。
「それじゃあさ……返さなくて、いいよ」
郁美は耳を疑った。
「その代わり、身体で返してよ」
「……え?」
郁美の身体に怖気が走った。花園はうすら笑いのまま続けた。
「俺、金には困ってないし。中野さんが現金返せなくて嫌っていうならそっちでいい。そうだなぁ、1回10万ってことでどう?」
「は……?」
「つまり、俺と50回ヤレば500万完済。どう?好待遇だよ」
花園は郁美の手に、無理やり封筒を押し付けた。
「や、やめて――」
「家まであいつが来たら困るだろ?また新しく借金するより――今これを貰ったほうが安全だし賢いと思うよ?」
「無理、できません……ッ」
最後の力を振り絞って、郁美は封筒を花園の方に押し返した。すると花園は郁美の耳に口を近づけ囁いた。
「受け取ってくれないなら、人事にチクっちゃおうかな。中野さんは真面目に見えて闇金で借金してて、首がまわらないんだって」
「――!」
仕事をクビになる。それだけは……。郁美の腕の力が抜けた。
「はい、じゃあ今日仕事おわったら、しっかり返済してきてね。」
そういって、花園はいい笑顔で去っていった。郁美の腕の中に、ずしりとした封筒の束を残して。
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