嘘と微熱〜甘美な一夜から始まる溺愛御曹司の愛執〜

桜月海羽

一章 はじまりはひとつの嘘/四、本心 Side Masaomi【2】

一瞬にして、心を奪われた。
笑顔で話しかけてくる茉莉花に、らしくもなく鼓動が早鐘を打って。理性を覆い尽くすような本能が、彼女を欲しているのがわかった。


それでも、この想いは穢れたものだと自身に言い聞かせ、必死に平静を装って『今度おいしいお酒でもご馳走するよ』と笑みを向けた。
社交辞令のつもりだった俺に反し、これ以上ないほどに嬉しそうな顔をした茉莉花を前に、もう自分の想いをごまかせなかった。
他の女では埋められなかった心が、彼女の笑顔ひとつで満たされていく。
茉莉花でなければダメなのだ……と思い知った瞬間で、彼女以外の女ならいらないと感じたほど。


その数週間後、茉莉花と飲みに行くことになった。
バーに行ったことがないという彼女をセグレートに連れて行き、アルコールに弱いことを知り、庇護欲がそそられた。


そして、俺の下心なんて知る由もない茉莉花は、別れ際に『また連れて行ってくれる?』と俺を見つめてきた。
願ってもない俺が即答したのは、言うまでもない。
素直で純粋な彼女は、ただただ喜びを浮かべていた。


茉莉花の両親はとても過保護だったが、俺に対しては信頼を置いてくれているらしい。茉莉花は俺と会うことを特に隠さず、俺も遅くならないうちに彼女を送り届けるようにしていた。
もちろん、これは茉莉花の両親により信用してもらうためである。
そのためには、行き先も何時に帰宅させるかも、きちんと伝えるようにした。


最初は遠慮がちだった茉莉花も、次第に自身が抱えている悩みを打ち明けてくれるようになり、一年が経つ頃には甘えてくれるようになった。
就職が決まったときに浮かない顔だった彼女は、念願の一人暮らしが始まっても浩人さんの保護下に置かれていることに苦しんでいるようだった。


優しい茉莉花が、浩人さんを始め、誰かを悪く言うことは滅多にない。
父親との関係性に不満を口にしても、最終的には『私が子どもの頃に心配をかけたせいだから』というところに行きつき、反抗もしない。
傍で見ているだけの俺にとっては、いつも歯がゆくてたまらず、少しでも彼女の力になりたいと思っている。


反面、茉莉花自身が心からそれを望まなければ、俺が手出しすることはできないと自覚もしていた。
俺から見れば浩人さんの行動は行き過ぎているし、それが彼女自身を苦しめていると感じるが、本人はそれに気づいていないのだろう。


赤の他人でしかない俺には、そこに口出す権利はない。
だからこそ、茉莉花と定期的に会うようになったこの四年間ずっと、彼女の話を聞くだけにとどめてきた。
そうすることが一番いい方法だと思っていたからだ。


(でも、それももう限界か……)


本当は、浩人さんから確固たる信頼を得てから行動に移すつもりだった。
ところが、彼が茉莉花の結婚に対して動き出したと知り、焦りが芽生えていた。
俺の予想よりもずっと早くに纏めるつもりのようで、彼女に話がされたということはそれだけ間近に迫っているということなんだろう。


一番は、茉莉花の気持ちを大切にしたい。
ただ、彼女の意思ははっきりとはわからないままだ。
見合いを望んでいないが破談は考えていないようだし、俺に対しても……。


ときどき、俺を見る茉莉花の目に恋情が宿っている気がしていた。
今日までずっと、自分自身の欲望が生み出したつまらない希望だと思っていたが、もしかしたら期待してもいいのだろうか。
けれど、彼女の本心が読めないため、今はまだ確信が持てない。


これまでは、女性が自分をどう見ているか、どう振る舞えばいいのかなんて、手に取るように理解してきた。
ところが、茉莉花が相手だと彼女の本心がまったく読めずにいた。
ファーストキスも初体験も捧げてくれた上、普段の茉莉花の態度を見ていれば少なからず好意はあると思えるけれど……。それだって、色恋沙汰に鈍そうな彼女だからこそ、自信は持てない。


「本当に……茉莉花はいつも俺を困らせてくれるね」


俺がこれまでどれだけ必死に自制し、仁科家や茉莉花の信頼を得られるように振る舞ってきたか。
それなのに、俺の理性を奪いにきた彼女に、すべてをいとも簡単に崩されてしまったのだから。


とはいえ、もう悠長なことは言っていられない。
茉莉花が自分に対して恋愛感情がないのなら、彼女を振り向かせればいいだけ。
幸い、茉莉花の好みや性格なら、家族と同じくらいは把握している。
この四年でしっかりとリサーチしてきたのだから、昨日今日出てきたような見合い候補の男に負けることはないだろう。


「そもそも、逃がすつもりはないけどね」


茉莉花を抱きしめている腕に力を込め、そろそろ起こさなければいけないと考えつつも、もう少しだけこうしていたくて髪を撫で続ける。
肩につくくらいのブラウンの髪は柔らかく、このままずっと触れていたい。


「早く俺のところに堕ちておいで」


眠る茉莉花の耳元で囁き、唇をそっと奪う。
二、三度食んだところで劣情が芽生え、なんとか理性で欲望を押し込めた。
彼女の味を知った今、これからはもっと自制心を試されることになるだろう。


(これは思ったよりも苦労しそうだな……)


それでも、もう逃がさない。どんな手を使ってでも茉莉花を手に入れよう。
そう密かに誓い、優しい声音で名前を呼んで彼女を夢の中から現実に戻した。

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