嘘と微熱〜甘美な一夜から始まる溺愛御曹司の愛執〜
一章 はじまりはひとつの嘘/一、憧れの人との密会【2】
(せめて普通に働きたいのに……)
誰でもできるような雑務しか任せてもらえないけれど、それでも人並みに仕事がしたい。
兄や姉のような肩書きが欲しいなんて贅沢は言わないから、同僚たちが残業している中、ひとりだけ退社するようなことだけはやめたい。
そんな思いを父に伝えたことは一度や二度ではなく、今ではもう数え切れない。
そして、毎回変わらない父の答えを聞いて、深いため息をつくまでがセットだ。
思い出すと、また嘆息してしまう。
気を取り直せないまま人の流れに沿うように電車を降り、子どもの頃から見慣れた最寄り駅の改札口を抜けた。
会社がある大久保駅から電車で二駅で着く中野駅。そこから徒歩七分。
通勤時間は三十分にも満たない。
恵まれた環境で、感謝しなくてはいけないのだと思う。
それなのに、なにもかもがただ与えられただけのものだという現実に、ときおりどうしようもないほどの虚しさを抱いてしまう。
私には、自分自身の力で手に入れたものがひとつもないのだから……。
何度目かわからないため息が漏れたとき、ちょうど家に着いた。
十階建てのマンションの五〇三号室。
セキュリティも万全なオートロックマンションは私だけの城なのに、気が重いせいか息が詰まる。
夕食を作るのも億劫になりそうだったとき、スマホが鳴った。
「はい」
『もう帰ったか?』
「ちょうど帰ってきたところだよ」
『なんだ、いつもより少し遅いな』
「今日は駅前のスーパーに寄ってたから」
電話の相手である父の怪訝そうな声に、呆れながら事情を話す。
『そうか。今日は雨のせいか少し冷える。温かくして過ごしなさい』
「お父さん、私もう子どもじゃないよ。体調だってずっと悪くなってないし、就職してからは風邪もひいたことないでしょ?」
『親にとっては子どもはいつまで経っても子どもなんだ』
「だとしても、毎日電話までしなくても……」
『一人暮らしを許してやったんだ。電話くらいで文句を言うんじゃない』
「文句じゃないよ。一般論っていうか……ほら、みんな毎日親から電話がかかってきたりしないよ」
『他人の話はどうでもいい。これは父さんと茉莉花のことだ』
「でも、お兄ちゃんとお姉ちゃんには毎日電話なんてしないでしょ?」
『あいつらはいい大人だ』
父との論争で敵わないことは、この二十四年間で身に染みている。
それでも、どうしても言っておきたいことがあった。
「じゃあ、電話のことはいいから、仕事の話をしてもいい?」
『仕事の話? なにかあったのか?』
「なにもないよ。でも、なにもないってことがおかしいの」
『なにがおかしい?』
「いつも私だけ定時ぴったりに上がるのっておかしいよ! みんなが残業してるのに私だけ退社を促されるなんて、明らかに贔屓でしょ?」
『贔屓じゃない。区別してるだけだ。それもこれも、すべてはお前のためだと何度も言ってるだろう。この話はここまでだ』
父はぴしゃりと言い切ると、『早く寝なさい』と言って電話を切った。
「早く寝なさいって……まだ七時だよ」
今どき、小学生だって塾に行ったりゲームをしたりしているような時間帯だろう。
今日も今日とて父に言い負けてしまい、とてつもなく大きなため息が落ちる。
(頑固なんだから……! もう少し話を聞いてくれたっていいのに……)
父がここまで過保護なのには、理由がある。
誰でもできるような雑務しか任せてもらえないけれど、それでも人並みに仕事がしたい。
兄や姉のような肩書きが欲しいなんて贅沢は言わないから、同僚たちが残業している中、ひとりだけ退社するようなことだけはやめたい。
そんな思いを父に伝えたことは一度や二度ではなく、今ではもう数え切れない。
そして、毎回変わらない父の答えを聞いて、深いため息をつくまでがセットだ。
思い出すと、また嘆息してしまう。
気を取り直せないまま人の流れに沿うように電車を降り、子どもの頃から見慣れた最寄り駅の改札口を抜けた。
会社がある大久保駅から電車で二駅で着く中野駅。そこから徒歩七分。
通勤時間は三十分にも満たない。
恵まれた環境で、感謝しなくてはいけないのだと思う。
それなのに、なにもかもがただ与えられただけのものだという現実に、ときおりどうしようもないほどの虚しさを抱いてしまう。
私には、自分自身の力で手に入れたものがひとつもないのだから……。
何度目かわからないため息が漏れたとき、ちょうど家に着いた。
十階建てのマンションの五〇三号室。
セキュリティも万全なオートロックマンションは私だけの城なのに、気が重いせいか息が詰まる。
夕食を作るのも億劫になりそうだったとき、スマホが鳴った。
「はい」
『もう帰ったか?』
「ちょうど帰ってきたところだよ」
『なんだ、いつもより少し遅いな』
「今日は駅前のスーパーに寄ってたから」
電話の相手である父の怪訝そうな声に、呆れながら事情を話す。
『そうか。今日は雨のせいか少し冷える。温かくして過ごしなさい』
「お父さん、私もう子どもじゃないよ。体調だってずっと悪くなってないし、就職してからは風邪もひいたことないでしょ?」
『親にとっては子どもはいつまで経っても子どもなんだ』
「だとしても、毎日電話までしなくても……」
『一人暮らしを許してやったんだ。電話くらいで文句を言うんじゃない』
「文句じゃないよ。一般論っていうか……ほら、みんな毎日親から電話がかかってきたりしないよ」
『他人の話はどうでもいい。これは父さんと茉莉花のことだ』
「でも、お兄ちゃんとお姉ちゃんには毎日電話なんてしないでしょ?」
『あいつらはいい大人だ』
父との論争で敵わないことは、この二十四年間で身に染みている。
それでも、どうしても言っておきたいことがあった。
「じゃあ、電話のことはいいから、仕事の話をしてもいい?」
『仕事の話? なにかあったのか?』
「なにもないよ。でも、なにもないってことがおかしいの」
『なにがおかしい?』
「いつも私だけ定時ぴったりに上がるのっておかしいよ! みんなが残業してるのに私だけ退社を促されるなんて、明らかに贔屓でしょ?」
『贔屓じゃない。区別してるだけだ。それもこれも、すべてはお前のためだと何度も言ってるだろう。この話はここまでだ』
父はぴしゃりと言い切ると、『早く寝なさい』と言って電話を切った。
「早く寝なさいって……まだ七時だよ」
今どき、小学生だって塾に行ったりゲームをしたりしているような時間帯だろう。
今日も今日とて父に言い負けてしまい、とてつもなく大きなため息が落ちる。
(頑固なんだから……! もう少し話を聞いてくれたっていいのに……)
父がここまで過保護なのには、理由がある。
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