運命の赤い糸が引きちぎれない
15章:2m
――木曜。
もうあと二日で土曜だと思うと落ち着かない。
なのに、もう逃がさないと言うように、毎日家で顔さえ合わせれば抱きしめられ、キスをされ、さらに愛の言葉をささやかれて……
日に日に私は直さんの色に染まってることも実感する。
その日は一度寝て、1時すぎに目が覚めたら、帰ってきた直さんに出くわしてしまい、やっぱりすぐに剥かれて色々された。いつも以上に激しく攻められ、ねちっこかった気がする。
散々気持ちよさに泣かされ、声も涙も枯れたころにやっと解放された。されたが、そのまま抱きしめられて、キスだけは続行されている。
(これで最後までしてないなんて、冗談ですよねぇ……)
というくらいに身体にはキスマークがいっぱいついていた。
それに気付いて恥ずかしさに泣きそうになったあとは、うっとりした顔で何度も愛の言葉を囁かれるだけだ。
「かわいい、よもぎ。好き。愛してる……」
(なんだ、この羞恥心をゴリゴリ削られる日々は!)
もう恥ずかしくて羞恥で顔が爆発しそうなのに、直さんは私の頬にキスを落とすと、甘く蕩けるような目で私を見つめる。
「やりすぎちゃってごめんね。声、枯れてるし、はちみつドリンク作っておいたからね」
「ほしいのはそういう気遣いじゃないんですぅ……」
こんなに慣らさないと最後までできないものなの?
最近は、もうお願いだから最後までしてくれ、と思うようになってきた。
直さんは私の頬にもう一度キスをすると、
「行ってきます、よもぎ。いい子だから、まだ寝ていなさい」
と言ってベッドから出て支度をする。
時間を見てみるとまだ3時半。
もはや朝なのか、夜なのか分からない。
「あ、相変わらず早い出勤ですね……」
「土曜、楽しみすぎていてもたってもいられないんだ。土曜は仕事に邪魔されなくないから、先にできることはどんどんやっておかないとね」
遠足前日の小学生のように嬉しそうに言われると、さらに逃げられないことが分かって、言葉に詰まる。
直さんはそれを知ってか知らずか楽しそうに笑うと、私の髪を撫で、部屋を出て行った。
「本当に! なんなんだ、あの人は!」
私は叫んで、ボスンとうつぶせになると顔を枕にうずめる。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎるけど、でも、やっぱりあんなに『好きだ』『愛してる』って言われると嬉しくなる。
「でも、私からは……『好き』とか『愛してる』なんてなかなか言えないんだよなぁ……」
まぁ、廉の時も20年も片思いしてハッキリとは自分から言えなかったわけだし、これが私なんだけど。
――いつか直さんには、ちゃんと言えるといいな……。
そんなことを思っていると、急に眠気が襲ってきて、私はウトウトしたと思ったら眠っていた。
――もっと言えばよかった。もっと好きだって、愛してるって。
そのまま寝たら、昔の夢を見た。
あれはさくらの言葉だ。
なんで今日、こんな夢を見るんだろう……。
***
矢嶋総合病院の廊下で、呆然としている姉のさくらと、それを支えるように伸が座ってた。
そのとき、さくらと伸はまだ大学生で……二人とも医学部にはいたけど、まだ研修医でもなかったころだ。
「私は櫂にもっと言えばよかった。もっと好きだって。愛してるって。私は、櫂がいないと生きていけないのに」
さくらの初めての彼氏は高校生の時にできた渋木櫂っていうさくらと伸と同い年の幼馴染の男の子だった。
さくらと櫂と伸は、小さな頃から三人そろっていつも仲良く遊んでたけど、いつのまにか当たり前みたいに櫂とさくらは付き合いだしたのだ。
さくらのことがずっと好きだった伸には複雑な出来事だったけど、伸は櫂ならいいと思っていたみたいだ。
櫂は頭が良かったから、さくらと伸だけでなくて、私と廉もよく勉強を見てもらっていた。
櫂は少し直さんに似ていて、いつも優しく笑う人だったから余計に私と廉は懐いていたように思う。
でも、その頃には、櫂は先天性の難病でもう長く生きられないってわかっていたみたいで、さくらと付き合うときにさくらにだけはそのことを告げたそうだ。
さくらはそれでも櫂といることを選んだ。
さくらが内科医の道を選んだのも櫂の影響だと思う。
櫂が亡くなるまでの最後の一か月間、ずっと櫂は、矢嶋総合病院に入院していて、さくらは大学も忙しかったけど、大学以外の時間は寝る間も惜しんで櫂の看病をしていた。
――そんな櫂が、その日の前夜、亡くなったのだ。
もちろん、大好きな櫂が死んでしまって、私も廉もわんわん泣いたし、伸だって泣いた。
でも、さくらだけは全然泣かなくて、ただ呆然としていて……私はそれが心配だった。
同じように伸も思ったみたいで、伸は櫂が亡くなってから、ずっとさくらのこと気にしてた。
私は息を吸って、病院の廊下の椅子に座ったままのさくらに言う。
「さくら、いったん帰ろうよ。櫂が入院してから、今日までも……全然寝てないじゃん。櫂のご両親も心配してた。私も、すごく心配」
私が言うと、その当時、もう研修医だった直さんが廊下のあちら側からこちらにやってくる。
「さくらはこっちで預かるよ。そこの空き部屋にベッド用意したから。行こう、さくら」
そう言ってさくらを支えてくれた直さんに、私は頭を下げる。
「ありがとう、直さん」
「気にしないで」
直さんが優しい目元を細めて微笑んで、私はそれを見て、心底ほっとしていた。
残された私は、伸をまっすぐ見つめる。
伸は、ずっと自分の手を見つめていた。
「俺、どうすればいいのかな。俺にできることもないし、このままそっとしておいたほうがいいような気もするし」
力なくそういう伸に、私は思わず聞いていた。
「伸は……さくらが好きなんじゃないの?」
「そうだけど。でも……今は1人になりたいんじゃないかな? そっとしておいた方がいいのかなって思ってる」
その言葉に私はぎゅっと唇を噛む。
「違うよ! ばか! このままじゃ引っ張られる可能性だってあるのに!」
「え?」
「……あ」
私は慌てて口をふさぐ。そうしていると、直さんが、
「どうしたの、よもぎ。大声出して」と言いながら戻ってきた。
「さくらは?」
「うん、少しだけ……睡眠導入剤飲ませておいた。無理やりでも少し寝てほしかったし」
「ありがとう」
私はほっとしてから息を吸うと、意を決して伸の方をまっすぐ見て口を開いた。
「夫婦でも恋人でも、片方が死んだら、もう一人もすぐに亡くなってしまうことって、時々あるでしょ……」
思わずそんなことを言っていた。
『赤い糸』は相手が亡くなったとしても、切れない。
私はそれを知っていた。
強固につながっていればいるほど、相手に引っ張られることがある。
夫婦や恋人の片方が死んだら、もう一人もすぐに亡くなってしまうことがあるのは、糸が多少なりとも影響していると私はもう感覚で分かっていた。
それを糸の話をしないで相手に伝えるのは難しいと思ったけど、何とか私は頭を回転させて話し始めた。
その時、さくらの赤い糸がつながっていた相手は、亡くなった櫂で……
私はさくらがいなくなるのが、なにより怖かったのだ。
伸は私を見上げる。
「何言ってるの、よもぎちゃん。まさか、さくらに限ってそんなことあるわけないでしょ」
理屈じゃない。怖いのだ。
どうにか、ちゃんと伝えないと……。
私は、廉のこともあるから、今後も伸とさくらが付き合うのは反対だし、伸がいくら頑張っても糸自体はそのままだろう。
でも、今はそんなこと言ってる場合じゃなくて……。
――なんとかさくらをこっちに引き寄せないと。
「伸、お願い」
私は息を吸うと続けた。
「さくらのことが好きなら、離れないでそばにいて、ちゃんと伝えて。さくらがここにいたいって思えるまで、毎日、さくらのそばで伝え続けてよ。『好きだ』って、『愛してる』って。お願いだから伸、一緒にさくらを助けて!」
私は真剣だった。
そんな私の様子を見て、伸は決意したように頷く。
伸は、恋人を亡くしたさくらのそばに居続けることを決めたのだ。
それから伸はさくらに『さくらが大事だ』って、『愛してる』って、根気よく伝え続けてくれて……。
――そして二年後……。
私ははじめて、糸がちぎれるのを目の当たりにしたのだった。
***
私は自分の手にある赤い糸を見つめる。
「さくらと伸以外は、糸が切れたところは見たことないなぁ……」
私の赤い糸は変わらずあって、途中は透明になっているがきちんと直さんとつながっていることが感覚でわかる。
「あの時は櫂のこともあったわけだし……やっぱり私の糸は、切れずにずっとこのままなんだろうな」
私はそう呟いて、決意したように息を吸う。
これは諦めじゃなくて、ちゃんと覚悟できたってことだ。
私は直さんが好きだし、直さんとの糸が短くなってきているのも、これからもっと短くなるのも、もう受け入れられている。覚悟はできてる。
むしろ、自分からそうしたいとすら思う。
――今、私は、この糸を引きちぎりたいなんて……少しも思ってない。
それにしても、なんで今日に限って、あんな夢見たんだろう。
そんなことを思いながらいつもより30分早めの8時前に出勤すると、病院内はなんとなくバタバタしている様子だった。
少し嫌な予感がしつつ、ロッカールームに向かうと、私よりさらに早く来ていた事務の先輩の松井さんがいた。
「おはようございます。なんだかバタバタしてますね。救急車も何台か来てたし」
「あれよ」
松井さんはロッカールーム内のテレビを指さす。
テレビは朝のニュースをやっていて、速報で中継が入っていた。
「ニュース?」
「5時ごろ、近くで結構大きな土砂崩れがあって、うちの救急の先生も現場に向かったみたい」
そんなことを松井さんは言う。
5時ごろって、もうとっくに直さんは出勤してた時間だ。
なぜか不安になって胸がドクンと大きな音を立てた時、テレビの中のレポーターの声が聞こえた。
『最初の土砂崩れの影響で、近くの別の場所でも土砂崩れが発生した模様で、さらに現場は混乱しています。なお、現場に向かっていた医師がこれに巻き込まれたという情報も入ってきており……』
「……直さん」
私は呟いていた。
「え?」
「直さんは……?」
私は青ざめると、ロッカールームを飛び出していた。
そのままどこに向かっていいのかわからず外科の方向に走る。
あんな夢を見たせいで、不安が胸を占めていた。
私には糸が見えるだけで、予知夢なんて見ないはずだけど、でも不安だった。
 ――直さんがいなくなるんじゃないかって。
全速力で走って外科に着くなり、廉が目に入る。
私は廉につかみかかる勢いで聞いていた。
「ねぇ、廉! 直さんは!?」
「あぁ、土砂崩れの現場の方に行って……」
(やっぱり……!)
嫌な予感ほど、当たるものだ。
「私も行く! 連れて行って!」
私は叫んでいた。
「はぁ!?」
「私なら土砂の中だって、なんだって、直さん探せる。だから私も行く!」
私には赤い糸が見える。
直さんが巻き込まれていたって、近くまで行けば糸をたどれるはずだ。
(私のこの力って、この時のためにあったのかなぁ……)
そんなことを思った。
「よもぎ、何言ってんだよ。だめだって」
「どうしたの?」
亜依の声が聞こえたけど、私はそれどころではなかった。
「いや、よもぎが……」
――もっと言えばよかった。もっと好きだって、愛してるって。
あの時のさくらの声が耳の奥に響く。
そうだよ、私はまだちゃんと伝えてないのに……。
もっと言わなきゃいけなかった。
後悔なんてする前に……。
「私、直さんが好きなのっ! なのに直さんに好きだって、全然伝えられてない! 直さんがいなくなったら、私、どうしていいのかわからない! だから連れて行って!」
もうあと二日で土曜だと思うと落ち着かない。
なのに、もう逃がさないと言うように、毎日家で顔さえ合わせれば抱きしめられ、キスをされ、さらに愛の言葉をささやかれて……
日に日に私は直さんの色に染まってることも実感する。
その日は一度寝て、1時すぎに目が覚めたら、帰ってきた直さんに出くわしてしまい、やっぱりすぐに剥かれて色々された。いつも以上に激しく攻められ、ねちっこかった気がする。
散々気持ちよさに泣かされ、声も涙も枯れたころにやっと解放された。されたが、そのまま抱きしめられて、キスだけは続行されている。
(これで最後までしてないなんて、冗談ですよねぇ……)
というくらいに身体にはキスマークがいっぱいついていた。
それに気付いて恥ずかしさに泣きそうになったあとは、うっとりした顔で何度も愛の言葉を囁かれるだけだ。
「かわいい、よもぎ。好き。愛してる……」
(なんだ、この羞恥心をゴリゴリ削られる日々は!)
もう恥ずかしくて羞恥で顔が爆発しそうなのに、直さんは私の頬にキスを落とすと、甘く蕩けるような目で私を見つめる。
「やりすぎちゃってごめんね。声、枯れてるし、はちみつドリンク作っておいたからね」
「ほしいのはそういう気遣いじゃないんですぅ……」
こんなに慣らさないと最後までできないものなの?
最近は、もうお願いだから最後までしてくれ、と思うようになってきた。
直さんは私の頬にもう一度キスをすると、
「行ってきます、よもぎ。いい子だから、まだ寝ていなさい」
と言ってベッドから出て支度をする。
時間を見てみるとまだ3時半。
もはや朝なのか、夜なのか分からない。
「あ、相変わらず早い出勤ですね……」
「土曜、楽しみすぎていてもたってもいられないんだ。土曜は仕事に邪魔されなくないから、先にできることはどんどんやっておかないとね」
遠足前日の小学生のように嬉しそうに言われると、さらに逃げられないことが分かって、言葉に詰まる。
直さんはそれを知ってか知らずか楽しそうに笑うと、私の髪を撫で、部屋を出て行った。
「本当に! なんなんだ、あの人は!」
私は叫んで、ボスンとうつぶせになると顔を枕にうずめる。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎるけど、でも、やっぱりあんなに『好きだ』『愛してる』って言われると嬉しくなる。
「でも、私からは……『好き』とか『愛してる』なんてなかなか言えないんだよなぁ……」
まぁ、廉の時も20年も片思いしてハッキリとは自分から言えなかったわけだし、これが私なんだけど。
――いつか直さんには、ちゃんと言えるといいな……。
そんなことを思っていると、急に眠気が襲ってきて、私はウトウトしたと思ったら眠っていた。
――もっと言えばよかった。もっと好きだって、愛してるって。
そのまま寝たら、昔の夢を見た。
あれはさくらの言葉だ。
なんで今日、こんな夢を見るんだろう……。
***
矢嶋総合病院の廊下で、呆然としている姉のさくらと、それを支えるように伸が座ってた。
そのとき、さくらと伸はまだ大学生で……二人とも医学部にはいたけど、まだ研修医でもなかったころだ。
「私は櫂にもっと言えばよかった。もっと好きだって。愛してるって。私は、櫂がいないと生きていけないのに」
さくらの初めての彼氏は高校生の時にできた渋木櫂っていうさくらと伸と同い年の幼馴染の男の子だった。
さくらと櫂と伸は、小さな頃から三人そろっていつも仲良く遊んでたけど、いつのまにか当たり前みたいに櫂とさくらは付き合いだしたのだ。
さくらのことがずっと好きだった伸には複雑な出来事だったけど、伸は櫂ならいいと思っていたみたいだ。
櫂は頭が良かったから、さくらと伸だけでなくて、私と廉もよく勉強を見てもらっていた。
櫂は少し直さんに似ていて、いつも優しく笑う人だったから余計に私と廉は懐いていたように思う。
でも、その頃には、櫂は先天性の難病でもう長く生きられないってわかっていたみたいで、さくらと付き合うときにさくらにだけはそのことを告げたそうだ。
さくらはそれでも櫂といることを選んだ。
さくらが内科医の道を選んだのも櫂の影響だと思う。
櫂が亡くなるまでの最後の一か月間、ずっと櫂は、矢嶋総合病院に入院していて、さくらは大学も忙しかったけど、大学以外の時間は寝る間も惜しんで櫂の看病をしていた。
――そんな櫂が、その日の前夜、亡くなったのだ。
もちろん、大好きな櫂が死んでしまって、私も廉もわんわん泣いたし、伸だって泣いた。
でも、さくらだけは全然泣かなくて、ただ呆然としていて……私はそれが心配だった。
同じように伸も思ったみたいで、伸は櫂が亡くなってから、ずっとさくらのこと気にしてた。
私は息を吸って、病院の廊下の椅子に座ったままのさくらに言う。
「さくら、いったん帰ろうよ。櫂が入院してから、今日までも……全然寝てないじゃん。櫂のご両親も心配してた。私も、すごく心配」
私が言うと、その当時、もう研修医だった直さんが廊下のあちら側からこちらにやってくる。
「さくらはこっちで預かるよ。そこの空き部屋にベッド用意したから。行こう、さくら」
そう言ってさくらを支えてくれた直さんに、私は頭を下げる。
「ありがとう、直さん」
「気にしないで」
直さんが優しい目元を細めて微笑んで、私はそれを見て、心底ほっとしていた。
残された私は、伸をまっすぐ見つめる。
伸は、ずっと自分の手を見つめていた。
「俺、どうすればいいのかな。俺にできることもないし、このままそっとしておいたほうがいいような気もするし」
力なくそういう伸に、私は思わず聞いていた。
「伸は……さくらが好きなんじゃないの?」
「そうだけど。でも……今は1人になりたいんじゃないかな? そっとしておいた方がいいのかなって思ってる」
その言葉に私はぎゅっと唇を噛む。
「違うよ! ばか! このままじゃ引っ張られる可能性だってあるのに!」
「え?」
「……あ」
私は慌てて口をふさぐ。そうしていると、直さんが、
「どうしたの、よもぎ。大声出して」と言いながら戻ってきた。
「さくらは?」
「うん、少しだけ……睡眠導入剤飲ませておいた。無理やりでも少し寝てほしかったし」
「ありがとう」
私はほっとしてから息を吸うと、意を決して伸の方をまっすぐ見て口を開いた。
「夫婦でも恋人でも、片方が死んだら、もう一人もすぐに亡くなってしまうことって、時々あるでしょ……」
思わずそんなことを言っていた。
『赤い糸』は相手が亡くなったとしても、切れない。
私はそれを知っていた。
強固につながっていればいるほど、相手に引っ張られることがある。
夫婦や恋人の片方が死んだら、もう一人もすぐに亡くなってしまうことがあるのは、糸が多少なりとも影響していると私はもう感覚で分かっていた。
それを糸の話をしないで相手に伝えるのは難しいと思ったけど、何とか私は頭を回転させて話し始めた。
その時、さくらの赤い糸がつながっていた相手は、亡くなった櫂で……
私はさくらがいなくなるのが、なにより怖かったのだ。
伸は私を見上げる。
「何言ってるの、よもぎちゃん。まさか、さくらに限ってそんなことあるわけないでしょ」
理屈じゃない。怖いのだ。
どうにか、ちゃんと伝えないと……。
私は、廉のこともあるから、今後も伸とさくらが付き合うのは反対だし、伸がいくら頑張っても糸自体はそのままだろう。
でも、今はそんなこと言ってる場合じゃなくて……。
――なんとかさくらをこっちに引き寄せないと。
「伸、お願い」
私は息を吸うと続けた。
「さくらのことが好きなら、離れないでそばにいて、ちゃんと伝えて。さくらがここにいたいって思えるまで、毎日、さくらのそばで伝え続けてよ。『好きだ』って、『愛してる』って。お願いだから伸、一緒にさくらを助けて!」
私は真剣だった。
そんな私の様子を見て、伸は決意したように頷く。
伸は、恋人を亡くしたさくらのそばに居続けることを決めたのだ。
それから伸はさくらに『さくらが大事だ』って、『愛してる』って、根気よく伝え続けてくれて……。
――そして二年後……。
私ははじめて、糸がちぎれるのを目の当たりにしたのだった。
***
私は自分の手にある赤い糸を見つめる。
「さくらと伸以外は、糸が切れたところは見たことないなぁ……」
私の赤い糸は変わらずあって、途中は透明になっているがきちんと直さんとつながっていることが感覚でわかる。
「あの時は櫂のこともあったわけだし……やっぱり私の糸は、切れずにずっとこのままなんだろうな」
私はそう呟いて、決意したように息を吸う。
これは諦めじゃなくて、ちゃんと覚悟できたってことだ。
私は直さんが好きだし、直さんとの糸が短くなってきているのも、これからもっと短くなるのも、もう受け入れられている。覚悟はできてる。
むしろ、自分からそうしたいとすら思う。
――今、私は、この糸を引きちぎりたいなんて……少しも思ってない。
それにしても、なんで今日に限って、あんな夢見たんだろう。
そんなことを思いながらいつもより30分早めの8時前に出勤すると、病院内はなんとなくバタバタしている様子だった。
少し嫌な予感がしつつ、ロッカールームに向かうと、私よりさらに早く来ていた事務の先輩の松井さんがいた。
「おはようございます。なんだかバタバタしてますね。救急車も何台か来てたし」
「あれよ」
松井さんはロッカールーム内のテレビを指さす。
テレビは朝のニュースをやっていて、速報で中継が入っていた。
「ニュース?」
「5時ごろ、近くで結構大きな土砂崩れがあって、うちの救急の先生も現場に向かったみたい」
そんなことを松井さんは言う。
5時ごろって、もうとっくに直さんは出勤してた時間だ。
なぜか不安になって胸がドクンと大きな音を立てた時、テレビの中のレポーターの声が聞こえた。
『最初の土砂崩れの影響で、近くの別の場所でも土砂崩れが発生した模様で、さらに現場は混乱しています。なお、現場に向かっていた医師がこれに巻き込まれたという情報も入ってきており……』
「……直さん」
私は呟いていた。
「え?」
「直さんは……?」
私は青ざめると、ロッカールームを飛び出していた。
そのままどこに向かっていいのかわからず外科の方向に走る。
あんな夢を見たせいで、不安が胸を占めていた。
私には糸が見えるだけで、予知夢なんて見ないはずだけど、でも不安だった。
 ――直さんがいなくなるんじゃないかって。
全速力で走って外科に着くなり、廉が目に入る。
私は廉につかみかかる勢いで聞いていた。
「ねぇ、廉! 直さんは!?」
「あぁ、土砂崩れの現場の方に行って……」
(やっぱり……!)
嫌な予感ほど、当たるものだ。
「私も行く! 連れて行って!」
私は叫んでいた。
「はぁ!?」
「私なら土砂の中だって、なんだって、直さん探せる。だから私も行く!」
私には赤い糸が見える。
直さんが巻き込まれていたって、近くまで行けば糸をたどれるはずだ。
(私のこの力って、この時のためにあったのかなぁ……)
そんなことを思った。
「よもぎ、何言ってんだよ。だめだって」
「どうしたの?」
亜依の声が聞こえたけど、私はそれどころではなかった。
「いや、よもぎが……」
――もっと言えばよかった。もっと好きだって、愛してるって。
あの時のさくらの声が耳の奥に響く。
そうだよ、私はまだちゃんと伝えてないのに……。
もっと言わなきゃいけなかった。
後悔なんてする前に……。
「私、直さんが好きなのっ! なのに直さんに好きだって、全然伝えられてない! 直さんがいなくなったら、私、どうしていいのかわからない! だから連れて行って!」
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