運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

13章:3m

 朝、目が覚めた時もまだ日は高くなってなかった。

(寝てたんじゃなくて、気を失ってたかも……)

 私がごしごしと目をこすると、目の前に直さんの裸の胸板がある。

「ふぃぎゃっ! ……ふぉっ!? ……ふぁっ!?!?!?」

 私は飛び起き、そして自分が全裸であることにさらに驚き、最後に左手を見てさらに叫んだ。
 すぐにシーツを手繰り寄せ、もう一度まじまじと手を確認していると、

「あ、また赤い糸が短くなってた?」

と楽しそうな声が聞こえる。
 寝ていると思っていたのに、ばっちり起きていたらしい直さんがくすくす笑って私を見ていた。

(なんでわかるんですか!)

 直さんは自分も起き上がると、私の顔を見て聞いた。

「今どれくらい?」
「さ、3m……くらい」
「ふふ、そっかぁ」

 心底嬉しそうに直さんが微笑む。
 私はいたたまれなくなって、シーツに顔をうずめた。

 全部恥ずかしい。

 昨日の自分の声も、反応も、全部思い出したくもない。それに、隅々まで全て直さんに見られたことも知られたことも恥ずかしい。そしてあれを経て、さらに糸が短くなっている事実もなんだかとっても恥ずかしい。

 ――しかも、こんなことまでされて、こんなに糸が短くなっているのに、私たちは『最後まで』には至っていないのだ。

 シーツに顔を埋めたままの私の髪を撫でる気配がする。

「ねぇ、よもぎ? 今更だけど、ちゃんと『付き合う』ってことでいいよね?」

 そう言われて、私はきゅっと唇をかむ。

(私たちの関係は一体何なのだろう? 付き合うっていうのでいいのか……? いや、それ、よくない気がするんだけど……)

 私がうんうん悩んでいると、

「よもぎ、僕のことは遊びだったんだ?」
と、直さんが非常に悲しそうな声で言った。

(人聞きが悪い!)

 私は慌てて顔を上げてて叫ぶ。

「いや、遊びとかそういうんじゃないですから! 遊びでこんなことできるはずないでしょ!」
「だって、最初は『誰でもいいから』って処女捨てようとしてたじゃん」

(またそんな昔のこと掘り出して意地悪言って……!)

 むっとして直さんを睨むと、直さんは、だってそうでしょ? と悲しそうに眉を下げて首を傾げる。
 私はそれを見て言葉に詰まる。

 ――だって今はもう、そんなこと無理だとわかる。誰でもよくなんてなかった。

「も、もう十分にわかりました! 私には遊びで、とか、だれでもいいとかは無理でした! あんなこと、他の人とするの無理です。若気の至りってやつです。もうそんなこと思いもしませんし、いい加減忘れてください!」

 すると、
「いい子だね、絶対他の人によもぎの処女あげないでよ」と言って直さんが私の髪を撫でる。

 まるで子ども扱いだが、そうされると、嫌な気分でなくなるのはなんでだろう。
 しかし、言われている内容はかわいくもなんともないが……。
 そんなことを考えた時、「あ、あと」と直さんが付け加える。

「あんなにかわいい声も、泣いてる顔も、他の人に絶対見せないでね」
「み、見せるわけないでしょ!」

(っていうか、それはもう直さんも忘れて!)

 泣きそうになった途端、直さんは嬉しそうに目を細めると、ちゅ、と私の頬に口づける。

 考えてみれば、汗や涙や色々できれいじゃなさそうなのだけど……この人、気軽に口づけてくるな……。しかも幸せでたまらないと言う顔をして。

 ――なんだか、心の奥底がムズムズする。

「よもぎをそんな身体にした責任はきちんととらせてもらうからね」

 直さんはさらにそんなことまで言い出した。

(それ、すっごく嫌な言い方だな!)

 私が眉を寄せると、直さんは私の目をまっすぐとらえる。
 そして真剣な顔をして口を開いた。

「だからきちんと僕と付き合ってください。日向よもぎさん」

「……う」

(なんで今、このタイミングで、そんな風に真剣に、念を押すように言うんだ!)

 私はそれに、うん、とも、だめ、とも言えなくて口ごもる。

 きっと、糸さえ見えていなければ、すぐにでもOKしていただろうというくらい、直さんのことは信頼しているし、もうとっくに男の人としても好きになっている。

 実際に、あんなことされるのも、見られるのも……もう直さん以外は無理だってわかる。

 悩む私を前に、直さんは私の髪を撫で加える。

「僕はすぐにでも結婚したいくらいだけど」
「けっ……! 結婚!」

(気が早すぎませんか!)

 慌てる私を気にもせず、直さんは飄々と続ける。

「もちろん、結婚でもいいからね。僕としては結婚の方がいいし。あ、やっぱりすぐ結婚しようか。そうだ、そうしよう」

(なにが『そうしよう』だ! 絶対このパターンだとすぐに結婚で押し切られてしまう!)

 焦った私は、
「付き合う! 付き合うってことで!」と叫んでいた。

 そんな私を見て、直さんは、えぇ……残念、と口先だけで言ってにっこりと笑う。

「じゃ、『結婚を前提にした』お付き合いってことで。これで、佐久間さんにも言いやすいでしょ」
「なんで勝手に結婚前提に……」

 呟いてみたが、直さんは嬉しそうに目を細めて、キスをしてから、さらに舌を滑り込ませて口内に這わせる。
 いろいろ文句は言いたいけど、もうこの濃厚なキスだって、気持ちよくて普通に受け入れている自分がいるのだ。

(これで、何もないって方が……確かに変ですよねぇ……)

 抵抗しない私に調子に乗った直さんは何度も何度も舌を絡めてきて、私はいつの間にか息をするのも忘れてそれに応えていた。
 ふぁ……と吐いた熱い息とともに、そっと唇が離れる。
 目を合わせられ、なんだか恥ずかしくなって目線を下に下げると、くすりと直さんは笑って、私の髪を撫でる。

 それから、

「あ、あと……一応確認だけど、次の週末は最後までするから」

とまるで業務連絡でも言うように、あっさり告げた。

「……へ? な、なんで……」
「約束したでしょ」

 ――来週、約束ね。

 夜の間の約束の言葉が頭をかすめる。
 何か分からなくて約束した言葉。

(それは狡い!)

「あれ、そういうことだったんですか!?」

 私が批判的に言うと、直さんは、当たり前だというように微笑む。

「ふうん、よもぎは嘘つくんだ。そう言えば、さくらと伸に話をするときに『なんでもする』って言ってたこともあったよね」
「!」

(そう言えば、そんなこともありましたね! そんなのすっかり忘れてたし、あれはあれで結局直さんに騙されて約束させられたような気もしますが……)

 私はむっとして、直さんを睨む。
 そういうことをここで持ち出してきて、絶対に断れないように囲ってくる姿勢はずるいと思う。

 しかも直さんは、悪びれる様子すらないのだ。
 でも、不思議なのが、

「で、でも、ならどうして昨日……最後までしなかったんですか?」

 これだ。
 そんなことを聞くのは心底恥ずかしいけど、私は聞いていた。

 正直、昨日の夜なら、いくらでもチャンスはあったと思う。

 気持ちよくて訳が分からなくなった私は、もう最後までしてもいいと本気で思ってたし、実際そんなことも口走った気がする。

 なのに、直さんは、昨夜は決して最後まではしなかったのだ。

 ――こうして来週だとカウントダウンしながら追い詰められるより、いっそ訳の分からないうちに奪ってくれた方が……よくはないけど、やっぱりよかった。


 そんな不埒なことを思う私に、直さんはやけにさわやかに微笑んで私の髪を撫でる。

「僕の欲望だけぶつけて先走ったらよもぎは痛い思いするからね」
「そ、そうなんですか……」

(私のこと、大事にしたいってこと……だよね)

 そう思うと、胸がキュッと掴まれる。
 夜の間の、大事に、優しく触れてくる指先を思い出して、納得する。

 なのに、直さんは続けた。

「うん。痛い思いすると、よもぎは僕とのセックスが嫌になるかもしれないでしょ。僕はよもぎとは、毎日何度でもしたいし、よもぎからも僕を求めてほしい。僕とのこういうことも含めてよもぎに好きになってほしいから、最初が肝心だと思ってる。よもぎの身体を、最初から気持ちよさが掴めるようにしっかり慣らしておくために一週間は必要だって考えたんだ」

 そうはっきり言われて、私は自分の顔がみるみる赤く染まっていくことに気づく。

(っていうか、この人は、さわやかな笑顔でなんてことを言い出したんだ! こういう時は嘘でも『私を大事にしたくて』で終わらせるものだろうが!)

 そうは思うが、心臓の音がバクバクとうるさく鳴り響く。

 ――こんなの、私まで変態みたいじゃないか!

 私は真っ赤になって叫ぶ。

「あ、あんなこと好きになんて、な、なりませんよ! なるはずないでしょ!」
「そう? 昨日、最後自分から……」
「ふぁぁあああああああああ! もう、だまってぇええええええ!」

 思わず直さんの口を手でふさいだ。
 シーツがはだけたけど、それどころではなかった。

 直さんは素肌の背に腕を回して、背を撫でる。

「ごめんごめん。いじめすぎたね」

 また全然反省していないように謝って、私の耳元に唇を寄せた。「昨日の夜はすごくかわいかったよ? 今夜もかわいいところ、見せてね」

「ぐぅっ……!」

 私は慌てて真っ赤になった自分の耳を抑える。
 そんな私を見て、直さんは楽しそうに笑っていた。

(なんだこれは! 相手をイジメて喜んでる男子にしか思えない!)


 それから直さんはベッドから立ち上がると伸びをする。
 慌てて目をそらしたけど、ちらりと見ると下は履いていて安心した。

「少し病院に出てくるね。日曜だから早めには戻るから」

 そう言って、私の額にキスをして加える。

「いくら最後までしてないって言っても、全部ドロドロになるまで無理したからね。もう少しゆくり寝ておいて」
「っ……!」

 また私の耳まで真っ赤に染まったのは言うまでもない。

 ――次に目が覚めると、外は真っ暗になっていた。
 枕もとの電気をつけて時計を見ると、時間は10時を過ぎている。

 そっと部屋から出ても直さんの気配はない。

「直さんは、まだか。早く帰るって言ってたのに……」

 そう呟いて、私は頭を掻いた。

(まるで帰りを待ってるみたいじゃないか!)

 待ってるわけじゃない。
 全然待ってない!

 お腹もすごく減っていたが、先に私はシャワーを浴びることに決め、バスルームに向かう。

 しかし、バスルームの中の鏡で、キスマークが首筋や胸だけでなく、背中にも、ふとももの裏にも何カ所にもついていることに気づいて、私は泣きそうになった。

 直さんが帰ってきたら絶対に文句を言ってやろうと思いながら、バスルームから出て髪を拭いていると、直さんが帰ってきたところに遭遇した。

 直さんの顔を見ると、開口一番に
「おかえりなさい」と自然に口をついて出る。

「ただいま」

 直さんは嬉しそうに微笑み、私はその笑みを見てほっとすると、直さんは当たり前みたいに私を抱きしめた。

「いい匂いだね」
「さっきシャワー浴びたから」
「そっか」

 直さんはそう言ってさらに私を強く抱きしめた。
 文句を言おうと思っていたのに、不思議と言う気がなくなってしまって、私は直さんの背中に腕を回してその大きな背を撫でる。

「直さんは、今日は救急だったんですか?」
「そう。救急手伝って、それから、ちょっと来客もあって遅くなった」
「そうなんですね」

(大変だったんだろうなぁ……)

 日曜は事務は休日専門の人間以外はほとんど出勤していないが、医師や看護師は順番に出勤しているし、普段より人が少ない分救急が入るとあわただしくなる。

 直さんは救急や診療だけではなく、副院長としての業務もたくさんあると事務の松井さんに聞いたことがあった。

 そんなことを考えていると、直さんは一つため息をついた。

「今日はもっと早く帰って、よもぎに色々しようって思ってたのに……」
「なにその不穏な発言!」

(あなたは何考えてたんだ! さっきの労わりの気持ちを返せ!)

 私がそう思って離れようと身体をよじると、直さんはそれを許さないと言うように、もう一度抱きしめなおして、それから首筋に唇を埋めた。

「お願い、少しだけよもぎを味わわせて」
「はい!? ひゃっ……!」

 そのままルームウェアをたくし上げられ、当たり前みたいに身体にキスを落としていく。
 たくさんついてたキスマークがさらに増えていく。

「そ、それ、少しだけじゃないですぅっ!」

 好きなように触られ、口づけられ、完全に息が上がってクタリとしたところで、身体を支えられるように抱きしめられた。

 そして、唇をちゅ、ちゅ、と啄まれて、額を合わせられる。
 愛おしそうに細めた直さんの目と、目が合った。

「次の土曜、ホテルの予約取ったから」
「ホテル? 土曜って……」

(そうだ、来週末、最後までするとか言われてたんだ……!)

 なんていうか、ホテルの予約まで取られると、なんだか落ち着かない。
 土曜には絶対にする、と宣言されているみたいで……。

 そう思ったときに直さんは付け加える。

「帝国パークハイアットね」
「そ、そんないいとこ……!?」

(よくわからないけど、そういうのラブホテルとかじゃないの?)

 帝国パークハイアットなんて、一番安い部屋でも一泊5万円はしそうなんだけど……。
 小市民の私には、間違いなく一生泊ることのないような場所だ。

 なのに直さんは、

「そんなの当たり前だよ、大事な日だからね。スイートでも足りないくらい」

 そう言って嬉しそうに笑う。

「スイートとったんですか!?」

 ホテルの高級感のせいなのか、期待を込める直さんの嬉しそうな顔のせいなのか……
 それを見ていると、不思議と泣けた。

 誤解のないように言っておくが、これは決して喜びの涙ではない。


 直さんはさらに私の額に口づけると、

「楽しみだねぇ……」

 と来週に思いをはせるように言ったのだった。


 ――あれぇ……。これ、もう絶対に逃げられないフラグ立ってるんじゃない……?

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