運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

4章:15m

 ちゅ、ちゅ、と何度もキスされて、唇を食まれる。
 それが当たり前になりそうになった時、私はふと思った。

 なんで私……。

 ――好きな人ではない人とキスしてるんだっけ……?


 そう気づいて、慌てて直さんを突き放す。

「……も、もう、やめてくださいっ!」
「嫌だった?」

 直さんはそう言って首を傾げる。

「嫌とかいいとかそういう問題じゃなくて! 私は直さんのこと……男の人として好きとか嫌いとかそういう感情は持ってないんです! だからこういう事するの変でしょ!」

 私が叫ぶと、直さんがじっと私のことを見る。
 その時ふと、直さんは私より9つも年上で、さらに職場では上司(なんなら副院長)だった……! と思い出して、私は慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい……! でも私は……」
「大丈夫、それくらいは分かってたから」

 そう言って、直さんはにこりと笑う。
 私は顔を上げて、首を傾げた。

(男の人として好きじゃないって分かっててキスしたってこと!?)

 そのどうしようもなさそうな倫理観に軽く絶望を感じて、私は泣きそうになる。
 しかし、直さんは笑顔でさらに加えた。

「でもさそれって、真っ白ってことだよね? これから何色にでも染まれるってことだから、僕のこと好きになる可能性も大いにあるよね」

(直さん、ものすごいプラス思考なんですね!)

 それは知らなかったわ……。
 なんだろう、すごくさっきから会話がかみ合っていない感じがする。

 みんなの頼りになる優しい穏やかなお兄ちゃん像がガラガラと音を立てて崩れていくようで、私はガクリとうなだれた。

 もしかしたらそんなイメージも関りの少ない私が勝手に作り上げていただけのものかもしれないけど……。
 でもきっと、さくらも伸も廉もそんな風に思ってたと思う。
 そんなことを考えていると、直さんは、微笑んで口を開く。

「そうだ。よもぎも今日はお休みだよね? もう酔いもさめてるみたいだし……」
「……はい。そうですけど、なにか」

 私がぶっきらぼうに返すと、直さんはさらりと、

「室内にいたら、すぐに襲ってしまいそうだから、外にデートに出ようか」
「っ!」

(なにさらりと襲ってしまいそうとか言ってるの! この人!)

 私が涙目になったのも気にせず、なおさんはさらに鬼のように続ける。

「もちろん、それでいいなら今すぐどろどろになるまで抱くけど」
「行きましょう! すぐにでも!」

 ――いちいち表現が怖いわ!


 ねえ、なんなの?
 私が何したの、神様?

 なんで私、こんな恐ろしい発言する人と、赤い糸でつながってんの?

 発言が全て本心ではないことを祈りたいけど、もう本心にしか感じないのは、なんでなんだろう……。

 昨日までの自分なら、間違いなく『悪い冗談だ』と切り捨てるだろうに……。


 デートは映画館か水族館にしようか、と直さんが笑顔で言ってくれたけど、私はなんとなく暗い室内で直さんといることにいい予感はしなかったので、車で近くの駅前に出て、二人で街をぶらぶらと歩くことにした。

 明るい街の中であれば変なことはできないだろうし、私は純粋にウィンドウショッピングが好きだからだ。今後のために、流行の服もチェックしておきたい。この場合の『今後』とは、直さんとではない未来のデートのためだ。

 二人で並んで歩きだすと、直さんは当たり前のように私の手を取って、包むように握った。

「嬉しいなぁ、よもぎとデートできる日が来るなんて夢みたい」
「ちょ、直さん、手!」

(手を離してください!)

 ブンブンと手を振り、そう思って言ったのに、

「あ、そうだね。デートだからこっちだね?」
「……へ?」

 直さんの言っている意味が理解できない間に、繋いでいた手を一瞬離してくれたかと思うと、すぐにゆっくり指を絡ませてきて恋人つなぎにグレードアップした。

「そういうことじゃないんですけど!」
「こっちの方が気持ちいいね?」
「どういうっ……ふぁっ!」

 突然指の間にある直さんの指に力が入って、きゅっと握られると、なんだかぞくぞくとして変な声が出てしまった。

「かわいい、よもぎ。耳まで真っ赤」
「直さんが変なことするから!」
「まだ何もしてないよ?」
「まだ、って!」

 デートなるものが始まってまだ10分も経ってないのに、もう限界だった。
 いますぐ直さんを殴ってでも逃げ出したい気分でいっぱいだ。

 繋いでいる手に、指に、意識をやたら持って行かれる。
 直さんの指に少しでも力が入ると、すぐに身体に伝わってきてぞわぞわする。

(恋人つなぎ、バカにしてました! こんなすごいものだったんですね……!)

 初めての恋人つなぎは、私にとっては思っていた以上にハイレベルだった。


 しかし、店を見て回って、二人でパンケーキを食べるころには、私はすっかり元気になっていた。そう、私は甘いものが大好物なのだ。

 目の前に積み上げられた4段のイチゴとクリームの載ったパンケーキに私は目を輝かせていた。それにナイフを入れるといい香りが広がってくる。

 合コンの時には決してしたことのない大きな口を開けて、パンケーキを口に放り込むと、もぐもぐと食べる。昔から知っている直さん相手だと、そういう遠慮がないのはいい。
 合コンの時は、食べ物をとりわけたり、話しを聞いて相槌をうったり、『あんまり食べられないんです』と小食の女の子らしく振舞うことで必死だったなぁ、なんて思いながら、私は食べ続けた。

「これ、すごくおいしいです!」
「すごい量だけど大丈夫?」
「はいっ」

 直さんは私を見て微笑んでいた。
 そのとき、私はふとあることを思いつく。

(あ、そうか。ガサツにふるまえば、女性としては幻滅されるかも……?)

 『ガサツで幻滅作戦』、通称『GG作戦』! これだ!

 私は早速、次はさらに前より大口を開けて食べてみる。
 ガサツさをアピールするために、手にクリームがついても気にもせずに食べていると、直さんが私の手を突然取った。

「……へ?」

 そのまま私の手をぺろりと舐め、さらに指を口に入れて舐める。
 その感触に背中が粟立つ。

「ちょっ……!」
「甘いね」

 いつも通りの優しい笑顔でそう言われて、私のほうが顔が真っ赤になった。
 『GG作戦』は、見事に打ち返されたようだ。

(全然思ってた反応と違う!)

 それから私は赤くなる顔を隠すように下を向いて次々にパンケーキを口に放り込んでいた。


 その後、少し雑貨屋を見て回った。

 とんでもない発言と少し強引なところを除けば、直さんはやはりお兄さん肌で、話しもおもしろくて、私は気づいたら一日満喫していたのだ。

 しかも、夕食の前には直さんが車で家まで送ってくれると言ってくれたので、私はさらにほっとしてデートという名のウィンドウショッピングに集中することができた。


 すぐに時間はすぎ、夕方、車でさくらたちのマンションの下まで送ってもらったとき、私は助手席で頭を下げる。

「今日は、ありがとうございました!」
「よかった、元気になったね」
「おかげさまで」

 私が言うと、直さんは苦笑する。

 それから私の頬を撫でると、
「ちゃんと二人のところに戻れる?」と問うた。

 その瞬間、昨日の二人のことを思い出し、顔が赤くなる。

「……だ、大丈夫です。さっき連絡しておいたので、昨日みたいなことはないと……思います」
「そう。でも困ったらいつでも頼ってね? 待ってるから」

 微笑んだ直さんと目が合う。

(これ、避けないと……)

 私がそう思って動くより先、直さんの唇が重なった。

「んっ」

 たった一瞬。ぴり、と身体に電気が走ったみたいな感覚がした。
 驚いて目を開いたとき、軽いキス一回だけだったのに、直さんの唇は離れる。

「デートの最後だからキスくらいさせてね。って言う前にしちゃったけど」
「……」

 そのとき、私はさっきの不思議な感覚を思い出して、自分の唇を触る。
 そんな私を見て、直さんは苦笑して言った。

「怒るかと思ったから意外な反応だなぁ」
「……なんか、変で」
「え?」

 私は泣きそうになって直さんを見上げる。

「キスって、誰としてもこんなに気持ちいいの?」

 一瞬のぴりっとした感覚。
 それは私にとって気持ちいいものになっていた。

 ――本当に好きな人としてるわけじゃないのに。

 次の瞬間、直さんの目の色が変わって、私の顔の横、助手席のシートに手をつくと、そのまままたキスをする。
 さらに、すぐにぐにりと感触がして、舌が入り込んできた。

「んんんんっ……!?」

 舌が口内をおいしそうに舐めつくす。苦しくて、でも、やっぱり、ピリッと身体が何度も反応してしまうと、さらに直さんのキスは激しくなった。
 いつのまにか飲み込めなくなった唾液が頬を伝ったとき、やっと唇が離れて、それすら大事そうに直さんが舐めとる。

 また目が合って、噛み付くような熱い眼差しの直さんの目にドキリとした。

 その後、ぎゅう、と抱きしめられて、耳元で直さんが囁く。

「きっと気持ちいいのは、僕とだけだから。他の男で確かめるような真似はしないでね」

 私は直さんを見上げて首を傾げる。
 直さんは私の髪を撫で、愛おしそうに額にも口づけた。



 私は慌てて車から降り、マンションに入ろうとしたところで、さくらが立っていたことに気づく。

「……よもぎ」
「さくら!?」

(もしかして見られた? さっきの濃厚な……)

 顔を赤くしたり青くしたりしていると、さくらが呟く。

「さっきの……直さんだよね」
「……あ、えっと……。うん」

 私が何とか頷くと、突然さくらは私の肩を叩いて、嬉しそうにニコッと微笑む。

「聞いたわよ! 驚いたわよ! とにかく伸ちゃんも待ってるから一度帰っておいで」

 さくらは興奮気味に言って、私を部屋まで連れ帰った。

(あれぇ……? なんか、反応がおかしくない……?)

 部屋に入って早々、さくらはなぜか興奮気味に叫ぶ。

「聞いて、伸ちゃん! よもぎが直さんとキスしてた。ものすっごい濃いやつ!」
「ちょっ! 何言いだした!」

 伸は私を見ると、少し驚いた表情をして、
「本当だったんだ……信じられないな」と呟く。

「だから何が!」
「何がって、恥ずかしがらなくていいわよぉ。昨日直さんの家に泊ったんでしょ! 半信半疑だったけど、さっきキスしてるの見て納得した!」
「な、なんで直さんの家に泊ったこと知ってるの!」

 私が叫ぶと、二人は、やっぱり、とにやにやと笑って顔を見合わせる。
 私は全力で、違うから! と何度も叫んだ。

 なのにさくらは、わかってる、と言ったかと思うと、ホシを落とす刑事のように私の肩をポンと叩く。

「……だから悩んでたのね。言えばいいのに……。よもぎ、直さんが好きだったんだね……。だからあんなに廉がグイグイいってもだめだったのね。さすがの私も気付かなかったわ……。うまくいってよかった、本当におめでとう!」

(くっ……! ペラペラとわけの分からないことを! 完全に勘違いだし!)

 私は泣きそうになり、頭がくらくらするくらい全力で首を振った。

「ちょ、待ってって! 私の話も聞いて、誤解なの」

 なのに伸まで私に、廉のことはきっと大丈夫だよ、と微笑みかける。

「大丈夫だって。直は、廉の気持ちも含めて覚悟して、よもぎちゃんを受け入れたんだと思うし」
「ご、ごめん、全く話が見えない!」

 私が言うと、さくらがさらりと言う。

「実はよもぎはずっと直さんが好きで、ついに昨日、処女卒業させてもらったんでしょ?」
「はぁ?」

 私が叫ぶと、さくらはにやりと笑って、私の後ろの首筋を指さした。

「こんなものまでつけて、とぼける気?」
「こ、こんなのものって何よ?」

(そんな首の後ろに何があるのよ……)

 そう思って私が眉を寄せると、さくらは微笑む。

「キスマーク。こんなとこ、色々しないとつかないでしょ」
「は? いや、なんで! いつ、ついたの。どうして! ……ち、違うの! 私と直さんはそういう関係じゃないの!」

(キスマークなんて、なんで、いつ、どうやってつけたんだ!)

 私が何度も手を横に振ると、さくらが突然私を睨む。

「よもぎ! そんなに否定するなんて。ま、まさか……あんな優しい直さんを弄んだの?」
「えぇ! よもぎちゃん、直を弄ぶなんて、それはひどいよ。直は弟の俺が言うのもなんだけど純粋なんだから」

 伸まで、そんなことを言いだす。

「ちょ、弄んだってなによ! 人聞き悪いし! そんなんじゃないし!」

(弄んでません! むしろ弄ばれた(?)ほうです!)

 そう思ってみたけど、普段優しくて人のいい直さんへの信頼はこういうとき強いことを嫌と言うほど知った。

 2人とも、私が直さんを襲ったくらいに思ってるんじゃ……。


 私がどういえばいいか言葉に詰まっていると、さくらは言う。

「なら本気なのね。よかった。いくら妹でも、あんな優しい直さん騙すなんてしたら、心から軽蔑するところだったわ」

(心から軽蔑って!)

 さくらは怒ると怖い。
 私が直さんを弄んだ事実はないけど、このまま否定し続けたら軽蔑されそうな勢いだ。

 ーー直さんが無理矢理キスした、最後まではしてない、なんて信じてもらえるだろうか。

 答えは『否』だ。
 今、何を言っても信じてもらえなさそうで泣きそうになる。


「ふ、二人は、私より直さんの味方なんだね……」
「味方って言うか。ま、そうだよね? 私たちのときも直さんが背中押してくれたいわゆるキューピッドだし。それに、直さんはみんなのお兄ちゃんだし、大事な人でしょ。直さん泣かせたら、私たちも許さないから」

(むしろ泣かされたのは私のような気がしないでもないんだけど……)

 私がパクパクと口を閉じたり開けたりしていると、伸が、直さんに似た目元を細める。

「俺も、あんなに嬉しそうな直の声聞いたの初めてだよ。『今日、よもぎ、うちに泊めるから』って」

 私は眉を寄せる。
 夜中に電話でもしてくれたんだろうか……。結構遅い時間だったのではないかと思うけど。

「昨日、電話もらったとき」
「電話……」
「そう。7時ごろだったかな」

 そう言われて、私は首を傾げる。
 昨日の7時って……私が直さんの書類整理の手伝い終わったころじゃない……?

(なんで直さん、その時点でそんなこと言ったの……?)

 知りたいけど、知ったら後悔しそうで、私は口を噤んだ。

 意味が分からなさ過ぎて泣きそうになっていると、さくらがきっぱりと言う。

「とにかくそこまで関係が進んでるなら、よもぎは直さんのところに住みなさいよ。直さん副院長なんて重責背負ってるのに、一人暮らしで色々大変だろうし」
「いや、そんなこと言われても……」

 私が嫌がると、さくらは私の両肩をぽんぽんと叩く。

「あの優しい直さんを襲った責任、きちんと取りなさいよ」
「襲ってない!」

 ――なんで、どうして、いつの間に、私が直さんを襲ったことになってるんだ!


 ちなみに、私と直さんを繋ぐ赤い糸が、すでに朝の半分ほどになっていることに、その時の私はまだ気づいていない。


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