運命の赤い糸が引きちぎれない

泉野あおい

1章:運命の赤い糸

 
 ――なぜだ。絶対なにかがおかしい。

 私は怒りに任せながら、エレベータに乗った。
 すると、自分の住む階にしかとまらないエレベータは勝手に32階に進みだす。

 今日は、色々と勝負をかけた、はずだった。

 全男子が絶対に脱がせたくなると(SNSで)評判のワンピース。
 足首が折れそうなほど細く見えると(SNSで)評判のヒール。

 下着はマイクロレベルの生地サイズを怪しげな通販サイトで購入した。
 メイク道具も新調したせいで、今月分の給料はもうマイナスになっている。

 なのに……。

 私は玄関の扉をバーンと開くと、

「今日もお持ち帰りされなかった!」

と叫んだ。


 すると本日も、玄関先でさくらと伸がキスをしているところに出くわした。
 部屋の中まで我慢しろよ……と突っ込むのにも、もう飽きた。

 他は見たことないけど、きっとどこの新婚家庭も家ではこんなものなのだろう。

「よ、よもぎちゃん!」
「おかえり、よもぎ」

 焦る伸にも、いつも通りのさくらにも、何にも気にせず私は話しを続ける。

「なんで! どうして……!? 今日こそ、絶対に持って帰ってもらえると思ったのに!」

 そう、私は今日の合コンで勝負をかけた。
 そのため、グイグイ行った。グイグイ、だ。

 ――今日こそ、絶対に処女を捨てる予定だったのだ。


 さくらはため息をつく。

「あんた、せっかくの処女なんだし大事にしなよ」
「やだっ! 早く捨てたい! 相手は誰でもいいのに!」

 私が叫ぶと、伸とさくらが次々と、

「だから何回も言ってるけど、廉がいるじゃん」
「そうだよ。廉くんは長年手ぐすね引いて待ってるよ? 幼馴染のよしみでもらってもらいなよ。喜んでもらってくれるよ」

と言った。

 廉は私と同じ年の幼馴染だ。
 廉には9歳離れた兄の直、そして、6歳離れた兄の伸がいる。
 矢嶋直・伸・廉は矢嶋3兄弟と呼ばれ、全員が矢嶋総合病院に勤めているのだ。

「いやだ。矢嶋3兄弟と関わりたくないの!」
「そうはいっても、俺もさくらの夫だし」
「私はそれにも反対なんだぁああああ!」

 私は泣いて叫ぶ。
 矢嶋3兄弟次男の伸と、私の姉のさくらが結婚することだって、本当は私は反対だった。

 ――とにかく矢嶋3兄弟に関わってはいけないからだ。

 なのに、まさかさくらと伸が結婚するとは、夢にも……いや、最初は夢にも思ってなかったのだ。
「お願い、さくら。今すぐ離婚して」
「ごめん、それだけは聞けないな。私は伸ちゃんを愛してるし」

 このやりとりも、毎日だ。
 分かってる。二人が『嫌と言うほど』愛し合っていることだって分かる。

 一目見れば、嫌でもわかる。


 そして、さくらがそういうことをきっぱりと言えば言うほど、伸は蕩けるような甘い目でさくらを見つめてさらに2人の距離は縮まるのだ。

「さくら!」
「伸ちゃん!」

 そして勝手に抱き合ってキスを交わす。
 私(処女)の目の前とか、何も気にしていないように……。

「私を悪者にして、二人で盛り上がらないで!」
「別に悪者になんてしてないでしょ。でも、こっちが気を遣うと、あんたも気を遣うでしょ。これが私なりの気遣いよ」
「思ってた『気遣い』と違う!」

 私が叫ぶと、さくらは笑って、また伸とキスをした。
 それから、伸を下にして押し倒す。

「だから、『あんたさえ気にならなければ』別にいくらでもうちにいていいって言ってるでしょ。正直、うちは家事してもらえて助かるし。ただ、新婚だし色々と遠慮しないから。私は見られても構わないの」
「うぐっ……!」

 いくら仲良し姉妹と言っても、キス以上を見たいはずはない。
 私が困って固まると、自分は押し倒されているだけのくせに、伸が口を開いた。

「そうだ、よもぎちゃん。お金がないなら、うちの病院で働けば? そしたら寮もあるし」
「やだ。矢嶋総合病院なんて矢嶋3兄弟がいるじゃん。近寄りたくない」
「でも私もいるんだよ?」

 さくらが言う。
 さくらは、旦那さんの伸と同じ矢嶋総合病院に勤める内科医だ。大人気の美人女医で、私の自慢の姉でもある。

 認めたくないが、私は結構シスコンなのだ。

「でも、いやなものはいや」
「ふうん。ま、出て行きたいなら頑張ってお金貯めなさい。貯金も0なんでしょ」
「う……」

 その通りで、私は『処女を捨てるための自分磨き』でお金がない。
 そのせいで、一人暮らしのアパートの家賃が払えずに、新婚家庭に転がり込んできたという流れもある。
 
「とにかく! 私は矢嶋総合病院には行かない。自分の力でなんとかお金貯めてここを出て行くから! だから、お願い。もう少しだけここに住ませて!」

 私が頼むと、二人はもちろんいいよ、と言った。

「ありがとう!」

「さすが、優しいお姉ちゃんだね。さくらは」
「伸ちゃんこそ」

 2人は見つめ合い、そのまま濃密なキスをしだす。

 そこで抱き合いかねない勢いだったので、私は慌ててバスルームに飛び込み、たっぷり2時間、半身浴に勤しんだ。

 このマンション、別名、さくらと伸の愛の巣を出た方がいいことも分かってる。

 でも、私の職場は、『名木医院』という昔からある弱小病院でここから徒歩30分。
 私はそこの受付をしていて、老夫婦で営む名木医院は患者さんも少ないので、もちろん給料は安い……。

 そんなわけでお金がない。処女を捨てるための自己投資のせいもあり、貯金も0だ。


 それでも、私は名木医院が居心地よかった。
 医院長夫妻もとても仲良くて……優しくて。

 夫婦と私以外に人はいないので、他の人間関係に煩わされないのもポイントが高いのだ。


 その日の朝、出勤してみるとすぐ名木医院長に呼ばれた。
 行ってみると、奥さんと並んで私を見ている。

 何か嫌な予感がする……。
 と思ったとき、医院長が口を開いた。

「ごめん、よもぎちゃん。うち、畳むことにしたわ」
「……た、たたむって……」
「閉院することにしたの」

(嘘でしょ!?)

 突然の閉院&解雇宣告に、私はあんぐりとした。

「先生たち、まだまだお元気じゃないですか!」
「うん、そうなんだけどね」
「私、ここが好きで……ずっとここにいたいです」
「今まで安い給料でも一生懸命働いてくれてたのに、ごめんね」

 そう言って、二人は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
 医院長は顔を上げると続けた。

「でもこれ以上続けるのは体力も厳しいんだ。最近特にね。それに……元気なうちに妻としっかり余生を楽しみたいしね」

 二人は目を合わせて微笑み合う。
 今も仲のいい二人。

 ――二人の手にはしっかり二人が思い合う証拠の運命の赤い糸……。

 それは指が絡み合うほど短かった。
 私は「わかりました……」と呟いた。
 二人の時間は二人だけのものだ。

 それは、私のわがままだけで潰すことはできない。
 私がガクリとうなだれると、医院長は微笑んだ。

「もちろん、新しい病院も紹介するから。実はもう紹介状も渡してあるんだ」
「紹介って……」
「うちより近いし、条件もいい。あちらもぜひにと言ってくれてる。明日の10時から、一度面接に行ってみてよ」

 そう医院長は言った。


 私は次の日、早速紹介された病院に足を運んだ。
 そしてその大きな病院を見上げる。

 ――矢嶋総合病院。

 予感はしたけど、やっぱりそうだった……。



 このままここに足を踏み入れずに帰りたい。
 でも、それは絶対にまた面倒なことになる。名木医院長にも迷惑がかかるかもしれない。

 だから、今回ばかりは仕方ない……。


 病院に足を踏み入れて数分。

「よもぎ? ここで、なにしてるんだ?」

 そう声をかけられて、私はびくりと体を震わせる。
 ゆっくり振り返ると、白衣を着た廉が立っていた。

 小さな頃から一緒だったから、今でも白衣の廉を見ると違和感がある。

 柔らかい髪に、形の良い眉毛、二重瞼と通った鼻筋をもつ顔。急に大人っぽい顔になったくせに、笑うと途端に目元が子どもの時のままになる。

 私はそんな廉を睨むと答えた。

「なんでもない。声かけてこないで」
「今日面接なんだろ? 何時から?」
「研修医のくせに口出さないでよ」

 私が言うと、廉は私の頭をぐりぐりと強く撫でる。

「そういうツンデレなとこがかわいいんだけどな」
「廉にデレたことなどない! って勝手に触るな! 撫でるな!」

 私が抵抗しても廉は私の頭を撫でることはやめない。
 廉は昔から私の話など聞いていない。

「そう言えば、彼氏欲しさに合コンに明け暮れてるんだって? どうして言ってくれないんだ。俺ならいつでも彼氏になってやるのに」
「結構です!」

 私が怒った時、

「どうしたの?」

と優しい声が聞こえた。
 見上げると、長男で副院長の直さんが立っている。

 直さんは最初から当たり前みたいに白衣がよく似合っていた。
 さらりとした黒髪と切れ長の目、それに廉と同じく通った鼻筋。身長が兄弟の中で一番高くて、お兄さん肌の彼はいつも優しく目を細めて私たちを見ている。

「……直さん」
「よもぎ、待ってたよ。行こうか」

 直さんが言い、私は頷く。

「俺も行く」
「廉の指導医の永井先生、もうオペに入るみたいだよ?」
「わ、やべっ! じゃ、じゃあ、あとでな! 今日、飯でも行こうぜ」
「絶対行かない」

 私が言うと、廉は勝手に、絶対行くぞ! と言って走って行った。

(また勝手に決めて……)

 むすっとして廉を見る。
 そうは言っても、廉に無理やり連れられてご飯に行ったことは何度かある。それも行ってみると案外楽しくて、それも解せない。

 そんなことを考えていると、直さんの声が降ってきた。

「相変わらず仲いいね」
「よくないです」
「そう?」

 そう言うと、直さんは目を細めて笑う。
 私は思わず口を噤んだ。


 それから副院長室に案内されて、私は促されたのに座りもせずに直さんを見る。

「……直さん。私、あの、他の病院も当たりたいんです」
「そうなの? どうして?」
「昔からみんな知ってて、だからこそ……お世話になるのは甘えちゃうかなぁって思うんです」

 なんとか無理矢理考えた嘘の理由をはっきり告げると、直さんは苦笑する。

「そっか。昔からよもぎは一度決めたら曲げないからね」
「本当にごめんなさいっ」

 私は頭を下げる。
 数秒後、「謝らなくていいよ、顔を上げて」と優しい声が降ってくる。

 ゆっくり顔を上げると直さんと目があった。
 私は目がそらせなくなって固まる。

 すると安心させるように直さんは微笑む。

「そういうまっすぐなところは分かってるつもりだけど……本当に困ったときは頼ってね」
「はい。ありがとうございます」

 私はもう一度頭を下げると、すぐに副院長室を出た。


 ――それから2か月。

 名木医院はなくなり、私は再就職活動に明け暮れた。
 しかし……。

「こんなに落ちる!?」

 今日も元気に不採用通知のメールと不採用通知の書類がやってきていた。

「わ、また不採用?」

 今日は一人で帰ってきたさくらに、その通知の束を見て驚かれる。


「不採用通知こわい……不採用通知こわい……」

 私はというと、あまりの不採用通知の多さに、精神が崩壊しようとしていた。

 これだけ不採用通知を受けると、私は人として必要とされていないのか、という気にさえさせられるから不思議だ。


「他はまだあるの?」
「次は……ここから3時間のとこ」

 近い病院から順番に受けている。
 しかし、ことごとく落ちているのだ。

 確かに、私はこれまで小さな医院の受付しかしてこなかったけど……こんなに落ちるものだろうか。

 さくらは眉を寄せて言った。

「3時間かかるって、本当にそんなところ受けるの? やめときなよ」
「その病院の近くに引っ越せばいいだけだし」
「私とも会えなくなるよ?」

 さくらにズバリと言われて、私は怯む。

 私はさくらのことが好きだ。
 昔から、忙しい父母に代わって、私の面倒をよく見てくれていた。親代わりのようなものなのだ。

 近くで一人暮らしをしていたときも、週に3日は会っていた。
 距離ができれば会いにくくなるのは明白である。
「あのさ……私が言うのもなんだけど、うちの病院でいいじゃない。総合的に考えたら一番いいよ」

 さくらは諭すように、ゆっくり言う。
 私は首を横に振った。

「それは嫌」
「……よもぎ、『運命の赤い糸』がまだ見えてるんでしょ?」

 そう言われて私はさくらの目を見る。
 さくらは微笑んだ。

「私の赤い糸はどう?」
「うん、しっかり伸と繋がってる」

「よもぎは?」

 突然そう問われて、私は自分の指を見る。
 ふと触れてひっぱってみたけど、やっぱりそれは全くちぎれない。

 以前、ハサミや包丁まで持ち出したことがあったけど無理だった。

 ――私には昔から『運命の赤い糸』が見える。

 嘘のような話だが、本当だ。

 それは長くなったり短くなったりする。
 心理的な距離がその長さに現れるのだ。

 付き合う前などは繋がっているものの何十mもあるそれは、両思いになると数mになり、ラブラブな新婚家庭でも1mくらいある。
 しかし、長年連れ去った夫婦のうちほんの一握りだけが、それが薬指が絡まるほど短くなることが最近わかった。

 そう、あの名木夫妻のように……。


「よもぎの糸は、誰と繋がってるの?」
「それは……」

 そう呟いて口を噤む。

「昔から相手だけは私にも教えてくれないんだよね」
「ごめん、でも……」

 私は自分の糸を掴む。

「私は過去に一度だけ、これがちぎれて、相手がかわった人を見たことがある。だから、運命は変えられる」
「そうなの?」

 さくらが言い、私は頷く。

「だから私の運命の赤い糸だって引きちぎってやる!」

 そう言って自分の赤い糸を思いっきり引っ張ってみたけど、やっぱり、それはちぎれなかった。

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