【完結】辛口バーテンダーの別の顔はワイルド御曹司

濘-NEI-

35.盛長家への挨拶

 翌日、マサの実家に向かうということで、道香は事前に用意していたプレーンのフリルシャツに紺色のデニム生地のタイトな膝下丈スカートを合わせ、黒のジャケットを羽織った。

 化粧はあくまでも失礼のないように、眉を整える程度のうっすらとしたメイクに留めた。
 その代わりヘアアイロンでまとめやすく髪を巻くと、髪を編み込むようにブロッキングしてルーズに膨らみを出すと、毛先は襟足に巻き込んでピンで留めた。

「変じゃないかな?」
「良いんじゃね」
「なにそれ雑」
「大丈夫だよ。緊張すんな」

 マサはスーツに着替えると、忘れ物が無いか確認して靴を履く。道香は二足残していたうちの片方のローヒールのパンプスを履くと家を出て鍵を閉めた。

 大通りに出てタクシーを拾うとマサの家に向かう。

 マサには預かっていた鍵を返し、代わりに新居の鍵を渡される。鍵と言ってもぱっと見はただのカードだ。
 マサ曰く、ICチップが入っているのでそれでロックが解除されるらしい。他にも指紋を登録すれドアノブを持つだけで扉が開くと言われて道香は言葉を失った。

 マサの家で一旦タクシーを降りると、なんだか久々に感じる彼の部屋に入る。マサはクローゼットからラフなジャケットとズボンを取り出すと、スーツやワイシャツを脱いで乱暴に引っ越し用の段ボールにそれを放り込む。

 Vネックの黒いカットソーにバーガンディのジャケットと黒いデニムを履く。

「この部屋にはもう来ることもないんだね」

 少し感傷的になって道香が呟くと、引き払うわけじゃないからとマサがその小さな肩を抱いた。

 マサの着替えが終わったので、家を出てエレベーターで1階まで降りる。
 大通りに出る途中で、開いたばかりのデパートに寄ってマサの両親と姉への手土産を買うと、再びタクシーに乗り込んだ。

「うー。緊張する」
「大丈夫だって。俺の気持ちが分かったろ」
「だってうちはただのサラリーマンだから」
「いや、立場の問題じゃなくて恋人の親だから緊張するんだろ」
「うー。胃が痛いよ……」

 道香はタクシーの中でずっとお腹を摩っていた。
 程なくして、どこが壁の終わりなのか分からない大豪邸が見えて来て、道香は想像以上の邸宅に度肝を抜かれる。

「そんな緊張すんな。肩書きはどうあれ親父は普通の人だから」
「家が、壁が、長いよ!」
「家は別だけど、じじいとばあさんも敷地内に住んでるからな」
「創業者!」
「だから、普通の職人だって」

 マサは道香の反応を面白がりながら、その背中を優しく撫でる。
 タクシーを降りてマサがインターホンを鳴らすと、お手伝いさんなのか仰々しい対応で女性が受け答えして門が開く。

 マサに手を引かれ、石畳の通路を通って玄関に向かう途中、毛艶のよいシェパードがマサの元に駆け寄ってくる。

「アヤ!元気かよ」

 くうんと鼻を鳴らしてマサに擦り寄ると、マサが抱くまでは納得しないと纏わり付き、仕方ないなとその腕に抱えられると、更に甘えたような鳴き声を上げる。

 マサはアヤメを抱えたまま、器用に道香の手を取るとそのまま玄関に向かって足を進める。
 庭先に高額な車を三台ほど見掛けて道香はやはり世界が違うと腰が引けて来る。

 二人が玄関に到着する前に扉が開き、先ほどインターホンに出たらしい女性が出迎えてくれる。

「高政坊っちゃま、おかえりなさいませ」

「高橋さん、面白がって坊っちゃまとか言うなよ」

 高橋と呼ばれた女性はニコニコ笑って道香にも頭を下げる。

「こんにちは。石立と申します。お邪魔いたします」
「ようこそおいでくださいました。旦那様と奥様がお待ちでございます」

 アヤメさんはこちらですよと、マサの腕から下ろすと、慣れた手つきで別のドアを開いてアヤメを退席させる。

 広い玄関にはウエイティングスペースがあり、その先に応接室らしき部屋が見える。
 高橋はご案内いたしますと、マサと道香が靴を脱ぐのを待つと、ゆっくりした歩調で家の中を進んでいく。

 いくつか扉を過ごしてこちらでございますと言うと、高橋が扉をノックする。

「どうぞ」

 中から渋い艶のある声が聞こえて来る。マサの父親だろうか。

「高政様と石立様をお連れいたしました」

 高橋はそう言いながら扉を開けて、マサと道香をリビングに通す。
 上座にマサの父親と、その隣にマサの母親らしい女性が座っている。

「ようこそいらっしゃいました」

 マサの両親は立ち上がると、道香に微笑み掛けてソファーに座るように促した。

「お初にお目にかかります。石立道香と申します。お口汚しですが、お納めください」

 直接渡そうにもテーブルやソファーが豪華すぎて距離がある。仕方ないのでテーブルに置いて少しだけ向こうへ押し出すように手土産を渡した。

「道香ちゃん!可愛らしいお名前ね」

 マサの母親は咲き誇る花のような愛らしい笑顔で道香を見ている。

「道香さん、わざわざお土産を用意してくださって気を遣わせてすまないね。すぐにお茶をお出ししますね」

 マサの父親はにこりと笑うと、先ほどまでいたはずの高橋がワゴンでお茶を運んできた。

「親父。仕事は何時に出るんだ?」
「昼食を一緒にとる時間はある」
「そうか」

 マサはそこで父親との会話を一度切ると、高橋がお茶をセッティングして退席したタイミングで、道香に改めて両親を紹介する。

「道香、こっちが親父の晃一郎、そっちがお袋の橙子」

 紹介されて改めて頭を下げる。

「道香ちゃん、そんなに緊張しないで」

 橙子が明るく弾んだ声で話し掛けてくれる。道香は緊張しながらも、ありがとうございますとなんとか反応する。

「……さて」

 晃一郎が咳払いをすると、その空気が一変してまた引き締まる。

「道香さん。この度は愚息のせいで大変なご迷惑をお掛けしました。本当に申し訳ない」
「いえ、どうぞ頭をあげてください!」

 晃一郎は芝田の絡む件を知っているのだろう。深々と下げられた頭ををあげるように道香は晃一郎だけでなくマサにも声を掛ける。

「親父、道香が困ってるから」

 もう良いよとマサが声を掛けるが、マサの向かいに座る橙子も詳細までは知らないようだが、悲痛な面持ちで本当にごめんなさいねと頭を下げる。

「奥様まで、困ります。私は謝罪を受けたくて来たわけではありません。高政さんとの同居のお許しをいただくためにご挨拶に伺っただけですから、どうぞ頭を上げてください」

 その言葉に、ようやく晃一郎が顔を上げて道香を見つめる。ダンディな色気はどこかマサを思わせる。さすが親子だなと、道香は呆けてそんなことを考えていた。

「そうだったな。二人で住む話は高政から聞いています。道香さんのご両親もご承諾済みだと伺いました」

「……はい。高政さんが誠実にご挨拶くださったからです」

「うちとしては、放蕩息子がやっと落ち着いたと思って安心してるんですが、道香さんは高政の仕事についてはどこまで把握なさってますか?」

「お父様の会社で専務の職に就かれていると伺っています」

「失礼ですが道香さんはどのようなお仕事をなさっているんですか?」

「親父。道香がなんの仕事してても良いだろ別に」
「お前に聞いてないよ。道香さんに聞いてるんだ」

 晃一郎の意図は分からないが、道香はビザリーで働いていることをそのまま伝えた。

「ほう。高政が進めているプロジェクトの取引先にお勤めなんですね」
「はい。私が知ったのは高政さんからで、会社からの通達や話はまだ出ていません」

「お父さん、可愛らしい道香さんに仕事の話ばかり!おやめになって。ここは面接会場ではないのよ」

 橙子がぴしゃりと会話を遮ると、気になっていたのか、マサとはどうやって知り合ったのか尋ねて来た。

「アスタリスクというバーでお勤めの時に知り合って意気投合したのが切っ掛けです」

「老松さんの店か」

「そうだよ。だから最近まで俺のことただのバーテンだと思ってた。道香はそんな打算的な人間じゃない」

 マサは言い切ると晃一郎を軽く睨む。その様子を愉快そうに笑うと、晃一郎は道香を見て話始める。

「そんなものは道香さんを見れば分かる。だいたいお前みたいな酔狂なやつを面倒見てくれる貴重な人だ。無下に扱うつもりはない」

 晃一郎が笑うと、ドアがノックされる。

「どうぞ」
「お食事の用意が整いました」

 高橋が食堂へ移動するように声を掛けに来た。

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