【コミカライズ原作】君とは二度、恋に落ちる〜初めましての彼に溺愛される理由〜

寧子さくら

夏の終わりのキス(4)

「そういえばさ、どうして奏はデザイナーになったの?」
「うーん、何でだろう。昔から絵を描くのが好きで、他にやりたいこともなかったし。気付いたらそっちの道に進んでたって感じかな」

 意外にも、単純な理由に面食らってしまう。家族の影響などもあるのかもしれないが、これが才能ある人の感覚なのだろうか。

「すごいね……なるべくしてなったって感じだ」
「いや、そうでもないよ。正直、大学の時はギリギリまで進路悩んでたしね」
「そうなの? 確か、美術大学出てるんだよね?」

 奏のホームページで見たプロフィールを思い出す。すると奏は、少しだけ声のトーンを落とした。

「……うん。でも在学中に目を悪くしてから上手く行かなくなって。デザインの勉強を続けるのも迷ってたんだ」
「え……」
「あ、今は治ったんだけど。ほら、俺の仕事って、やっぱり目はすごく大事だからさ。当時は結構悩んでたんだよね」
「だから休学を……?」
「あれ? 話したっけ?」
「あ、ううん。実は友達が……」

 高校の同級生が奏と同じ大学だったことを話すと、彼は「偶然だね」と目を丸くした。けれど、私の友達のことは知らないようで、やはり一方的に知られている奏は有名人なんだな、と改めて実感した。
 二年近く休学している間に、何度も退学を悩んだらしい。その時の奏の選択次第では、今まったく違う職業に就いていたかもしれないのだ。

「でも辞めなかったんだ?」
「……うん。ちょうどその時、絵を描くのが好きだなって思い直すきっかけがあって。やっぱりデザインの勉強をしようって思ったんだ。まあ絵を描くのは、今の俺の仕事では専門外なんだけどね」

 だから、あの時思いとどまってよかったと奏は話す。もしデザイナーになっていなかったら、今頃何をしていたかも想像できない、と。

「……ごめんね、私、何も知らなくて」

 勝手に才能があるのだと思い込んで。きっと奏には、私には想像できないくらい、彼なりの苦労があったのだろう。でもそんなことを口にしたら、何だか軽い言葉になってしまいそうで、ぐっと口を噤んだ。

「全然気にしないで。そのことがあったから、今仕事も真剣に頑張れてるし。確かに、辛い時期ではあったけど、自分を見つめ直すこともできたしね」

 辛いこともポジティブに捉えられる彼は、素直に素敵な人だなと感じる。同時に、私も過去のつらい経験を糧にここまで頑張ってきたわけだから、境遇は違うけれど、少しだけ親近感が湧いた。

「それにさ、デザイナーにならなければ花梨にも出会えてなかったわけだし、やっぱりなってよかったかも。それこそなるべくしてなったって感じ?」

 少しだけ重くなった空気を払拭するように、奏が明るく笑う。

「それは大げさじゃない……?」
「大げさじゃないよ。花梨に出会えたことは、俺の人生の中では大きなことなんだ」

 やっぱり大仰なことを言って、奏が微笑む。だけどその特別感が無性に嬉しくて、また胸が熱くなった。
 それに――

「私も……奏に出会えたことは、意味があるのかなって思ってる」
「え?」

 普通に生活していたら絶対に出会わなかった相手。そんな相手と今、ひょんなことから恋人になって、こうやって真面目に語り合っているのだから。これが巡り合わせ、というものなのだろうか。

「まだ分かんないけどね? でも、これからもっと――」

 奏のことを知っていきたいと思った。言いかけた言葉は、彼の抱擁でかき消される。

「……意味はあるよ。これからちゃんと、その意味を伝えていくから」
「う、うん?」

 言葉の意味が分からず首を傾げると、頬へとそっと口づけが落とされる。そのままゆっくりと奏が離れていくと、触れた箇所をひんやりと潮風が撫でた。
 また、だ……。奏のキスと風、どちらが触れたのか分からないくらい優しい口づけ。優しすぎて物足りなくて、無意識に彼の腕を掴む。

「花梨?」
「あ……」

 私今、もっとキスして欲しいって思った……?
 自分の行動に戸惑っていると、奏が探るような瞳で私を射抜いた。

「……してもいい?」

 そう言って、指先で唇をなぞる。今更、そんなこと聞かないで欲しいというのが本音だ。しかしながら奏は以前、私の気持ちがついてくるまでキスはしないと言ってくれた。つまり、私が許さなければ彼はキスをしない。同時にここで許してしまえば、それを認めることになるのだ。
 正直、奏への気持ちはまだいっぱいにはなっていない。だけど――

「えっと、あの……」

 絡み合う視線がじれったく、恥ずかしくて俯くと、ふっと鼻で笑う声が聞こえてくる。そのまま顎を掬われると、静かに唇が重なった。
 柔らかくて気持ちが良い。長く、触れるだけのキスを交わし、ゆっくりと奏が私の唇を食む。

「んっ……」

 一度離れた後で、奏の透き通った瞳が私の反応を探る。ここで視線を逸らしたら、きっと彼はやめてくれる。それでも拒むことはせずに、ただ目を閉じた。もっとキスして欲しいと思ったから。
 ごく自然に二度目のキスを交わす。ちゅっと、微かに音を立てたのが、始まりの合図。結んだ唇をこじ開けて、ぬるりと生ぬるい舌が私をとらえた。
 くるくると角度を変えて、私の舌に絡みついては離さない。海風は相変わらず冷たいというのに、触れ合った唇が、絡み合った舌が、私の顔に触れる彼の手が……すべてが燃えるように熱い。とろけてしまうようなキスに、腰が砕けてしまいそうで、座っていることもままならない。
 ぎゅっと彼の腕にしがみつくと、呼吸を忘れるほど長いキスの後、鼻先がぶつかる距離で見つめ合った。
 こんなに至近距離にいるというのに、酸素が足りてない頭のせいか、ぼうっとしてしまう。

「……ん、その顔やばい」

 照れたように、奏が顔をしかめる。湿った唇で、もう一度だけ濡れた口づけを交わすと、やっと二人の体が離れた。

「そろそろ帰ろっか」
「え……」
「……もう少ししたかった?」

 聞かれてしまえば、自分の欲深さに気付かされる。だけど素直に頷けないでいると、奏が困ったように笑った。

「これ以上は、俺が無理かも。ここで抱いちゃうかもしれないし」
「っ!?」
「大丈夫、そんな乱暴なことはしないよ。風邪引いたらいけないから、行こ」
「……うん」

 差し出された手を取ると、ふわりと引き上げられる。先ほどのキスの余韻なのか、それとも砂浜のせいなのか、バランスを崩しそうになって奏に抱きとめられた。

「あ、ありがと……」
「いいえ。足元気を付けてね」

 全身で彼に触れただけなのに、たったそれだけで、私の心臓は早鐘を打つ。繋いだ手から、その音が伝わってしまいそうだ。高まった熱を潮風で冷ましながら、ゆっくりと車へと戻ったのだった。


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