【コミカライズ原作】君とは二度、恋に落ちる〜初めましての彼に溺愛される理由〜

寧子さくら

恋愛とは無縁の女(1)

 ピピピピピピ……
 もう何度目かも分からないアラームの音が、部屋の中に響き渡る。

「んー……もう少し……」

 息の根を止めてやろう。スマートフォンを取ろうとして、ゴトンと床に落ちる音でやっと目が覚めた。

「……え!? やばい、またやった……! あ~!」

 ひとまず時間を確認し、絶句する時間を数秒。一人暮らしが長くなると、独り言が多くなるのは仕方ないと思うので、突っ込みは不要。
 アラームをかけたのは朝の七時だというのに、時刻はもう八時過ぎ。昨日も日付が変わるまで仕事をしていたせいだ、というのはただの言い訳でしかない。
 現実を受け入れた後で、ベッドから飛び起きると、早々に家を出る準備を始めた。

「とりあえず顔洗って……」

 化粧は下地にファンデ、眉毛、リップで最低限。いや、シャドウもちゃんと塗っておこう。服は取り込んだ洗濯から適当に。似たような服ばかりだけど、コーディネートを考えなくていいから楽チンだ。
 朝食は、途中でパンでも買って車で……いや、今日の夜は飲み会だから、電車で行かなくてはいけない。まったく、こんな日に限ってタイミングが悪い。それならもう、食べなくてもいいか。
 頭の中で素早くシミュレーションを繰り返し、身だしなみを整えていく。

「これでよし、と」

 起床から三十分足らず。仕事で人に会っても問題ないギリギリの状態を鏡で確認し、急いで鞄を持って玄関へと向かうけれど――

「あー! 違う! 忘れてた!」

 大切なことを忘れてしまったので、もう一度部屋に戻る。そして、ベッドサイドの棚に飾られた写真に目を向けた。

「行ってきます!」

 意味があるかは分からないけれど、癖でパンパン、と二回手をあわせると、一瞬目を瞑る。もちろん誰も「行ってらっしゃい」なんて言ってくれないけれど、心の中ではちゃんと返事をしてくれる気がして。
 今日も日課の『挨拶』を終えると、足早に家を出た。




 家を出てから三十分ほど。始業時間ギリギリで駆け込んだのは、とある雑居ビルに入っているオフィス。
 ビルの外観は、何だか怪しい事務所が入っていそうなくらい薄汚いけれど、駅近の立地を格安で借りられたのだ、贅沢は言っていられない。
 それに、このオフィスの内装は外観からは想像できないほどに清潔感がある。白を基調とした空間に、温かみのある木のインテリア、そしてさし色として観葉植物やその季節の花を飾っている。どんなに忙しい毎日を過ごしても、ここに来れば気持ちがリセットされる、私にとって特別な場所。
 オフィスの入口で、電車通勤で上がった息を整え、薄っすらとかいた汗をハンカチで抑える。そして、できるだけ涼しい顔でドアを開けた。

「おはよう」
「あ、おはようございます~」

 オフィスに入ると、既に始業を始めていた社員たちが挨拶をしてくれる。
 よし、今日もスタートは好調。いつも通り――

「社長! 後ろ、ブラウス出ちゃってます……!」
「え!?」

 指摘されて確認してみれば、ブラウスの裾がスカートから一部出ているではないか。わざわざ全身鏡で確認したというのに、失態。これで電車に乗っていたなんて、恥ずかしすぎる。
 慌ててしまい込むと、みんながクスクスと笑った。

 月舘花梨(つきだてかりん)、二十八歳。職業、社長。ここ、株式会社フルルは、今年で設立三年目の小さな会社だ。従業員はたったの六人。仕事内容としては、『故郷の味を全国の家庭へ』をモットーに、地元で造られている商品を、全国に販売するECサイトを運営している。
 今は多くの店で当たり前のようにインターネット上での販売が行われているが、私たちが住んでいるような田舎では、そのノウハウがなく、直接店舗に卸す以外の方法をとらない業者もいる。
 そういった人々へと営業をかけ、自社のサイトを通して全国へ販売する足掛かりを作るというのが、今の私たちの仕事だ。
 社長なんて言ったら、世間一般的には凄いだのお金持ちだのイメージを持たれることも多いけれど、実際そんなことはない。
 正社員で働いていた頃と比べて金銭的にも、時間的にも自由にはなったけれど、忙しさでいったら断然今の方が上。時給換算したら果たしてどちらが稼いでることやら。それでも、やりがいがある仕事だから、大変だけどなんとか頑張れている。

「おはようございます。先ほど昨日の売上送っておきました」

 パソコンを立ち上げている間に、コーヒーを持ってきてくれたのは、社員の中里(なかざと)ちゃん。ふわふわの栗色の髪をバレッタで止め、シワ一つない夏らしいシャツワンピースを着こなし、今日も全身からお洒落番長感が溢れだしている。
 彼女は私よりも年下なのに、しっかり者で仕事が早い。会社を立ち上げて、比較的初期の頃から働いている子で、サイトの運営をメインに、社内全体のスケジュール管理など幅広い業務をこなしてくれている。もちろん性格や口調は年相応で可愛らしく、それもまた彼女の魅力のひとつだ。

「わーありがとう。助かる」

 中里ちゃんの淹れてくれるコーヒーは美味しい。もちろん特別なことはしていないのだが、人にしてもらったという事実が、そう感じさせるのだろう。
 彼女の淹れたコーヒーを飲みながら前日の売上を確認する、これが私の朝のルーティーンだ。

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