ショートケーキは半分こで。〜記憶を失った御曹司は強気な秘書を愛す〜

森本イチカ

9-2

「大倉羽美さん、君はどこまで知っているのかな?」


 会長はじろりと羽美を見る。


「それは……どういったことでしょうか? 会社のことでしょうか?」
「いや、違うよ。海斗のことだ。なにか海斗から聞いてないか?」


 羽美は少し悩んだ。海斗の口から聞いたことといえばやっぱり記憶喪失ということくらい。羽美はおそるおそる口を開いた。


「社長が記憶喪失ってことでしょうか? そのことでしたら社長から伺っております」
「そのことについて、他になにか知っていることは?」


 会長はじっと視線をぶらすことなく羽美を見つめた。正直に全て話すんだ、と尋問でも受けているような気分になってくる。他に知っていることと言われて羽美は悩んだ。


(そう言われてみれば、私って大人になった海斗のことよく知らないかも……)


 羽美は軽く落ち込みしょんぼりした口調で「私はまだまだ社長のことは知らないことばかりです」と答えた。


 会長は呆れたようにため息をつき、眉間にシワを寄せ羽美をにらみ続けている。


「あなた、また顔が怖くなってますよ。羽美さんが怯えてます」


 婦人が会長の肩をポンポンと優しく叩く。会長は肩を叩かれ自分の顔が険しくなっていることを自覚したのか「すまない」と小さく謝った。


 羽美にはまだ目の前で繰り広げられているこの状況が理解出来ていない。頭の中はハテナマークでいっぱいだ。


「羽美さん。私達は貴方にお話があってきました」


 さっきまでオロオロしていた婦人の表情がコロリと変わった。何かを決心したかのように、しっかりと羽美を見つめる瞳には力強さを感じる。


「わ、私にですか?」
「ええ、そうです。羽美さんは気づいているんじゃない? 海斗が貴女のよく知っている人物だと。少なくとも私達はそう思っているから、貴女に会いに来たんです」
「――っ」


 羽美は目を見開いた。婦人は目をそらすこと無く羽美を見つめている。


 真っ直ぐで真剣な瞳。ここは率直に今思ったことを話したほうがよさそうだと感じ、羽美は口を開いた。 


「……奥様と私の思っている事が同じかどうかはわかりませんが、私は彼の本当の名前を知っています。初めて社長にお会いした時、私は自分の大切な幼馴染と外見がそっくりで本人だと勘違いしてしまいました。でも社長は自分の名前は本郷海斗だとハッキリおっしゃったので、私は自分の勘違いだったと思ったんです。でも……私は社長の話を聞いていくうちに違うと確信しました。彼は記憶を無くしてしまったけれど、私のずっと会いたかった幼馴染の中嶋海斗だと。社長の本当の名前は中島海斗、ですよね?」


 会長も婦人も何も言葉を発せず、視線を泳がせている。無言が答えを示しているようなものだった。羽美は話を続ける。


「でも社長は、海斗は自分が中嶋海斗であったことを綺麗さっぱり忘れています。私はあまり記憶を刺激してはいけないと独断で判断し、社長とは初対面ということになってます」


 羽美の話を聞いて会長は額に手を当て長いため息を吐いた。


「やっぱり……海斗のことを調べてこの会社にきたのか?」
「いえ、海斗のことは周りの友人にきいてもどこに行ってしまったのか何も分からなくて、それでもずっと会いたいと思っていました。海斗とは偶然この街で再会したんです」


 そう、偶然。ショートケーキが一つ残っていたケーキ屋で。


「運命とは、あるもんだ……」


 会長は重々しく言葉を小さく漏らした。


「羽美さん、今から話すことは誰も知らない話です。けど、あなたのことを信じて話します。貴女にだからこそ知っていてほしい事実だから……でもね、これから話す話を聞いて貴女のことを責めているとか、そういったことじゃないことだけは分かって欲しいの」


 婦人の瞳が少し潤んでいる。会長と婦人の雰囲気からハハハと笑えるような内容で無いことがひしひしと伝わり、羽美はごくんと息を呑み二人を見つめ返した。


 婦人が深く息を吸い、口を開く。

「海斗が記憶喪失なのは羽美さんも知っている通り、小学五年生からの記憶がないわ」
「はい」


 こくりと羽美は頷いた。


「記憶喪失になった原因は小学五年生の時、海斗が私達夫婦に引き取られるために乗った車が事故に合ったのが一つの原因なの」


 引き取られる、という言葉でようやく腑に落ちた。この二人は海斗の本当の親ではなく、親戚かなにかの繋がりがある人なのだろうと。羽美の記憶にある子供の頃の海斗の母親はこんなにも品のあるイメージではなかった。もっとがさつで、いつも酒に溺れているような、弱々しい瞳をした母親だったのをよく覚えてる。


 羽美は言葉を発さないが婦人は話を続けた。


「海斗のことを引き取ることになったきっかけがある、の」


 婦人は少し言葉を詰まらせた。潤んでいた瞳からは少しの衝撃でこぼれ落ちてしまいそうなほど涙が溜まっている。


「海斗の母親はね、自殺、したの。首吊り自殺よ。見つけたのは警察と一緒に自宅に帰った海斗だった。羽美さんと家出した日の出来事よ」


 ポロリと雫が婦人の頬を急降下した。


「え……」


 羽美の喉がひゅっと鳴った。ドッドッドッドッと不穏な音が体内で暴れ出す。


 自殺……あの日、海斗と駆け落ちした日に海斗の母親が自殺、その現場を海斗が見た……?


(わ、私があんなことを言い出さなければ海斗のお母さんは自殺しなかった?……きっと母親を大切にしていた海斗なら全力で止めていたはず。それを私が駆け落ちしようなんて言い出したから……)


 想像を絶する話にぐっと身体に力を入れていないとガタガタと震えだしてしまいそうだ。震えて、止まらず、身体が壊れてしまいそうになる。羽美は膝の上に置いていた両手をぎゅっと握りしめた。


「……私達夫婦は海斗の母親、つまり私たちの娘なんですが、親子の縁を恥ずかしながら切っていたんです。海斗が産まれたことは知っていました。けれど意地の張り合いでお互いに連絡はせずに疎遠状態で。だから娘が男に捨てられ、子どもを虐待していたなんて全く知らなくて、その事実を知ったのは娘が自殺をし、警察から連絡をもらったときでした。孫の海斗には何も罪はない、私達親子が意地の張り合いで仲直り出来なかっただけで子どもを、海斗を傷つけてしまいました。だから私達夫婦は罪滅ぼしではないですが、海斗を引き取ろうと決めたんです。引き取って幸せにしてあげたいと。けれど、事故にあって目を覚ました海斗は綺麗サッパリ記憶を失っていました」


 壮絶な事実に力を入れすぎていた身体からふと力が抜けてしまったようだ。自分が座っているのかも怪しいくらい。身体が、頭がふらふらする。


「私達は海斗が事故の衝撃で記憶をなくしたことをいいことに自分たちのことを父親と母親だと名乗りました。その時きっとあの子は過去のことを思い出したくなくて記憶を自ら無くしたんじゃないかと思ったんです。もう、海斗に苦しい思いをしてほしくなくて……私達は嘘を……っ」


 婦人の声が震え始めた。会長が目線を下ろしカタカタと小さく震える婦人の肩を抱き寄せ、背中を擦る。


 婦人の話を聞き、自分と同じだと羽美はすぐに思った。海斗を苦しめたくなくて嘘をついていること。つきたくてついたんじゃない。海斗のことを思ってついた嘘だけれど、後々後悔が押し寄せてきてしまったのだ。

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